第17話 波瀾来たる(1)
ひと波乱もふた波乱もありそうです。
郡都カルディツァに報告部隊が先着したのはその日の夕方。
彼女たちが荷馬車で持ち帰った「戦利品」に、郡都で機動甲冑の帰還を待っていた一同は言葉を失った。
「……これが落ちていた、ということですね」
頷く兵士。
機動甲冑専属調律者カリス・ラグランシアは手をかざして短く唱えた。
「――マテリアル・アナライズ」
刹那、目を見開く。
驚愕の表情を傍らで見守っていた「資格者」カロルス・アントニウスが問うた。
「どうした!? 何かヤベーことでもわかったか?」
「ええ、ちょっと……いえ、かなり驚いています」
小さな大賢者は大きくため息をつき、苦虫を噛み潰した顔でこう漏らす。
「これほど見事なウーツ鋼はアルス・マグナでも限られています。一体これは……」
ブツブツと口にしながら顔をしかめて浮かべるのは少女らしからぬ表情。
「哨戒中、偶発的に戦闘に入り、禁呪を使わねばならぬほど追い込まれた。結果としてオクタウィア様は負傷……機動甲冑に乗っている操縦者はある意味一番安全な場所にいるに等しい。にもかかわらずを禁を破ってまで高位の術式を使う……一体なにがそうさせたのか……」
「それってよほどのことじゃねーか」
「ええ、だから言ったでしょう!? かなり驚いていると!」
感情の昂ぶりに我に返ったのか、赤面して口を噤む。まるで自分が子供であったと恥じ入るかのように。
「今すぐ迎えに行ってやりてぇんだが、今の俺には足がねぇからな」
「それは心配ないかと。アグネアと合流しているなら大丈夫ですよ」
「……意外と楽観的なんだな、ユーティミアは」
「そうでしょうか? 彼女がついていてダメなら他にどうしようもないでしょうってだけですよ」
「そりゃそうだな! 俺たちは無事に帰ってくるのを待ってようぜ」
機動甲冑に関しては専門外の大蔵官僚が放った言葉に笑みがこぼれた。明くる日、帰還したオクタウィアの口から衝撃の事実が明かされるとは知らずに――。
***
翌日、機動甲冑「サイフィリオン」が郡都カルディツァの工廠に帰投した。
縄梯子を掴んで待っていた郡伯カロルス・アントニウスことシャルル・アントワーヌは一言。
「よく還ってきた、オクタウィア」
「師範……ッ!!」
縄梯子を下りてきたオクタウィアは彼の懐に飛び込んだ。その様を遠目に見つめていたカルディツァ都督ペレッツ城伯がつかつかと歩み寄ってくる。その表情は決して穏やかではない。
「任務ご苦労様でした。ご令嬢」
顔を上げようとしたオクタウィアの頭を抱きかかえるように彼が遮る。
「腹ごしらえも戦士には戦いの一環です、閣下。第一報は報告部隊から耳にしておりますから、積もる話はメシの後でよろしいですね。ちょうど彼女の帰りを見計らって作らせたメシが不味くなってしまいます」
言葉遣いこそ丁寧だが、その眼差しには有無を言わせぬ鋭さが宿っていた。
「わかりました。では後程、都督府においでください。お待ちしております」
「閣下のお気遣いに感謝申し上げます。後で送り届けます」
城伯ペレッツが踵を返して工廠から立ち去るのをきっちり見届けてから、言葉を失って固まっていた少女のつぶらな瞳を覗き込んだ。
「おっかねぇ年増の相手は腹いっぱいになってからでいいだろ……なっ!」
「……はいっ」
この日初めてオクタウィアの頬に赤みが差した。
場に居合わせたカリスとアグネアも食事に誘ったが、カリスは丁寧に断った。
「お誘いいただき、ご一緒したいのはやまやまですが。それ以上にサイフィリオンの状態が気になりますので辞退させていただきます」
「姉上に報告すべきことが増えそうだからな、私は同行させてもらう」
用意させた馬車に三人で乗って領主の屋敷に向かう。その帰りを銀髪の家政婦長が待っていた。
「おかえりなさいませ、シャルル様。アグネア様。オクタウィア様」
「待たせたな、エレーヌ。正餐の準備は?」
「準備万端でございます。お待ちしておりました」
三人ともに食堂となっている大広間へ通される。
それから新鮮な牡蠣や魚介、塩や羊乳を贅沢に使ったシチューが振舞われて、任務から帰還したクラウディア家の二人を労った。
〆のリンゴの菓子を綺麗に平らげてから、それまで舌鼓を打っていたオクタウィアが神妙な顔をしてこう言った。
「先ほどはお気遣いくださり、ありがとうございました。本当に助かりました」
「さっきは見るからに顔色がよくなかったからな。今はだいぶよくなったけど」
シャルルが微笑みかけると、オクタウィアも微笑んで応じる。
「師範に教わったおかげで何とかすることができましたけれど……正直に言うと命の危険を感じました」
「あらましは聞いた。氷の禁呪ってたしかあのドラゴンが使ったヤツだろ? ソイツをお嬢が使ったと聞いて信じられないんだが……」
「魔術回路に施してある誓約を吹っ飛ばし出血。それで操縦席の床は血溜まりになっていた。よほど痛かっただろうに、まったく……本当に無茶をしてくれる」
「師範の時に比べたら、私はずっと軽傷です。なにしろサイフィリオンが傷を塞いでくれましたから」
「そんな能力まであンのかよ……すげぇな、機動甲冑って奴は……」
感心するシャルルを尻目にオクタウィアが俯く。
「凄すぎるんです……恐ろしいほど。あの機体に乗れば、私も師範のように思う存分戦えるって……素直にそう思っていた自分の考えがあまりにも……」
紅潮した頬につっと雫が伝った。
「浅ましかった。いい気になってるだけだった……石槍は届かなくて、禁呪を使っても効かなくて、何をやっても歯が立たなくて……死ぬかもしれないって後悔しながら師範の戦い方を思い出して、サイフィリオンにそれをやらせただけ。私には何にも、何にもできなかった……」
「オクタウィア……」
アグネアすら掛ける言葉が見つからない。色違いの両目から樋を伝う雨の如く零れ落ちていく。戸惑いながら手拭いを差し出そうとした黒髪の侍女を無言で押し留め、椅子に座ったまま滂沱と涙を流す少女の肩を彼が駆け寄って抱きしめた。
「サイフィリオンが答えを導き出すまでの一分間、何度も死にそうになってそれでも耐えきって、もう少しというところまで追い詰めたら逃げられちゃって……それまで不思議と抱かなかった臆病な心が鍵剣を抜いた瞬間に一気に襲ってきて……私、怖くなっちゃった……」
「お嬢はよく頑張った。よく頑張ったんだよ……俺だってさ、初陣の時なんか怖くて小便ちびって人殺したもんだぜ」
肩を叩きながら慰めるつもりで穏やかでない軽口を叩いたが、アグネアの顔が引き攣っている。何かまずいことを口にしたかもしれないと思ったが手遅れだった。
「そうじゃない、そうじゃないんです! 機動甲冑は臆病も、迷いも……未熟な私のありとあらゆる負の感情を全部殺していたんです! そうしろって私が頼んでもいないのにッ!! だから、そうじゃない! 私の力で生き残ったわけじゃないのッ!!」
あふれ出た涙も鼻水も拭かずに震えながら叫ぶオクタウィア。その場にいた誰もが立ち尽くす中、出所を失くした負の感情が暴走する。
「だから、私、怖い……怖いんです。わ……たし、わたし……機動甲冑が怖い、サイフィリオンが……怖くてたまらないッ!!」
「ゲット・レディ――セデーション」
銀髪の家政婦長が耳元で囁き、ふっと息を吹きかけるとオクタウィアの引き攣った顔が一転、弛緩して落ち着いた。脱力して意識を失った身体を抱きとめたシャルルは動揺のあまり、鬼の形相になっていた。
「エレーヌ! いったい何をしたんだッ!?」
「興奮を落ち着かせる魔術を行使しました」
「……適切なご判断に感謝します。侍女殿」
アグネアがさっと深く頭を下げる。その反応を見て、怒りの遣りどころを見失ったシャルルは呆然としたままだった。
「申し訳ない。都督府には私が赴くから私の部屋でしばらく姪を休ませてもらえるだろうか。思った以上に心身に堪えているらしい」
「かしこまりました。できる限りの対応をさせていただきます」
家政婦長ヘレナ・トラキアはアグネアに向かって恭しく最敬礼で応じた。
それからアグネアに使わせている屋敷の一室にシャルルが横抱きでオクタウィアを抱えて運び込む。あとからクロエ・トラキアが部屋着を手に部屋にやってきた。
「姉様。着替えを用意しました」
「ありがとう、クロエ。軍服のままではきっと休めないでしょうから、そちらの服に着替えさせて差し上げなさい」
「はい、かしこまりました」
オクタウィアをクロエに託した二人はいったん部屋を出た。
「隣に空いている部屋がございます。こちらです」
ヘレナに先導されて空き部屋の中に入る。使われていないのか少しばかり埃臭い。
「後で使用人に綺麗に掃除させますので、それが済みましたら頃合いを見てこちらへ移しましょう」
「本当に助かるよ、エレーヌ」
そこで努めて平静を取り戻したシャルルはヘレナの手を取り、両手で握った。目を瞑り、首を垂れて、素直に詫びた。
「さっきは済まなかった。皆の手前で君を叱責する真似をした」
「いえ、私が咄嗟に動いたからでございます。お気になさらず」
「ついカッとなって頭に血が上っちまった。俺もまだまだだな」
「いいえ、私も……オクタウィア様を羨ましく思いましたから」
ヘレナが言った意図がわからず、目を丸くするシャルル。
「あなた様が本気で怒ると、あのようなお顔をなさるのですね。怖いと思った反面、あなた様をそうまでさせたオクタウィア様が羨ましく……いいえ、妬ましく思われてなりませんでした。なんて卑しき女でしょう、わたくしは」
「……」
「人の心とは時に恐ろしく、醜いものでございますね。自分が怖くなります」
ヴァイオレットの瞳が揺蕩う。瞬間、シャルルはヘレナを壁に押し付けていた。
両手首を握られて、ぎょっとしたヘレナの紫眼に迫ってくる彼の真顔が映った。
「シャルル、様……?」
「そういえば最近、ご無沙汰だったよな」
「え……えっ!? えええっ……あむっ!」
強引に唇を奪って舌を絡ませる。じたばたとヘレナが暴れて、壁の埃が舞う。
抵抗する力が抜けて崩れ落ちようとした身体をたくましい両腕が抱きしめた。
恐怖、そして期待――二つの相反する感情の坩堝となった双眸に語り掛ける。
「あとで後悔するほど泣かせてやるから、覚悟して待っていろ」
それは怒りと偽った芝居だったのか、はたまた芝居と偽った怒りだったのか、床に座り込んだまま埃舞う部屋に独り残されたヘレナにはわからない。
少なくとも彼の心の繊細な部分に触れてしまった、それだけは痛いほど思い知った気がした。
***
その後、都督府が置かれている臨時庁舎でカルディツァ都督ペレッツ城伯は二人の来客を相手にしていた。
一人は「アグネア」ことラエティティア・クラウディア、もう一人は機動甲冑専属調律者カリス・ラグランシアである。もう一人の方は「どうして私がこんな場所に」といった不可解な顔をしてはいるが、アルス・マグナの人間をこの場に入れたほうがよいというアグネアの判断で連れてこられた経緯があった。
「アグネア殿がおいでになったのは理解できますが、オクタウィア殿はどちらに?」
「姪は思いのほか堪えていたので休ませています。代理で私とカリスが伺いました」
「いったいこんな小娘が何の代わりに――」
「――お言葉ですが、カルディツァ都督アントーニア・ペレッツ城伯閣下」
その体格からは予想できない低く感情を押し殺した声。
それで言葉を遮るや、間髪おかず少女は口上を述べた。
「若輩者でございますが、アルス・マグナ総裁であらせられるベアトリクス第一王女殿下よりお預かりしたこの度の役目でございます。全身全霊をかけて果たしますので機動甲冑の件につきましては何なりとわたくしにお尋ねください」
「カリス・ラグランシアはこの私から見ても卓越した魔術師であり、オクタウィアと機動甲冑の両方をよく理解しておりますのでこの場に同伴を願ったのです」
アグネアの一言もあり、僅かな沈黙を挿み、城伯ペレッツは首肯した。
「わかりました。都督府から申し入れたい点は二つです。先ずはわが精鋭部隊を振り切った独断専行に対して、司令官として遺憾の意を表明いたします」
「それは機動甲冑に乗った姪が、ということですね」
「ええ。もう一つはわが精鋭が巻き添えを食らう虞のある氷の高位術式、それもフリーズ・ランサーが事前通告抜きで行使されたと思われる点について深い懸念を表明いたします」
「かなりひどい戦闘があった様子だとご報告済みですが、ペレッツ卿はそれを問題になさるおつもりで?」
「もちろん禁呪の事案は法務府の管轄、われら軍務府が取り扱うものでありません。都督府との協調が軽んじられているのでは、と私は申し上げたいのです」
「アルス・マグナと正規軍が協調作戦を取った前例などない。無理もないでしょう? それにここは直轄領じゃない。テッサリアの一領邦に過ぎない。そう考えて地域との信頼関係を作ろうと私は腐心してきたんです。それを予告なしに配置転換を断行して現場に混乱をもたらしたのは都督府も同様ではないですか」
「なんですって……それとこれとは話が違うわ! そもそも人員刷新はメガイラ様の意向よ。第一軍務卿自らカルディツァに関与なさるご意向に異を唱えるつもり!?」
「それをおっしゃるなら、資格者は女王陛下直属の精鋭、それ以外のありとあらゆる命令に対する拒否権がある。それを枉げて都督府に従えとは女王陛下の統帥権を侵すおつもりか!?」
大激論を交わす二人の側で傍観者となることを強いられたカリス・ラグランシアはうんざりといった顔を隠さなかった。
最近、地味にブクマと評価が増えつつあり、多大なるモチベーションをいただいております。




