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第16話 ドラゴンとの死闘(2)

本章最大の山場です。前後編の後編となります。

 紅く染まる暁天(ぎょうてん)

 それは夜の闇を切り裂いて昇る日輪の色か。

 はたまた街を巻き込まんとする兵火(へいか)の色か。

 赤子の叫び、母親の慟哭(どうこく)、声にならない悲鳴――。

 波音がするだけの暁の湊町におおよそ似つかわしくない阿鼻叫喚の数々――。

 象たちの騒乱をかいくぐる蟻の如く、恐怖に支配された民草は地を這い逃げ惑う。


 こんな「地獄絵図」と呼ぶに値する光景を初めて目の当たりにするオクタウィアは己心(こしん)(ひる)みと闘っていた。

 民の苦しみから目を背けてはならない。

 直視せよ、たとえ自分が無力であっても。

 それが高貴なる者に伴う義務である――と。

 右往左往する兵士たちの混乱の坩堝(るつぼ)と化した詰所の前で、彼女は眼を開き、努めて平静であろうと奥歯を食いしばって、悲劇をじっと見届けていた。

「オクタウィア殿、あの竜と戦っているあいつは一体何者なんですか?」

 詰所の外でオクタウィアとともに様子を見守っていた詰所の部隊長が訊ねた。

「機動甲冑という発掘兵器です。もとは王都の博物館に展示されていました」

「王都の博物館……あの四つ脚の巨人ですか?」

「はい。今はアルス・マグナの管理下にあって、ソフィア王女殿下の騎士カロルス・アントニウス殿が操縦しておられます」

「あんな物があれほど軽やかに動くなんて……信じられません」

「ええ、私もそう思っていました。ですが、今起こっていることは現実なんです」

 二つの巨大な何者かが街を壊しながら繰り広げる死闘。

 それを呆然と眺めているだけでも脂汗が伝っていく少女の(かんばせ)

 その傍らで告げる言葉を失っていた部隊長に駆け寄った一名の伝令兵。

「隊長、全員出撃準備整いました! ご命令を」

 湊町の治安部隊として駐屯する兵士数十名――その命運を握った彼女は言い淀む。

 住民の救援が最優先であるべきかもしれない。しかし、街を壊して住民を蹂躙する巨大な怪物に対して、自分たちはあまりに無力。

 それよりは怪物を招き寄せたであろう召喚術師の捜索、身柄の拘束あるいは殺害。これを優先すべきかもしれない――そう考えた。

 だが、戦乱から縁遠いルナティアにおいて未曾有(みぞう)の危機がそこにある。荒れ狂う猛吹雪にひとたび包まれれば全滅は免れない。

 自分の命令一つでここに集う部下をすべて失うかもしれない。しかし、躊躇(ためら)う一秒ごとに犠牲者は確実に増えていく。

 この世に現出した地獄の中に踏み込む一歩を誰かが踏み出さなければならない――重い決断を下さなければならない。

 であるならば――自分が全責任を担い、先駆けとなるべく勇気を振り絞ろう!

 拳を握り締め、腹に力を籠め、迷いを振り切った彼女はこう言い放つ。

「よし、では波止場に向かおう。おそらくそこにはあの化け物を使役する不届き者もいるに違いない! この惨事を止めるために、皆の命を私に預けてほしい!」

 息を吞む兵士たち。部隊長は傍らの少女に呼び掛けた。

「オクタウィア殿もご一緒願えますか」

「はい、よろしくお願いいたします!」

 詰所の中がしんとする一瞬。若い士官候補生の意気軒昂を目の当たりにして、一人また一人と呼応して腕を高く上げた。

「よし、いくぞ! 総員、私に続け!」

「「「ウオォォォォ――ッ!!!」」」

 鬨の声を上げて、部隊長を先頭に波止場に向けて走り出した兵士たち数十名。

 続いたオクタウィアの背後では天を切り裂く雄叫びと鋼鉄の弾ける甲高い音。

 傍観者でしかない彼女ですらひしひしと感じる、戦慄(わなな)くような底知れぬ畏怖。

 きっとそれとは比べ物にならない桁違いの恐怖に立ち向かうただ一人の騎士。

(カロルス・アントニウス様、あなたが命がけで戦っていらっしゃるのに私は何もできないけれど……だからこそ、私にできる職務を全うしてまいります!)


 ***


『騎士殿、オクタウィア殿が正規軍兵士とともに波止場に向かったようです』

 冷静な調子で少女が事実を伝えた。

「はぁ、はぁ……そうか、わかった……」

 乱れた息を整える合間に彼はそう応えた。

 額に浮かんだ汗を拭ったつもりが、その腕にはべっとりと赤い血が染みつく。

「まだ無事だったようで何よりだ」

 街の被害を拡大しないように――

 何よりオクタウィアを戦闘に巻き込まないように――

 カリスの指示もあり最大限の努力を自身に強いてきた。

 手ごわい相手に繰り返す斬撃。その度に消耗する心身。

 切り立った断崖絶壁の上で剣を振るう彼を苛む重圧感。

「何回やっても剣が通らねぇ……まいったな……」

 必殺の念を込めた一撃また一撃。だが、今ひとつ決め手に欠けている。それほどの攻撃を繰り返して傷をつけても、致命傷には至っていない。

 斬撃のために詰める間合いは敵の重量を込めた反撃の機会でもあった。鋭利な爪、しなる尻尾の一撃を受ける度にこっぴどく吹き飛ばされた。

『バイタルサイン・イエローからオレンジに移行』

「何言ってるかわかんねぇ! フランス語喋れ!」

『警告――当該地域より離脱を最優先提唱』

「逃げられるわけねえだろうが! 馬鹿野郎っ!」

 (わめ)く相棒に怒鳴ったその間にも、無数の氷の矢が鎧で弾け飛ぶ。

『当該地域より離脱を最優先提唱――』

 八つ当たりで罵倒したにもかかわらず、離脱すべしと相棒は言い続ける。

「さんざ切り刻まれ、蹴飛ばされてるのに、わざわざ心配してくれるのか」

 かつて彼にも『忠実な部下』がいなかったわけではない。

 しかし、これほど『献身的な存在』は一人もいなかったと言って過言でなかった。

「お前はどうなんだよ?」

『機体ダメージ軽微。システム正常に稼働。戦闘行動に支障無し』

「げぇ、まじか……頑丈すぎて笑っちまうな」

 笑おうとして歪む表情。

 気力を削ぐ全身の苦痛。

 それを押して、荒れ狂った吹雪の中に飛び込む。

 彩のない白一色の世界。

 生命を拒む極寒の世界。

 目と耳によらず、研ぎ澄ます本能を頼りに斬る。

「そぉこだぁぁぁっ!!」

 気配を捉えるも空を斬った刃。跳び上がった影。

 空振りに終わる一撃。舌打ちと同時に飛び退く。

 天に昇らんとするも一転、大地を叩きつける竜。

 萎えていく戦意が弱音となって口を衝いて出る。

「どうやったら勝てるんだよ。勝てる気がしねぇ!」

『騎士殿、このままでは不利です。一時撤退して体勢を立て直しましょう! エールセルジーもかなり傷付いているように見えます』

「一時撤退……正気か!? 連中に逃げられるぞ!」

『かまいません、貴殿とエールセルジーの安全確保が最優先です! 殿下と補佐官殿もそうおっしゃっています。どうか、その場から離脱してください!』

 一瞬、喉から出かけた悪態をグッと呑み込んだ。

 敵から距離を取り、乱れた呼吸を鎮め、できる限り沈着を取り繕って訊ねた。

「そうか……みんな、あとどれくらいで着く?」

『歩兵を切り離すなどして急いで向かっていますが、湊町までまだ五マイル(約八キロメートル)ほどあります』

 本来、カリスと喋っている余裕など彼にはない。その余裕を作り出しているのは恐るべき俊敏さを発揮する機動甲冑。彼が“ケイローン”と呼称する相棒『エールセルジー』の回避能力の賜物だった。

 彼の指示を学習し、いつしか彼が指示せずとも回避運動を取って、彼が失いかけた冷静さを取り戻す時間を稼いでくれる。そうして相棒が生み出した貴重な時間を彼はカリスとの会話に費やしていた。 

『こちらが駆け付けるにはもう少しかかります。今すぐこちらに向かって合流していただければ、ヘレナ殿が治癒術を使えますから』

(エレーヌが……)

 銀の長い髪と紫色の瞳――ヘレナの名を耳にして端整な顔貌が目に浮かぶ。この世界で彼の大切な()()となりつつある愛しい女性のことを思い出す。あの美しくもかわいらしく、最近は少し不機嫌な顔も垣間見せるようになったほど心を開いてくれた恋人のことを――。

(もう一度……君の身体の中で気持ちよく眠りたかった……)

 寝床でさんざん愛し合った後の何とも言えない安らぎのひと時が恋しい――そんな不謹慎な回想に浸っていた彼の脳裏にふとよぎった光景がある。

(……斧だ)

 キラキラときらめく刃をした斧を彼女が手にしている。

「そうだ! 斧だよ!」

 彼がゴブリンとかいう矮人(こびと)たちを屠ったあの夜のこと――。

 錆びた斧を手に戦いを挑もうとする彼をヘレナが呼び止めた。

 斧を貸してほしいと申し出た彼女はそれに魔力を宿らせた。その斧は一時的に恐るべき切れ味を発揮し、数多の敵を斬り伏せた。

(あれに似た真似ができれば――)

 この刃を弾き返す竜の固い皮膚も切り裂けるのではないか。そのまま口にした思い付き――その閃きがすべてを変えた。

「おい、なんかないか、こう剣に魔力まとわせるとかして、切れ味あげるとかさ!」

『――FCS検索――パイロット提案を肯定』

「お、おい……できるのかよ! だったら最初からやれよ!」

『非推奨――全魔力の使用に伴い、当機は行動不能に陥る可能性大』

「もしそいつを使った場合……何分で行動不能に陥るんだ?」

『――作戦可能時間十秒』

 あまりにも短すぎる。

 たった一回斬れるかどうか――きっとやり直しは利かない。

「十秒……たしかにそれは迂闊に使えないな。あと、使った場合の影響は?」

『推定事象――機体擱座、パイロット生命維持への支障大、不明ユニットの消失』

 シャルルが問い終えるより早く無機質な声が告げる。

 その言葉は、いずれもが彼の求める物ではない。

 機体とシャルル自身がどうなるか、ただそれだけを鉄の巨人は胎内に抱えた主人に告げる。

「……ようするにもう後がないってことだな……わかった。一撃で決めてやるから、準備しておいてくれ」

『了解。エネルギーバイパス開放』

 直後、聞き慣れない駆動音が低く唸り始めた。

 エールセルジーの秘めていた力の胎動の音なのだと、シャルルは理解する。

「そうすると合図を決めておかなくちゃな、そうだな……」

 彼の脳裏にふっと浮かんできたのは一本の剣。

 偉大なる英雄の叙事詩『ローランの歌』にも謳われた聖剣の銘。

 実際に目にしたことはない。伝承で耳にしたことがあるだけだ。

「俺が“デュランダル”って叫んだら、それを合図に剣に魔力をまとわせてくれ。それで奴の首を叩き切ってやる」

『了解。キーワード登録完了』

 目が霞む。血が足りない。疲労が極限に達している。

 勝負を挑む前に精魂尽きてしまう可能性がよぎった。

(岩をも砕く“長久の刀剣”――それならば堅牢なドラゴンの皮膚も切り裂けるよな。こんなまじないのような伝説にあやかろうとは俺もつくづく追い詰められたもんだ)

 有り金はたいた大博打にすべて賭ける。

 持ち前の思い切りの良さで下した結論。

「とんでもない切れ味になるんだろ。町中(まちなか)で使うわけにいかねぇ。逃げると装って街の外に(おび)()す!」

『了解――指定座標を経由。当該地域を離脱』

 一転して(きびす)を返した四つ足の人馬獣。

 瓦礫と砂塵を巻き上げて、人出の無くなった目抜き通りを疾走する。

 逃げる背中に向けて飛来してきた氷の矢がいつの間にか止んでいた。

『ドラゴンが街の上空を飛んでいます。きっとエールセルジーを探していますね』

「恐らくな。俺たちを見失ったんだ。街を飛び出したらきっと見つかるだろうが」

 たった十数秒の休息――シャルルが呼吸と思考を整える最後の機会。

 竜という怪物が何を考えているのか、彼には露程(つゆほど)もわからなかった。

 だが、たった一つ――『殺意』という明確な意志だけは間違いない。

 そうであるならば、奴は鉄の巨人が向かうところに必ずやってくる。

「門を抜けるぞ!」

 覚悟を決めたシャルルは開けた原野に向かって勢いよく飛び出した。

 同時に相棒が何やらつぶやいているが、意味はさっぱりわからない。だが、きっと勝利への道筋を辿る言葉であることだけは理解できる。

『大気中のボース粒子、強制収集。エネルギーバイパス、出力既定値をオーバー。リミッター解除』

「――来た!」

 翼を折りたたんで竜が墜ちる。

 大剣を振りかぶったが如く、黒くて重厚な刃が虚空を縦に切り裂く。

 轟音とともに大地を砕かんとする衝撃が鋼鉄の軍馬ごと彼を弾き飛ばした。街から一マイルほど離れた原野が大きくえぐられて、土を巻き上げていた。

「……痛ぇな、クソ野郎っ!」

 もんどりうって血反吐を吐き、剣を構えて怪物に対峙したシャルルに血相を変えたカリスの声が飛び込んできた。

『ちょ……騎士殿、いったい何をするつもりですか!?』

「敵に背中を見せるのは騎士道に反するからな!」

『そんな定型文じゃなくてっ』

「カリス、ヘレナ(エレーヌ)に伝えてくれ。きっと生きるか死ぬかの瀬戸際だってな」

『え……騎士殿、まさか!?』

「……すまん、頭が回らねぇ。血が足りなくなってきた……」

 もはや何も考えず、戦士としての反射だけで動いている。

 剣を振り、距離を離し、爪を防いで、距離を詰めていく。

 躱しきれない攻撃が(かす)るたびに鋼鉄の鎧が不愉快に(きし)む。

 重く鋭い爪の一撃を長剣の刃で受け流す合間に怒鳴った。

「このクソムカつくドラゴンは絶対そっちには行かせねぇ!」

『……まさか、そこでドラゴンを討伐する気ですか!?』

「妙案がある。“ケイローン”が言った」

『そんな……下手したら死にますよ! せめて私たちがたどり着くまで』

「俺はコイツに賭けるって決めたっ!」

 鋼が砕ける嫌な音がした。彼には理解出来る。

 あれだけ平気だという巨人の身体が砕かれているに違いないと。

 無敵だの、鉄壁だのを誇った勇ましい文言が、決してその通りであった試しがないこともまた骨身に染みていた。

「逃げて合流して、その時、コイツが暴れたらどうなるか、わかるだろうがッ!」

『ボース粒子、定量収束。いけます』

 その瞬間は唐突に訪れた。

 手綱を握る御者が鞭を振るう。

「尾の一撃の後だ。一瞬しか隙はない」

『了解』

 魔術では埒が明かないと思い知ったか、牙を剥き出しにして力を溜めている。

「来るぞ!」

『警告――正面、大質量攻撃』

 襲い掛かった強靭な尾の一撃。

 風圧だけで悲鳴を上げる甲冑。

 真っ赤に染まった視界が白む。

 紙一重で潜り抜ける生死の境。

 横薙ぎで迫った鞭が空を斬ったと同時に竜の腹に向かって伸びた刃先。ただ一瞬の隙に刃をねじ込んで、神のみぞ知る一か八かの勝負に賭ける合言葉を放った。

「いけぇ! デュランダァァルッ!」

『――“光子剣”(フォトン・ザンバー)、起動』


 光あれ――。


 天地創造の『光』とは、このようなものだったのではないか。

「あああああああああああああああああああッッッ!!」

 夜空に瞬く天狼星(シリウス)よりも――。

 東天に昇らんとする太陽よりも――。

 ずっと(まばゆ)く、輝かしい光の奔流。

 長剣よりはるかに大きい光る刃が竜の分厚い胴体を容易(たやす)くすり抜けた。

「堕おぉぉちろぉぉぉぉッ!!」

 渾身の力を振り絞った斬撃を絶叫とともに振り下ろした。天地を断ち切るが如く、光る斬撃が空間を切り裂いた瞬間、世界は暗闇を消し去る暁光に包まれた。

 音を失った世界の果てで、無機質な相棒の声だけが微かに届き、遠ざかっていく。


『敵性対象"ヤング・ブリザードドラゴン"、沈黙を確認。魔力残量ゼロ。システム・ダウンまでカウント――』

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