第20話 コンクエスタ・シエロ(4)
革布の調整が終わった。カリスとオクタウィアが再び座席から離れ、本格的にエールセルジーの検査作業が始まろうとしていた。
「……やはり、これは確認が必要ですね。オクタウィア様。今エールセルジーに刺さっている鍵剣の石はガーネットで間違いありませんね?」
「ええ、そうですね」
「では、エールセルジーの機体に施された魔術属性は分かりますか?」
「雷……水と風の複合属性、だったと思います」
「それは、以前アントニウス卿と一緒に乗り込んだ折にわかったことですね?」
「はい。ですけれど、サイフィリオンの資格者になったからでしょうか。機体の属性が『雷』であることは当然のように思います」
十代の少女二人の間で彼には理解不能なやり取り。魔術の知識に乏しいシャルルは何を言っているのか露も知らず。顔をしかめて頭をひねってもまったくわからない。
「んー……なるほどなるほど。では、『雷』を司る石は?」
カリスのその質問をオクタウィアも理解し、目を見開く。改めてエールセルジーの座席に刺さる鍵剣の石を見据える。その顔には明らかに困惑の表情が満ちていた。
「え……っ……え……これって、ど、どういうことなんですか、カリスさん!?」
「なんだなんだ、二人して内緒話か?」
皮布で座席に座らされたまま聞き流していたシャルルだが、背後から聴こえる二人の声色に思わず振り返り、後悔した。蝶や花であれこれと騒ぐ年頃の少女二人のともに険しい顔から、とてもそんな様子でないと理解した。瞬間、彼も深刻な声色となる。
「……もしかしてなんかヤベー話か?」
カリスの表情は決して明るくない。何か深刻な何かに気づいた――そんな感情を何事もなく覆い隠す器用さを持ち合わせていないらしい。表情を変えず短く言った。
「……ひとまず先に進みましょう。これが最後の作業になります」
シャルルには彼女たちの会話の内容も、気付きの意味も、何一つ理解が出来ない。しかし、今の状況がこれまでにないほど冗談では済まない話題であること、それだけは間違いなく理解出来た。
それ以外には何もできず、蚊帳の外に置かれている彼をよそに、二人は会話を続けていった。
「オクタウィア様。エールセルジーの声は今も聞こえますか?」
「はい。サイフィリオンと同じか……それよりずっと聞きやすい言葉です」
「では確認します。機動甲冑の言葉とは、高等魔術で扱う古代語、あるいはそれに似た言葉ですね」
「――――」
疑問ではない。断定する言葉としてカリスはオクタウィアに問うた。
言葉に詰まったオクタウィアがどんな顔をしているのか、シャルルには少しばかり想像がつく。彼自身も以前にカリスと話したとき、このように言葉に詰まった局面があったからだ。
「オクタウィア様」
「――おっしゃる通りです。機動甲冑は、古代語と今の私たちの言葉を混ぜて話してくれます」
ああ、やっぱり、とカリスは腑に落ちたように大きく頷いた。シャルルが訊ねる。
「古代語、ってのはいわゆる……魔術で使う言葉ってことだよな?」
「ええ、その通りです。アントニウス卿も時々エールセルジーが口にしていることがわからなかったのではないですか?」
「そうだなぁ……だが、今日はなぜか随分とわかりやすい」
「先ほど、エールセルジーに『饒舌になった』。そう仰ってましたね?」
「あー……多分言ったと思う」
「では、アントニウス卿ではおそらくムリでしょうから……ここはオクタウィア様にお願いしましょう。お耳をお貸し下さい」
「は、はい……?」
カリスは背伸びしてオクタウィアの耳元に囁き、オクタウィアは耳に聞こえた音を小さく復唱する。当然、シャルルには何を言っているのかさっぱりわからない。
「これ、正式な魔術式の呪文ですね」
「ええ、そうです。しかし魔力は込めずとも問いかける形でエールセルジーに唱えてみてください」
「……わかりました」
そう言うと、オクタウィアは一つ大きく息を吸う。
「セット――ゲット・レディ――チェック・ライブラリ。インプット・ランゲージ・オール」
すると、エールセルジーは呼応するように何かを喋り始めた。
『――インプット・ランゲージ・インデックス・オープン。古代帝国共通語、英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ギリシャ語、スペイン語、ラテン語、ロシア語、北京語、日本語、アラビア語、古インド語――』
「え、え、え、え…………っ!?」
「なんだなんだ? おい、カリス、お嬢になに吹き込んだんだ!?」
「オクタウィア様、『最後に学習した言語は?』と聞いてみて下さい」
シャルルの問いを無視して、オクタウィアに次の問いを依頼するカリス。見知らぬ単語が淡々と読み上げられる様に圧倒されたまま依然困惑し続けるオクタウィアだが、それでもなんとかエールセルジーに問いかけた。
「エールセルジー。あなたが最後に学習した言語はなに?」
『――ルナティア語。現在の習熟度八三パーセント』
「ルナティア語……!?」
オクタウィアは小さく叫ぶように繰り返した。カリスはなるほどと咀嚼するように二度三度頷いて、ようやく彼の顔を見て口を開いた。
「アントニウス卿。先ほどエールセルジーが喋ったのは、この機体に登録されている言語の名称を挙げたものです。聞こえた中には、きっとご存知の言葉が一つか二つ、あったのではないですか?」
「……フランス語。俺の国の言葉だ。他にもいくつか知っている言葉があった」
「そうですか」
噛みしめるようにカリス一人だけがこの場でうんうん、と頷き続ける。なぜか心がざわめいた。筋肉がこわばる。声を絞り出して彼は問う。
「……おい、なんなんだよ……これになんの意味があるっていうんだ!? いったい何を調べているんだ、カリス」
「最後の検査の前の確認作業ですよ。ここからが本題なんです。お二人をお待ちしていた理由はこのためです」
息を呑み、怪訝そうに唇を噛む彼。その傍らでもう一人の少女がこう言った。
「……通訳をすれば、良いわけですね」
「そういうことです。ムリを言って申し訳ありません」
口調だけはカリス同様に落ち着いたオクタウィアがさらに問うた。
「これが、機動甲冑の……ルナティアのためになるんですよね?」
「――女王陛下に誓って」
真摯な眼差しで短く応えるカリス。
つぶらな青い瞳には毛筋ほどの迷いもない。その静かな眼力にオクタウィアは目をつぶり、ゆっくりと頷いた。
「……わかりました。お役目果たさせていただきます」
開かれた色違いの瞳が凛と光る。
自分の意志が伝播したかのように――それを認めたカリスはこう言った。
「では、最初に……エールセルジーにこう聞いて下さい。『この機体に登録されている搭乗者の名前を答えよ』」
一言一句違わず、オクタウィアはカリスに続き、エールセルジーに問う。
『資格者、カロルス・アントニウス』
打てば響くが如く、返答はすぐに返ってきた。
「師範のお名前ですね」
「そうですか。では続けて……『この鍵剣に登録されている者の名前を答えよ』」
『――エラーコード・ナンバー〇〇三――アドミニスター認証、確認。カロルス・アントニウス』
一つ前の問いより、僅かに時間がかかり、エールセルジーは答える。回答はいずれもシャルルの名を表していた。
当たり前のことだ、と思うシャルルとオクタウィアであったが、ただひとりカリスだけはオクタウィアの通訳する言葉を一つ一つ噛みしめるように、もつれた糸を手繰り寄せるように、反芻しては何事かを呟き続けていた。
「あの、カリスさん……?」
「――大丈夫です。続けます。『この座席に登録されている者の名前を答えよ』」
オクタウィアが続く。
『――――』
「どうですか?」
先程の倍以上の時間が経過し、カリスはオクタウィアに問うが、首を振る。
「……ムリ、ですかね」
続く沈黙。瞬間、オクタウィアの目がピクリと動く。
「いえ……待って下さい! ……多分この反応なら……あと少し」
オクタウィアは明らかにエールセルジーが何かしらの反応をするのを知覚し、その瞬間を待った。
『――――エラーコード・ナンバー九九九――アドミニスター認証、確認。最上位権限の履行を確認――』
エールセルジーの反応のまま口を動かすオクタウィアの表情が凍っていく。
その名が出てくると果たして誰が想像したであろうか。
『リガ・レイアー、コックピット・ブロック登録パイロット、ルキウス・アルトリウス・バルティカヌス――第二登録名義、アルテュール・ド・ブルゴーニュ』
口にするオクタウィアは通訳をしながら唇の震えが止まらずにいた。
それを聞いたカリスは全く想像だにしなかった人物の名にふらふらと後ずさった。
そして……
「ウソだろ……!?」
ルキウス・アルトリウス・バルティカヌス。
それは、ルナティアに伝わる大昔の英雄の王の名。
アルテュール・ド・ブルゴーニュ。
それは……
「親……父……!?」
縁もゆかりも一切ない見知らぬ遠き異国の地にて――。
それは唐突に、彼に降り注いだ運命――。
忘れもしない。
今は亡き先のブルゴーニュ大公にして彼、シャルル・アントワーヌの父――。
『征服王』アルテュールの名であった。
― 第三章 完 ―




