優しい神隠し
昨日降った雨のせいなのか、やたらと靄の濃い朝だった。前はほとんど見えない。
子供が二人、山の奥へと進んで行く。道を阻むように茂る草木は朝露に濡れ、二人の着物はすでにびしょ濡れだった。
「もうちょっと」
一人が言った。振り返らずに、少し俯き加減で。
「大丈夫」
一人の子供が言った。もう一人も黙って同意する。
二人はどんどん山の奥へと入って行く。
まだ鳥も鳴かない早朝。ざわめきは聞こえず、山は静かだった。
・
緑茂る季節。
冬を吹き飛ばすように山が色づく。まるで山自体が大きくなっているようだった。地面の色はもう見えない。
山の奥から楽しそうな声が聞こえる。
見た目より日差しは弱く、寒さが残っていても子供達は元気だ。時折吐く息は時にまだ淡く白いが、それもすぐに次に吐く息に吹き飛ばされる。
そこは山の奥。
そこだけ何か意味があるかのように場所が開けていて、木々が周りを柵のように囲う。
中央に大きな大きな岩があった。
半分は地面に埋まっているが、一番上には大人が手を伸ばしても届かない。道端に落ちている石のように丸いとも四角いとも言えない形。
三人の子供がその岩の周りを走り回っている。
キスケはその中の一人。
いつもは村の子供達と遊んでいるが、今日は違った。今日会ったばかりの、自分より少し幼い子供二人と遊んでいた。
二人は神社の神主様が着るような白い袴姿。そしてまったく同じ顔をしている。双子で、実は女の子と男の子だと教えられたが未だに見分けられなかった。
岩の上に女性が座っている。
後ろで細く束ねられた黒髪は腰まで届き、双子と同じ袴姿。双子の母親だった。
整った顔つきは双子とよくにていたけれど、とにかく美人だった。最初に見たとき、キスケはどこかのお姫様だと思った。キスケ自身本物のお姫様を見たことはないが、そう思えるほど美人だった。
岩の上に座り、走り回る子供達を微笑んで見ていた。
その日いつものようにそこへ行っても、いつも遊んでいる村の友達は誰もいなかった。
かわりにその三人がいた。
母親の仲立ちで、キスケは双子と遊ぶことになった。最初は会話すらぎこちなかったが、次第に打ち解けて思い切り遊ぶようになった。
双子はキスケや村の子供達が毎日のようにする遊びをあまり知らなかった。それでも教えればどの遊びもすぐにうまくなった。そして、双子もキスケの知らない遊びをたくさん知っていた。
時間がどれだけ経ったのかは覚えていないけれど、双子の母親が音もなく地面に降りた。
そして、そろそろ帰ると言った。
緑の間から見える太陽はまだ高く、子供達は不満だった。本当は三人ともかなり疲れていたのだが、帰ると言われると反発した。
「あなたのお母さんも心配するから」
そう言われて、キスケも渋々納得して帰ることにした。
また遊ぼうよ。そう言ったキスケに双子は笑顔で共に答えた。
「いつでもここにいるよ」
と。
帰り道。
見慣れた一本の山道。焦ることもなく、ゆっくりと坂道を下る。
変ったとこなどあるはずもなく、キスケ楽しく遊んだ余韻を引きずりながらのんびり帰った。
村は大騒ぎになった。
小さな村のため、すぐに全ての大人が集まった。子供達は怖がって遠巻きに見たり、家に隠れたりした。
でも、一番怖かったのはキスケだった。
山から下りて一番最初に会った老夫婦。顔見知りのため挨拶をしたら、おじいさんは悲鳴を上げて逃げて行き、おばあさんはその場に倒れた。
そして、次から次へと人が集まってきて今の状態になった。
わけもわからず、なにを聞いたらいいのかもわからなかった。
いきなり、誰かに体当たりをされた。まったくの不意打ちでキスケは思わず尻餅をついた。
尚圧し掛かってくる相手を跳ね除けようとしたが、その手が止まる。
母親が自分の胸で嗚咽していた。
何かを言わなければいけないと思い口を開いたが、力一杯抱きしめられていて声が出なかった。
あきらめて、頭を地面につける。
太陽はいつもとかわらずに輝いていた。
「……一年も、……どこに、行ってたのよ……、……」
母親の小さな言葉は、涙声すぎてキスケには聞き取れなかった。
キスケは神隠しに遭った」
そう結論付けられた。
そうとしか説明できなかった。
・
明けても暮れても戦は続く。
誰もが平和を求め、平和の為に戦う矛盾の時代。
そんな時代の色を感じさせない山奥の一本道。その先にキスケの村はあった。
キスケが神隠しに遭って四年が過ぎていた。
神隠しの後、大変だったのは一週間ほどだった。それからは以前と同じよう、普通に時間は過ぎていった。
今では話題に上ることすらない。キスケ自身ですら、もしかしたら夢だったのかも知れないと思うようになっていた。
四年と言う時間は、それほどまでに長かった。
ただ、キスケが神隠しに遭ったとされている場所は立ち入り禁止になった。村から山の奥へと続く一本道。その先にある大きな岩のある場所。
立ち入り禁止になった後も、キスケは何度かそこ行ってみた。が結局だれにも会えず、何も起こらなかった。
最後に行った時、大人に見つかってひどく怒られた。
何も言わない母親に抱きしめられたとき、もうそこには行かないとキスケは決めた。
村は人口百人に満たない小さな村。
そのほとんどが女、子供、年寄りで、年頃の男達は皆戦にかり出されてしまった。キスケの父親も百姓でありながら戦で死んだ。
働き手がいないにも関わらず、領主が取り立てる年貢は重く、一向に軽くならない。
村の生活は苦しくなるばかり。
故に、村では子供も大事な働き手だった。キスケも小さい頃から畑に出た。
どんなに辛くても、村人は村を出ることはしなかった。出たところでどうしようもなかった。
悪いことは重なるものらしい。まるで磁石のように。
村で再び神隠しが起こった。
今度はキスケ以外の子供が全員。
・
山道は草に覆われ、すでに道ではなくなっていた。
その先にあるのは大きな大きな岩。昔は村人達に神の依り代として大事に扱われてきたが、今では所々にコケが生え、上の方は鳥の糞らしきもので汚れている。
岩の上に、この辺りの山々を治める神がいた。
人間の女性の姿で、一人寝転んでいる。
白い袴姿に後ろで細く束ねられた黒髪。妙齢の整った顔つき。仰向けに寝転んで、上を見る。
岩の周りに木々はないが、少し離れて生えている樹が枝を伸ばして女性の視界を邪魔する。
濃い緑と青い空。
緑の隙間から伸びる日の光を体に当てながら、女性が大きく息を吐いた。
「困った……」
神様らしくないため息と言葉。
ことの始まりは四年前だった。
自分の子供達が退屈だと言って駄々をこね、どうにも言うことを聞かなかった。
たまたまそこに、人間の子供が遊びに来た。
少しだけと思いこの子供と遊ぶことにしたのだが、自分達と人間達では時間の流れが違うことをすっかり忘れていた。
そのせいで人間の子供が村に戻ったときには、一年もの時間が過ぎた後だった。もちろん大変な騒ぎになってしまった。
それ以来村人は怖がってここに来なくなってしまった。
彼女自身も上の神にたっぷりと怒られた。
失われた信仰を取り戻すことはとても難しく、信仰がなければ彼女も山を治めることは難しくなる。
そのせいでここ何年か山の実りは少なく、動物や、村人の生活は苦しくなるばかり。そうなれば信仰はさらに失われる。
「はぁ……」
いくら考えても出てきるのはため息ばかり。
それも自分のせいだと考えては、心を痛めてばかりの山の神。
加えて、最近の神隠し騒動。
これは、山ノ神とはまったく関係ないことだった。
この山ノ神が関わったのは四年前だけ。
ただ、今回のことも四年前のことがなければ起きなかったであろうこと。そう考えれば無関係とも言えず、例え神の名を勝手に使われたことでも咎めることはできなかった。
緩やかに突然、どこからともなく風が吹き、木々の葉を揺らした。一緒に、落ちてくる木漏れ日も揺れる。
風に押されるようにして、 彼女は上半身を起こした。
この場所に誰かが近づいて来る。そして、それが誰なのかはすぐにわかった。
四年前の懐かしい気配は、少しだけ大人になっているように感じた。
「本当に……、困ったもんじゃ……」
彼がここに向かっていることを含む、今まで起こった全てのことにため息をつく。
その全ての始まりが自分にあることを、改めて感じつつ、山の神は自分の周りの結界を解いた。
「久しいの」
キスケがその場所に着いたとき、すでに女性はそこにいた。まるで、最初からキスケが来るのを知っていたかのように、岩の前に立っていた。
四年と言う時間に霞んでしまった記憶。
キスケの中で、その霞が少しだけ晴れた気がした。
「四年ぶり……、かの?すっかり大きくなって」
キスケは頭を下げ、お久しぶりです、そう挨拶をする。
会えないかもしれないと思っていた人に会えたわけだが、その先のことを考えていなかった。
キスケは何をどう聞いたらいいのか分からずに口ごもる。
すると、女性がそっと右手を前に出した。
「よい。言わずともわかっておる。……正直、どうしたものかと思っておったがの、お主には全てを話しておこう。それが、ここまで来たお主の願いでもあろうし」
自分は卑怯なのかもしれないと、山の神は思った。
この辺りの山を治める神という存在でありながら、一人の人間の子供を動かそうとしている。
全てを話し、その後この子供がどうするのか。そして、それを結果として受け入れようとしている。
よい結果ならば万々歳。悪ければ自分が力を使い、なんとかする。
大した神様だと、心で笑う。
神の名を語る神隠し。
それが、許せることなのか許すまじきことなのか、神である自分には判断ができなかった。
もちろん、自分が一つの原因であると考えればのこと。
責任は自分が取ろう。
山ノ神は最後に小さな言い訳をして、話を始めた。
木々によって閉ざされたような空間、湿った空気が気持ち悪いほどに重く感じられる。
膝まで届く雑草と蔓に邪魔され、歩くだけでもかなり疲れた。
キスケは道などあるはずもない、山の奥を進んでいた。歩いているだけなのに息が切れる。道は険しかった。
しばらく進むと、先ほどより進みやすくなったことにキスケは気がついた。それはまるで獣道のようだった。
位置的には、ちょうど山を挟んで、村の反対側辺りだろうか。
そして、全て山ノ神の言ったとおりだった。
そこから少し進んだところに、木々の間に小さな家が二軒建っていた。
「四年前のことはすまんかった、あれは軽率じゃった。お主にはもちろん、村人にも迷惑をかけた。」
そう切り出した山ノ神。すぐに言葉を繋いだ。
「だからこそ、とは言えんかもしれんが、今わしの知っている限りのことを話そう。……今起こっている神隠し、あれはわしとはまったく関係ない。
が、他の人間がさらったわけでもない。」
小さな一軒家。
そこから一人の男の子が出てきた。見覚えのある顔は紛れもなく、キスケの村の男の子だった。
「あれは子供達の自作自演じゃ」
山ノ神は、真っ直ぐにキスケを見つめた。
キスケも視線を外さなかった。
が、キスケが山ノ神を見ていたかどうかはわからない。キスケは何も言えなかった。探していたものが、まったく的外れな場所から現れた。答えはただそこに浮いていて、なかなかキスケの頭に入っていかない。
ふう、と山ノ神が一つ息を吐いた。
「お主も村の暮らしが楽ではないことは身に染みておろう。大人たちは毎日毎日、辛い顔で仕事に出て疲れた顔で戻ってくる。それを遊びながら見送り、飯を食べながら出迎えるのは
子供だから何もできない、それは辛いことじゃ。そんな矢先に起きたのが、わしがおぬしを神隠ししてしまった四年前のあれじゃ」
自分が関わったことを聞いて、今まで遠くに聞こえていた山ノ神の声がやっとキスケの頭に入っていく。
それからどうなるのか、キスケは自分でも少しは考えられようになってきた。
「まったく……。子供と言うものは本能だけで動いているようで、しっかり見て、考えて動いておる。大したものじゃ。その考えが集まれば、こうして神すら困らせるのだからのう」
山ノ神が笑う。
苦笑とか、自嘲ではなく、微笑みに近い笑いだった。
「かれらはしっかりと見ておった。お主がいなくなっている間、お主の分の年貢が払われていなかったことを。まぁ、お主は死んだことになっていからの。年貢には大人も子供もなく、人数そのもので決まる。お主は知らんじゃろうが、当初はお主の母親が間引いたなんて噂もあったのじゃ。……そんな怖い顔するでない。所詮噂じゃ、風に乗って消えたわ」
子供達はは自らで神隠しを起こなったのじゃ。少しでも大人の負担を軽くするために。
……ああ、それとこのことは村長だけは知っている。もし万が一が起こった時のためにと、話して許可をとったのじゃ。
まったく……。ほんとうに大した子供達じゃ。
山奥の、そのまた奥の小さな二軒家。
子供達だけで暮らすにはあまりに辛すぎる環境、それでも子供達は暮らしていた。
それぞれの役割を決め、時に泣いて、時に怒り、なんとか生活していた。
キスケは少しの距離を置いてそれを見ていた。
子供達の姿を見て、キスケは自分にできることを考えていた。
それは点と点を結ぶようで、すぐにはっきりとした輪郭を描いた。
・
その大きな岩は、半年前とはすっかり変っていた。
苔や汚れはきれいに落とされ、真っ白い注連縄が巻かれていた。そして、その前には小さな社が立っており、酒や野菜や果物のお供えがしてあった。
辺りの草はきれいに刈られ、そこはちょっとした神社のようだった。
とても山奥のようには見えなかった。
まだまだ太陽は高く、木漏れ日揺れる昼下がり。岩の上でお供えの酒をちびちびとやりながら、いい気分の罰当たりが一人。
それが罰を与える側の神様だというから困り者。
山ノ神はいい気分だった。
「いやはや、子供が大したものとは言うたが、なるほど。あれも確かにまだ子供じゃったわい。こんな考えを思いつくとは」
キスケは事情全てを村の人に話した。
村の大人達は皆怒ったが、やはり少しでも軽くなった年貢に安堵の心があったのも事実だった。
そこで、これからは山ノ神に定期的な神隠しを頼むようにしてはどうかと提案した。
その代わり、また以前のようにあの岩をきれいにして、お供え物をすること。そうすればきっと大丈夫だとキスケは言った。
最初はほとんどの村人がそれを信じなかったが、やがて子供達を中心に信じる人が増えていった。
それに比例するように岩はきれいになり、お供え物は増えていく。村から岩までの道も立派になった。
「む?今日も来おったか」
山ノ神は地面下りて、酒を置く。
今日も子供が神隠しをされにやって来たのだった。
以後信仰を取り戻した山ノ神によって山は実りを取り戻した。
村人もやがて神隠しに遭わなくても、なんとか暮らしていけるようになった。
それでも彼らは、お供え物と岩の掃除は続けていった。
山の奥の奥にある、大きな大きな岩。
時折そこで子供達が遊んでいるような声が聞こえる。
感想、ご指摘等ありましたらよろしくお願いします。