45 はじまり
「さて、と……フレア、とりあえず急ぎの親書はこれで終わりだよね」
「はい。今日はこちらまでにいたしましょう」
柔らかな日差しが窓越しに降り注ぐ、午後の執務室。ウィルはいつものように各地からもたらされる新書や陳情に目を通していた。しかし今日は、急ぎで返事をしなければならないものだけを処理して手を止める。残った書類を片付けると、フレアはウィルを残して部屋を後にした。
収穫の時期をとうに過ぎ、これからは家籠りの時期となる。比較的温暖な湿地を除いて大地のほとんどが真っ白な雪に覆われてしまうこの時期、この世に生きる者たちは家に籠り、保存食を少しずつ出して食いつなぐ。行商も途切れるので、市場が開いたとしてもその品数は少なくなる。この時期に多い陳情は、主に食に関するものだ。なんらかの理由で家籠りの時期をしのげるだけの食糧を確保することができなかった自治府が助けを求める。集約された情報から余裕のある別の自治府に食糧を分けさせるよう調整するのがこちらの仕事だ。
今日、仕事を早めに切り上げたのは理由があった。この後、マリィと二人で話すことになっているのだ。
食事の時間ぐらいしか顔を合わせていないので、マリィがこの城へやってきてからしばらく経つというのに、まだまともに話したことがほとんどなかった。今はリーフが家庭教師役として付き、世界のことを勉強しているようだ。今回の話は、リーフから打診されたことだ。いわく、マリィは今興味のあることから順に学んでいるのだが、その中でウィルと直接話した方がいいだろうと思われることが出てきたということだった。折角だからお互いのことを知る機会にしたらどうか、ということで今日の時間が設けられることになった。
正直、ウィルとしてはついにこの時が来てしまったという思いだった。今まで忙しかったのも事実だが、できるだけその時を先延ばしにしたいと思っていたのも事実だ。いまだにマリィとどう接したらいいのかよくわからないのだ。
市井とは違い、魔族、特に統治者を継いでゆく者たちには恋愛結婚という概念はない。誰と婚姻するかは、覚醒が起こって次期統治者となることが決まった時点で決められることが多かった。ウィルの場合、最後の純血魔族として統治者に就くことは決まっていたのだから、妃となる者がずっと前から決められていたことも不自然ではない。それでもウィル本人にとっては急なことであり、心の準備がまったく整っていない。だがもうそんなことは言っていられない。
しっかりしろ、と自分に気合いを入れたとき、控えめなノックの音がして思わず体が強ばる。しかし部屋に入ってきたのはリーフだった。リーフはそんなウィルの様子を見てクスリと笑う。
「緊張しているのですか」
「あえ、いや、そんなことないけど」
「マリィはいい娘ですよ。気楽にお話しされたらよろしいかと」
「う、うん……」
楽しそうな口調で話しながらリーフはお茶の準備を整える。本当はそのままリーフにも同席してほしい思いだったが、そんなわけにはいかないようだった。
「では、私はこれで」
略式の礼をしてリーフは部屋を出ていく。ウィルはそれを黙って見ていることしかできなかった。
それからほとんど間をおかず、再びドアがノックされる。リーフのときとは違う、不安定な音。
それを聞いてウィルは少し冷静になった。マリィもまた緊張しているのかもしれない。
リーフのように自らドアを開けて入ってこないので、ウィルの方からそのドアを開ける。目の前でマリィがぺこりと頭を下げる。
「待ってたよ。どうぞ」
自分でもぎこちないと思う笑みを向けて、ウィルは部屋にマリィを招き入れた。




