58 新しい世界
執務室には、久しぶりの正装に袖を通したウィルの姿があった。ウィルは窓の外、どこか遠くを見つめながら物思いをしていた。それは幼い頃から今までのこと。この世界を知れば知るほど、自分の生い立ちを定めてきた運命の不思議さを思う。
深く追想に沈んだウィルを、フレアはそっとしておいてくれた。今日ここでこなす仕事はない。皆の前に出て祝福を受けるのが仕事だ。以前なら、人見知りの恐怖で逃げ出したいと思ったことだろう。しかし今は、大丈夫という気がしている。随分長い時間がかかったが、フレアやリーフは信じて待っていてくれた。その気持ちにやっと報いることができる。
「フレアは、先代の統治者をーーお父さんを知ってるんだよね」
おもむろに水を向けられたフレアは、懐かしむような顔をした。
「ええ。あれからもう随分経ちますが」
「どんな人だった?」
幼い時分に己の覚醒によって失った両親のことは、ほとんど覚えていなかった。ウィルにとってはフレアやリーフが親代わりであり、それより前の記憶は持っていない。
「ウィルは父上に似ていますよ」
「……そう、なの?」
それは意外な気がした。父の話はあの部屋に行き着いてしまったときにちらりと耳にしただけだったが、それで受けた印象ではもっと厳しい人だったのではないかと思う。そんなウィルの考えを見透かしたように、フレアは柔らかく笑う。
「リーフなどはウィルが優しすぎるからといろいろ心配していたようですが、私からみれば、父上も十分お優しい方でしたよ」
「そっか」
意外な言葉だと思ったのに、妙に納得してしまうものだった。それはおそらく、ウィルのことをずっと見てきたフレアの言葉だからなのだろう。
開け放した窓から心地よい風が吹き込んでくる。花盛りの季節、その華やかな香りまでまとったような爽やかな風だった。
* * *
それは身支度を整えるためにリーフのもとへ向かっている時だった。廊下の先に懐かしい顔を見つけた。
「ラピア……?」
あの日、唐突に別れてから今まで、会いたくてたまらなかった友。その姿が視線の先にある。
こちらに気づいたラピアはしばらく呆然と立ち尽くしていたが、次には弾かれたように駆け寄ってきた。そしてその勢いのまま、体当たりするようにマリィに抱きついた。
「マリィ!本当にマリィなのね。よかった。あなた生きてたのね。ずっと心配してたのよ。贄にならずに済んだのか……それがお城から手紙が来るんですもの。今の今まで信じられなかった」
「ごめんね。もっと早く手紙を書けたらよかったんだけど」
マリィは胸を打たれていた。こんなにもこの身を案じていてくれた友がいること。そのことがとても嬉しく、また一方では心配をかけたことが申し訳なかった。しかし体を離したラピアはあっけらかんと言う。
「何言ってるの。こんな嬉しいサプライズってある?私の友だちがお妃様になっちゃうなんて。そりゃあびっくりしたけど、こんなおめでたい報告なら大歓迎よ」
「……ありがとう」
自分が今にも泣きそうになっていることにマリィはひそかに驚いた。今までは悲しくて、辛くてたくさん泣いてきたが、嬉しくても涙は沸いてくるものなのだと初めて知った。
「さあ、泣いてないで。身支度があるんでしょ?目が腫れちゃうわよ」
同じように目に光るものを浮かべながらも、笑顔でマリィを促す。それでマリィもようやく笑うことができた。
* * *
ウィルが戴冠式を行った大広間で、祝宴は開かれた。お披露目の意味合いが強いので、出席者のほとんどは各自治府の長であるが、その中にぽつりぽつりとマリィの関係者が混じっていた。ラピアと共に来ていたリリカにトミィ。そしてシェリルの姿もあった。席へ顔を見せると、涙を流して喜んでくれた。お互いに抱き合うと、ラピアから言われたのにまた泣いてしまい、リーフに施してもらったメイクをまた直さなければならなかった。
宴は穏やかに続いた。若い二人の未来を祝福する温かな空気で満ちていた。
「緊張した?」
歓談に入り、落ち着いて来た頃にウィルが訊いた。マリィはちょっと肩をすくめてみせる。
「最初はね。でも始まっちゃったら緊張してる暇なんてなかったよ」
「君は僕より肝が据わってるみたいだね」
苦笑したウィルは戴冠式のときのことなどを話して聞かせた。マリィも隣で笑う。その頭には、あの日にラピアからもらった髪飾りが大広間の明かりを受けて繊細に輝いていた。




