四歳の二人
孤児院で過ごし始めて四年が経った。
おかげ様で何不自由無く育ててもらっている俺は、今日も今日とて健やかであり、今日も今日とて砂場で城を作っている。
「ねえ、オルフェ」
「何だ、魔王」
桃色がかった髪をした夜月の様に愛らしい顔立ちをした幼女――俺の義姉である魔王が声をかけて来た。
顔を向けないままに返事をする。
砂をいじくる手も止めない。
「魔王じゃなくてエリスコットですわ。エリスって呼んで下さいません?」
「そんな呼び方できるかよ、お前は魔王だろう」
「それは転生する前、前世での事ではありませんか。今の私はあなたの義姉、エリスコットですわ」
「何でお前はそう簡単に――。……いや、何でもない」
「お隣よろしくて?」
隣に腰を下ろす魔王。
ちらり見ると、手に小さなバケツと先が丸いスコップを持っている。
砂場は孤児院に住まうみなの物だ。
先に誰が利用していようとそのままに占有が許されたりはしない。
だから、来るな、とか、あっち行け、とかは言えない。
「ふふ、大きなお城にしましょうね」
「……俺は中に戻る」
「え、ちょ、ちょっと待って下さいな、一緒にお城を作りませんの?」
魔王と入れ替わる様に腰を上げる。
慌てた様に俺の顔を見上げる魔王。
幼子ながら前世の面影が見て取れる。
夜桜さながらに、妖しく、美しい。
孤児院で過ごし始めて四年、つまり、魔王が義姉となって四年。
魔王の振る舞いはいつでも俺の義姉だった。
前世の知識や経験があるのに。
前世で俺を殺し、俺に殺された経験があると言うのに、だ。
俺だってそうだ。
前世で魔王を殺し、魔王に殺された経験がある。
俺と魔王は殺し殺された関係なのだ。
転生を果たしたとて、そんな関係の二人が義理とは言え姉弟を成立させる事が出来ると思っているのだろうか、魔王は。
俺には――。
「何だ何だ、まーた喧嘩しているのか? まったく、お前たちは……」
「兄貴」
「兄様」
砂場を後にしようとした俺の前に、一回り程背の高い男児が立ちはだかった。
俺と魔王より三歳年上のゴドルーディックだ。
血の繋がりは無くとも、俺は、兄貴、と、魔王は、兄様、とそれぞれ呼んでいる。
「だって、魔お――エリスコットがウザいんだ」
さすがに兄貴や先生の前で魔王を魔王とは呼べない。
さりとて、エリス、とは呼んでやらない。
「エリスはオルフェと遊びたいんだろう? 家族なんだから仲良くしようぜ」
「……嫌だよ、馴れ馴れしい」
「俺はうらやましいけどな、お前たちは同じ年でさ」
兄貴も俺と魔王同様、先生に保護された一人だ。
兄貴が保護された当時、孤児院には兄貴の他に三人の子供がいたらしい。
しかし、その三人は兄貴とは一〇も歳が離れていて、何かと世話を焼いてもらえても同じ目線で遊ぶ事は叶わなかったらしい。
そうした、暖かくも寂しい幼年期を過ごした経験のある兄貴だからして、俺と魔王が保護されたときはたいそう喜んだそうだ。
歩ける様になった俺と魔王の手を引いて砂場に連れて行ってくれたのは兄貴だし、先生が忙しい時に絵本を読んでおんぶしてくれたのは兄貴だし、雨の夜に悪い夢を見ない様にと一緒に寝てくれたのも兄貴だ。
そうして、今に至る。
俺の頼れる兄として。
おそらく、魔王にとっても同様だろう。
ちなみに、兄貴の世話を焼いてくれた三人はすでに孤児院を巣立っている。
俺と魔王が保護されて間もなくであったらしい。
加え、俺と魔王の後に保護された子供はいない。
現在、この孤児院で暮らしている子供は、俺と魔王と兄貴だけである。
「兄様、良いのです。オルフェが嫌だと言う事を無理強いするつもりはありませんわ」
魔王が眉をハの字に傾けながら笑みをこぼした。
欠けた月の様に寂しげに。
俺はそのまま砂場より立ち去った。
兄貴が俺を引き止める声が聞こえたが、聞こえないふりをしてしまった。
義理とは言え姉弟を成立させる事、俺には……難しい。
初めて目にした瞬間に心を奪われてしまった事は、転生を果たした今でも覚えている。
優雅に、瀟洒に、剣閃を瞬かせる姿を美しいと思った。
魂を鷲掴みにされそうな妖艶たゆたう微笑みを恐ろしいと思った。
負けたく無いと思いつつも、負けても良いと思ってしまった。
殺された時だって、まあいい、とさえ思ってしまった。
だけど、魔王が俺以外の誰かに敗北し殺されるのは嫌だった。
誰かに負けさせられる位なら、俺が負かしてやろうと思った。
誰かに殺させる位なら、俺が殺してやろうと思った。
それが相討ちなんて中途半端な結果になってしまった原因なのかも知れない。
「……う」
喉が渇いて目が覚める。
体調が悪いせいか、うなされる様に前世での何やらを思い出していた模様。
今、俺は布団の中に横たわっていた。
風邪を引き熱を出してしまい、寝込んでいるのである。
寒気を訴える俺に、兄貴は自分の布団を一枚貸してくれた。
魔王も自らの布団を一枚差し出して来たが、お断りした。
寒くなったらすぐに言って下さい、なんて唇を尖らせていたっけか。
「……水」
喉が渇くに任せたまま、誰にともなく呟く。
冷たい水が飲みたい。
しかし、冷たい水を飲むには水瓶まで行かなくてはならない。
ここは二階の寝室であり、水瓶のある台所は一階だ。
丁度この部屋の真下に当たる。
床板を外し出入り出来るのならば最短であるが、そう出来るはずが無く。
今日は先生も兄貴も外出しているはずで、冷水を持って来てもらう事も叶わない。
用事を取り止めると先生も兄貴も言ってくれたが、たかが風邪で足踏みさせるのも申し訳なく、無理やりに送り出したのだ。
ましてや、兄貴はともかく、先生は孤児院の運営について教会よりのお呼び出しだ。
すっぽかすのはもちろん、面会の延期もはばかられよう。
つまり、冷たい水を飲みたければ自分で――。
そう、身体を起こしたのだが、視界の外から、す、とコップが差し出された。
コップを持つは、小さく白い手。
見ると、傍らに義姉の魔王が正座していた。
「喉が渇きましたのね? はい、どうぞ」
受け取ろうか迷ったが、受け取る事とした。
水瓶までは階段を下りながら数メートル。
風邪を引いてだるく節々の痛む身体で向かうには億劫であるし、コップを満たす水に罪は無い。
……普段は魔王を無視に近い位ぞんざいに扱っていると言うのに、我ながら都合がいい。
無言で受け取ると、ひんやり手のひらが気持ち良い。
そのままからからに渇いた喉にぶちまける様にコップを傾ける。
期待通りの冷水が火照った身体を冷まさんと喉を滑り落ちて行った。
ふう、生き返る。
冷水のおかげで気分が少しすっきりとし、ふと思いつく。
この冷水は……何だ?
枕元には水差しが用意されている。
これは俺が寝込む段で先生が水を満たして置いてくれた物だ。
しかし、水差しには水瓶に貼り付けてある様な冷却符は貼り付けられてはいない。
貼り付けた物体を冷やす性質を備える冷却符はそれなりの値段であり、水差しごときを冷やす為に用いるは贅沢が過ぎる。
よって、冷却手段を持たない水差しの水は、時間とともにぬるくなってしまうのが普通である。
ましてや、今は盛夏。
おおよそ一〇分も経てば水差しの水は冷水とは言えなくなってしまう。
どの程度眠っていたのか定かでは無いが、一〇分しか眠っていなかったと言う事は無いはずだ。
熱に浮かされ寝込んでいたとは言え、それ位はさすがにわかる。
すなわち、先生が用意してくれた水差しの水はすっかりぬるくなってしまっていたはずなのだ。
だからこそ、冷水を飲みたかった俺は水瓶まで足を運ぼうと身体を起こしたのだから。
しかし、魔王から受け取った水は冷たかった。
それは水瓶の水と遜色無く思えた。
まさか、水瓶を枕元に運び込む様な大袈裟な真似はされていないだろう。
なので、コップへ注がれた水差しの水が冷たかったのだと言える。
たまたま水差しの中身を水瓶の水と入れ替えたばかりだったのだろうか。
そのタイミングで俺が目を覚ましたと言う事だろうか。
……そのはずだ。
さもなくば、水差しの水が常に冷たくある様に中身を入れ替え続けていたという事になってしまう。
水差しの中身を入れ替える為に一〇分定期に階段を下り水瓶へ足を運ぶ、なんて億劫に過ぎる。
しかも、いつ目を覚まし水を飲みたがるかわからない者の為に。
そう、いつ目を覚ますか、わからないのだ。
目を覚ました時に世話を焼くには、常に傍に控えていなければならないのだ。
つまり、目を覚ましたタイミングで冷たい水を差し出す為には、常に傍に控え様子を伺いながら、一〇分おきに階段を上り下りし水差しの中身を入れ替えなければいけないのだ。
そんな面倒を、魔王が俺の為に。
そんなはずあるか。
水差しの水はたまたま入れ替えたばかりであった。
魔王はたまたまこの部屋に訪れたのであった。
それらタイミングが合致し、目を覚まし水を求める俺へ魔王が冷たい水を差し出したのだろう。
先生も兄貴も不在で、水差しの水を入れ替える事が出来る人物は限られているけれども。
俺が寝込む寝室は二階の一番奥であり、孤児院の何処に行くにも通りかかるはず無い場所ではあるけれども。
「……笑えるだろう」
「何がですの?」
冷水により人心地着いた俺は、再び布団に包まり、魔王から顔を背ける様に寝返りを打った。
魔王がどんな表情で、何が、と口にしたのかはわからない。
「転生者だって言うのに、風邪を引いて熱まで出したんだぜ? 滑稽だろう?」
「暑いからとお腹を出して寝ているからですよ。転生者と言えど身体は子供、風邪の一つも引いて当然ですわ」
「そうじゃない! 俺は前世でお前と戦い、お前を殺し、お前に殺された! 生死のやり取りをした相手が目の前で寝込んでいるんだ、あまりにも間抜けだと思わないか!」
「思いませんわ。今のあなたは王軍の勇者ではありませんし、私も皇軍の魔王ではありませんもの。それに、前世での事ですが、私だって風邪を引いて熱を出した事はありますので、今オルフェがどれほど辛い思いでいるかはわかりますわ。変われる物なら変わって差し上げたいとも思っていますのよ」
「……俺たちは敵同士だったじゃないか」
「確かに、敵同士ではありました。……でも、私は勇者を嫌いではありませんでしたわ」
「何?」
思わず魔王へ振り向く。
正面から魔王と目があってしまい、八歳とは思えない艶っぽい顔立ちに目が釘付けとなってしまう。
「久しぶりですわね、オルフェが私と目を合わせてくれましたのは」
そう言って、魔王は優しく微笑んだ。
今日はもう一話更新したく思っています。
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