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第9話 イメルダからの使者(1)

敵味方ともに新キャラクター登場です。

「ご主人様、お客様でございます」

「応接室に通してくれ」

 彼がカルディツァに赴任した翌日の午前。

 案内したクロエとともに現れた女性は、これまで彼が縁してきた者たちとは違った雰囲気を醸し出していた。

 キリっとした凛々しい顔立ちに横に細長い楕円形の眼鏡をかけており、深い青色をした黒髪を肩の上で斜めに切りそろえ、知的で近寄りがたい雰囲気を漂わせている。

 体格はラエティティアのような軍人の類ではなく、線が細い体躯だ。ただ、博物館やアルス・マグナの研究員たちのような学者然とした態度でもなかった。

 彼が観察の目を向けている間に、彼女が自分から名乗った。

「大蔵府よりカルディツァ郡に派遣された、ユーティミア・デュカキスと申します。軍務卿閣下の紹介でまいりました。どうぞよろしくお願いいたします」

「ああ、君か。どうぞかけてくれたまえ。クロエ、お茶をお出しするように」

「かしこまりました。ご主人様」

 応接室の背もたれのある長椅子に来客者を座らせて、シャルルは腰かけた。

「初めてお目にかかるかな。カロルス・アントニウスだ。君の名前は軍務卿閣下から聞き及んでいるよ。相当優秀だとも聞いている」

「畏れ入ります。『竜殺し』カロルスと武名高き方にこうしてお会いするのは初めてなので、私も少し緊張しております」

 二十代半ばの比較的若い大蔵府の官僚であるが、財政や財務に関わる知識があり、帳簿の取り扱いに長けていたことから先般の徴税監察官の一人として抜擢された経緯があった。

 そのままカルディツァ郡の財政の把握に努め、どのようなカネの流れがあったのかを掴んだ会計監査の担当者でもある。

「早速だが、このカルディツァを治めるにあたって財政状況を知りたい。どれほどの歳入、歳出があるのか。そしてその内訳がどうなっているかだ。同様にキエリオン郡の状況も知りたい」

 早速彼が本題を切り出すと、眼鏡をキラリと光らせたユーティミアはこう答えた。

「それでしたらすぐにお出しできると思います。キエリオン郡の財務諸表も別の調査隊が王都への報告のためにまとめた資料があるので、それでわかるかと」

「話が早いな。軍務卿閣下が君を買っていた理由がわかったよ」

 少々の賛辞を受けても動じない姿に、官僚としての矜持を見た思いがした。

「その他だが……カルディツァとキエリオンの二郡について、どんな産業があるかを知りたい。自分の領地のことをよく知っておかないと領地経営はできないからな」

「それについて私からある程度お話しできることはありますが、やはり閣下ご自身の目で直接ご覧になったほうがよろしいかと存じます」

「そうか、うちのエレーヌとも話していたのだが、一度領内の視察に出たいと思っていたところだ」

「失礼ですが、エレーヌ……とは?」

 彼に発音しづらい音が含まれるため、つい愛称で呼んでいたことを思い出した。

「ああ、すまない。ヘレナ・トラキアのことだ。当家の家令を務めている」

「トラキアとは……まさか、侍従長様のご令嬢ですか?」

「あ、ああ。そうだが……ソフィア殿下から当家の家令に任じられている」

 彼の受け答えにユーティミアは絶句したが、すぐに気を取り直したようである。

「……申し訳ございません。失礼いたしました。もし視察に向かわれるということでしたらご同行させていただいてもよろしいでしょうか?」

「俺は構わないよ。この土地のことをよく知らない俺の目だけではわからないこともあるだろう。そこを君が補ってくれるのなら、むしろ俺も助かる」

「ありがとうございます。その他は何かございますか?」

「そうだな……」

 考えを廻らせるシャルル。

 彼の脳裏に、南方の「辺境伯」イメルダ・マルキウスのことが思い浮かんだ。

「軍務卿閣下からイメルダ・マルキウスの使者が俺に会いたがっていたと聞いているのだが、それについて何か知っているか?」

「いえ、私も詳しくは存じ上げません。実務者間で交渉に入っているわけでもなく、先方が何を望んでいるか、まったくつかんでいない状況です」

「なるほどな。とりあえずわかった。今のところは以上だ」

「それでは、カルディツァとキエリオン両郡の財務諸表をまとめて、改めてこちらに伺います」

 すっと起立したユーティミアは一礼して、応接室から立ち去っていった。


 ***


 カルディツァから街道を南下して十数マイル先に、テッサリア平原を東西に流れる二つの大河がある。

 一つはアーベル川。王国直轄領の南東部、バルティカ大陸を縦に貫く脊梁山脈(せきりょうさんみゃく)の西麓に広がったアーベル高原を源流とする。ペネウス河の支流の中で最も総延長が長い。

 もう一つはその本流となるペネウス河。脊梁山脈の南麓、それを過ぎた大陸中央部のスキュティア草原を源流とする。本流の総延長と支流をすべて合わせた流域面積はルナティア国内第一位で、大陸全体でも第二位に及ぶ。豊富な雪解け水に由来する水量は大陸第一を誇る大河川であった。

 その二つの川が合流する地点からペネウス河右岸をさらに十数マイル遡った先、丘の周囲に城壁を廻らせた大きな都市があった。『豊穣の都』とも謳われるテッサリア最大の都市ラリサである。

 このラリサの丘の上に立派な居館(やかた)が建っている。ラリサを築城したマルキウス士族所有の屋敷の裏には豪勢な迎賓館も併設されており、ここでは酒池肉林の宴が繰り広げられるという。

 昨晩も貢納にやってきた小領主を招いて、もてなす酒宴が開かれた。イメルダ自身の虚栄心を満たすためであるが、領主たちにマルキウス士族の威信を見せつける目的もある。王国の貴族と公に認められていないイメルダが貴族顔負けの豪遊を行うことで、自分が王都の貴族をも凌ぐ存在であると内外に誇っていたのだ。


御屋形様(おやかたさま)、カルディツァより使いの者が参りました」

 呑みすぎたのか、少し頭痛がする頭を片手で支える婦人が大きな部屋にいた。

「謁見室に通せ。今から行く」

 不愉快な顔をして侍女にそう命じ、立ちあがった女性の体躯は非常に恰幅がよい。

 手ごわい仇敵をテッサリアの東部へと押しやった今、彼女自ら出陣する機会が無くなるほどの平和とそれに支えられる繫栄を手に入れた。その代償として、彼女は健康を害していた。

 齢五十を過ぎて間もない肉体は贅沢も相まって丸々と育っている。若き年頃に馬を駆り鍛え上げた身体は見る影もなく、内腿の肉は肥え太っている有り様だ。数年来の痛風も彼女を苦しめている。

 それでも眼光鋭い彼女には貫禄があった。目通りを許された伝令兵が謁見室の床にずっと平伏したまま彼女を待っていた。

「急ぎの報告だろう? (おもて)を上げな」

 イメルダが呼びかけると彼女は精悍な顔を上げた。

「申し上げます。昨日をもってカルディツァに王都より新しい領主が派遣されたことがわかりました。急ぎご報告に参りました次第です」

「あの『竜殺し』カロルスで間違いないな?」

「はっ、左様にございます」

「わかった! 朝早くからご苦労だったね。大儀!」

「――はっ!」

 伝令兵が去った後、イメルダは側近を呼び、こう命じた。

「こういうのは最初が肝心なんだ。イレーネとファビアを呼んでおいで」

 竜殺しをやってのけた者とはいったいどんな面構えをしているのか。

 楽しみじゃないか――『テッサリアの駿馬(しゅんめ)』と呼ばれて久しい彼女の血が(たぎ)る。


 その翌日。

 やや大きめの木造船が一艘、帆を張ってラリサを発った。

 ペネウス河の穏やかな流れを下って、右岸からアーベル川が合流してくる地点へと向かう。そこには船着き場を備えた宿場町があった。

 その船上に貴人のいでたちをした三十目前の亜麻色の髪をした女性と、彫りの深い顔にしわをたたえた六十代手前の婦人が並んでいる。貴人の後ろでは従者がレースの白い日傘を差していた。

 イメルダ・マルキウスの長女、イレーネはカルディツァ郡伯カロルスとの会談を母から命じられた。次期当主として期待をかけられていることもあり、痛風の発作でラリサを容易に離れられない母の名代に任じられたのである。

 イレーネに同行するのはカルディツァの地方官僚との交渉を担う者たちで、その筆頭は老練にして強面の交渉人と恐れられていたファビア・ウァルスという。長年マルキウス士族に仕えてきた譜第(ふだい)の臣の一人だが、武官が優遇される傾向が強いイメルダの配下にあって何十年と重用され続けている文官であった。

「ふふ、ファビアがいれば勝ったも同然ね」

「まだ会敵もしていないのに何をおっしゃいますか、お嬢」

 同じデッキに並ぶイレーネをたしなめる婦人の顔には微塵の緩みもない。

「まだ誰も郡伯カロルスに会ったことがないのですよ。どんな手ごわい者かわからないではありませんか。所詮は異国から来た蛮人と蔑む者が少なからず見受けられて、これでは先が思いやられます」

「でも、ファビアのことですから事前に調べつくしているのでしょう?」

 単に顔面が強いだけではない。交渉相手を調べたうえで足元を見て条件を呑ませるのが巧いというのがこの婦人、ファビア・ウァルスの評判であった。

「カルディツァとキエリオンの二郡の状況はわかっております。しかし、カロルス・アントニウスという者のことはさっぱりわかりません。生まれもどういった身分の者かも掴めませんでした。ただ、武人としては相当腕に覚えがあるようです」

 たった一人で竜討伐を成し遂げた業績は言うまでもないが、キエリオンで十倍もの数を擁する賊から夜襲を受けた際にこれを撃退していたことまで婦人は掴んでいた。テッサリア地方全域に情報網を張り巡らせていた彼女は、情報源の一つからそう聞き及んでいたのだ。

「武人として強者(つわもの)であっても、よき為政者とは限らないでしょうよ」

「――お言葉ですが、お嬢」

 短い言葉の中に厳しい語調を込めて婦人が言った。

「どんな戦いも敵を侮れば隙が生まれます。将が敵を侮るならば兵もまた敵を侮るは必定。外交交渉も同様でございますよ。此度(こたび)のお嬢は将のお立場。ゆくゆくは御屋形様の跡を継がれるのですから、どうかゆめゆめお忘れなきよう」

 その後、イレーネとファビアは船を降りて、宿場町で一泊した。

 この先街道を北上するとパラマス川のほとりにある次の宿場町がある。さらにその一つ先の宿場町こそカルディツァであった。

 急げば一日で行けなくもない道のりであるが、慎重なファビアは情報収集を怠りなく進める目的でここに宿を置いた。王国軍の部隊がどのようにカルディツァ郡内に配備されているか、それらを確認したうえで翌日に宿場町を発った。


 ***


 一方の郡伯カロルスことシャルルは大蔵府の官僚ユーティミアより資料で受領した領内の財政状況をつぶさに見ていた。

「イメルダへ貢納されていた金額がなかなか大きいように思われるな」

 この王国の貨幣価値に対する自分の感覚が正しい自信はまだないが、歳出の内訳を見た限り、イメルダに対する貢納金が歳入の三割近くを占めている。

 だが、これはあくまで歳入に麻薬取引に関する裏金を加えた上の話だ。

「歳入から麻薬取引に関わる収入を差っ引いたら、貢納金だけで歳入の五割が消えるじゃないか。はぁ……これはまいったぞ……」

 王都で行われているエールセルジーの修理にかかる借金もある。もともと数字にはそこまで強くないシャルルだが、今の財政状況で首が回らないことは彼にもわかる。

 もう何度目のため息をついた頃に、戸を叩く音がした。

「どうぞ!」

 すると戸が開く。とてもいい匂いがする。

「お疲れのご様子ですね。シャルル様」

「エレーヌかい。それは?」

 彼女が手にしているのは香炉だ。

「ずっと書斎にこもりきりでいらっしゃいますので、ほんの少し気持ちが落ち着く香を焚きました」

「根詰めて疲れていたところさ。心遣いに感謝するよ」

 香炉を机の端において立ち去ろうとした彼女の手を取る。

「少し時間あるだろうか?」

「はい、少しでしたら」

 彼女を机の端へと引っ張って、並んで椅子に腰かける彼。

 そこにはいくつかの紙が重ねてある。彼女が訊ねた。

「これは何かの書類なのでしょうか」

「ああ、領内の財政状況を記したものだ。ユーティミアが持ってきてくれた」

「拝見してもかまわないのですか?」

「でなければ引き留めるわけがないだろう」

 頷いた彼女は紙を手に取るが、彼ですら理解するのに数時間を要したのだ。すぐにわかるわけがない。

「何が書いてあるのかさっぱりでございます」

「だろう?」

 すると彼は別の紙を取り出した。そこに鉛筆でいびつな四角形をいくつか記していく。

「俺も君と同じことをユーティミアに言ったんだよ。そうしたら、彼女はこうやって教えてくれたんだ」

 彼は紙の右端と左端にそれぞれ十個ほど箱をわけて描いた。そのうち、右側の箱を三つまとめて丸で囲む。

「丸で囲んだ分が前回のイメルダへの貢納金だと思ってくれ。この領地からイメルダに渡ったカネだ」

「丸で囲わなかったのがそれ以外の使途に使われた、という理解でよいのです?」

 頷いた彼の反応を見て、ヘレナはこう続けた。

「つまり、イメルダ・マルキウスへの貢納が十割の総支出のうち三割を占めており、それ以外の七割は別の使途があったということになりますね」

「さすがだな、理解が早い」

 続けてシャルルは左側の箱四つほどに斜線を引いた。

「これが総収入のうち次回から見込めなくなる分だ。主に麻薬取引による裏金だな」

「収入の四割が無くなるのですか?」

「そうだ、それで前回と同じ貢納金を払えって言われるかもしれないんだ」

 お手上げといわんばかりに両手を上げてみせたシャルルに、ヘレナは端整な表情を不安げに曇らせたのであった。

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