37 二つの孤独
「ねぇ、フレア。この街からの陳情なんだけど……」
ウィルはフレアと共に執務室にいた。そこはフレアが使者として仕事をするのとは別の、統治者のための部屋である。広さは使者の部屋の倍ほどの面積で、ちょっとした来客をもてなすためのソファやローテーブルなども置かれている。ただしちゃんとした応接間が別にあるので、ここに客を招くのは稀ではあるが。昔は魔族に知を授けるとされていた、竜族の長老をもてなすような特別な場合に用いられていたようだ。混血のすすんだ今となっては、そうした習わしも途絶えて久しい。
今ウィルは統治者の本来の仕事として、街の自治府や世界の各地から届いた親書の類いに目を通している。
ウィルが戴冠するまではフレアが代行で行っていた行政に関わる事柄も、今はほとんどウィルに任せられている。もちろんまだ知識も経験も足りないウィルをフレアが相当手厚く補佐をしているが、何かを決定するような場面ではその最終判断をウィルに下させている。それが本来の形であり、使者はあくまで使者なので、権限を正常な状態に戻すという意味でそれはとても重要なことだった。
しかし今日は、なかなかその手が進まない。まるで親書の内容が頭に入らないというように何度も読み返してみたり、時折そこから目をあげてぼんやりしてみたり。フレアにはその原因もわかっているし、気持ちもわからなくはないのでそれについては何も言わない。
もちろんウィルは今、マリィのことが気にかかっているのだ。先ほどリーフから倒れるように眠ってしまったことを聞いた。そこまで疲れ果てていたというのに気づけなかったことを申し訳なく思う。自分の妃となる者なのに、はじめから嫌われてしまったのではないか……。
フレアにはそんなウィルの思いが透かし見えるようだった。以前ならフレアの方から助け船を出したものだが、今はこれもウィル自身の問題と考えて黙っている。もはや全てを手取り足取り世話する時ではない。
「ねぇ、フレア……」
するとふいに、ウィルの方から切り出した。何を言われるのかはあらかた予想がついているものの、先回りせずに本人が言葉にするのを待つ。
「あの子……マリィは大丈夫かな。まだ眠ってるのかな」
「まぁ、そうでしょうね。長旅の疲れもあるでしょうし、おそらく色々予想外のことと直面したはずですし」
「予想外の、こと?」
ウィルは訝しげに首を傾げる。妃となるのに何が予想外のことだったというのか、ウィルにはうまく考えられなかった。そこでフレアが少し気まずげに告げる。
「実は、マリィ殿は自分は贄にされるのだと、今の今まで信じておられたのです。ウィルの妃としてお迎えすることは表向き伏せておりましたので」
「……贄だって?」
なぜそんなおかしな行き違いが起こったのか。この件に関しては実際ほとんど茅の外だったウィルには理解に苦しむところだ。たくさんの疑問符を浮かべているウィルに、フレアが今までの経緯をざっと説明した。
その説明を聞いたウィルは、しばらく何事か考え込んだあと、ポツリと言った。
「じゃあ、おんなじなんだね」
「……同じ、というと?」
フレアが訊き返しても、ウィルは応えなかった。口をつぐんでしまったウィルは遠い目をして、そこには何も映っていないようだった。
この時ウィルは、遠い過去に思いを馳せていた。もうほとんど思い出すことができない、小さい頃の記憶。それは、今フレアから聞いたマリィのことから引き出されるようにして表出したものだった。
この世界に残された、たった一人の純血魔族。その孤独はウィルが一人で抱えるにはあまりにも大きく、重い。そしておそらく、同じように孤独を抱えてきた少女ーーそれがマリィなのだと理解した。
「分かり合えるといいな」
微かに呟いた声はフレアにも、誰にも届かずに中空に消えた。




