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第10話 リンゴ畑でつかまえて(1)

第10話以降、改稿前にはなかった新展開となります。

その為、旧 第一部・第二章と完全に分岐していきます。

 およそひと月にわたる第二王女ソフィアと新兵たちの軍事教練が終わった。彼女たちは演習場からの三〇マイル(四八キロメートル)の道のりを行軍して王都に戻った。

 それから一週間ほどの休暇を経て、再び集められた彼女たちに勅命が下った。第二王女ソフィアとともに王国南部テッサリアへ遠征に向かうように告げられた彼女たちは困惑に満ちた顔を見合わせていた。


 ちょうど王女ソフィアが王都を離れていた頃、テッサリアの貧しい農民たちがたどたどしい字を書き連ねた手紙を持って王都にやってきた。領主の度重なる重税のため生きてゆけないという悲鳴にも似た叫びが書きつけられた手紙を目にした王太子ベアトリクスは、それを女王ディアナ十四世にも見せたのである。

 近年、ルナティアを襲った天候不順は深刻な農作物の不作をもたらしており、国家財政にさえ影響を及ぼしていたが、王国に貢納を行う領主たちもまた同様な事態に見舞われていた。領主によって対応はまちまちであり、いっそう苛烈な徴税を強いて民草(たみくさ)から搾り取ろうという魂胆を持った者も少なくなかった。

 とりわけ、南部テッサリアでは領主による強引な徴税が災いして、果ては身売りの強要といった事態が横行した穀倉地帯の農村は荒廃し、これに耐えかねた者たちが王都に押し寄せての直訴が相次いでいた。これに心を痛めた女王ディアナ十四世は統治の是正を『テッサリア辺境伯』を自称する大豪族イメルダ・マルキウスにもたびたび求めてきたが、目立った効果は上がっていないのが現状であった。

 そして再三再四の統治是正の勧告にもかかわらず直訴が止まないことに、ついに女王は徴税監察官の派遣を決定した。しかし、各領主は貢納を条件に荘園に対する徴税権を与えられていることを盾に査察を渋ってきた経緯があった。そこで今回は軍隊を動員して強制力を持たせようと図ったのである。

 とはいえ、南部テッサリアを実効支配下に置く大豪族イメルダ・マルキウスは若き日は猛将として名を馳せており、度重なる贅沢に肥えきった今日でも王国軍を上回る動員力を誇る巨大な軍閥を擁していた。王国の南の守りを自負する彼女たちはそれを口実に軍事力を強化、自らの権力基盤にしてきたのだ。これがひとたび王国正規軍と切り結べば動乱となり、その先に王国の弱体化が待っているのは火を見るよりも明らかである。


 そこで女王ディアナ十四世は一計を案じた。これまで従軍経験のなかった第二王女ソフィアを徴税監察官とともにテッサリアに派遣しようと考えた女王は、従妹である第一軍務卿メガイラにも秘密で新しい軍旗を作らせていた。

 それを初めて扱ったその日のうちに王族固有魔術の発動に成功したとの報告を王太子から受けた時、すでに女王はこの勅命を下すことを決めていた。第一軍務卿メガイラと第二軍務卿ユスティティアにこれを諮ったのは、勅命の草案を書き起こしてからであった。

「なぜですか、陛下! どうしてそのような大事なことをわたくし抜きで決められたのですか!?」

「あなた抜きではありません、メガイラ。ですからあなたにもこうして意見を求めているではありませんか?」

 女王は情報が南部に漏れることを懸念して、直前まで真意を明かさなかった意図を明らかにした。勅令の草案を読んで経緯も致し方ないと理解を示したユスティティアに対して、メガイラは納得がいかない様子であった。

「なぜわたくしではなく、従軍経験もないソフィア王女を派遣するのですか?」

「ソフィアを派遣しようというのは、テッサリアと戦争をする意図が無いことを暗に示すためです。軍務府の筆頭であるメガイラが出向いてはあのイメルダに一戦交える覚悟を抱かせるかもしれません。そのようなものだと誤解されては困ります」

「テッサリアの『辺境伯』と名乗る蛮族など、このわたくしが打ち破ってやります。わが魔術師大隊を以ってすれば、竜ですら使役(しえき)できましょう。あんな田舎の雑兵など所詮有象(うぞう)無象(むぞう)、負ける気が致しません!」

 戦争をおっぱじめかねない従妹を女王はこのようになだめた。

「万が一あなたの留守に戦争になったとき、誰が王都を守るのですか。第一軍務卿」

 こう言葉を掛けると彼女は口を噤んだ。王国軍にとって王都の防衛は言うまでもなく最優先任務である。その第一責任者でもある第一軍務卿が王都はおろか関所の外へ出て行ってどうするのか、という問いかけであった。

 こうして第一軍務卿というメガイラの自尊心を逆手に取って出兵を諦めさせた女王ディアナ十四世は娘の第二王女ソフィアへの軍権委譲と南部テッサリアへの派遣を正式に決定するに至った――というわけだ。


 かくして軍旗の授与式が挙行され、王女ソフィア・ディアナ・アルトリアは軍権の執行者となった。

 王女の侍女ヘレナ・トラキア、王女の騎士カロルス・アントニウス、王女の補佐官としてラエティティア・クラウディア、そして一二〇名の新兵が十名ほどの徴税監察官とともに南部テッサリアへと王都を発ち、関所の手前で一泊すると、翌日の早朝に関所を抜けていった。


 ***


 単頭の百合と呼ばれる一輪の百合の花を象った軍旗を掲げ、王女ソフィアの部隊はテッサリア北部を行軍していた。先頭には機動甲冑『エールセルジー』を配置して、王女の騎士カロルス・アントニウスことシャルルが周りに目を光らせている。沿道の農民たちはその巨体の威容を目の当たりにして足元が(すく)んでいた。

 機動甲冑に続いて、新兵たちのおよそ半分が縦隊を作り、その後ろにソフィアとヘレナを乗せた馬車があった。この両脇を固めるように愛馬に騎乗したアグネアとオクタウィアが馬車と速度を合わせている。その後ろに徴税監察官たちと荷馬車が数台、新兵の残り半分が続き、隊列の最後尾を熟練兵から選ばれた精鋭二〇名が固めた。

 最初の目的地は女王直轄領とテッサリアの境となっている高地に面したレンディナ村である。最近、村の外からやってきた無頼漢たちに土地を奪われたと村長(むらおさ)が窮状を訴えた経緯があった。それに加えて、ここにはソフィアが気になるものがあった。

「リンゴ農園があると聞けば、ますます行きたくなってしまうものですわ!」

「王女様……くれぐれも公私混同などと思われないようにしてくださいませ」

「正当な理由があって訪れるのですわ。それに徴税監察官が査察にあたっている間、わたくしには何もすることがないではありませんか」

 目をキラキラとさせている主人に、ヘレナは少し頭を抱え込んでみせるようにして自らの懸念を示したのであった。

 そして、目的地には昼前にたどり着いた。村長が王女の到着を待っていた。聞くところによれば、読み書きのできる彼女は手紙を記し、それをここから逃げ出した村人に託していたそうである。

 騒ぎを聞きつけたかレンディナ村の隣にある街からその一帯を治める領主がやってきたのはそれから間もなくのことである。

「何者だい! 誰の許しを得てこんなことをやっている?」

 村人たちに聞き取り調査を始めた徴税監察官たちに食い下がってきた貴婦人に笑みを湛えて声をかけた少女がいた。目を吊り上げた貴婦人であるが、少女が身につけていた蝶柄のブローチを目にした瞬間、表情を凍らせた。

「無礼者! このお方をどなたと心得るか!」

 真っ赤な髪を怒らせた女が腰に帯びた剣の柄に手をかけた瞬間、

「おやめなさい。()()()()()()()。丸腰の者を斬り捨てるべきではありませんわ」

「はっ、かしこまりました。()()殿()()

 すっかり殺気に気圧されて腰を抜かしてしまった領主に王女は笑みをこぼした。

「はじめまして、ごきげんよう。ソフィア・ディアナ・アルトリアと申します。女王陛下の命により、この村の査察を行っております。よろしくて?」

 隣で目を光らせている赤髪の軍人の手前、貴婦人は拒否することができなかった。


 徴税監察官とともに士官候補生たちが同行して村人から聞き取りを始めた。残った新兵たちは正規軍の熟練兵たちとともに周囲の警戒に当たっていた。アグネアは村の中心に残り、領主が妙な気を起こさないかとしっかり監視している。

 一方、村長に連れられた王女ソフィアはシャルルとヘレナを連れてリンゴ畑を訪れていた。しかし、畑の半数からは農家が逃げてしまったという。よそからやってきたゴロツキから嫌がらせを受けて、身の危険を感じた者たちが逃げ出したのだ。村長の手紙を持って王都に直訴したのもその一人だという。

「こんなに綺麗なリンゴが育っているというのに、もったいないですね」

 つい最近逃げ出した農家に耕作放棄されてしまった畑を目の当たりにして、ヘレナの表情が曇った。ソフィアは唇をキュッと結んで、声を殺して一言こう漏らした。

「……許せませんわね。絶対に……っ!」

 そんな二人をよそにシャルルはリンゴの果実の匂いをかいでいた。そして、不意にそのうちの一つを摘み取って丸かじりしたではないか。その様を呆然と眺める二人にシャルルはこう言って応えた。

「とても美味しい匂いがしたので、よもやと思いましたが、大変美味でございます。たしかにこれはもったいない。農家が帰ってこられるようにしなければ」

 野生のシカのごとく美味しそうにリンゴを頬張るシャルルを見て、ヘレナは言葉を失った。最近、彼が嗅覚と味覚を取り戻しつつあることは大変喜ばしいことである。だが、その感覚が常人とは違っているのではないだろうか――酸っぱくて生で食べるには向かず、リンゴ酒にするのが一般的なこの地方のリンゴを難なく口にしてしまう彼を見て、ヘレナはそんな思いを抱いていたのであった。


 ***


 徴税監察官と士官候補生たちが手分けした甲斐あって、レンディナ村での事情聴取はあらかた終わった。そのほかの新兵や熟練兵たちが目を光らせているうちは、特に目立った妨害行為も行われず、滞りなく進んだのである。

 その日、一行はレンディナ村に宿泊して翌日に次の目的地を目指す予定であった。用済みとなった貴婦人を解放するようにソフィアが命令を下したとき、貴婦人はこのような申し出を行った。

「このたびは王女殿下御一行に失礼を働き、誠に申し訳ございませんでした。どうかお許し願えますと幸いです」

「いいえ、こちらこそ陛下のご命令とはいえ、あなたの領地に勝手に入ったのです。お許しくださいね」

「滅相もございません。このままお帰しするのは当家末代までの恥となりましょう。もしよろしければ、当家にて晩餐をお召し上がりくださいませ」

「いいえ、それには及びませんわ」

「わたくしにも領主としての体面がございます。王女殿下の歓待もできないとあればこの先きっと領民からの笑い者となりましょう。どうか……どうか!」

 領主が額を地面にこすりつけるようにして懇願するので、ソフィアは一帯の領主である貴婦人の申し入れを受け入れることにした。

 レンディナ村に徴税監察官、新兵と熟練兵たちを残して、ソフィアとヘレナそして領主を乗せた馬車が隣町へ発った。アグネアとオクタウィアが騎馬で同行し、その後には機動甲冑『エールセルジー』に乗り込んだシャルルが続いた。

 シャルルはどこか釈然としない気持ちを抱いていた。領主があのようにしてまで、ソフィアを晩餐に招いた意図がわかりかねる。領主としての面目が立たないという道理は一応理解できなくもないが、初対面の時に垣間見えた高圧的な態度が普段の態度とするならば、領民に対して恥を覚えることが果たしてあるだろうか?

「まあ、妙な気を起こしたときは遠慮なくバッサリ斬ればよいだけか」

 シャルルだけでなく、アグネアもいるのだ。この二人が側にいる限り、ソフィアの身の安全を害することは容易なことではない。万が一不測の事態が起きたとしても、治癒術に長けたヘレナも同行している。

「とはいえ、用心するに越したことはないな……周囲に何か異状はないか、“ケイローン”」

『索敵範囲内に敵影無し』

「よし、わかった! 引き続き監視を怠るなよ」

『了解。第二種警戒態勢を維持』

 レンディナ村からおよそ三〇分の道のりを経て、ソフィア一行は隣町のキエリオンに到着した。レンディナ村よりも集落が大きいものの、家の周りに家畜が歩き回って糞尿を垂れ流しているような牧歌的な街並みであった。

 やや立派な屋敷の前で馬車は止まり、領主と王女、その侍女を下ろした。アグネアとオクタウィアも屋敷の裏手の厩舎に馬を預けた。機動甲冑ばかりは屋敷の裏の外に隣接するように停めた。

「短剣は抜かないでおこう。どうせ刺しておいたところで誰も触れまい。何か異状があったら知らせてくれよ」

『システム、通常モードを維持』

 短剣を差したまま機動甲冑の背中から抜け出して縄梯子を下りたシャルルは屋敷の召使に誘導されて、領主の屋敷の中に入った。特に違和感を覚える点はないようだ。すぐに大広間に通されていたシャルル以外の一行にも合流することができた。

 領主は食前酒としてワインを振舞おうとしたが、ヘレナがこれを丁重に断った。

「あいにく、王女様はワインを嗜まないのです。申し訳ございません」

「それではレンディナ村のリンゴで作ったリンゴ酒(サガルド)などはいかがでしょうか?」

 これにソフィアの目の色が変わった。明らかに変わったとシャルルも気づいた。

「それならば口に合うかもしれませんわね。ありがたくいただきましょう」

 領主の召使から領主の分を数に含んだ木のカップとリンゴ酒のボトルを受け取ったヘレナは、木のカップにリンゴ酒を注いでいった。それを各々の席へ運ぶように召使に依頼すると、彼女たちは迷うことなくリンゴ酒を運んで行った。

「さあ、乾杯しましょう。あなたとわたくしの素晴らしい出会いに――」

「乾杯!」

 王女がこう声をかけると、領主も気持ちよく応えて、リンゴ酒をあおった。それを見届けてから、ソフィアはリンゴ酒に口をつけた。

「美味しい……あぁ、美味しいですわ! いい酒をお持ちですのね!」

「王女殿下のお口に合ったようで何よりでございます。さあ、お召し上がりくださいませ!」

 次々と食事が運ばれてくる。王都で口にすることの少ない肉料理もあった。領主が歓待したいと言ったのは本心かもしれない――頭の片隅にそうではない可能性をまだ残しつつも、シャルルも料理を口にした。ヘレナが作ってくれる料理に対して遜色を感じないほど美味なものもなかにはあった。

 すっかりお腹が満たされた一行は緊張を緩ませていた。そこに召使が新たな料理を持ってきた。リンゴを甘く煮込んで作った食後の菓子であるという。これを領主の召使が取り分けて、各人の座る前に持って行った。

「これも美味しそう……夢のようですわ!」

 リンゴに目がないソフィア王女はフォークを手に菓子に手を付けた。甘い蜜でとろけた果実をフォークに差して口元へ運ぶ。その様を見守る領主の貴婦人の額にどっと汗が伝って流れ落ちた――その瞬間、シャルルは大きく食卓を叩いた。

「おい、このリンゴ……何かおかしいぞ?」

 ソフィアの唇に触れるか触れないか――そんなところで彼はいきなりこんなことを言い出したのであった。

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