10 風
それから、ラピアは本当にマリィのもとを訪れた。危険なスラム街の路地を抜け、シェリルの目をかいくぐり……。
ラピアが話すことは、いつも他愛のないものだった。マリィと会わなくなってから生まれた弟のこと。世話焼きでちょっと鬱陶しい伯父さんのこと。最近よく喧嘩するようになった母親のこと。内容に飛び抜けて変わったところがあるわけでもなく、何か事件があるわけでもないのだが、ラピアの話は面白かった。それはラピアが話上手であるためでもあったが、何よりそんな他愛のないことが、マリィにとっては新鮮だったためだ。
五年前、監禁される前には当たり前に触れていたことのはずだ。しかし当時はあまりにも幼く、その頃の記憶もあいまいだ。普通の生活というのがどういうものだったのか、こんなに時を隔ててしまった今となってはもうわからないのだった。
ラピアが来るようになって一月足らずが経った頃、その話題に新たな要素が加わった。
「もうすぐ収穫祭よ。そろそろ準備も始まるわね」
街の外れ、川沿いにはその肥沃な土地を使った畑作地が細く続いている。今はちょうど実りの季節を迎え、多くの野菜、果実が順繰りに収穫されるのを待ち構えている。特産のものは行商たちが他の街へと売りにいったりもする。そうした畑仕事が終われば、街は本格的に祭の時を迎える。大人たちにとっては一番忙しい時期だが、子供たちはその浮き足立った街の様子に心を踊らせる季節だ。
マリィも遠い記憶の彼方に祭の様子を思い描いてみる。しかしなかなかうまくいかない。難しい顔で考え込んでいるうちに、ラピアはどんどん話をすすめてしまう。
「今年は従兄のラキ兄さんも櫓組みに参加するのよ。本当は私も手伝いたいんだけど、危ないからダメだって。ラキ兄さんは会ったことないと思うけど、巨族の血が入っててね……って、聞いてる?」
そこでようやくマリィが上の空であることに気づいたラピアは、マリィの頬をつつく。
「ひゃあっ、え、あ、ごめん?」
正気に戻ったマリィの慌てた様子に、ラピアはやれやれと息をつく。
「ううん。こっちこそごめん。話を飛ばしすぎた。マリィは祭の様子がわかんないんだもんね」
頬を染めてうつむいたマリィ越しに、ラピアは部屋の中の何かに目をつけた。
「ねぇマリィ、その本取って」
それは一冊の絵本だった。「クウたちの冬ごもり」と題された大判の本は、マリィも昔母に読み聞かせてもらったものだ。それをマリィが窓際へ持ってくると、ラピアはそのはじめの方のページを広げた。
「ほら。収穫祭ってのはこんな感じよ」
そこには見開きいっぱいを使って、楽しげな祭の様子が描かれている。ラピアがその絵を指差しながら説明する。
「広場の真ん中に、こんな感じの櫓を建てるの。そこから他の建物にロープを渡してランタンを吊るすのよ。祭は夜まで続くからね。広場の周りにはちっちゃい露店がいくつも並んで、ほらこんな風に。露店の人たちは他の街から来るから、市場では買えないものを売ってたりするの。だから皆今から必死なのよ。お駄賃をもらって、露店で欲しいものを買えるように」
ラピアが話すことで、まるで絵本の中の世界が動き出したようだった。今までなかなか想像がつかなかった収穫祭というものにときめく気分が、マリィにもようやくわかってきた。
「楽しそう」
「そりゃ楽しいったら。本当ならマリィも連れてってあげたいんだから」
それを言われてしまうと、途端に気分が沈むものだった。どんなに楽しそうでも、本物の祭をラピアとともに楽しむことは叶わないのだ。伏し目がちに、声を潜めてラピアがささやく。
「……こっそり抜け出す?そしたら私が連れてってあげるよ」
その提案には一瞬心が踊ったが、マリィは首を横に振った。
「やめとく。見つかったらシェリルさんが大変になるから。ラピアにも迷惑になっちゃうし」
実際、マリィは抜け出そうと試みたことがあった。しかしそれはまったくうまくいかなかった。そして、その責任を負わされたのは監視役のシェリルだった。そのことは今でもマリィの心に重くのし掛かっている。
ラピアは残念なような申し訳ないような微妙な表情をした。変な期待を与えてしまったようで心苦しく思ったのか、こんな対案を出した。
「じゃあ、私が何か露店で見繕ってあげるわ、マリィの分」
それを聞くとマリィは目を白黒させた。
「そんなの悪いよ」
「いいのよ。私も自分だけ楽しむのじゃ寝覚めが悪いし。何がいいかな。……そうね、せっかくきれいな髪をしてるんだから、アップにするための櫛飾りはどう?ただ伸ばしてるのではもったいないし」
「髪を、アップに……」
マリィは自分の髪を掬ってみた。緋色の巻き毛は肩をゆうに越えて背中に広がっている。そうして押し黙っているのを賛同と受け取ったラピアは快活に言った。
「じゃあ決まり。選ぶのは私に任せてもらうけど、きっと似合いの品を見つけて来るから、楽しみにしてて」
「……うん」
結局マリィは何も言えないまま、その楽しげな後ろ姿を見送ることになった。




