30 それぞれの想い
空がやけに明るく見える。この時期には珍しく外は晴れているようだ。まだ日の上りきらない明け方の街を、寝室の大きな窓から、マリィはいつもより長いこと眺めていた。やがてこの季節の射るような朝日が差し込み、それを合図というようにベッドから出て身支度を始める。
「おはようシェリルさん」
ドアを開け、そう声をかけたときにはとっくに食卓の準備は整っていて、シェリルは静かに座っていた。ちょっとゆっくりし過ぎたかな、と申し訳なく思う。でも、今日だけは許して、とも思う。シェリルも特に怒った様子はなく、何か考えているのか目線を落としてマリィを待っている。
席について、マリィは首をかしげた。朝食にしては豪勢な品が並んでいたからだ。この時期に採れる珍しい赤い実のスープ、数種類の穀物の入ったきのこ粥、いもと豆の甘い煮物……。どれもマリィの好物ばかりだった。
ろくに話もしたことがないのに、なんでこれが好きとわかったのだろう。そう考えたら涙が出た。
きっとシェリルはずっと注意してマリィを観察していたのだ。話すことを禁じられていても、心で寄り添えるように。これは、シェリルの最後の心遣い。今日この家を去るマリィへの。
料理はどれも、とても美味しかった。今日まで世話をしてくれたのがシェリルでよかったと切に思う。
「私ができるのはここまでだね」
食器を片付けながらシェリルが独り言のように言ったのを、マリィも聞いていた。
「シェリルさん……今までありがとう」
その背にそう言葉をかけるのが精一杯だった。
ガチャリ、と玄関のドアが開く。ジルと護衛と思われる男が連れだって入ってくる。
「ご苦労だったな。連れていけ」
シェリルに向けて一瞬片頬で歪んだ笑みを見せたジルは、護衛の男に顎で指示する。男に促され、マリィは玄関から出ていく。
「さぁ、これでお前も晴れてお役御免だ。せいぜいその老体を酷使せぬ仕事を捜すことだな」
憎まれ口を叩くジルに、シェリルは頭を垂れて静かに返す。
「老い先短い私は、この家で残りの余生を過ごしたく思います」
「はぁ?酔狂なことを。まぁいい、好きにしたまえ。元々無法地帯だしな」
この地区の空き家には基本的に貸し主がいない。よって家賃が発生せず、勝手に間借りしている者も少なくない。
ジルは一度侮蔑するような目でシェリルを見ると、踵を返して出ていった。
家の前には護衛がマリィを引き連れたまま立ち往生していた。先に行けと言わなかったから待っていたのかというと、どうやらそういうわけでもなさそうだ。二人して同じ方向を見ている。
「おい、どうした」
声をかけると、男は振り返りもせず応える。
「どうやら火事のようです。スラムの外れ辺りかと」
言われて同じ方角を見れば、晴れた空を背景に確かにもくもくと煙が上がっている。あまり離れていない。ジルは嫌なものを見たとでも言いたげに顔をしかめる。
「まぁあの程度ならボヤの範疇だろう。自警団の若者どもが消し止めるさ」
その矢先。たったったっ……とどこからか軽い足音が近づいてくる。そしてそれは路地から急に飛び出してきた。ボロを来た少女だ。
「こらっ、こんなところに子供が来ては……」
「助けて下さいっ」
注意しようとした護衛の言葉を遮り、勢い込んで男にすがり付く。ビックリしている間に少女が早口で捲し立てる。
「家が火事なの。まだ中に妹がいるの。妹は足がよくなくて、自分で逃げれなかったのよ。このままじゃ煙に巻かれて死んじゃうわ。お願い助けて。妹を助け出して」
困惑する男に代わって、後ろから伺っていたジルが応える。
「嬢ちゃん、あんなボヤぐらいじゃ妹さんは死なんよ。今に自警団が消火するから待っていなさい。我々は今大事な仕事をしているんだ」
それを聞くと少女はみるみる目を潤ませる。
「そんな。ひどい。大人は誰も私たちのことなんて助けてくれないのね。お父さんもお母さんも働きに出てて、私が妹を守んなきゃいけないのに。火を見たら怖くて飛び出して来ちゃった。これじゃ私が妹を殺したようなものじゃない。そうなったらもう生きていかれない」
混乱した様子で泣きながら訴える少女。先に折れたのは護衛の男だった。男はジルに向けて告げる。
「少しだけ様子を見て来ます」
「待て。任務はどうする」
「すぐ戻ります」
「ありがとう。こっちよ」
ほっとしたように少女は表情をゆるめ、男の手を引いて駆け出した。あ、という間もなく二人で路地に消えてしまう。ジルは舌打ちをした。
「まったく。この任務の重要さを解っとらんのかねぇ」
独りごち、ジルは振り返った。そして凍りついたように青ざめて身動きを止めた。
そこにいたはずのマリィが、消えていた。




