第10話 内政と軍事(2)
その頃、領主カロルス・アントニウスことシャルルは馬上の人となっていた。
王都からの帰途、領地の東端にあるメネライダ村を訪ねたところ、羊飼いの老人に呼び止められて新鮮な羊乳を御馳走になった。
「本当にこの羊乳は味が濃い。いい乳を出す羊だな」
「わしらの羊はご先祖様から受け継いだ宝物じゃよ」
それから、昔々のその昔――とばかり、お年寄りのおとぎ話が始まった。
「わしらのご先祖様はずっと東の草原からやってきて、そのまたご先祖様はずーっと昔から草原で羊とともに暮らしていた――死んだ曾祖母さんがそう言っておった」
「草原で暮らしてたんなら、乳を発酵させた食い物がありそうだよな。そういう話を聞いたことはないか?」
「さぁ知らん。乳を腐らせるなんてもったいなかろ? 神様がお怒りになるって言われたもんじゃ。だから腐っちまう前に飲んじまう」
(乳を腐らせずに飲むからこそ、乳を発酵させる文化が喪われちまったのかな)
魔術の瓶で羊乳を冷やしたまま生産地から消費地へ届ける。街道が整備された一帯で羊乳の輸送が行われている一方で、街道があまり整備されていないこの辺境からは羊乳が運ばれることがない。よってこの村の羊乳は狭い域内でだけ飲まれている。
「そういえば、領主様が若い衆に作らせてるアレは何なんじゃ」
「新しい食い物だよ。乳を固めて水を抜いて塩漬けにすると保存がきく。羊乳をそのままこの村から運べねぇなら別の食い物に加工して外で売ろうって腹づもりさ」
「海で作った塩をわざわざここまで運んできたのはその為かい。ご苦労なこった」
***
メネライダ村での視察を終えた彼は、郡都キエリオンの屋敷で一泊するとそのまま領地を横切って領地の西端、アルデギア地方へと向かっていった。活力みなぎる彼を迎えた三人は総じて顔色が悪かった。
「三人揃って二日酔いってどうしたんだよ」
「「「誰のせいだ!!」」」
げっそりとした三人の官僚を軽い気持ちで冷やかしたところ、全員目を吊り上げて彼を睨んできたので気圧されてしまった。
「それもこれもカロルスに十分な説明なく意味不明な仕事を押し付けられて困ったと言い合ってこうなったんだぞ。だから半分は貴様のせいだ!」
アグネアの有無を言わせぬ眼力に彼は両手を上げて降参の意思を示す。
「わかったわかった! とりあえず俺はどうすりゃいいんだ」
「我々三人がある程度納得するまでは話に付き合ってもらう。でなければ後の仕事はできないと思ってもらって構わん」
それからはアグネアが場を仕切ってシャルルと官僚たちとの話し合いがもたれた。当然それで疑問がすべて解決するわけでないが、三人ともある程度納得した。そして新たに露呈した問題がある。
「うーん、やっぱり人が足ンねぇ……特に人を回す側の人材がなぁ」
「それはそうだろう。貴殿がやろうと考えてることは持ってる手駒に対してあまりに大きすぎるのだからな」
「人選もおかしい。農業の専門家と皆が認めてるフリッカに水産業を担当させるのはどう考えても無駄です」
歯に衣着せぬアグネアとユーティミアの言葉に彼はぐうの音も出なかった。
「有無を言わさずここに送り込まれた全部が無駄だったわけじゃないんですけどね。兵隊さんが消費する海産物のうち、貝殻とか食べられないモノを農地に活用する案も思いつきましたし。まぁでも早く土いじりをしたいとは毎日思ってます」
「悪かったよ。今まで苦労かけちまったな」
「思うところがいろいろあるんですけど、長くなりそうですから先にユーティミアとアグネアさんの方を進めてもらえれば。私は最後でいいので」
フリッカの希望を受けて、先に他二人の懸案を片付けることにした。
最初にユーティミアが塩の生産と輸送の現状を報告し、その先の計画――領地を東西に横断して沿岸部と内陸部の産物を交換する取り組みとそれに必要な投資や経費の見積もりを説明した。
「私は全く関与できていませんが、塩の生産自体は好調です。カルディツァにも輸送して、そこからメネライダ村にも届けています。ただ、村の特産品である羊乳は新鮮なまま他へ持ち出すことが難しく、戻ってくる荷馬車は空荷に近い状態です」
「あの一帯は道が舗装されていないし、曳き舟が遡上できる広さの川もないからな。高価で割れやすい瓶を持っていってまで羊乳を運ぶのは現実的とは言えん」
そう口にしたアグネアの頭にはきっと領内の地理情報が入っている。ユーティミアがさらに問題点を付け加えて言った。
「ええ。しかも村に向かう時には空いた瓶を積む必要がありますから、その分無駄が発生するんです」
「そのことなんだが、羊毛、あるいは生地なんかの服飾用の品物が多少あるそうだ。他にもなんかできたら帰りの荷馬車に積んでもらうように頼んでおいた。とりあえずユーティミアはそんな感じか……アグネア殿はどうだ?」
話を向けると赤髪の武官アグネアはこう答えた。
「志願兵たちの訓練を行ってるが、思ってたよりも筋はよさそうだ。だがどうしても厳しい訓練に耐えきれない者が出始めている。その者たちをどうすればいいか悩んでいるところだ」
「そいつらは今どうしてる?」
「とりあえずフリッカの配下で養殖に従事させたりしているが、内陸の生まれで海に慣れてない連中も少なからずいる。そのせいか今一つやる気が上がらないようだ」
「そうか……なら、運び屋の方がまだ向いてるんじゃねぇか?」
運び屋と言った彼にアグネアが怪訝な顔をする。
「それは連中を兵役から外すという意味か?」
「いや、違う。兵站を専門にやらせちゃどうかって意味さ」
「兵站か……なるほど、それならいけそうだ」
「あの、アントニウス卿。兵站って具体的にはどういう意味ですか」
納得して頷いたアグネアの脇で大蔵官僚であるユーティミアが手を挙げる。文民の彼女には軍事に関する知識が乏しいのだ。
「戦場のより後方でやるいろんな雑務のことさ。戦争ってのはだな、何も戦場だけでやるもんじゃねぇ。兵隊に食わせるメシや水はもちろん、替えの軍馬とか飼料とかも必要だろ。それらを用立てるのもまた戦争の一部ってわけだ」
「戦場で戦える兵隊を作る――そう考えて厳しい訓練を続けてきたが、それに耐えられない連中には雑務をやらせた方がいい。雑務といっても最も重要なのが輜重――要するに兵器、糧食、被服といった物資の確保というわけだ。これ無くしてはどんな軍隊も戦えなくなってしまう。もちろん、我ら正規軍でさえ例外ではない」
「よくわかりました。お二人ともありがとうございます」
「さっきユーティミアに領内の産物を運ぶ計画を話してもらったろ。それに関係する話でもあるんだよ」
「あ……もしかして、その運び手に使おうと考えていらっしゃると?」
「そういうこった。どうせ戦争になったら物資を運ぶ連中さ、平時から塩なり何なり運ばせておきゃ無駄にはならんだろ」
「良い案だと思います。現在は塩を運ぶために都度人馬を雇っていますので、その分経費が掛かっています。それを兵隊に移し替えれば、経費が削減できそうです」
「まぁ、馬とか荷車とかいろいろ確保しなきゃいけねぇんだがな」
「初期投資がかかるのは致し方ないでしょう。若干の希望的観測は気になりますが、領内の経済を活性化させようとのアントニウス卿の意図は概ね理解いたしましたのでやらせていただきます」
こうしてアグネアとユーティミアに関してはひとまず前に進める状況になった。
「最後はフリッカだな」
「ユーティミアとアグネアさんの話を聞いていて感じたんですが、閣下の構想は早晩行き詰まりそうに思います」
「わけを聞かせてくれ」
「馬とそれを養う飼料の不足、そして何よりもそれらを大量に生産し続ける牧草地が不足していることです。これは馬の需要急増を支えるだけの飼料を領内で確保できる見通しが立たないことを意味します」
メネライダ村からの帰り、郡内の農地は対照的な有り様だった。竜の血を含む土を撒いた農地は草の葉が出始めているが、そうではない農地は荒れたままだ。
「閣下の領地では農地の大部分を小麦畑が占めますが、地力を回復させる目的で大麦と燕麦が栽培されています。このうち燕麦が馬の飼料、麦稈が敷料となり得ます。そして休耕期を挿んで三年がかりで小麦の作付け、大麦と燕麦の作付け、休耕地での放牧を繰り返すのがこの地方の農業の基本です」
「でも、それが回ってねぇんだろ」
「はい。この一帯の土は痩せていて休耕期が一年では足りません。竜の血を含んだ土を撒いてみましたが領地全体に撒ける量なんてありませんし、それだって数年経てば養分を使い果たしてしまいます」
「それはつまり、農業を根本的にどうにかしねぇと俺の構想も立ち行かねぇって言いたいんだな」
キエリオンに立ち寄った時、竜の血をうちの畑にも撒いてくれないかという相談がいくつも彼に寄せられた。彼とフリッカが推し進めた農地改良への期待が高まりつつある――彼もそう感じていたところだ。
「よし、わかった! フリッカを内陸に戻そう」
「大丈夫なのか、カロルス。養殖はどうするんだ?」
「こんなこともあろうかと私の後任の目星はある程度つけておきました。牡蠣のこと教わった海女さんたちと仲良くなったし、私の作業を手伝ってもらったので引継ぎも難しくないはずです。だからあとは閣下が口説き落としてください」
「なるほどな! そっちは俺に任せろ!」
「……フリッカ辞める気満々だったのね」
「今なんか言った? ユーティミアさん」
「いいえ、なぁんにも。飲み友達が一人いなくなるなんて寂しいわ」
「はっはっは、ご栄転が決まったんだ。祝杯を挙げようじゃないか」
「まぁた二日酔いとか、今度は勘弁してくださいね」
やや肩をすくめてニヤリと笑うユーティミア。陽気に喋るアグネア。それを受けて冗談を口にするフリッカ。
彼女たち三人の官僚の顔色はすっかり良くなっていた。
***
その後、場を解散してユーティミアとアグネアはそれぞれ持ち場に戻り、シャルルはフリッカとともに漁村を訪ねた。牡蠣を収穫している海女たちに声を掛けて、フリッカに代わって養殖作業の指揮を執ってくれる者を探していた。
自分の収穫に手が回らなくなるからと固辞する海女たちが相次いで、当てが外れたフリッカが困り顔でいたところ、一人だけ受けてくれる者が現れた。
「どれ……わしがやろうかい」
「ばあちゃん!?」
彼がアルデギアを初めて訪ねた時に出会った海女の娘キキ、その祖母があらよっと腰を上げたのだ。
「大丈夫なのか、ばあさん?」
「海ぃことならよぉわかる。孫ばっか使ても枯れるだけよぉ。そったらことできんよぉ」
「ありがとうな、ばあさん。恩に着るぜ」
「ほ、ほ、ほ。近頃は人も増えたぁ。金回りもええ。全ェ部、領主様のおかげだぁの。嬢ちゃんも必死だったべな」
「本当にありがとうございます。おばあさん」
「なんのなんの。村のため、お郷里のためよ。老いぼれの最後のお勤めができんなら、こんなええことなかぁ」
キキの祖母は幼馴染の一人の許へ彼らを連れて行った。彼女の幼馴染は漁協の元組合長で、彼女が話に引き込んだ。こうして養殖の技術指導はキキの祖母、組織運営は元組合長がそれぞれ分担する流れがトントンと決まった。
***
フリッカが自室として使っている宿に戻ってきた二人は茶を淹れて一息ついた。
「いやぁ、一時はどうなるかと思いましたよ」
「ばあさんを口説き落としたのがよかったな」
「漁港の岸壁補修なんて話、ユーティミアに諮らずに請けてよかったんです?」
「ああ、そのくらいどうにかなるだろう。パラマスで使った蛇籠があるからな」
屑鉄と木炭と瓦礫を集めてもらえれば岸壁が直せる――。
彼がこう言い切ったので、元組合長も養殖を漁協の事業の一つに持っていけるよう協力を申し出た事情があった。
「これで海の方はなんとかなりそうです。あとは陸の方ですね」
「さっき話してた農地のことだな」
「はい。土が痩せているのを根本的に改良しないといけません。原理はわかっているんですけど、安上がりな方法が無くて」
「安上がりでなけりゃできるのか?」
「はい。王都の試験農場でやってる実績があります。空気中に雷を走らせて生物に不可欠な元素を土壌に取り込む。自然でなら稲妻がやってくれるそれをあそこでは魔術を使って人為的にやっているんです」
フリッカが何を言っているのか、彼にはさっぱり理解できない。わからないなりに話を合わせた。
「確かに神様なら雷を落とすくらい造作もねぇな。前にソフィア様やエレーヌから聞いた『地上の楽園』の話がソイツだったのか」
「『地上の楽園』とは……閣下もなかなか素敵な言い回しをされますね。まぁでも、そんな感じです。あんな『楽園』を作って維持するのは相当カネがかかります」
「俺ら田舎貴族なんかには手が出ねぇわけだ」
「こればっかりは難しいでしょうね」
大きくため息をついた彼の表情は硬い。重苦しい場の空気に耐えかねて席を立ったフリッカは一つの焼き物を手に戻ってきた。
「そういえば、ここへ来ていろいろ発見があったんです。牡蠣を撒いた干潟の近くの荒地で群生している植物があったので、つい拾ってきちゃいました」
フリッカが嬉々として小さな鉢を見せびらかす。丸みのある三枚の小葉が特徴的な草が鉢から溢れそうだった。
「ほら、見てください。珍しい草だと思いません? もこもこしててちっちゃい割にすごく生命力が強いんですよ」
「いや、珍しいって……こいつはただの白詰草じゃねぇか?」
フリッカが何とも言えない当惑した顔をして言い放った。
「いやいやいや、何を言ってるんですか!? これは新種ですよ、新種! こんな植物今までこの国で見たことなかったんですから!」
「マジか……俺の国じゃ、そこらじゅうに生えてたぞ。幼馴染が庭に植えてたし」
「信じられない。閣下ってホントにこの国の人間じゃなかったんですね」
「俺をどこぞの蛮族みたく言うな!」
(……いや、しかし、こいつは……)
顎に手を当てたシャルルの頭にカッと雷撃が走った。脳裏を針で刺した痛みに顔をしかめ、額を抑えた彼をフリッカが心配そうに覗き込んでいた。
「どうなさいました、閣下。大丈夫ですか?」
「……フリッカ。俺にも『地上の楽園』が作れるぞって言ったらどうする?」
◇◆◇◆◇ お礼・お願い ◇◆◇◆◇
最新話まで読んでいただき、ありがとうございました。
第四章・第一幕タイトルを「灯された種火」、
第四章・第二幕タイトルを「鉄の装蹄師」に変更しています。
カネもかけずに『地上の楽園』をどうやって作るのか!?
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