第17話 夜明け
立ち上る眩い光の柱。
空を轟かす断末魔のような咆哮。
王女ソフィア・ディアナ・アルトリアとその補佐官アグネアことラエティティア・クラウディアらが呆気にとられる中、ほどなく強い突風が吹き抜けた。
「……なんだったんだ、今のは……」
速歩で馬を駆って、真っ赤な髪を風に靡かせていた補佐官アグネアは言葉を失っていた。
自ら手綱を握りしめて騎乗した馬で補佐官に続いてきた王女ソフィアは、もう一人彼女たちについてきた虎に乗った少女に尋ねた。
「カリス、何が起こったかわかりますか?」
「いいえ。エールセルジーが光った瞬間、閃光に一帯が包まれてしまって……エールセルジーとの接続も切れてしまって、状況はわからないことだらけです……一つだけわかっていると言えば騎士殿が竜を討伐するために何らかの手段を行使するつもりであったようです」
「あのようなものを使った場に今まで立ち会ったことがありませんわ……胸騒ぎがしますわね」
「生きるか死ぬかの瀬戸際だからヘレナ殿に手当を願いたい――そのように口にしていました」
少女の声に縮こまった碧眼。
金髪の王女は手綱をきつく握り締めて、皆に振り返った。
「皆、駈歩で急ぎましょう! ヘレナもいつでも治癒術ができるように準備を!」
「かしこまりました、王女様」
アグネアとソフィアが馬に、カリスが虎に、ヘレナが一人で馬車に乗り――
その他の歩兵たちを後ろに切り離して、できる限り早く駆け付けてきた。
さらに速度を上げた彼女たちはそこから一マイル余り先で、パラマスの湊町の手前に広がる原野で動かなくなっていた機動甲冑『エールセルジー』を発見した。
同時に目の当たりにしたもの。
それは頸部を失って息絶えた氷嵐竜の大きな屍。
斬り落とされた頸は輝きを失った瞳を険しく見開いたまま動かない。
これまで行動を共にしてすっかり見慣れてきた機動甲冑よりもさらに一回り大きな怪物の体躯が大地に横たわっている姿は、たとえ死んでいるとしても恐ろしいものであった。
氷嵐竜の返り血を浴びた鋼鉄の人馬獣が握っている剣は柄だけが残り、その先は跡形もなく失われていた。戦闘の激しさを察したアグネアが機動甲冑の背後に回り込んでみた。背中の扉は開いているようであった。エールセルジーに駆け寄って呼びかけた。
「カロルス、そこにいるのか! 返事をしろ!」
返事がない。
嫌な予感がよぎって、アグネアは縄梯子を急いで上った。
「大丈夫か、カロルス! しっかりするんだ!」
操縦席の中で目にしたのは、血みどろになってぐったりとしている彼。
急いで彼の身体をロープを使って機体の上から下ろす。エールセルジーの真下ではカリスが使役する白い虎の“ネーヴェ”が待ち構えており、彼を背中で受け止めた。
「シャルル……どうして、こんなことに……」
顔面蒼白に変わり果てたソフィア。
その侍女ヘレナは努めて冷静に彼の状態を見極めていく。
「打撲と思われる外傷が数多くございます。たしかにこんなお身体では歩くこともままならないでしょう。それと全般的にひどく衰弱なさっています。魔術師がマナ枯渇を起こしたときにみられる症状に似たものが見受けられます」
「マナ枯渇……そんなすごい魔術を使って、こんな目に遭うなんて……どうしてわたくしたちが駆け付けるまで待ってくれなかったの……!?」
「万が一討伐に失敗したときに、殿下や私たちをこの竜の攻撃に巻き込まないよう、ここで討伐するとおっしゃっておりました」
そのカリスの言葉を耳にしたソフィアは端整な顔を歪ませた。
何もできないことを思い知らされ、歯がゆい思いをこらえようとするあまり、怖い顔になっていた。
「……なんとかなりますよね? ヘレナ」
「はい、なんとしてもお助けいたします。王女様」
ヘレナはいくつかの秘薬を用意していた。その中には、前回使用したエリクシールはもとより、魔術師が深刻なマナ枯渇を起こしたときに用いられるマナポーションもあった。
(肋骨が折れているみたい。それに以前と比べてマナ枯渇が顕著――あんな恐ろしい怪物とたった一人で渡り合うなんて、なんて向こう見ずなお方なの……)
カリスから彼の伝言を聞いたヘレナは、彼一人が危険を背負い込むことで王女と、そして何より自分を守ってくれたのだと胸が熱くなった。周りの目がなければきっと涙していたかもしれない。
「シャルル様、私が必ずお助けいたしますから」
もはやマナポーションを自分で口にすることもできないほど衰弱しきった彼に、ヘレナは迷うことなく口移しでそれを飲ませた。それが終わると治癒魔術によりいくつもの外傷の手当てに取り掛かったのであった。
ヘレナが治療にあたっている間、カリスは擱座した機動甲冑『エールセルジー』の損傷状態を調べていた。また、アグネアは原野に横たわった化け物が確かに絶命していることを念入りに確認した。
やがて後ろに置いてきた一二〇人余りの部隊が先行していたアグネアに追いついたので、アグネアはうち半数の部隊を引き連れてパラマスの湊町に向かった。王女に先立って部隊を率いて市街地に入り、被害状況などの把握に当たったのである。
安全が確保されたのち、アグネアの呼び掛けで王女ソフィアと残る半数の部隊が湊町へと入った。めちゃくちゃに破壊された町の一角を金髪碧眼の美少女が馬上から眺めていた。
「こんなに激しい戦闘だったのですね……こんな町中が戦場になるなんて」
溶けかけた氷の塊が街のところどころに突き刺さっている。ドラゴンのブレスによって凍り付いた形跡がいくつもあった。そして破壊された家屋も少なからずある。道路上に転がっていた落下物が脇に撤去されただけの状態であった。
正規軍駐留部隊の詰所の近くで王女は馬を下りた。詰所にはわずかな兵だけが残っている。他は戸口監察官の捜査令状を手にしていたオクタウィアと一緒に波止場に向かったと聞いた。それから間もなく、王女と叔母が湊町に着いたと聞きつけたオクタウィアが詰所に戻ってきた。
「殿下、叔母様、遅くなりまして申し訳ございません」
「オクタウィア! 無事で何よりですわ」
そして、オクタウィアの口からいくつかの報告がもたらされた。
「波止場で荷役を行っていた大麻商人は雇った魔術師たちの魔力を対価にあの竜を召喚した模様です。マナ枯渇を起こした魔術師と思われる者たち三名ほどが見つかりました。うち二名はすでに絶命……残り一名は意識を失って衰弱しておりますがかろうじて生存しています」
「大麻商人はどうなったのですか?」
「竜を召喚して作った隙に大麻の大部分を積み込んで、私たちが駆け付けた頃には出航可能な状態となっていました。いくつかの積み荷とそれを運び込もうと岸に残っていた何人かの手下を置き去りにして、急いで離岸していきました」
「そうか、親玉にはまんまと逃げられてしまったというわけか……これだけの惨事が起きてしまったら、それどころではないからな。とはいえ、状況を考えると手下どもの身柄は確保できたのだろう?」
「はい、十名ほどですが。合わせて積み込めなかった大麻草の木箱も押収しました。また、現場に立ち会っていたカルディツァの領主も身柄を押さえてあります」
「そうか! そこまでできたら上出来だ、よくやった!」
オクタウィアから報告を受けたソフィアとアグネアは同行していた監察官たちを引き連れて、身柄拘束された者たちの取り調べを引き継ぐことになった。パラマスの駐留部隊から支援を受けたのが奏功して、船で逃亡した者たち以外の身柄と証拠の品をあらかた押さえられたのがせめてもの救いであった。
時同じくして郡都カルディツァには夜のうちに消えた第一陣に代わって、倍の兵力を持つ第二陣が王太子ベアトリクスとともに現れた。
領主がいまだ戻らないうちに「リンゴ姫」が姿を消して、それどころか王太子自ら開門を迫る未曽有の事態に現場が混乱する中、大麻の現物を押さえたと報告を受けていた王太子ベアトリクスは郡都に対する強制捜査を指示した。王太子にしか持つことを許されない軍旗『双頭の百合』を掲揚の上、城門を破ることも辞さないとの意志を鮮明にしたため、恐れをなした衛兵たちは開門に応じたという。
湊町パラマスで取り調べのため軟禁された領主が不在の間に、屋敷にも徴税監察官兼戸口監察官が速やかに立ち入った。帳簿を焼き払おうとしていた金庫番の身柄拘束に始まり、すべての帳簿を片っ端から取り調べたところ、金庫番が隠し持っていた裏帳簿が発見された。ここには大麻商人との間のカネの流れが記されており、港湾使用の許認可権を握る領主と商人の癒着を示す証拠であった。
ベアトリクスはこの後、湊町パラマスにも向かっており、第一陣による調査結果と合わせて王都に速報を上げた。こうしてテッサリア北部を舞台に大麻の栽培、流通に関わった二名の領主の不正の実体が白日の下にさらされる結果となった。
この事態を重く見た女王ディアナ十四世はテッサリア北部の二郡について領主の施政権を差し止める勅令を発布、当面の間、女王の直轄領に組み込むことで混乱を未然に防ごうと図るのだが、それはテッサリア地方の大部分から貢納を受けていた事実上の「辺境伯」イメルダ・マルキウスを刺激することにつながっていくのである。
***
さて、湊町パラマスで機動甲冑とドラゴンの死闘が繰り広げられてからまる二日が経った三日目の早朝、パラマス市街の一角にある宿の一室でシャルルは目覚めた。
(よかった……まだ生きているようだ)
窓は木戸か何かで閉められており、その隙間から薄明かりが射し込んでいた。鳥の鳴き声がする。
(ここはどこだ……俺はいったいどこにいるんだ)
身体に走った痛み。
思わず低い声で呻いてしまった。
(さすがにあんな戦闘の後では満身創痍になっていてもおかしくはないな)
腕を動かそうとして諦めた時、何かがピクリと動いた。隙間から差し込む明かりが長くて白い髪の一部を浮き上がらせた。
「ん……シャルル様……」
そのように彼を呼ぶ、たった一人の名前を囁いた。
「エレーヌ……そこにいるのか?」
「……シャルル様、お目覚めになったのですね」
右手をしっかりと握りしめる感覚がした。
「よかった……ああ、本当に……よかった……」
手の甲に伝う熱いもの。
鼻をすする音が聞こえた。彼女が泣く場に初めて居合わせたのだとわかった。
「心配をかけてしまった、すまない」
「本当です。格好つけて全部お一人で抱え込んで……皆も、私も、どれだけ心配したことか」
「今すぐ君を抱きしめて慰めてやりたいが……この身体はそんなことができる状況ではなさそうだな」
苦しそうにうめき声を漏らす彼に、ヘレナはこう言った。
「そのようなお戯れはお怪我が治ってからになさってください」
「そうか……怪我が治った後ならよいんだな」
「まったく……それほどの元気がおありならすぐに治りますね。心配いたしましたが私の杞憂だったようです」
「杞憂なものか! 大変だったんだぞ!」
あんなデカブツに蹴り飛ばされてもんどり打って、いくら斬りつけても表皮で刃を跳ね返されて、何回心が折れそうになったことか――それを滔々と語った。
「そんな時だ……君のことを思い出して、萎えた闘志が戻ってきたんだ」
「まあ……そうだったのですか?」
「ああ、ドラゴンと戦って身体中を打ちつけて心が折れたとき、こう思ったのさ……ああ、もう一回君の身体と一つになっておきたかったとね!」
「もう……っ!」
薄暗くて表情ははっきりとしない。だが、顔を赤らめているだろうことは容易に想像できた。
「そうしたら、君が錆びた斧の切れ味を上げてくれたあの日のことを思い出した、というわけさ。それで希望が湧いてきた。そして、ありったけの体力と気力をアイツに託した。首を一撃で断ち落としてやったんだ……おかげでこのザマだけどね」
「本当に向こう見ずなお方ですこと。現場に駆け付けた時は私も、王女様もみんな大変なことになったと青くなっていたのですよ」
「君が何とか助けてくれると思ってた」
「死んでしまったらどうなさるのですか……呆れて物も言えませんね」
唇を尖らせるようにそっぽを向いて見せたヘレナに、彼が慌てた。
「怒らないでくれよ、エレーヌ。君の献身には感謝しているんだ、本当さ!」
「本当に、あなた様というお方は……どうしようもない、バカなんだから……」
薄暗い寝室の中で、声を震わせるヘレナは両目に涙を溜めて気丈に笑った。




