保険勧誘営業もひらめき
営業するところが無い。ただ歩いていると以前勤めていた頃の下請け建設会社の現場に足が向いていた。
(……なんか懐かしいな……)
風子は心の中で少し懐かしく思うと突然閃いた。それは風子の全身に血が回るように突如閃いたのだ。
(ここは……ひょっとして保険の営業にとって宝の山じゃないのかしら……?)
風子の閃きは的外れなものでは無い。あらゆる建設関係の業者は危険な仕事に付いている。まず、保険は掛けるだろう。
労災保険はあるが、それ以上に個人保険が頼りなので、個人的にいくつも保険をかけるはず。
(建築会社関係に営業をかければ……!!)
風子はそう決断すると大胆にも建設会社関係一本にして勧誘周りすることにしたのである。
ここで早速、最初に中竹工務店に就職していたことが役に立った。
まず、関係の人の所に挨拶に行くと、話の中で、大手の建設会社、中竹工務店を辞めて現在は保険の仕事をしている、若い女性である事に興味を持ってくれる。また建設用語がわかるし、現場の話が分かる。
これが保険の勧誘にものすごい効果を発揮する事になるのはすぐにわかった。風子は現場に行くとまず現場責任者や現場監督との人間関係を作る。自由に出入りできるようになるし、そこに携わる関係者を多く知る事になる。
そこで、建設会社だけ回るのだから、資材の調達や融通の付け方も風子は簡単に的確に出来たのでみんなが何でもきいてくるようになった。
「風子さん、塗装屋、どこか良いとこないかな?」
ある建設会社がそのように訪ねられれば
「ああ、知っているわよ!しっかりした所、頼んであげるわ」
即座にそう返答する。そうすると相手の会社の人も
「有難う。じゃあ、お礼に保険会員を増やしてやるよ」
と、まあ、このような感じで人様が勧誘を率先してやってくれていた。
風子の成績は急成長して、お金もどんどん貯まっていくので、すぐにヤスダのおばちゃんに追いついた。
面白いようにたまっていくお金は一旦銀行に預ける。特に大きなお金は通知預金にする。信用が出来る。月末に預金すると銀行は喜んだ。銀行もそっと取引関係会社のノウハウを教えてくれていたから、また保険勧誘の土俵が広がる。
誠に良い時代であったと思う。
その頃の通帳名義はどうでも良かったし、三文判で預金通帳が何冊でも出来た。
風子は夜の接待などで行ったスナックの女性の源氏名を通帳に書いたものだ。通帳だけでも100冊はあった。
まるで、「人のふんどしで相撲を取る」ものである。自分でおかしくなった。
夫の内川は、相変わらず遊んでいた。
風子の計画など知らず、何も言わない風子のご機嫌を取りながら上手に遊んでいるつもりなのである。風子は徹底的に知って知らないふりをした。
内川は妻の風子の帰りが遅いのがかえって都合が良かったのでむしろ円満に日が過ぎていくようであった。内川はいくら遊んでも風子が帰宅する前に帰ればいいのだから。
それほど、風子は仕事だと思うと遅くなっても徹底していた。休みの時など、風子がつかれて寝ていると、夫は朝早く子どもたちを公園など散歩に連れて行ったりした。
男は浮気をしていると優しくなるというがその代表的な事である。風子にとっては幸いなことであった。
(10)風子 最年少最短距離での育成所長になる
風子のひらめきと才知と努力が報われたのは当然の成り行きであった。
育成所長に抜擢されたのは、風子26歳。
日本の最大手の保険勧誘員八万五千人の中で、最年少最短距離で育成所長に上り詰めたのである。このことは実際、全国紙の新聞上にも出たほどの快挙でもあった。
育成所長として、他の会社の講演依頼も多くなった。研修会場を入ると
「へーえ、あの人が育成所長?あんなに小さいのに……まるで、中学生みたい!エッ結婚しているの!?」
「良く、ベラベラ話すわねえ……でも、解りやすいいじゃない?……さすがね!」
「うん、どこでも評判よ!……話が面白くて、眠くならないし、内容が的確なのよ」
「気っ風も良いらしいよ、この間ご馳走になった人から聞いたのよ、羨ましかったわ」
「それにしても、26歳の育成所長なんて考えられないことが、ここの小さい支店で出たので、上の人たちはみなさんご機嫌よ!当り前でしょうけど……」
「でも、先輩おばさん達、悔しいでしょうね」
「そうでもないみたいよ、ヤスダのおばちゃんなんか、自分が育てたのだ!って、誇らしげに言っていたわよ」
「それもそうね!本当に見習わなくっちゃあ……私たちの誇りよね!」
等々、もう、会社は蜂の巣を突いたような騒ぎであった。この頃、風子の年収は何と、1200万円だから、目標としていた安田絹代おばちゃんの給料17万円をはるかに超えることになっていた。
育成所長が8年間続いた。
しかし、身も心もすり減らすような過度な働きが続くと、体のバランスが取れずに、とうとう倒れてしまった。
病名は“バセドー氏病”である。風子は闘病のために入院することになった。流石にそのような状況では仕事を続けることは出来ない。
育成中の社員を他の育成所長に預ける形で円満退社となった。