第7話 カルディツァへの旅立ち(2)
いよいよ新領地へ旅立つ郡伯カロルスことシャルル。
これ以降は舞台が王都から新しい領地へと変わります。
正七位に叙されてから一週間。
カルディツァ郡ならびにキエリオン郡の新領主となった「郡伯」カロルス・アントニウスは新しい領地へと移ることになった。
「ここを旅立つのか、少し寂しい気もするな」
「いかがなさいましたか、シャルル様」
後ろ髪を引かれるように振り返った彼を侍女のヘレナが待っていた。王女付きの侍女である彼女は王女の命によって引き続きシャルルの世話をする。
彼が見上げる王都の邸宅はこれを機に引き払うことになっていた。
小さな邸宅であったが、ここでいろんなことがあった。ヘレナに心を許すきっかけとなった事件もあった。
大切なよすがの一つを手放すことに、ほんの少しだけ寂しさが去来する。
「今までより大きなお屋敷にお住まいになるのに、シャルル様はあまり嬉しそうではございませんね」
「そうか? まあ、愛着がわいた場所を離れるのがほんの少し寂しいというだけさ」
馭者が馬車の扉を開けて待っていた。そこにシャルルとヘレナが乗り込んで、馬車は王城に向かう道を進みだした。
それから彼はヘレナを伴って王城にソフィア王女を訪ね、出立の挨拶をした。
「ご機嫌麗しゅうございます、ソフィア様」
「ごきげんよう、シャルル。今日カルディツァへと発つのでしたね……縁もゆかりもない土地で色々と大変なことも多いでしょうが、よろしくお願いいたします」
「引き続き侍女殿をつけていただき、ありがとうございます」
「土地勘のないところにゆき、多くの使用人を雇うのです。気心の知れた者が近くにいるといろいろと心強いでしょうから……ヘレナも万事よろしくお願いしますわね」
「かしこまりました。どうぞお任せください、王女様」
こうして主人との別離の挨拶を済ませたシャルルとヘレナはソフィア王女のもとを辞して、郡都カルディツァへ向けて一歩を踏み出した。
機動甲冑『エールセルジー』はいまだ修復中であり、馬車の旅である。
カルディツァ郡は直轄領に隣接している一帯であり、その気になれば早馬ならまる一日で着く距離だ。しかし、馬車で移動するのに慣れない使用人たちを連れているため二日の行程となっている。
***
翌日の夕刻、郡都カルディツァ――。
その名に由来するカルディツァ郡最大の街であり、市街を取り囲む城壁を持っていた。王都とテッサリア最大の都市ラリサを結ぶバルティカ街道の途上にあり、市街を貫くようにパラマス川が流れている交通の要衝である。
よって、家畜が歩き回るほど牧歌的で城壁すらなかったキエリオンの街より重要視されているし、ずっと栄えてもいる。
新しい住まいとなる屋敷にたどり着くと、シャルルは驚嘆を露わにした。
「前に行ったキエリオンの屋敷よりも一回りは大きいな」
「はい、あちらとは街の規模が違いますので」
罷免された前の領主が使っていた屋敷で、それ相応に大きい建物の前で荷馬車から荷物を下ろす使用人たち。
「それでは私たちは荷物を運び入れてしまいます」
「わかった。その間、俺は王国軍のほうに挨拶に行ってくる」
事前にそれぞれの役割を話し合っていた彼らは、計画に基づいて行動を始めた。
ヘレナは使用人たちに指示を下して荷車から荷物を下ろさせ、屋敷内に運び入れる陣頭指揮を執った。
一方のシャルルは屋敷からほど近いカルディツァ市街中心部にある、由緒ある宿に滞在中の第二軍務卿ユスティティアを訪ねた。
「ご機嫌麗しゅうございます、軍務卿閣下」
「ごきげんよう、アントニウス卿。お待ちしていました」
領主不在のカルディツァ郡に暫定的な軍政を敷いていたユスティティアから各種の引継ぎを受けるため、ユスティティアとの会談をもったのである。
「この度は正七位への叙爵、そして三日月勲の叙勲、おめでとうございます。貴殿とゆかりのある当家としても晴れがましく思います」
「恐縮です。晴れて王国の騎士になることも叶いました。ありがとうございます」
彼がお辞儀をする。それに対して彼女はこう言った。
「娘も領主の身柄拘束に関わるなどパラマスでの活躍によって褒章を賜りました。貴殿に命の危険を救ってもらったとも聞き及んでいます。これからも引き続き、当家とお付き合いいただけると幸いです」
娘のオクタウィアが世話になった礼を述べたユスティティアは、シャルルに応接間の席を勧めた。彼が椅子に腰かけたのを見届けた彼女もまた椅子に腰を下ろした。
「新領地に来られて早速ですが、アントニウス卿に会いたがっている者がおります」
「ほう……何者ですか?」
「ラリサの太守、イメルダ・マルキウスの使いの者です」
「ラリサとは、この街の南にある都市でしたね」
「はい、このテッサリア地方で最大の都市です。このカルディツァの倍近くの人口があります。豊富な食糧に裏打ちされた人口は王都すら上回ります。事実上テッサリアの首都と言って間違いないでしょう」
彼女によれば、イメルダ・マルキウスという者がテッサリアの大部分の領主との間で貢納関係を結んでいるという。
「イメルダはこのテッサリアの徴税権を握る大領主として振舞っています。テッサリアから王国への貢納はすべてイメルダを介して行われているのです」
「それはなかなかの大物ですね。その大物が使いを寄こしたと?」
「端的に言えば、イメルダは貴殿と貢納関係を結びたいのです。テッサリアの事実上の支配者である彼女にとって、各郡の領主と貢納関係を結ぶことは支配を盤石なものにするために欠かせないのでしょう」
「なぜ、私が会ったこともない輩に貢納を求められるのか、納得がいきませんね」
「イメルダはカルディツァ郡のすぐ南、ラリサを中心とした一円を支配下に置いています。喉元に敵か味方かわからない者を置きたくないという気持ちは理解できなくもありません」
「しかし、私は女王陛下に臣従をお誓いした身。陛下に貢納する気持ちは当然ございますが、イメルダとやらに貢納する気持ちはこれっぽちもございません」
彼がそう口にすると、ユスティティアは何とも言えない顔をした。原理原則としてはよくわかるのだが――と口にしつつ、何か心配なことがあるらしい。
「貢納関係を断ることでイメルダは貴殿に何かしら不利益を強いるかもしれません。例えば兵を送り込んで威圧を加えたり、領地を荒らしたり……気をつけることです」
機嫌を損ねるとなかなか面倒なことになりそうだ。
「イメルダとやらを私は知らないのですが、その輩は何者ですか?」
訊ねるとユスティティアは一枚の地図を取り出した。
枝葉になったいくつもの河川が太い幹のように集まった地点に城が描いてある。その城には北から一本の太い線がつながり、城から南と東に向かって伸びていた。
「カルディツァの南、ペネウス河とアーベル川が合流する一帯の丘陵にラリサ城塞を築いた氏族がマルキウス士族です。ラリサは南北と東西のバルティカ街道が分岐する地点にあり、テッサリアを流れる大多数の河川が集まるところでもあります」
街道と河川が交わるところには多くの富が集まる。
カルディツァとは比較にならない要衝であることは間違いない。
「そのラリサの太守にして、マルキウス士族の当主がイメルダ・マルキウス。『テッサリアの駿馬』と呼ばれた武人で矢の扱いが上手かったと聞き及びます。その勲功から正六位に叙された大豪族です。本人は『辺境伯』とやらを名乗っていますが本来は爵位持ちですらありません」
(正六位……一応俺よりも格上ということか)
「ただ、イメルダが有する私兵は王国軍にとって非常に脅威です。貢納関係を結んだ小豪族を合わせた戦力はテッサリア全土で三万ともいわれます」
絶句。
(三万だと!? カルディツァに駐留する正規軍の何十倍ではないか?)
二の句が告げない彼の反応を、彼女は至極当然と受け止めているようである。
「直轄領全体や一部の重要港湾に派遣している王国正規軍のすべてを合わせた戦力が五千足らずです。イメルダ・マルキウスという自称『辺境伯』がどれほどの存在か、これでおわかりいただけたでしょうか」
「……大変よくわかりました」
自称とはいえ『辺境伯』と名乗って遜色ないほどの大軍閥であった。
「領土を接するトリカラ、ゴロス、サロニカとも緊張関係にあるため、そのすべてを割けるわけではありませんが、ラリサやその周辺の砦に駐留させている二、三千ほどの旗本を動員するくらいであればきっと造作もないでしょう」
「たしかに、そんな戦力を送り込まれたらひとたまりもありませんね。少なくとも、今の私には何の戦力もない状況ですから」
今日新しい領地に来たばかりの彼にはまだ兵隊がない。
カルディツァ郡に王国軍一個大隊、およそ五〇〇余名が駐留し続けている目的は、表向きは湊町パラマスの復興支援であるが、真の目的はイメルダに対する牽制であると軍務卿ユスティティアは明らかにした。
仮にこの地に封じた郡伯カロルス・アントニウスがイメルダによって追放されることがあっては、女王の権威にも傷をつけることになりかねないからであった。
(しかし、五〇〇余名で郡都や湊町はともかくとして、領地全体を守り切れるか?)
いや、不可能だ。
シャルルはそう考えていた。
「これほどの軍閥を維持するには相当の財力を要します。イメルダはテッサリア全土に高い税率を強いることで、強大な戦力を維持し続けているのです。一揆が起きようものなら実力で叩き潰す……それが彼女たちの流儀なのですよ」
この短い会談の間に、シャルルの考えは一変していた。
(場合によっては貢納に応じることも考えなくてはならないな。領地を守るために)
軍務卿ユスティティアとの会談が終わった。
シャルルは屋敷に戻った頃には、荷物はあらかた運び入れたようである。
ヘレナが仕切っている新しい使用人たちの中に王都の邸宅でも見かけた顔が何人かいることに気づいた。
「王都の邸宅でも見た顔だな。君の名はたしか……」
「クロエと申します。家政婦長様が不在の時、給仕を務めさせていただきました」
お辞儀をした時に腰まである黒髪が流れた。
礼儀正しい挙措動作は美しいと表現するにふさわしいほど整っている。
ただの使用人という雰囲気ではなかった。
(どこかエレーヌに雰囲気が似ている気がするのだが)
「おかえりなさいませ、シャルル様。それにクロエも」
彼の思考の片隅にあった女性が声を掛けてきた瞬間、その思考はどこか消え失せてしまった。
「つい今しがた帰った。王都でも見かけた顔だと思って呼び止めたところさ」
「そうでしたか。それではクロエには給仕の準備をお願いします」
「かしこまりました」
クロエと名乗った黒髪の少女は台所へと向かった。それを見送り、こう尋ねた。
「給仕を他の使用人に託すのかい?」
「はい。私の後任となる侍女を育てなければなりませんので」
「なるほどな、それがあの娘というわけか」
ヘレナは王女ソフィアから派遣されている立場であった。
彼の屋敷を彼女に代わって切り盛りするだけの人材が育つまでの間、王女から貸してもらっているに過ぎない。
シャルルと一番気心が知れている間柄であるが、ずっとシャルルの側にいると決まったわけではないのだ。
「クロエには少し特別な事情がありますので、後ほど改めてご紹介します。それでは仕事に戻りますので」
そう言ってヘレナは使用人たちを指導、監督する立場に戻っていった。
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