56 灯火
その日、マリィはここへ来て初めてというほどに深く眠ることができた。ここで暮らしていくのだということが、ようやく実感として心の奥まで浸透したからだった。ずっと気を張って過ごしてきたため、今まで気づかず疲れも溜め込んでいたようだ。張りつめていたものが切れたことで、その晩の眠りはそうした疲れも優しく溶かしていくようだった。
翌朝。いつもよりすっきりした気分で目覚めたマリィは、いつものように食堂へ下り、皆と一緒に朝食を食べた。ユアとの間にあった気詰まりが解消したことも随分心を軽くした。肩の力を抜いて和やかに過ごせることがありがたかった。
朝食のあと、自分の部屋へ戻ろうとすると、ふいに後ろから肩をたたかれた。驚いて振り向くと、ウィルが口に人差し指をあてて小さく手招きする。フレアたちには気づかれたくないのか、その動きはこそこそしている。不思議に思いながらも、マリィは黙って付いていった。
「時間はかけないから、ちょっとだけ付き合ってくれる?」
食堂を出てしばらく歩いて、フレアたちが聞いていないことを確かめるように周りを見回してからそんなことを言った。マリィはまだ要領を得ない顔でそれでもこくりとうなずく。それを見たウィルはほっとしたように柔らかく笑う。
「よかった。君に見せたいものがあるんだ」
その声にはどこか嬉しそうな響きがあった。
ウィルはマリィをつれて城の奥へと歩いていく。この状況には随分慣れたマリィだったが、まだまだ入ったことのない場所がたくさんありそうなこの城の広大さには当分慣れることはできなさそうだ。下手に一人歩きでもしようものなら、あっという間に自分がどこにいるのかわからなくなってしまうだろう。
二人はひとつの扉の中へと入った。そこは外から見ると城壁から飛び出て見える尖塔の一つ、その下部の部分だった。薄暗い塔の内側を上に向けて螺旋状の階段が続いている。ウィルは足元に注意するよう促しながら、先に立ってゆっくりと登っていく。マリィもその後に続く。階段は急なので、だんだん息が上がってくる。一番上まで登ると、小さな扉を開けて外へ出る。
そこは櫓として造られたと思われる小さな見晴台だった。二人が並んで立つのがやっとという狭さだが、マリィはそんなことが気にならないほど、目の前の景色に目を奪われた。
眼下に広がっているのは、家籠りの季節がもうすぐ終わろうとしている世界のすべてだった。草原、湿地、河原、荒野、海、そして豆粒のように小さな街……。それらのすべてが朝の光を受けてきらきらと輝いている。
「きれいでしょう」
言葉を失っているマリィに代わってウィルがそれを口にした。マリィはまだその景色に心をとらえられたまま、上の空でこくりとうなずいた。その様子にウィルは満足げだ。
「ここから見える場所すべては、僕らがこれから守っていく世界だよ。統治者っていうのはつまりそういうものだから」
マリィと一緒になって眼下を見つめながら、ウィルはここへ来た理由を告げた。
「ようやく君はここで暮らしていくことに心から納得してくれたみたいだから、この景色を見せておこうって思ったんだ」
「え?」
急に話が自分のことに及んだので、マリィはウィルの方を見た。当のウィルは照れたように頬を染めている。
「結構ヒヤヒヤしたよ。君が選ばれた理由なんて気にしてるのはここでの生活が嫌なんじゃないかとか、嫌われたんじゃないかとか。僕はこういうことはやりつけないから、細かなことに気づかないし。でもそうじゃなかったってわかって安心した」
その話は驚きだった。マリィはウィルに対して誠実になろうとしたのに、逆に不安にさせてしまったようだ。
「あの、ごめんなさい」
「謝りっこなしだよ。その代わり、約束してくれるかな」
ウィルは改めてマリィと向き合った。その目が今までにないほど真剣に見つめている。
「僕と一緒に、ここにいてくれる?これからも、ずっと」
初めてその言葉をウィル本人から聞いた瞬間だった。それはただ誰かに決められたからではなく、ウィル自身がそう思っているのだと、それを聞いてようやく理解した。
「うん」
素直にうなずけば、マリィも柔らかく笑うことができた。時間はかかったが、未来へ歩いていくためのスタートに今ようやく立つことができた。二人は気恥ずかしさで照れたように笑った。
不安なことは、まだたくさんある。それでも今は思える。この二人なら、きっと大丈夫だと。




