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第16話 果樹園と牧場(3)

「実は、閣下に折り入ってご相談したいことがございまして……」

 来訪者を屋敷の応接間に通すや否や、キエリオン郡司代行(ぐんじだいこう)フリッカ・リンナエウスはこのように切り出した。

「しばらくここに滞在するつもりだ。何でも言ってくれ」

「そうですか、助かります」

 丸っこい顔に愛嬌のある笑みを浮かべたフリッカは一転、真顔になった。

「閣下のお名前は『竜殺し』としてこの郡にも伝わっておりますが、その閣下にしか頼めないお願いがあるんです」

「おいおい、何でもとは言ったが、また竜を退治してくれ、とか言いだすんじゃないだろうな!」

「いえ! そんな畏れ多いことでは……」

「なんてな、冗談だよ。もっと気楽にいこうぜ!」

「は、はぁ……」

 フリッカがユーティミアを一目見ると、気心の知れた同期は口元を覆っている。

「……目が笑っているわよ、ユーティミア」

「ごめんなさい、フリッカ……おかしくて」

 見れば彼女の隣でソフィア王女も心なしか笑みをこらえている様子だった。くだけた口調の郡司と改まった語調の自分のやり取りが滑稽に映ったのかもしれない。

 自発的に緊張させた肩の力をふっと抜いたフリッカは気を取り直してこう尋ねた。

「閣下がパラマスの郊外で竜を退治された後、屍を解体したと聞いています。その際に内臓を取り出したと思われますが、どこに捨てられたかご存知ですか?」

「内臓は捨ててないはずだぜ。解体して全部王都に持ち帰ったからな……でしたね、ソフィア様」

「ええ。竜の亡骸は貴重なのでアルス・マグナと博物館で取り合いとなりましたの。血液まで(かめ)に入れて持ち帰ったくらいですもの。跡には何も残っておりませんわ」

 シャルルとソフィアから話を聞いたフリッカの顔が曇った。

「そうですか……(はらわた)などあればよかったんですが……」

「竜の腸とはこれまた、珍しいモノをお望みだな。そんなもの何に使うんだ?」

「腸というよりもその中身――(ふん)に興味があったんです。家畜に限らず、糞には地力を回復する働きがありますから」

「腸でしたら、たしか……骨格の一部と一緒に博物館へ運び込まれたはず。ですが、だいぶ日が経っていますし、糞がまだ残っているかどうかわかりませんわね」

 ソフィアの言葉に心なしか肩を落としたフリッカがこうこぼした。

「元々この一帯の土は良くないんです。数年前の大飢饉からは特にひどい状況で……地力回復には獣の糞、落ち葉や枯れ葉や木の枝、そして獣の爪や骨、蹄がいります。ですが、大飢饉で家畜の数が減ってしまったせいで地力が回復できていません」

「なるほどな。それで竜の糞がないか、というわけだ」

「わたくしが王都に帰って博物館に問い合わせてみますわ。ただ、かなり難しそうな気がしますの」

「そうですよね……ああ、竜の糞があれば、かなりの効果が期待できたのに」

 大きくため息をついたフリッカ。

「……それ、糞じゃないとダメなのか。竜の血を土に垂らしたらどうなる?」

 シャルルがそう尋ねると、丸っこい顔に赤みが差した。興奮気味に彼女が言う。

「そんなものがあれば願ったり叶ったりですよ! ですけど、血は瓶を使って王都に運ばれたんですよね? 糞よりずっと利用価値がありそうですし、畑に撒くだなんて絶対お許しいただけないと思います」

「……すでに土の上にぶちまけちまったモノでもか?」

 ニヤリと笑みを浮かべてそう言った彼の眼差しに、フリッカは絶句した。

 彼が何を考えているのかわからない。しかし、その表情には不気味なほどの確信が満ちていたからであった。


 その翌日、郡伯カロルスことシャルル一行はキエリオンの街を発った。

 ソフィア王女も同じ日の朝に出発したが、王都に一度戻って博物館に竜の糞の所在を問い合わせるというので、ここで一度お別れである。

 領主の馬車にユーティミア、クロエに加えてフリッカが同乗した。向かうはパラマスの湊町から内陸へ一マイルほど進んだ戦場――シャルルがエールセルジーに乗って竜を討伐した現場であった。

 その一帯には竜の頸を刎ねた際に返り血が飛び散っており、切断面からは竜の血が大量に流れ落ちて血だまりを作るほどだったのだ。それから一ヶ月半になろうとしているが、冬にもかかわらず一帯に草木が生え始めていることに彼は気づいた。

「ほら、見てみろよ。ここ、俺が竜を退治したときは荒地だったんだぜ」

 フリッカが両膝をついてしゃがみ、愛用の円匙(えんし)で土を掘って諸手で触りだす。土は柔らかく、掘り出した中からうねうねと動くミミズが躍り出すほどであった。

「なにこれ……すごい! ねえ、見てくださいよこれ!」

「……っ!?」

「この土を持っていけば絶対、痩せた畑が生き返りますよ!」

 虫が蠢く土を嬉々として持ち上げるフリッカに、ユーティミアとクロエは若干青ざめた様子だったが、シャルルは違う意味で驚きを隠せないでいた。

「竜の身体から出るモノってすげえんだな……トカゲのデカい奴くらいにしか思っていなかったぞ」

「何と言っても全身が生命力と魔力の塊ですからね。私の専門外ですけど、竜の肉や内臓は滋養強壮の薬にもなり得ると耳にしたことがあります」

 フリッカの言葉を聞いて、竜の亡骸にどれほどの価値があったかを彼は知った。

(土に撒いた血ですらこうなんだろ? あれを持ち帰ったアルス・マグナは何をやるつもりなんだろうか……)

 その後、湊町に向かった彼は家屋の再建に当たっていた者たちに話を聞いた。

 破砕された瓦礫を蛇籠(じゃかご)の採用により壁に転用できたことで、石切り場から切り出さなくてはならない石材が大幅に削減できた。加えて町の住民も工事に動員できたため、必要な家屋の再建が完了したという。

「これで皆、寒さをしのげます。本当に助かりました。ありがとうございます!」

「それは良かった。復旧工事としては何があと残っている?」

「町の瓦礫はすべて町の外に置いていますが、これを郊外の窪地まで持っていく作業が残っています。家づくりに比べれば急がなくてもよいですが」

 急ぎの作業がないことを確認した彼はこう切り出した。

「それじゃ、一つ頼みたいことがあるんだが……ちょっといいか?」

 そう口にした彼の笑みにフリッカは見覚えがある。

 彼の脳裏には何かあるに違いない――彼の傍らでそう感じ取っていた。


 ***


 明くる日からパラマスの郊外で土を掘り起こす者たちがいた。つい先日まで家屋の再建に従事していた工兵たちと街の住民の一部である。

 工兵たちは大円匙(だいえんし)を使って土を掘り、街の住民たちはそれを荷車を使ってそこから一番近いパラマス川の岸に向かって土を運び出している。

 陣頭指揮を執っているのはキエリオン郡司代行フリッカ・リンナエウス。シャルルから預かった人手に対して、土の中に生息しているミミズたちをできるだけ生かしたまま土を運びだすように具体的な指示を出していた。

 川の岸には(はしけ)が停泊しており、そこに土を積んでいった。土を積み込んだ後は、この艀を川の上流のキエリオン郡まで曳く算段となっている。これは領主のシャルルが提案したことであった。

 それからおよそ一週間ほどかけた作業の結果、数艘の艀が土でいっぱいになった。問題はこれをどうやって上流のキエリオン郡まで曳くのだろうかということだ。さすがに土を掘ってくれた皆にそこまでの頼みはできないだろう。

 答えは発案者のシャルルが持っていた。作業の指揮権をフリッカに預けたシャルルは単身馬に乗って王都へ向かい、その答えを現場に()()()()()


「皆様、ご無沙汰しております」

「え……オクタウィア様ではありませんか!」

 そこに現れたのは、あの伯爵令嬢オクタウィア・クラウディアであった。

 湊町を竜が荒らしまわったその日、街に駐留する王国軍小隊とともに戦火の中に飛び込んだ十七歳の少女の胸には授与された褒章を示す略綬(りゃくじゅ)がつけられている。

 真新しい制服には士官候補生の階級を表す緑色でなければ、士官の階級を表す赤色でもない、紫色が取り合わされている。つまり、士官候補生とは異なる装いとなっていることがわかった。

 シャルルが郡伯カロルス・アントニウスとしてテッサリアに下ってから間もなく、正式にアルス・マグナ直属の『資格者』(ソードホルダー)という地位を女王ディアナ十四世より賜った彼女は、もはや士官候補生でなくなっていたのである。

「この度、アルス・マグナ所蔵の機動甲冑『サイフィリオン』の操縦者を拝命いたしました。カロルス・アントニウス卿に代わって、あの艀を曳かせていただきます」

 少し離れたところに背丈一〇フィート(三メートル強)に及ぶ巨像が立っている。似たような大きさのものを戦火の湊町で目の当たりにしていた正規軍駐留小隊の皆は、オクタウィアがそれを操縦すると聞いて驚きを隠さなかった。

 機動甲冑が艀を牽引するという試み自体はパラマス川でエールセルジーが実験的に行った実績もある。だが、馬のような四本脚のエールセルジーに対して、人のような二本脚のサイフィリオンで牽引するのは初めての試みであった。

 艀の牽引に使いたいのでサイフィリオンとオクタウィアを借りたいというシャルルの申し入れに、アルス・マグナの者たちは難色を示した。高名な魔術師たちは地方の農地復興にこれといった関心を持たなかったため、機体調整など理由をつけて断ろうとする動きがあったほどである。

 博物館との交渉があまり思わしくなかったソフィア王女がこれを聞きつけて、姉のベアトリクス王太子に直談判を行った結果、サイフィリオンの運用習熟を目的とした実戦的な演習の一環として許しが出て、今日に至っている。

 なお、船曵きについては条件が付けられた。整備に支障をきたすため、サイフィリオンを長時間水中に入れたままにしないことが要求されたため、曳舟道(ひきふねみち)の上から鎖で引くことになった。このため、艀を川岸から川に押し返す人員が別途必要となったがすべて人力で行うよりはずっと人員は少なく済む。


「毎度ながら、すごい力業を使いますね。アントニウス卿は」

「ソフィア様のおかげだがな。王太子殿下にも別に思惑があったらしい。それがたまたまうまく噛み合ったってわけだ」

 この話をシャルルから聞いたユーティミアは呆れてしまった。ソフィアが博物館に交渉した竜の糞は満足な回答を得られなかったが、その代わりに機動甲冑を土運びに動員する根回しには成功したというからだ。

 しかし、ユーティミアは過去の帳簿から知り得ていた。キエリオン郡が痩せた土地ゆえに長年にわたり貢納に苦しんできた挙句、大麻栽培という禁忌に触れてしまった経緯(いきさつ)を――。

 先々の財政破綻を回避するために、この取り組みが成果を上げることを祈る思いであったことは彼女もまた同様であった。

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