八歳の二人 2
魔法とは、魔力を料材に様々な奇跡を顕す現象です。
そして、二種に分類されます。
一つは、攻撃魔法。
魔力を料材に炎や氷などの要素をともなって奇跡を顕す魔法です。
槍と顕すのであれば、炎の槍としてであったり、氷の槍としてであったり。
礫と顕すのであれば、炎の礫としてであったり、氷の礫としてであったり。
便宜上、攻撃魔法、とされてはいますが、必ずしも他者を傷つける為だけに用いられる魔法ではありません。
炎を用いれば暖を取れますし、氷を用いれば冷却せしめる事が出来ます。
ちなみに、勇者は攻撃魔法が苦手でした。
今世でもオルフェは苦手としています。
もう一つは、補助魔法。
魔力を料材に自らの身体能力を強化向上させよう魔法です。
身体強化魔法との呼び名が一般的です。
身体強化魔法は魔力の消費量と身体強化の度合いとが必ずしも比例はしません。
魔力を一〇〇消費し身体能力を一〇〇強化する事が出来るか、二〇しか強化する事が出来ないか、二〇〇も強化する事が出来るか、それは術者の練度次第です。
当然、魔力の消費は少なく魔法の効果は大きく、が理想です。
ですが、やみくもに身体能力を強化する事を良しとは言えません。
強化された身体能力に比較し、技量が足りず、自滅と陥る例とて少なくは無いのです。
身体強化魔法を用いるには、自らの程度を見極めわきまえる事が必要とされるのです。
戦いの基本は後者――補助魔法に分類される身体強化魔法となります。
魔法はどちらかしか運用出来ません。
身体強化魔法を用いながら攻撃魔法を用いる真似は出来ないのです。
おのずと攻撃魔法の用途は限られてしまいます。
前世で勇者と戦った際も同様でした。
私も勇者も、身体強化魔法のみを用いて戦っていたのです。
もし、攻撃魔法を用いようと身体強化魔法を解除していたなら、私はその瞬間に首をはねられていた事でしょう。
「行くよ、先生!」
身体強化魔法によってオルフェの身体能力は飛躍的に向上しています。
その一足は突風がごとく。
瞬きの合間にオルフェは先生の懐にまで入り込みました。
同時に木剣が横に薙がれます。
そのままに直撃しては先生のあばら骨は何本かが砕けてしまうでしょう。
オルフェの事ですから、寸止めを失敗する事は無いとは思いますが。
しかし、そんな心配は杞憂でした。
寸止めの失敗についてではありません。
直撃についてです。
先生は後方に飛び退いて、オルフェの横薙ぎを躱したのです。
正直、目を見張りました。
オルフェの残像すら残そう速度の踏み込みを想定出来ていたとは思えません。
八歳児が風のごとき身のこなしを実現しようなど、オルフェと共に研鑽を積んだ私以外の誰が想定出来ましょう。
しかし、先生はオルフェの剣を躱しました。
想定出来ていなかったはずですから、咄嗟に反応したのでしょう。
それは先生も突風さながらの速度を実現した事に他なりません。
閃光、の二つ名は伊達では無い様です。
しかし――。
「先生、後ろがつかえているよ!」
――先生が飛び退いた先は壁です。
追うオルフェ。
先生に逃げ場はありません。
ですが、先生の表情に焦りは微塵も見られません。
勝手知ったる孤児院の庭ですから、後ろが壁となる事は承知だったのでしょう。
先生は飛び退いた勢いそのままに壁に足を着きました。
そのまま膝を曲げ、コンマ数秒もじっくり力を溜めてから、壁を蹴りつつ膝を伸ばしました。
反発力を糧に爆発した推進力は、小柄な先生の身を中空へ舞い踊らせるには十分です。
オルフェの目には先生が消えたかの様に映った事でしょう。
そうして、先生はオルフェの頭上を反転しながら飛び越えると、オルフェの背後へ着地したのです。
一瞬にして形勢が逆転してしまいました。
今度はオルフェが壁を目前に逃げ場を失ったのです。
「さあ、どうするんだい! オルフェ!」
先生は着地の勢いを利用して身をかがめると、壁を蹴った要領で地を蹴り、反発力を推進力に変換しながらオルフェとの距離を詰めにかかりました。
神速の反射神経、軽やかな身のこなし、力の流れの無駄無い利用、どれを取っても先生は一級です。
特に、力の流れの無駄無い利用、は身体で劣る私とオルフェには必須と言える技術であり、傍で眺めているだけでも勉強になります。
侮っていたつもりはありませんが、先生の力量は私の想像以上です。
おそらく、オルフェにとっても。
先生の踏み込みは初撃のぞんざいなそれとは違い、残像すら残りそうな霞の一足です。
先生の剣閃は初撃の工夫の無い振り下ろしとは違い、木剣で柳さえ切り裂こう一閃です。
いつの間にか、先生の身体がにわかに黄金色と滲んでいました。
身体が黄金に滲むは身体強化魔法を用いている証。
先生はオルフェへ能力の顕してくれているのです。
未だ背を向けているオルフェへ、先生の木剣が迫ります。
カキン、と木剣同士がぶつかりあった特有の乾音が虚空に響きました。
木剣が一振り中空に舞います。
舞ったのは、先生が手にしていた木剣でした。
ドスン、とその場に尻餅を着く先生。
舞い上がった木剣は、先生の元へ戻る様に手元へ落ちます。
「……な、何が――」
先生は木剣を拾おうとはせず、亡霊でも見たかの様に目を白黒とさせていました。
無理もありません。
圧倒的有利な立場より決着をつけよう一撃を見舞ったにも関わらず、次の瞬間には武器を弾き飛ばされてしまったのですから。
オルフェにとって背後は死角でも弱点でもありません。
もちろん、背中に目がついている訳ではありません。
オルフェには得意とする戦型があり、鑑みれば前も後も無いのは当然と言えましょう。
ともあれ、迂闊に手を出せば手痛い目に遭ってしまうのです。
否が応でも前世での一幕を思い出してしまいます。
私もしてやられた経験が何度となくありました。
「どう? 俺もなかなかやる様になったでしょ?」
オルフェは先生の問いには答えず、ドヤ、と胸を張っています。
先生が求めた、稽古の成果、としては十分と思えますから、オルフェが気を良くするのもわかります。
先生は尻餅のままに背中も地に預け、仰向けと天を仰いでしまいました。
そして、顔を両手で覆ってしまいます。
「……まったく、こんなに早く自分の子供に負かされるなんて、思っても見なかったよ」
「先生、今、自分の子供、と……?」
思わず目を見張ってしまいます。
オルフェも同様でした。
それもそのはず、先生は今までに一度たりとも私やオルフェ、兄様さえも、自分の子供、と口にした事は無いのですから。
先生、とか、保護者、とか。
先生がどんな表情をしながらそう口にしてくれたのか、先生の顔は両の手で覆われてしまっている為わかりません。
しかし、スンスン、と鼻水をすする音が聞こえて来ました。
「私は自分の腹を痛めてあんたたちを産み落とした訳じゃない。ゴドルだってそうだし、シンヴァライトだってそうさ。あんたたちを保護する前に独り立ちして行った連中だってそう。だけど、その誰にも一度として、他人の子供だから、と愛情を惜しんだ事は無いよ。お母さん、なんて呼ばれはにかんでいる夢だって何度と見た物さ。自分は単なる保護者、なんて一線引いた物言いをしておきながらね」
「先生、私は……私たちは先生の子供で、先生は私たちの母様です。私たちには血の繋がりよりもっと大事な繋がりがある、私はそう信じていますわ」
ぐずつく先生の傍で膝を折り、先生の肩に手を置かせて頂きます。
先生の肩はにわかに震えておりました。
「まったく、立派な事を言ってくれちゃって――と!」
先生は目をゴシゴシと擦ると、勢いをつけて立ち上がりました。
目元は赤く、鼻頭も赤っぽくありますが、どうやら先生の中で一区切りがついた模様です。
「私はあんたたちの前世がどこの誰だったかなんて詮索するつもりは無いよ。二人は今年で八歳になった息子のオルフェルヴルと娘のエリスコットさ。……だから、二人には今後も私の子供たちでいて欲しい。転生者だからって一線引く様な真似をしないで欲しいんだ。……心が離れてしまうのは寂しいから、さ」
私とオルフェに転生者であると告白され、先生は恐れていたのでしょう。
私とオルフェが先生より距離を取ってしまう事を。
だから、先生は自らを母親とする覚悟を決め、私たちに子供でいて欲しいと願ったのでしょう。
ですが、そんな事を願う必要はありません。
「当たり前だよ! 俺は母さんの息子である事を辞めるつもりなんか無い! そんなつもりで転生者である事を明かした訳じゃないよ!」
オルフェが口にした通りです。
願われるまでも無いのです。
私たちは先生の子供たちである事を辞める為に、孤児院より離れる為に、転生者であると告白した訳では無いのですから。
冒険者としてダンジョン探索に赴くに際し、先生が少しでも心落ち着かせ私達を見送ってもらえる要素となればと思い告白したのですから。
「ちょ、ちょっと待っておくれ! そ、その、母さん、てのは止めてくれないかね」
「では、母様、とお呼びいたしますわ」
「そうじゃなくて! 母さんだの母様だの今更恥ずかしいよ! ……そ、そう思ってくれるのはこの上なく嬉しいけど、私の事は今まで通り、先生、で頼むよ。落ち着かなくて何も手に付かない未来が見えちゃってるからさ」
先生は後頭部をガシガシとかきむしりながら頬を朱に染め、目を逸らしてしまいました。
照れくさそうにはにかんでいらっしゃいます。
「冒険者としてダンジョン探索に出る事は許可するよ。稽古の成果を見せろ、なんて表に連れ出したのは私だからね。この期に及んで反対はしないさ。だけど、無理だけはしないで欲しい。危ないと思ったら、他の誰を犠牲にしてでも戻って欲しい」
他の誰を犠牲にしてでも、とは中々に過激な物言いですが、いつか先生が大怪我をして帰って来た時には同様の事を私も思いました。
どうして先生が大怪我をしなければいけないのか。
他の誰かがそうなれば良かったのに。
おそらく、オルフェも同様の事を思ったでしょう。
当時のオルフェの苦々しい表情を思い出せば、間違いは無いと思われます。
「それと、あんたたちの家はここだからね。冒険者としてダンジョン探索に出る事は許可したけど、孤児院を出る事を許可した訳じゃないよ。毎日、晩御飯の時間までには帰ってくる事、朝御飯を食べてから出発する事、わかったね」
言われるまでもありません。
精神的にも、物理的にも、先生と距離を取るつもりなんて毛ほども無いのですから。
そうして、私とオルフェは、冒険者としてダンジョン探索に出る許可を先生から得る事に成功したのでした。
無事に先生と話をつける事に成功した俺とエリス。
先生をともなって孤児院の中へ戻ろうと歩みだしたのだが――。
「……オルフェ、ちょっといいかい?」
――先生に背後より声をかけられ、振り返る。
刹那、氷の女王も裸足で逃げ出そう気配が肌を刺した。
気配を醸し出しているのは先生。
先の立会時とは比較にならない程に苛烈で、背筋が冷えてしまう。
「詮索するつもりは無い、なんて言って舌の根も乾かない内で悪いんだけどさ。あんた、前世では何歳だったんだい?」
「えーと……、一七歳だったかな」
「違いますわ。オルフェは私と同じ歳でありましたから、一八歳でしたでしょうに」
やれやれ、とエリスが呆れた様に補足してくれる。
「それがどうかしたの?」
尋ねると、先生はみるみると顔を赤く染めてしまう。
まるで茹でたタコだ。
「オルフェ、あんたは今日から一人で風呂に入りな!」
「は……はあああああああああ?」
いつかその日が来るだろう事は理解していた。
俺が男である限り避けては通れない道だ。
しかし、その日が今日となるとは想像だにしていなかった。
そして、一人きりの入浴を想像すると、ありえない位の絶望が胸を苛んだ。
「何を驚いているのさ! 一八歳の息子と一緒に風呂に入る親なんかロクにいないよ!」
「そ、それは前世での話であって、今の俺はまだ八歳で……!」
ヤバイ、泣きそうだ。
先生とエリスと、三人での入浴は安らぎの一時であるのに。
その機会を剥奪されてしまうなんて!
「……オルフェ、転生者と告白してなお単なる幼子として振る舞うつもりですの?」
気がつくと、エリスが死んだ魚の様な目で俺を見ていた。
前世から数えてもそんな冷たい視線を刺されたのは初めてである。
先生も口元を引きつらせている。
二人で盛大に引いている。
もしかして、エリスも先生もとんでもない思い違いをしているんじゃなかろうか。
「行きましょう、先生。こんな変態、放っておけばいいのですわ」
「そうだね。行こうか、エリス」
そうして、エリスと先生が俺を置き去りに歩みを始めた。
変態と俺を罵るエリスと頷く先生。
やはりそうだ。
エリスも先生も、俺が先生と一緒に風呂に入りたがる理由が邪な物であると思ってしまっている。
エロガキだと思われているのだ。
「ちょ、ちょっと待って! 二人とも何か思い違いをしているって!」
そのまま行かせては俺の名誉に関わるし、一人風呂を成立させられてしまう。
しかし、二人は歩みを止めない。
止めてくれない。
「俺は先生の子供として一緒に風呂に入りたいだけなんだ! 先生に頭を洗ってもらったり、抱かれて湯船に浸かったり、そういう落ち着く時間はこの上ない一時なんだよ! だから、ちょっと待ってってば! お願いだから、話を聞いて!」
なんだろう、思い違いを正そうと声を上げれば上げる程に溝が深くなって行く様な気がする。
そうして、二人は角を曲がり見えなくなってしまった。
……転生者と告白したのは失敗だったのかも知れない。
「これで良かったんですの?」
「ああ、湿っぽいのは私には似合わないだろう? 茶番に付き合ってくれてありがとうね、エリス」
そう言って、先生は柔らかに微笑んでくれました。
確かに、涙より笑顔が似合います、先生には。
五月中は一日に二話更新します。
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