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四歳の二人 2

 魔王はやや目を伏せ少しだけ頬を紅くしながら口を開いた。


「初めて勇者様の、何にもひるまず中空を暴れ舞う鋭く容赦のない剣閃、を目にした時は衝撃的でしたわ。世にこれほど犀利に剣を振るう方がいらしたのかと。初めて勇者様の、猛々しく清々しい笑み、を目にした時は背筋が凍りつきましたわ。……そして、気が付けば、私は勇者様に心を奪われていましたわ」


 思わず息を呑む。


 似ている。

 いや、同じだ。

 俺が魔王へ抱いていた想いと。


 嫌われていると思っていた。

 蔑まれていると思っていた。

 俺は敵だったのだから。


 憎まれていると思っていた。

 魔王の心臓を剣で穿ったのは俺なのだから。


 その上で。

 魔王は義姉を務めているのだと思っていた。

 今世での義姉と言う立場を受け入れて、仕方なく。

 そんな難しい事を。


「だから、最後の瞬間、勇者様に殺されるのであれば受け入れてしかり、とすら思ってしまいましたわ。もちろん、本気で戦いましたわよ? 勇者様に勝利するつもりで、勇者様を殺すつもりで戦いましたわ。だって、勇者様が見知らぬ誰かに敗北させられる位なら、私が敗北を差し上げたく思いましたし、勇者様が見知らぬ誰かに殺される位なら、私の手で殺して差し上げようと思っていましたもの。……そうした中途半端な気持ちが相討ちと言う結果を導いてしまったのかも知れませんわね。決戦に泥を塗ってしまい、申し訳ありませんでした」


 傍らに正座したまま、ぺこり、と頭を下げる魔王。


 告白されたとて、俺が魔王を責める事は出来ない。

 そうした想いを抱き決戦を汚していたのは、魔王だけでは無かったからだ。


「私は転生を果たし、義理とは言え勇者様の姉となれた事をとても嬉しく思っていますのよ。心奪われし者がこんなに近くにいて嬉しく無いはずがありません」


 俺だって……。

 俺だって、魔王が俺の義姉として転生を果たしている事が知れた時は嬉しかった。

 ああ、そうさ、嬉しかったさ。

 心奪われた相手が傍にいて嫌だと思うはずが無い。


 しかし、嬉しい反面、どう接するべきなのかわからなかった。

 嫌われている、とか、蔑まれている、とか、憎まれている、とか。

 魔王からはそうした感情を向けられていると思っていたし。

 殺し合いの相手、と言う遠すぎる関係から、義理の姉弟、と言う近すぎる関係になり、互いの関係が一足飛びに縮まってしまった事も理由の一つだ。

 

 さらに、弟が姉に対する、普通、もわからなかった。

 兄弟姉妹でもいればまた違ったのだろうが、あいにく、前世では一人っ子だった。

 兄弟姉妹の、普通、とは、生まれ出会った時点を〇と始め、家族として共に過ごす内に自然と構築される物だろう。

 だが、俺と魔王――俺と義姉は違う。

 前世での知識や経験がある上に、互いに知己であった。

 それを、〇と始め、と始める事は出来ないだろう。

 むしろ、敵同士だった分、殺し殺された分、マイナスからの始まりと言えるかも知れない。

 

 そうした状況下。

 

 自らの仇が義弟では気持ち悪いんじゃないか。

 義姉さん、などと呼ばれては気持ち悪いんじゃないか。

 

 そう思ってしまった。

 

 前世と比較した立場の差異に戸惑い、義弟として取るべき適切な態度もわからない。

 そんな俺に出来た事は、義姉である魔王と距離を取る事だった。


 ……俺は魔王に嫌われたくなかったのだ。

 嫌われる位なら、と距離を取ったのだ。


 前世での関係を飲み込みながら、魔王を単なる義姉として付き合う事は俺には難しすぎる。

 そう、臆病な心に言い訳をしながら。 


「私はいつからか思っていましたわ。勇者様はどんな食べ物が好みなのでしょう、どんな趣味をお持ちなのでしょう、何時に起きて何時に寝るのでしょう、と他にも色々と。私が刻んだ傷の具合はどうか気になって眠れなかった夜もありましたわ」


 前世へ遡る様に虚空へと視線を這わせる魔王。

 頬の紅が深まって行く。


「だから、私は今毎日が楽しく仕方ありませんのよ。なすびが嫌いな事、砂や土で何かを作る事が好きな事、朝寝坊の常習である事、他にも色々と。想像するしか無かった勇者様のあれこれを、オルフェの義姉と転生を果たしたおかげで知る事が出来るのですもの」


 俺と魔王、互いが互いを想う気持ちは近しい物だった。

 それなら、抱いていた不安も近しい物であったはずだ。

 俺が義弟として義姉への接し方がわからないと不安に思っていた様に、魔王も義姉として義弟への接し方がわからないとの不安はあったはずだ。

 魔王だって一人っ子だったはずなのだから。


 しかし、魔王は距離を詰める選択をした。

 俺は距離を取る選択をしたのに。


 気持ち悪がられるとか、嫌われるとか、思わなかったのだろうか。

 いや、俺でさえその可能性を危惧し恐れたのだ。

 魔王がそう出来ないはずは無い。

 魔王はその上で俺との距離を詰めにかかったのだ。

 俺は恐れて逃げたと言うのに。


「私は大好きな勇者様の――オルフェのそばにいる事が出来て幸せですよ」


 魔王が陽光さながらににっこりと微笑む。

 転生を果たしてからずっと俺へ向けられていた笑顔だ。

 俺はずっとこの笑顔に背を向けていたのだ。


 義弟とか義姉とかわからないなら無視してしまえば良かったのだ。

 嬉しいなら嬉しいと、楽しいなら楽しいと、声を上げ態度に示せば良かったのだ。

 気持ち悪がられたくない、とか、嫌われたくない、とか、小賢しい事を考えないで。

 

 そもそもとして自らを殺した相手が目の前にいたら憎々しく思うのは当然だろう。


 俺は馬鹿だった。


 ……さて。

 魔王にここまで言わせたままで良いのか。

 魔王に、大好き、とまで言わせてそのままで良いのか。


 いや、良くない。


 俺も魔王に伝えなければならない。

 俺も魔王と同じ想いであったのだと。

 俺も魔王と同じ想いであるのだと。


 そして、詫びなければならない。


 今まで悪かった、と。


「ふふ、四歳の幼子が語る内容ではありませんでしたわね。あ、今、口にした内容はオルフェには内緒にしておいて下さいましね? 私が前世ではそんな目で勇者様を見ていた事、今世ではそんな目でオルフェを見ている事、それらが知れては恥ずかしいですわ」


 魔王が、いやいや、と身をよじる。

 心底恥ずかしそうであり、骨格や関節の存在を疑ってしまいそうだ。


 しかし、魔王は今、妙な事を言った。

 オルフェには内緒にしろ、だと……?


「なあ、魔王。俺が誰だかわかるか?」


「あなたは私の大好きな義弟であるオルフェじゃありませんか、どうしたのです?」


「そ、そうか。……じゃあ、今の話は誰に内緒にしておけばいいんだったか?」


「私の大好きな義弟であるオルフェには内緒にしておいて下さいな、お願いしますわね」


 魔王は、俺――オルフェルヴルに語った内容を、オルフェルヴル――俺には内緒にしておけ、と言う。

 ……意味がわからない。

 それに、大好きな義弟、と真正面から言われてはどんな顔をしていいのかもわからない。


 どうした物かと、恥じらう魔王を見つめるばかりであったがふと気が付く。

 魔王の頬がいくら何でも赤過ぎると言う事に。

 照れ臭さから一段と朱に染まった……にしても異常である。


 もしや――。


「おかしいですわね、オルフェが三人もいらっしゃいますわ。どうしましょう、嬉しい悲鳴を上げるべきで……しょう、か」


「――魔王!」


 魔王はふらふらとよろけると、そのまま床に倒れてしまった。

 呼吸は苦しそうに浅く、呼びかけても反応が無い。


 間違い無い、俺の風邪が移ってしまったのだ。

 無理も無いと言える。

 ずっと傍に控え、俺の様子を見守り続けてくれていたのだろうから。


 たまたま水差しの水は取り替えられたばかりであった、とか。

 たまたま魔王はこの部屋に訪れたのだ、とか。


 今更目を背けたりはしない。

 魔王は風邪を引き苦しむ俺を看病してくれていたのだ。

 いつ目を覚まして水を欲しても良い様に、水差しの水を取り替えながら。


 魔王が倒れたのは俺のせいだ。

 魔王は俺の面倒を見てくれていた。

 なら、今度は俺が魔王の面倒を――。


 ――しかし、病に侵された身体はなかなか言う事を聞いてはくれない。

 転生者として前世の知識や経験があるとは言え、体は四歳児のそれだ。

 身体を起こそうとて、力が入らず震えるばかりである。

 どうやら、俺自身も目を覚ました当初より具合が悪化している模様。


 だからと言って、魔王を固い床に倒れたままにしておいて良い訳が無い。


 こんな時は気合だ。

 無理や無茶を通すのはいつだって気合だ。


 歯を食いしばり身体を起こそうと――そんな俺の耳朶を、部屋の外で階段を上がる足音が打った。

 足音はそのまま俺の部屋の前まで来ると――。


「具合はどうだ、オルフェ――て、エ、エリス! まさか、お前まで風邪を引いちまったのか! まったく、近くには寄るなって言っておいたのに……。これじゃあ、オルフェを離れた寝室に寝かせている意味が無いじゃないかよ」


 ――扉を開けたのは、ゴドルーディックだった。

 嘆息しながら魔王の首筋に手を当てる兄貴。


「……熱いな」


「兄貴、エリスコットはずっと俺を看病してくれていたんだ。エリスコットが倒れたのは俺のせいだから、エリスコットを責めないでやって欲しい。頼むよ」


 魔王の具合を測る兄貴へ、呼吸を浅くしまぶたを重くしながら訴える。

 具合の悪化にともなったか、眠気が波の様に押し寄せて来た。


「大丈夫、心配するな。弟想いの姉を叱る訳が無いだろう。今、布団を持って来てやる。隣に敷いてやるから、弟姉で並んで休めばいいさ」


「ありがとう、兄貴……」


「隣なんて嫌だ、何て言われるかと思ったが。……怪我の功名ならず風邪の功名ってか?」


 雨降って地固まる、ならず、風邪引いて仲良くなる、の方が洒落てるかな、何て呟きながら、兄貴は部屋を出て行った。


 兄貴の言う通り、昨日までの俺だったなら、並んで休む、何て絶対に受け入れなかっただろう。

 しかし、もう俺は戸惑わないし迷わない。

 前世と比較した立場の差異、とか、義弟として取るべき適切な態度、とかそんな物は糞くらえだ。

 俺は俺として魔王と――義姉と共に過ごせばいいのだから。






「……そうでしたかしら? 申し訳ありません、あの時はいつからか意識が朦朧としていまして、気が付いたら布団に横たえられていたのです」


 後日、庭でゲジゲジ虫を追いかけていたら魔王にばったり遭遇した。

 勢い、魔王に看病の礼を述べるも、首を傾げられてしまう。

 水を手渡した辺りまでは覚えている、との事。


 つまり、自らの想いをさらけ出した辺りは覚えていないと言う事になる。


 ならば、俺は聞かなかった事にしておこうと思う。


 あなた、私の事を大好きとおっしゃられましたのよ、覚えておられませんの?


 立場を逆に俺がそんな事を言われたら、恥ずかしすぎて死ねる。


「覚えていないならいいんだ、とにかくは助かった。……ありがとな」


「え、ええ、どういたし……まして?」


 きょとんと目を丸くする魔王。

 俺が礼を述べた事に驚いているのだろう。

 魔王に礼を述べるなど、敵同士であった前世は当然として、今世でも初めてなのだから。

 

 いつの間にかゲジゲジ虫はどこかに行ってしまっていた。

 ゲジゲジ虫の追跡を諦め、砂場へ。

 今日は何を作ろうかな、なんて考えながら足を止める。


「一緒に行くか?」


「……はい?」


 ちら、と魔王を振り向きながら尋ねると、魔王は竜が対竜魔法を喰らったかの様な顔を見せた。


「行かないならいいんだ、無理に誘うつもりなんて――」


「い、行きます! 行きますわ! 一緒に連れて行って下さいませ!」


 何となく気恥ずかしくなってしまい返事を打ち切ろうとすると、魔王は前のめりに同行を示した。


「じゃあ、用意して来いよ。……エリス」


「……い、今何て?」


「用意して来いって言ったんだよ」


「その後ですわ!」


「……エリス、て言ったんだ。何だよ、悪いかよ、エリスじゃなくて義姉さんの方が良かったかよ。それとも、今まで通り魔王って呼んだ方が――」


「オルフェが私をエリスと呼んで下さるだなんて……! ああ、これは夢ではありませんでしょうか」

 

 エリスは俺の言葉を袖に自らの頬をつねり、痛い、と目尻を潤ませている。

 

 空は高く、雲一つと無い青空がどこまでも広がっていた。

 それは、靄が失せた俺の心の様で、今日も暑くなりそうな夏空であった。


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