プロローグ
辺りは静寂に包まれていた。夜空を明るく照らすはずの月はちょうど雲に隠れ、世界は闇を濃くしている。街の住民たちは皆眠りに就いていて、明かりを漏らす屋敷は見当たらない。
深く眠る夜の街。その時計塔の上に、あるはずのない生者の眼が四つ輝いている。
黒いフードを纏った、人の姿をした二つの影。
「どうやら問題はなさそうね」
女の姿をした一人が、夜風に漆黒の髪をなびかせながら呟く。
「当たり前だ。問題があっては困る」
男の姿をしたもう一人が応える。フードの下から紅がかった銀の髪がのぞく。その言いぐさに、女の方が笑みを漏らす。
「あら、そう確信してるなら様子を見になんて来なくてもよかったでしょうに」
男の方は不服そうにぼそりと言う。
「……念のためだ。万が一でも問題があってはならぬのだ」
「はいはい。そんなことは解ってるわ」
三角屋根の下で、大きな時計の針が動くガチャ、という機械音がした。そして再びの静寂。
男を揶揄するように笑っていた女も、黙って時計塔の下に広がる街並みを見つめる。その横顔にはまるで子どもの成長を見守る母親のような、慈愛のようなものが浮かんでいる。男の方も似たような表情を浮かべて同じ方向を見つめている。
暫しの沈黙の後、男が低い声で言う。
「これが最後の大仕事になるのだろうな。我々の」
「そうね。おそらくは」
雲が動き、わずかに月明かりが漏れはじめる。二人はほぼ同時に空を仰いだ。
「闇が途切れるな。戻らねば」
「えぇ」
女が隣の男の方に顔を向ける。なびく髪の奥で、二つの目が黄色く光る。
「帰りましょう。私たちの、最後の子どものもとへ」
強く風が吹いた。それと同時に二人の姿が消えた。……いや、正確には消えた訳ではない。本来の姿に戻ったのだ。
男は大きな烏に、女は毛並みよい白猫に。
烏は猫をその背にのせて、闇の彼方へと滑空していった。