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第12話 リンゴ畑でつかまえて(3)

 徴税監察官からの第一報と増援要請は早馬によってその日のうちに王都へと届けられた。この知らせを受けた第一軍務卿メガイラ、第二軍務卿ユスティティアは予想以上の成果に驚きを隠さなかった。

 女王ディアナ十四世はこれでテッサリアへの介入を進める口実を得たと理解した。大麻の蔓延阻止は国家の課題で、一領主の裁量を超えるものだからである。したがって徴税権を盾に査察を拒否するような真似は大麻取締においては許されていないし、そのような前例もない。

 大麻取締を口実とするため、統治機構に対する風紀取締を管掌する戸口監察官(ここうかんさつかん)を新たに追加して、徴税監察官と戸口監察官にそれぞれ同じ権限を持たせることは可能か――政務のうち司法を管掌する法務府に対して、女王はそのように諮った。

 先行して徴税監察官の第二陣として人選を進め、法務府も戸口監察官の派遣に問題なしと判断を下したため、増派に向けて選抜された二〇名が徴税監察官兼戸口監察官として新たに送り込まれた。合わせて二五〇名の正規軍兵士を護衛ならびに実行部隊として同伴させている。

 この増派に同行する形で王太子ベアトリクスもまた王都を発った。第二陣の派遣隊はさっそくレンディナ村とその隣町の郡都キエリオンに入り、第一陣の派遣隊が進めていた捜査を引き継ぐことになった。ベアトリクスの目的は第一陣の新兵たちの激励にあり、この間、新兵たちとの対面を果たしている。


 さて、第二陣の派遣隊による本格的な捜査の結果、レンディナ村の違法な大麻畑は残らず摘発された。身柄拘束されたサロニカ出身の無頼漢たちは容易に口を割らず、一人残らず王都へと連行された。村に平穏が戻りつつあることを知った村人たちは、村を捨て去った同胞たちを呼び寄せた。

 一方、大麻草の栽培を知りながらこれに加担した領主と家令も身柄を拘束された。眠り薬と騙されて毒を盛る当事者になってしまった召使も同様である。

「よろこぶがいい! 知っていることを洗いざらい吐けば命だけなら助けてやってもいいとの王女殿下の思し召しだ。さぁ、全部吐いてもらおうか!」

 凄みを見せるアグネアの姿を教え子である士官候補生たちは目に焼き付けていた。取り調べをアグネアに一任したソフィアはシャルル、ヘレナを伴ってレンディナ村の村長(むらおさ)のもとを訪ねた。

「姫様、このたびは誠にありがとうございました。おかげさまで村に平穏が戻りつつあります」

「いいえ、まだまだこれからですわ。荒廃した農地を回復していくには時間がかかりますもの」

 耕作放棄されていたリンゴ畑は早くも荒れ始めていた。このままでは例年通りの収穫は無理であろう――そのように看破したソフィアは対策を考え、それを書き記した羊皮紙を村長に手渡した。

「これが少しでも足しになればと思うのですが……王都にあるワイナリーへの紹介状を書いておきました。わたくしがリンゴ酒の醸造を託しているところですわ。少しでもいい商談が成立することを祈ります」

「姫様、ありがとうございます……本当にありがとうございます!」

 直轄領でリンゴ農園の保護を進めていたソフィアは、その伝手(つて)を生かして村の産業であるリンゴ畑にカネが落ちるよう手を尽くしていた。この出来事がソフィアが『リンゴの王女様』と広く呼ばれるようになる淵源となった。

 一方、重税が領民を苦しめていたテッサリアに、第二王女ソフィアの名声が広がることを良しとしない者たちがいた。彼女たちはソフィアを『リンゴ姫』と呼び蔑み、たまたま運よく大麻栽培の摘発に成功したに過ぎないと考えていた。そんな彼女たちとの摩擦にやがてソフィアは直面することになる。


 ***


 テッサリア北部の高地を源流に南西へ下っていくパラマス川と海に面したカルディツァ郡が次の目的地と決まった。アグネアの取り調べに領主やその他の召使たちが口を割って、栽培された大麻草が川を経由して下流へと運ばれたらしいと判明したからである。

「カルディツァには大きな湊町(みなとまち)が二つございます。そのうちの一つがこのパラマス川の河口にあるパラマス(みなと)です。サロニカ商人との交易が比較的密に行われているようですので、大麻草の輸送に使われていてもおかしくありません」

「早く手を打たないと証拠を消されて追跡できなくなりますわね。第二陣の派遣隊を待つことなく先を急ぎましょう」

 第二陣の派遣隊とともに第一陣の派遣隊にも戸口監察官の権限が付与されることになった。大麻取締を口実に調査権を発動できる今こそ、直訴で名前の挙がっている領主たちに対する査察を推し進める好機である。戦いは勢いこそ肝要であった。


 ソフィアたちの出発予定時刻の三〇分前、王太子ベアトリクスが見送りに訪れた。その傍らには淡い水色の髪が印象的な少女がいた。

「機動甲冑が今回大変役立ったと聞き及びました。カルディツァでも必要とされる時機が来るかもわかりません。その時に備えて機動甲冑の魔術的調整を行える魔術師を付けることにしました。外見は子供ですが、魔術の才能はわたくしが保証します」

「只今ベアトリクス殿下よりご紹介に(あずか)りました、カリス・ラグランシアと申します。以後お見知りおきをっ」

(こんなガキを連れていくのか……もう歩けなーいとか途中で文句言わねえよな)

 まだ年端も行かぬ子供をソフィア一行に加えるベアトリクスの真意がわからずに、シャルルは首を傾げていた。彼ほどではないにせよ、他の士官候補生たちも怪訝そうな顔をしているのが読み取れる。

セット(Set)――ゲット(Get)レディ(Ready)――ゲート(Gate)オープン(Open)――」

 最初その子供がぶつくさつぶやいている言葉に気を留める者は誰もいなかったが、

「さあおいで、“ネーヴェ”」

 カリスが虚空に呼びかけると、なんと空間がゆがんだような一瞬の揺らめきの後に真っ白い胴体に縞模様を浮かべた獣がどこからともなく出現した。絶句する周囲の者たちを尻目に、その獣は猫のようにゴロゴロと喉を鳴らしてカリスに懐いている。

「もしかして、カリスさんは召喚術師(しょうかんじゅつし)なんですか?」

「はい! この()はホワイトタイガーの“ネーヴェ”っていいます。とってもかわいくて(つお)いんですよっ」

 オクタウィアの問いに嬉々として答えるカリスへの皆の評価は一変した。ネーヴェと呼ぶ白いトラの背に乗ったカリスは、行進する縦隊の先頭を走る機動甲冑『エールセルジー』の右後ろにぴったりとついてきた。後れを取る様子はまったくない。

 川の左岸から少し離れた緩やかな丘陵の尾根を走っている、舗装されていない小道を四時間ほど進むと城壁を伴った大きめの市街が見えてきた。王都からテッサリアの中心都市ラリサへと向かう街道との合流点にあたるカルディツァ市である。

 カルディツァという名前が示すとおり、カルディツァ郡で最も大きい街かつ郡都でもある。テッサリアの南北を貫く街道とパラマス川が交差する地点にあり、川の上流からは農作物など、下流からは魚介類などが集まる通商上の要衝だ。

 その入り口となる東門に衛兵が立っているのが見えた。一マイル先にある門の上にある物見に立った兵隊の騒がしい様子にシャルルは気づいた。

(まあ、こんなデカいものが現れたら、それは大騒ぎになるよな……)

 そんなことを思っていた矢先、門の外に立っていた衛兵が中へ引き揚げていった。様子がおかしい――と彼が察して間もなく、門の扉を閉めてしまったではないか。

「ん、どうかしましたか? 騎士殿」

 まだ口にしていない彼の違和感に気づいたのかと思わせるような頃合いにカリスが言葉をかけてきた。

「衛兵が慌てて門を閉めたようだ。なんか怪しい予感がする」

「兵隊が怖がって門を閉めてしまったのでは?」

「レンディナ村に行く最中、こんなことはなかったはずだ。明らかに態度が違う」

 カルディツァは南北方向の舗装された街道と東へ向かう舗装されていない小道の分岐点にあたり、往路でも経由した場所であった。往路と復路で扱いの違いをシャルルはいち早く見抜いたといえる。

「カリス、後ろに戻ってアグネア――ラエティティア殿にこのことを伝えてくれ」

「心得ましたっ」

 カリスを乗せた白いトラは軽快にくるりと後ろを向くと赤髪をなびかせた補佐官のもとへと疾走していった。あれだけ俊敏な動きができるなら、有事に及んでも心配はいらないかもしれないとシャルルは感じていた。

 しばらくして入れ替わりにアグネアがやってきた。カリスに話した同じことを打ち明けると、彼女もまた首を傾げた。

「たしかに妙だな――カロルスの言うとおりかもしれない。警戒するに越したことはなさそうだ」

 先日やくざ者たちの襲撃でともに戦って以来、従来の『騎士殿』ではなく『カロルス』といつの間にか変わっていた呼びかけが今はすっかり彼の耳に慣れていた。

「レンディナ村の無頼漢たちは領主とも関わりを持っていた。それこそ殿下に『眠り薬』を盛るよう(そそのか)したからな。カルディツァで何かあっても不思議じゃない」

 アグネアと第二陣の派遣隊の取り調べの結果、毒薬を『眠り薬』と偽ったのは領主ではなく、領主にそれを渡したやくざの頭目の仕業であった。薬を飲ませて王女を誘拐しようという腹積もりだったと頭目から聞かされていたらしい。

「やくざの頭目とは言っても、大麻の取引全体から見れば末端のようなものだ。その末端ですら今回のような荒っぽい手段を使ってきたことを考えると、根幹に近づけば近づくほどもっと狡猾な手を使ってくるかもしれないな。ありがとう、また何か気づいたことがあったら教えてほしい」

 彼と危機感を共有し合ったアグネアはそう言ってソフィアの元へと戻っていった。


 ほどなく王女一行は東門の前で横に隊列を組み替えて足を止めた。アグネアがソフィアとともにカルディツァ市への入城許可を求めたが、すげなく断られてしまった。続いて郡を治める領主に面会を求めたが、領主がおらず、代わって判断できる裁量もないので答えられないと取り付く島もない有様であった。

 結局、日没までそれ以上話が前進することはなく、王女一行は市街地の外の原っぱで野営を余儀なくされた。いくつもの天幕を張った真ん中に小さな本陣を張り、ソフィアは限られた者だけをそこに呼び集めた。

「どうしてわたくしたちを街の外に締め出しておくのでしょう? なんだかおかしいとは思いませんか?」

「領主がいないとのことですが、何か他の理由がありそうな気がします」

 叔母から交渉の結果を聞き及んでいたオクタウィアも怪訝そうな意見を口にした。もしも機動甲冑が脅威であるならば、それだけは街の中に入れないという対応をとるはずであると彼女は主張した。

「王女殿下のほか、武官ではない徴税監察官までも市街地に入れてもらえないのは、後ろめたい何かがあるのではないかと思います」

 とはいえ市街の中に入れない以上、これ以上の情報を得られる見込みが立たない。シャルルは腕組みして低く唸った。

(絶対に怪しいんだけどな、相手の意図がわからない。どうすればいい……)

 この場に集まった顔ぶれの中で、ただ一人、仲間はずれがいる。カリス・ラグランシアという少女であった。ここに至った経緯を共有していないので発言のしようがないのだが、ここまでに得られた情報を共有すれば何か役に立つかもしれない。

 だが、どうすればこの少女に彼らが見聞きした出来事を漏れなく、また先入観なく把握させることができるか――彼はじっと沈黙して考えた。

(個人の主観はいらない。客観的な事実だけあればいい。それを羅列してみるか)

 余計な時間はかけられない。できるだけ無駄を省いて、単純な事実を羅列しようとシャルルは試みた。

「アグネア殿、やくざの連中がやってきたこと、そして俺たちがやったことを全部書き出してもらえるだろうか。箇条書きで……いや、もっと単純な単語で構わない」

「理由は?」

「ここにいる皆が同じ情報を持っているわけじゃない。それを一回(なら)す必要がある」

「わかった。では手短に済ませるとしよう」

 シャルルが頼むと、取り調べの矢面に立って捜査情報を収集してきたアグネアは、紙と鉛筆を取り出してすらすらと単語を書き連ねた。彼よりもずっと綺麗な字を書くところ、育ちのよさというものを思い知らされる思いがした。

「ざっとこんなところだろうか」

「他の皆もここに書いてないものがないか見てほしい。書いていないものがあったら書き足してくれると助かる」

 彼が促すと、その場に居合わせた各々がいくつかの単語を書き足していった。それをじっと眺めていた彼は、まだ書き足されていない単語を付け加えた。

「これがレンディナ村で行われてきた出来事、そしてあの晩に起こった出来事だ。それでは、せっかくだから君にも意見を求めようか? カリス」

「え……私が?」

「先入観のない君の目で見た時、この事実の中から何か読み取れるものは無いか?」

 いきなり話を振ってきたシャルルの目を見た彼女は言葉に詰まった。彼の目は全く笑っていない。それを受けてしばしの沈黙と長考に入った。

「読みました。大胆な決断、迅速な行動、緻密な作戦、周到な犯行……その意図するところは何らかの隠蔽工作に見えます。よほど隠したい何かがあって、そのためには手段を選ばない。そうするだけの大きな動機……何らかの富か犠牲を是とする歪んだ信条、あるいはそれらを強制する権威、権力構造……」

 悪党の頭目はいまだに口を割っていない。それほどまでの黙秘を強いるものとは何か、まだわかっていないのだ。

「そこまでして累が及ばないようにしたい何かがあるんでしょうけど、ひとまず脇に置きます。それに対して皆様は証拠保全に努め、咎人(とがにん)の身柄も確保しました。不都合な真実が露見するのは時間の問題。当然相手はその対策も考えているはず」

(さすがだな……ガキの脳みそじゃないぞ、こいつ)

 話を振っておきながら、予想を大きく超える分析を返してきたことに舌を巻く思いがしたシャルルはさらなる問いかけを行った。

「もし君ならどんな対策を打つ?」

「できるだけ確実な証拠隠滅でしょうか。証拠さえなければ知らぬ存ぜぬで切り抜けられますけど、そこかしこにいる小物が考えることではなさそうです。かなり抜け目ない、面倒な輩が絡んでいますね」

「では、証拠の隠滅が連中の対策だったとしよう。レンディナ村ではそれが失敗してしまった。連中は次にどんな手を打つと考える?」

「普通に考えれば、芋づる式に足がつくことを嫌って――あっ!」

 カリスの細くなった瞳にニヤリと笑みを浮かべた彼の顔が映っていた。

「現物、もしくは証拠書類を消そうとするだろう? 証拠書類を消すのは造作もないだろうが、現物はかさばるからそうはいかない。しかも連中にとって価値のあるものだから捨てるには惜しい」

「どこかへ持ち去りますね」

「わかったぞ! 舟だな!」

 アグネアがテッサリアの地図を取り出して机の上に置いた。そこには街道と小道に加えて、水運の手段である河川も描かれている。

「この川を下れば湊にたどり着く。そこで大きな船に積み込まれたら後は海の上だ。追跡は困難になる。もしカルディツァにまだ大麻があるなら、われわれが市街に入るのを食い止めている間に運び出そうと考えるはずだ」

「そもそもここに大麻が無かったら、このようなことをする意味はないでしょうね。かえって怪しまれるだけですもの」

 アグネアとソフィアはレンディナ村で栽培され、持ち出された大麻草がまだカルディツァにあると考えた。それを聞いたオクタウィアが腕を組んでいる。

「今からでは第二陣の支援が間に合わないですよね。駆け付けた頃には証拠はきれいさっぱり無くなっているはず」

「しかし、強引に街の中に入れる状況ではありませんわね。どういたしましょう」

「街の中に入らなければいいんですよね。とっておきの秘策がありますよっ」

 にっこりと笑みを浮かべたカリスに、その場に居合わせた皆が不思議な顔をした。

戸口監察官(ここうかんさつかん):古代ローマにおける官職の一つ。ケンソルという。市民の財産調査(戸口調査)が本来の任務だが、次第に元老院議員の適格性審査、風紀取締、国家財政の監察なども任務とするようになったもの。


 本作では、古代の中央集権体制が形骸化しつつある社会で、統治機構に対する風紀取締(薬物乱用の取締はここに含まれる)の観点から捜査権を有する伝統的存在を表す用語として、名称を採用しています。

 参照→http://www.yk.rim.or.jp/~kimihira/yogo/03yogo0103.htm

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