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第13話 漁村と塩田(3)

 アルデギア地方の漁師の中に獲れた魚を売りに湊町パラマスまで船を出した者たちがいた。

 その日の早朝、市場に運び入れるために湊に接岸して間もなく、けたたましい叫び声を耳にしたのを彼女たちは覚えている。

 大地は揺れ、建物は軋み、市場に集まって競りを始めようと準備していた者たちは皆一斉に外へ逃げだした。

 空を見上げて図らずも目にしたモノ。

 それは今までに見たことのない化け物だった。

 湊町のあちこちを破壊し回って荒れ狂った竜。

 古来からの言い伝えで荒海に棲むと恐れられる『海竜』とはこんなものだろうか。

 自分たちもいつそれに巻き込まれるか――物陰で震えながら怯えていた彼女たち。そのうち化け物は去ったが、多くを破壊された湊町に瓦礫と阿鼻叫喚が残された。

 それから何日か経ち、街の復旧が始まると同時に街外れで息絶えた化け物のことが少しずつわかってきた。それに、その化け物を退治した者がいたこともだ。

 なんでも、そいつは太古の昔に絶滅したと言われる「男性種」の生き残りで、名をカロルス・アントニウスというらしい――。


 そう耳にした『竜殺し』カロルスが新しい領主としてアルデギアを訪れたのだから彼女たちは顔面蒼白といった有様であった。その竜殺しは陽気な口調でこんなことを訊ねてきた。

「この近くに一晩泊まれるところはあるだろうか? このお嬢さんたちが落ち着いて寝られる場所であればどこでもよいのだが。もちろん宿代は出すぞ」


 漁港から少し離れた町の一角に酒場を併設した小さな宿屋を開いている者がおり、そこを今日の宿とすることが決まった。まともな宿が見つかったことに彼と同行してきたユーティミアとクロエの二人は胸をなでおろす思いであった。

 漁から戻った海の荒くれ者たちと酒場で一緒に酒を飲んではしゃいでいる領主様を尻目に、()()()()()は甘い酒をチビチビ口にしていた。その一人、ユーティミア・デュカキスはある違和感を口にした。

「それにしても、アントニウス卿はいったいどこから来た方なのでしょうか」

 そう話しかけられたクロエ・トラキアは首を傾げる。

「さあ……ご主人様の出身や経歴について、私も詳しくは存じ上げないので」

「海産物を生で口にしたり、私たちの食習慣とはあまりに違いすぎて……どこか別の国から来られたようにさえ思えるんですよね」

「どうでしょうか。むしろ、()()()()からおいでになったんじゃないかと思うことがたまにありますけれど」

「東の国へ遠征に行ったことがあるとおっしゃっていますが、非常に希少な金貨をお持ちだったり、どう見てもこの国の方ではないんですよね」

「ルナティアの習俗についてあまり存じ上げないところを見ると、ユーティミア様がおっしゃる通りなんだと思います」

 そう口にしたクロエの眼差しはすっかり漁師たちと打ち解けてしまったご主人様に注がれている。

「ですが、あのお方には私たちの常識では計り知れない、不思議な力があるんです。きっと……私はそう信じていますから」

 そのクロエの横顔に、ユーティミアは言葉を失った。

 なぜなら、彼女の瞳はまっすぐに主人である郡伯カロルスを捉えていたのだから。

 自分が常々思っていた違和感を口にするのが無粋なほど、クロエが郡伯カロルスに少なからぬ忠誠心を抱いていることに気づいてしまったのだから。


 ***


 郡都を発って三日目の朝。

 酒場で朝餉を食べているときに、郡伯カロルスはこんなことを口にした。

「ここのメシはウマイな。薄味じゃなくて、しっかりと味がついている」

「たりめェだ。ここらは塩作っとるからな」

「塩を作る? まさか塩田(えんでん)があるのか?」

「そうさね、この恵みの海から美味しい塩ができるのさ!」

 塩を作るという宿屋の主の言葉に、彼は心を動かされたらしい。他の漁港も見に行こうと考えていた彼は予定を変更し、その『塩田』という場所に視察へ向かうことに決めた。

「塩田はどこにあるんだ?」

「こっから南だ。そすっとデカイ砂丘があって、そこの海岸さな」

 アルデギア地方は海に面しており、強い風が吹く。加えてテッサリア平野を流れるペネウス河と直轄領を流れるアルフェウス河に南北を挟まれたこの一帯は海岸の地形や強い風の関係で砂が集まりやすい――。

 そう宿屋の主から話を聞いたシャルルは、宿泊した漁師町を発って南へ向かった。街道が海岸から少し離れた丘陵の尾根を通る一帯で彼は馬上で背筋を伸ばし、西に数マイル行った先の海岸線のほうを眺めた。

 遠浅の砂浜に大小いくつかの池が作られていた。海側の池は大きく作られているのに対して、より陸側にある池は小さく作られている。また、海側の大きな池は透明だが、陸側の小さな池は水面が赤いのがわかった。

「あれが塩田だな。間違いない」

「どうしてわかるんですか?」

 聞けば塩田を見たことがないユーティミアの問いに彼はこう答えた。

「塩田ってのはだな、池に海水を取り込んで、天日で蒸発させて塩を作り出すんだ。塩が濃くなれば水の色が変わる。ああやって赤っぽくなるんだよ」

 間もなく街道を逸れて海岸に続く小道に入った。砂丘の中だというのにあまり幅はないものの道が舗装されている。出来た塩を荷車で運び出す用途で作られたものかもしれない。おかげでユーティミアとクロエが乗った馬車も車輪を砂に埋もれさせることなく進むことができた。

 数マイルの道のりの先、小さな白い山がいくつもこんもりと積まれている場所があった。砂とは明らかに違うし、雪でもない。白い何かを集めた山であった。

 その山の近くに腰を下ろして一息ついている雰囲気の老婆がいた。彼が歩み寄って声をかけた。

「ごきげんよう、ばあさん。ちょっといいか?」

「あああん!?」

 不自然に大きな奇声で返事をされた。ユーティミアがびっくりしている横で、クロエが身振り手振りを使いながら(しゃべ)る。

「こんにちは、おばあさん。お耳は聞こえますか?」

「ひひ? おふひほえへぇは!」

 相変わらず何を言っているのか彼にはわからないが、クロエが何を伝えようとしたかはわかったらしい。

「ご主人様、このおばあさんはお耳がよく聞こえないみたいです。手話を使ってみたら、ある程度伝わりそうですが、いかがなさいますか?」

「そうか、通訳をお願いできるか?」

「はい、お任せください!」

 ニコニコして頷いたクロエは、また同じように身振り手振りを交えて老婆に話しかけた。

「私の名前、ク・ロ・エと申します。こちらにいらっしゃるのは私の主人で、新しい領主様です」

「ふぇえ! ひょうひゅひゃひゃあー!」

「もう一人お隣にいらっしゃるのは、王都から来たお役人様です。塩田を見学させていただきたいのですが、ここで一番偉い方は誰ですか?」

 何を言っているのかさっぱりだが、クロエが話した内容を頷きながら聴いているところを見ると、意味はきちんと理解しているみたいだ。

 その耳の不自由な老婆はすっと立ち上がり、確かな足取りでどこかに向かって歩き始めた。耳は遠いようだが、足腰はしっかりしているらしい。その目指そうとするところは赤色に染まった池であった。池の中で何人かの女性たちが長い柄をした道具を手にして、白い何かをかき集める作業をしていた。

「おおおおおおおいっ!」

 バカでかい声で吼えるように叫ぶ老婆に皆が振り返る。そのうちの一人、老婆の娘くらいの世代の婦人がこちらに向かって歩いてきた。

「すまないな、作業の邪魔をして。この塩田を管理している者を探しているのだが」

「あー、あたしですが、あんたさんはどちらさんで?」

「女王陛下の思し召しで、このたびカルディツァ郡を治めることになったカロルス・アントニウスという。昨日からアルデギア地方の視察に来ているのだが、少し見学させてもらってよいだろうか?」

「りょ、領主様がいらすなんてひとっことも聞いとらんですよ!?」

 仰天した婦人であったが、珍しい来客に「もてなしもできませんで申し訳ねえすが、そいでもよろしければ」と彼の申し入れを受け入れた。

「失礼だけんど、仕事ぉ戻ります。手ェが足ンもので」

 そう言って婦人は池に戻っていった。気がつけば耳が不自由な老婆も池の中で作業に入っている。

「塩を掘ると聞いたことがありますが、ここではあのように塩をかき集めていくんですね」

「クロエも塩田を見るのは初めてだったか。昔俺のいた国では遠浅の海岸にこういう池をたくさん作って、塩を作る場所があった。海の水を溜めては蒸発させて、それを繰り返して塩分を濃くしていって、塩を集めていくんだ」

「王都ではお塩はとても貴重なので、お料理には滅多に使えなくて……この白い山が全部塩だなんて信じられません!」

 クロエの言葉を聞いて、シャルルはあることに気づいた。

(そうか、王都で食った飯がどれも薄味に思えたのはそのためか……)

 魚の干物などあらかじめ塩漬けにされたものが入っていればまだよい方であった。彼が食したザリガニ料理などは塩を使っていないためか、いっそう薄味に思われた。

(ソフィア様がここで口にしたエビやカニを美味いとおっしゃったのも頷けるな)

 塩が貴重と聞いた彼は、塩の生産と流通を拡大させることが領地を豊かにする糸口になると考えた。

 作業がひと段落ついた頃合いを見計らい、彼は婦人に声をかけた。

「ここで作った塩はどこに納めているんだ?」

「近くの街でさぁ。ひとむかしまえは王都にも卸しちゃいましたが、今はご覧の通りで……数が作れませんで」

「あの漁師町で売って、魚と交換しているってことか?」

 彼の問いに婦人は頷いた。彼の脳裏にある疑問が浮かんだ。

「この塩田を見たところ、もっと多く塩を作れそうな気がするのだが。人が足りないと言ったな。何か理由があるのか?」

「塩を売るだけじゃ食えんのです。お国の決めた塩の値が安すぎて、王都に売っても……漁協で船借りてニシンだのマグロだの獲るほうがよっぽどマシだ。塩は船に乗れないモンがやる仕事なんでさ」

 それを耳にしたシャルルは傍らに一歩下がって立っていた官僚の顔を凝視した。

「ユーティミア。この国の塩の取引はどうなっているんだ?」

 一瞬、その目つきに怯んだ彼女はずれた眼鏡を直すとこう答えた。

「塩は国の専売品となっております。国が買い取って、国内に流通させるため、塩の流通価格は法令によって定められています。塩は食料品の保存や加工に欠かせない重要な資源として取り扱われるため、適正な価格を維持することが求められるのです」

「でも、今聞いた話だと塩を売るだけじゃ儲けにならないから塩づくりをやりたがる者が少ないそうじゃないか。それで塩の生産が落ち込んで、かえって貴重品になっているのは、どう考えてもおかしいだろう?」

「食料品の生産原料として使われる分については、国の管理対象外となっています。そこで消費される分については生産者が価格を決められる取り決めです」

「お役人様(いわ)くそういうことらしいのだが、そうなのか?」

「ええ、ええ。だもんで漁協に卸して日銭にとります。干物に使うとかで」

「その干物はどうしてるんだ?」

「さぁ、そこまでは。ともかく、お国に買い取ってもらうより値は上がんます。それも結局魚がどれだけ獲れたかで変わるんで……アルデギアで必要な分ならわしらが作るだけで十分なもんで」

 低くうなり声をあげ、シャルルは腕組みをした。

(どうして前の領主はこの資源をうまく使おうと考えなかったのだろうか)

 彼は貴重な塩を売りさばくことで少なからずの富を手にできると考えていたのだ。しかし、そこにはいろいろな制約があることを直視せねばならなかった。

(この塩田を使えばもっと塩を作れる。だが、塩の量は足りているという。需要そのものが小さいから供給も少なく抑えられている。そういうことか……それならば)

 供給を増やすためには、塩の需要を高める必要がある。このアルデギア以外で塩を使う機会が増えれば、塩田が生み出す塩の供給を増やせるはずだ。そして、塩が貴重である以上、塩の生産を増やすことが富を増やすことに結び付く――そう考えた。

「ユーティミア、塩を塩そのものとして流通させるには国の法令に則った価格にしなければならない。そういうことでいいんだな」

「はい、塩そのものはそうなっておりますから」

「国が定める塩の価格を上げることはできないのか? 末端では手に入りにくい貴重品なんだろう。それならどこかで価格の吊り上げが発生していてもおかしくはない。でもこれでは塩を作ろうとする者に価格上昇分が絶対に渡らない。こんなバカなことがあるか? そのうち国から塩の作り手がいなくなっても知らんぞ」

「そう言われましても、これは国で何百年来定められた仕組みでありますから」

 この後、ユーティミアとの話は平行線をたどった。

 塩の価格を上げる彼の発想と、塩の価格を維持する彼女の発想の間には何か根本的な相違点があるのだ――そう感じざるを得なかった彼の胸中に苛立たしさが積もっていった。

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