第14話 果樹園と牧場(1)
次の舞台は海側から山側へ――。
塩田をどうにかして活用する方法がないか――。
それを検討したい郡伯カロルスことシャルルは、塩田でいくらかの塩を買い求めて郡都へ持ち帰ることにした。
こうしてアルデギア地方の視察を終えたシャルルたちは海街道を北上していった。やがて東からやってきた山街道との合流地点にたどり着く。この先には直轄領との境界でもある関所があって彼の領地ではなくなるので、今度は山街道を通ってカルディツァに戻ることにした。
山街道は何度も通っているので見知った景色である。最初の宿場町に着いた頃に日暮れを迎えた。宿場町で宿を取り、その翌日に郡都カルディツァへと戻っていった。
「帰ったぞ、エレーヌ!」
「ごきげんよう、シャルル。潮の匂いがいたしますわね」
次の日、意気揚々と屋敷に戻った彼を待っていたのは意外な人物であった。
「――ッ!? ソフィア様ではございませんかっ!」
「殿下ッ!?」
郡伯カロルスが膝をついて首を垂れた。続いて車寄せに着いた馬車から降りてきたユーティミアとクロエも慌てて跪礼を取った。
視察から戻った三人を迎えたのは第二王女ソフィアその人であった。
「公務がようやく片付いてきたので、レンディナ村のリンゴ園の様子を見に行こうと思いましたの。その途中にヘレナの顔を見に立ち寄ったのですわ」
そして、ヘレナが応接室でリンゴ酒を用意して待っていた。そこでしばらくの間、彼らが見聞きしてきたことを王女に話したのである。
その中でシャルルはソフィアに彼の思い付きを打ち明けた。
「なるほど、魚介類を流通させるための生け簀を作りたいというのですね?」
「はい。ソフィア様も以前アルデギアでエビやカニなど口になさったと伺いまして、それらを新鮮なままこの郡都まで持ってくる方法がないか、と考えておりました」
「確かに、あのロブスターとかいう大きなエビ、身がぷりぷりしていて美味しかったのです! あのような物をまた口にできたらよいのですけれど」
「前にドラゴンの血を王都まで運んだ瓶がありましたが、あのような物が使えないかと考えております。血を運べるなら、海水に入れた生き物も運べるだろうと」
「シャルルはなかなか面白いことを考えますのね。ユーティミアはどう思いますか」
はっ、と一礼した若き官僚は決して容易くはないという面持ちだ。
「瓶を王都で買い付ける必要がございますが、ああいった焼き物は高くつきますので、どうやって費用を捻出すればよいかと考えております」
「焼き物が高くつくというのは、どうしてなんだ? 原材料は土だろう?」
「土、というよりも粘土が貴重なのです。直轄領では粘土を産出する場所が限られておりまして、焼き物はどうしても高価になります。羊乳を運ぶような瓶はより多くの原料を必要といたしますので」
(ルナティアでは粘土すら貴重なのか、うーむ……どうしたものか)
粘土は川が注ぐ大きな湖や海の近くで産出しやすいと彼は聞き及んだことがある。
この国の地図を見せてもらって気づいたが、テッサリアには川が多い。彼が領有するカルディツァ郡は海に近く、いくつもの大小の河川が海に注ぐ場所でもあった。粘土を産出する土壌を見つけることができれば、それを原料にあのようなものを作れるかもしれない。
しかし、それには時間がかかりそうだ。一朝一夕にとはいかない。
***
郡都で一日ほどを休息に充てた後、シャルルは再び領内の視察へ旅立った。
今度は主人である第二王女ソフィアも一緒である。二台の馬車に分乗した彼女たちと今回も馬に騎乗したシャルルは東を目指した。目指すはカルディツァ郡の隣にあるキエリオン郡である。
パラマス川を遡っていった先にはリンゴ畑が広がる村がある。ソフィアが目指したレンディナ村であった。のどかな村には以前よりも村人の姿があるように思われる。立派な馬車がやってきたので物珍しそうに顔を上げる農民たちの中に歓声をあげる者たちがいた。
「ありゃ! 姫様じゃあ!」
馬車の中から手を振った金髪碧眼の淑女に老いも若きも皆が手を振って応えた。
馬車はやがて村長の家の前で止まる。騒ぎを聞いて外に出ていた村長は深くお辞儀をしてリンゴのお姫様の来訪を迎えた。
「姫様、領主様、こんな辺境までお越しくださり、ありがたき幸せにございます」
「すっかり人も戻ってきたようで、何よりですわ」
「先日はリンゴの献上品ありがたく頂戴した。大変美味しいリンゴだったぞ。挨拶が遅くなって申し訳なかった」
村長に挨拶を済ませたソフィアとシャルルの二人はしばらく村の中を散策した。
リンゴ農家からも現状を聞くことができた。ソフィアからもらった紹介状のおかげで王都のワイナリーにリンゴを売って、この冬を越すくらいの売り上げを得ることができたという。
しかし、撤去された大麻畑の跡地の多くは農民が戻り切っていないため活用されておらず、いまだ雑草が生い茂る耕作放棄地のままとなっていた。
(湊町や漁村だけでなく、農村の復興も進めなくてはならないな――)
こうして郡伯カロルスとしての課題がまた一つ増えたのだった。
レンディナ村に一泊した後、シャルル一行はさらに東を目指した。リンゴ園の様子を見に来たソフィアも彼がみずから新しい領地を視察する様に興味が湧いたようで、彼らに同行することを申し出た。
馬に騎乗した彼は二つの馬車とともに領地の東端、メネライダ村を訪れた。そこは丘陵に牧草地が広がる一帯であった。
白い体毛を生やしている丸っこい生き物が何頭もいて草を食んでいる。
「あれは……やはり羊か」
この視察の旅でいくつかの牧場を目にしてわかったことがある。ルナティアで飼育されている家畜の種類は彼の故国に比べるとずっと少ないのだ。
何より牛や豚というものを見かけない。なぜかを訊ねたところ、牛や猪は野生動物であり家畜化されていないというから驚きだ。
そんなルナティアで家畜となっている主要な動物は羊であるようだ。羊毛を取れば衣類の材料になるだけでなく、羊乳を搾って飲料とすることもできる。痩せた休耕地に羊を放牧すれば、その糞尿をもって農地の地力を回復させる役割も果たす。
ルナティアで畜産が本格的に行われている地方に初めて来た彼は、この村の村長に会うことを望んだ。村人たちに村長の所在を尋ね、メネライダ村で一番大きな集落に着いた彼らは村長の家を訪問した。赤子を負ぶった若い娘が応対に立った。
「カロルス・アントニウスという。村長殿に会いたいのだが」
「はい、ただいま」
彼女は家の中に戻って、四十近くになる婦人を門まで連れてきた。
「はじめまして、ご領主様――ッ!?」
眉目秀麗な顔立ちだが顔の右に刀傷があり、屈強な巨体をした青年が堂々と立つ。その傍らの明らかに高貴ないでたちをした少女を目にした村長は言葉を失った。
村長にとって新しい領主の来訪は予想していたことだが、一緒に立っていた少女はひと際違った雰囲気を帯びていた。青い蝶をあしらったブローチを身に付けている金髪碧眼の美少女は明らかにやんごとなき身分とわかる。
「ご領主様がお越しになると風のうわさで耳にしておりましたが……まさか、姫様もご一緒とは」
「わたくしはただ郡伯が視察する様子を見に来ただけですので、どうぞお構いなく。続けてくださいまし」
「は、はぁ……」
にこやかに笑みを浮かべた姫君に彼女は恐縮した。
リンゴのお姫様と隣村で呼び慕われているソフィア王女がこんな辺境まで来訪するとは露も思っていなかった村長だが、新しい領主が村を案内してほしいと望んだので彼らにこの村を紹介するため、娘に留守を託して門を出た。
領主が乗ってきた馬を家の前に留めて、領主の馬車に王女と領主、その連れ一名と村長が乗った。もう一台の王女の馬車には王女と領主の侍女が乗り、領主の馬車に後からついてくる。
「メネライダ村の主要な産業は畜産と聞いたのだが」
「はい、この一帯は草原が多いので羊飼いが多くございます」
村長が道中を案内して、一行をある牧場へと連れて行った。これまで道端から目にした牧場の中でも飼育されている家畜の数が一番多いそうだ。
「ここへ来る途中で羊を多く目にしたが、ここの羊は皆よい毛並みをしているな」
「ありがとうございます。毎年初夏に一度羊毛を刈っておりますが、それを村の外で売って貴重な外貨を得ております」
「羊からは羊乳も取れるのではないか。よい乳が出そうだが」
「はい、大変濃厚な乳でございます。よろしければお口になさいますか?」
村長から勧められて羊乳を試飲してみた。やや癖があるが濃厚な味わいであった。
「これはいい。牧草をいっぱい食べて元気よく育っているようだな。これは村の外に売れないのか?」
「羊乳は生ものでございますので、この村の中でだけ飲まれております」
「魔術で羊乳などを腐らせずにおく瓶があるが、あれを使ってはいないのか?」
そんな若き領主の問いに対して、村長はこう答えた。
「瓶を買えるお金が村にありません。また舗装された街道のないこの村から他へ乳を持っていくのは骨が折れます。お金をためて瓶を買えたとしても、悪路で瓶を割ってしまうかもしれないのです」
「なるほどな……」
湊町から竜の生き血を運び出した際には船舶ではなく街道を使用したが、湊町から王都までバルティカ街道と呼ばれる舗装された街道が整備されているため、無事故で運ぶことができたと聞いている。
しかし、メネライダ村は大きな街道から離れており、道も舗装されていない区間が多かった。郡都へつながるパラマス川の本流からも離れており、水運が生かしにくい交通不便な土地である。
「悪路でも運んでいける羊毛がほぼ唯一の稼ぎということか?」
「その他には日当たりの良い丘陵地にオリーブを植えておりますが、羊毛ほどの稼ぎにはなっておりません」
「そうか……うーん」
畜産と農産の両方で生計を立てること自体は悪くない方策といえる。
(だが、もう少し……この村の強み、この羊の乳を生かせないだろうか)
彼は頭を巡らせた。そして、この土地の羊乳とあるものが結びついた。
「そうだ! この羊乳をチーズにしたら実によさそうなんだが、どうだろうか?」
「ちい……ず?」
その場に居合わせた皆が首を傾げた。
「なんですの、シャルル。その『ちぃず』とは?」
「牛や羊といった家畜の乳を加工して作る食品のことでございますが……ご存じではありませんか?」
そんなシャルルの問いに王女ソフィアのみならず、誰もが「さあ」という顔をしたのであった。




