ダンジョンへ
結局、先生は一緒に風呂に入ってくれなかった……。
「いいかい、くれぐれも油断はしない事。わかったね」
先生がシンヴァライトを抱きながら、俺とエリスに鋭槍さながらの視線を向けてきた。
油断をするつもりなんか毛頭無いので、こくり、と頷く。
朝食を終えややしばらく。
俺とエリスはいよいよ冒険者としてダンジョン探索に挑もうと孤児院の玄関にいた。
先生とシンヴァライトが見送りに立ってくれているが、兄貴はいない。
兄貴は朝食を終えすぐに、子供会の集まりがある、と出て行ってしまったのだ。
とはいえ、見送って欲しかった訳では無い。
今生の別れ、と孤児院を出て行く訳では無いし、今生の別れとなる真似をするつもりも無い。
夕食の席でまた一緒になる。
それまでのお別れ。
普段と何も変わらない。
「先生、兄貴が通っている子供会ってどんな会なのかわかる?」
いつからかの疑問を先生に投げかけてみる。
「あー……、子供会、ねえ。いや、私にはちょっとわからないかな、うん」
いつもは竹を割った様に白黒と質問に答えてくれる先生の歯切れが悪い。
無理やりに聞き出すつもりは無いので、そう、と話題を打ち切る。
先生をして言い澱ませるとは。
子供会への謎がまた一つ深まってしまった。
「さっきも言ったけど、中央ダンジョンに向かうんだよ。孤児院を出て東通りを中心部に向かって歩くんだ。それから、途中に馴染みの武具取扱店があるから、そこで武器を調達しなね。私の名前を出せば粗末な物はよこさないはずだよ」
「わかりましたわ」
先生の念押しにエリスが頷く。
さっきも言ったけど、正しくは、さっきもエリスには言ったけど、である。
エリスに言っておけば大丈夫だね、と先生。
……確かに、たまに頼まれたお使いとかで買い忘れとかやらかす事はあるけど。
そうして、俺とエリスは先生とシンヴァライトに見送られ出発したのだった。
帝国ではダンジョン探索が盛んである。
王国や皇国と比較して、質の良いダンジョンが数多いからだ。
そして、帝国が管理するダンジョンの中でもっとも人気のあるダンジョンが、俺とエリスが向かっている中央ダンジョン、であった。
中央ダンジョンが人気な理由は多々あるが、その中でも最大の理由が、ダンジョンへの入口が街中にある、と言う部分だ。
街中にダンジョンへの入口が存在するダンジョンは、帝国、王国、皇国、と見回しても、中央ダンジョンだけである。
さらに、ダンジョン入口周辺には、冒険者用の宿舎から始まり、食事処、治療院、武具取扱店に娼館、と一通り揃っており、道端の露天まで数えれば枚挙に暇が無い。
ダンジョン入口周辺がこれほどに賑わい整備されているのも中央ダンジョンだけであった。
ダンジョンとしての質も一級であるらしいから、一番人気である事にも頷ける。
「なあ、エリス。エリスはダンジョン探索をした事はあるか? もちろん、今世では無いだろうから、前世での経験でいい」
「無い事はありませんが、軍事訓練の一貫として浅い階層を数度しかありませんわね」
「俺もそうだ、本格的にダンジョンを探索した事は無い」
「皇国と王国は帝国の様にダンジョン探索が盛んな国ではありませんでしたもの、仕方ありませんわ。ですが、どこにあるダンジョンとて特性は変わらないはずですから、それを踏まえた行動を心がければ問題は無いかと思われますわね」
ダンジョンには特性がある。
まず、ダンジョンの中では生理現象に狂いが生じる。
眠くならず、空腹も覚えず、排泄の必要も無いのだ。
ダンジョン内にはダンジョン外と比較出来ない程高濃度の魔力が満ちており、それが人体に何らかの影響を及ぼしているのだろうと言われている。
「それに、先生には探索は九階層までって言われているしな」
そして、ダンジョンでは一〇階層毎にそれまでと比較して強力な魔物――フロアボスが現れる。
冒険者がダンジョンで生命を落とす最大の理由だ。
先生が九階層までしか探索を許可してくれなかったのも、フロアボスとの戦闘をさせない為だろう。
とはいえ、俺たちは専業の冒険者では無い。
九階層までをうろつくだけで孤児院の助けとなる程度のドロップアイテムは十分に手に入ると思われる。
先生よりの申し付けを破るつもりは無い。
……後も怖いし。
しばらく歩くと、先生が馴染みと勧めてくれた武具取扱店が見えてきた。
「……いらっしゃい」
扉を開けて入ると、白髪をこれでもかと生やしどこまでも強面の爺が、カウンターに頬杖をついてうたた寝をしていた。
俺たちは客のはずなのに、眠りを妨げる闖入者、として睨みつけられてしまう。
そんな態度で、いらっしゃい、なんてよくも言える。
ジロリ、と睨めつけてくる爺を無視し、剣の売り場へ。
俺もエリスも武器は剣しか使わない。
前世からの馴染みである。
「おい、ガキども」
店内には俺とエリスと爺しかおらず、俺もエリスも口を開いていないので爺に振り向く。
「そっちは刃物があって危ないから行くんじゃない。親はどうした? まさか、お前たちだけで来た訳じゃあないだろう?」
「いいえ、私たちだけですのよ」
「……なんじゃと?」
爺はエリスの返答に眉をしかめると、ガタン、とわざとらしく音を立てて席を立った。
「まったく、最近の親はガキを平気で放置しおる。それで怪我をしただの何だのあれば文句をつけてくるからたまらんわい。ほら、帰れ帰れ、ここはガキの遊び場じゃあないぞ」
爺は俺とエリスの肩を掴むと押し出す様に出入り口へ。
問答無用で店の外へ放り出すつもりだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 俺とエリスは先生からこの店に行く様に言われて来たんだ!」
「先生? 何の先生だか知らんがガキを二人きりで寄越すなんてろくでもない先生じゃな。肉や野菜は別の店に行けと伝えておけ」
「お使いで来た訳じゃないよ! 俺たちは剣を買いに来たんだ!」
「そうですのよ! 私たちは今日これから冒険者としてダンジョンへ挑むのですわ!」
俺とエリスとで声を上げる。
されるがままでいては後数秒で店の外だ。
「冒険者だと? お前たちの様なガキがか? ……誰じゃ、お前たちをダンジョンへ行かせよう、先生、とは」
爺の眉間に皺が寄る。
どうやら怒り心頭の模様。
「ダンリズザムルドと言う名前に覚えはありまして?」
「ダンリズザムルドじゃと? あの、閃光のダンリズ、の事か?」
エリスが先生の名を告げると、爺の顔色が変わった。
「まさか、お前らはダンリズが面倒を見ているガキどもなのか?」
「そうだよ、先生は俺たちの母さんだ!」
肩を押す爺に振り向き、き、と睨みつける。
爺は呆然と立ち尽くすばかりだった。
「あのダンリズがお前たちの様なガキを送り出すとは……信じられん。お前たち、嘘をついていては酷いぞ? 本当にダンリズが面倒を見ているガキどもなのか?」
「それはあんまりな物言いではありませんの?」
振り向き爺を見やるエリス。
エリスの声音が低い。
義弟である俺をして底冷えしそうな声音であり、八歳の幼女では通常有り得ない程の圧を感じる。
とはいえ、エリスが怒るのは仕方ない。
爺は先生と俺たちとの関係を疑ったのだから。
「う、あ……」
エリスに睨めつけられた爺が、呻きを漏らし膝をブルブルと震えさせ始めた。
俺でさえ背筋が冷たいのだ、爺は極寒の氷河に独り残された心持ちだろう。
まるで、フライングスネークに睨まれたポイズンフロッグである。
「エリス、そこまでだ」
エリスより爺への視線を遮る様に、手を差し込む。
エリスよりの視線が遮らえれ圧より解き放たれた爺は、大きく息を吐くとその場に尻餅をついた。
あと数分そのままでいたなら、爺の心臓は働く事を止めてしまっていたかも知れない。
五月中は一日に二話更新します。
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