21 冷たい雨
「大丈夫。何も心配ないよ」
真新しい小さな家の前で、シオンは不安そうな顔をした妻の手を強く握った。その反対の腕の中に、まだ生まれて間もない彼らの娘ーーマリィがすやすやと眠っている。白いおくるみに包まれた赤子はまだ何も知らない無垢な寝顔を二人に向けている。
新居の扉が開くと、シオンの妻、イリアの表情が少しだけ明るくなった。自分が夢に思い描いていた、小さいが昔ながらの使い勝手のよさそうな台所。その手前のダイニングスペースに置かれたテーブルも想像通り。イリアはもうすでに奥の部屋を確かめたくてうずうずしてきた。元々好奇心は旺盛な方だ。
奥の寝室も素敵だった。こだわりだった大きな窓。ベビーベッドは前の家から運んでもらったが、二人の寝台はもとの家では作り付けだったので、中古の物を行商から安く譲ってもらった。それもアンティークの感じがあってイリアは気に入った。
夫のシオンを振り返ると、薄く苦笑いを浮かべていた。浮かれすぎただろうか、とイリアは頬を染めた。
娘のマリィをベッドに寝かせる。おくるみを剥ぐと、イリアは少し息を詰まらせた。まだ生まれて間もない娘に明確にあらわれた、その特徴。髪はまだ薄いが、その分大きな耳がやけに目につく。今まで何度も口をついて出た台詞がまたこぼれる。
「どうして……」
イリア自身にもシオンにも、目立った楽族の特徴はない。両親を考えてみても同じで、己が知る限りどこで楽族の血を引いたのかわからない。だが、これほどその特徴が現れるということは、おそらくどちらもがどこかでその血を引いているということなのだろう。
「イリア」
静かに名前を呼ばれて振り返る。悲しげな瞳に自分が映っている。
「不安はわかるよ。でも僕らはここで精一杯生きていかなきゃならない。この子のためにも」
「……そうね」
イリアは寝ている娘の頬をなでる。愛しくてならないというように。その様子を見てシオンは少し安心する。
不安ならシオン自身にもある。順調だった仕事を辞めて治安の悪いスラムに居を移すのだ。しばらくは蓄えを切り崩して糊口をしのぐしかない。新たな職を見つけられるかも定かでない。それでも引っ越したのはひとえに、やっと生まれた娘との生活を選んだからだ。
なぜかひどく忌み嫌われている楽族の血。もう純血としては残っていないはずなのに、その意識だけはまだ根強く残っている。生まれてきたマリィを見て、助産師も、己の両親さえも戦慄したのだ。「そんな子は捨てておしまいなさい」と実母に言われたとき、引っ越しを決意した。
シオンは悲しかった。夫婦にはなかなか子供が出来なかった。やっと生まれてきた我が子を、本当は皆に祝福してほしかった。
「大丈夫」
それはその日から何度も口にした言葉。イリアにも、自分にも、まだ意味のわからないだろうマリィにも言い聞かせるように、たった一つの真実のように唱え続ける言葉。
隣のイリアを伺うと、もう暗い顔はしていなかった。そう、この三人なら、きっと大丈夫。




