ラウンド・アフタヌーン
9 ラウンド・アフターヌーン
『ご乗車ありがとうございます。名護屋に到着です。』
《プ〜パ〜プ〜♪プ〜パ〜プ〜♪プ〜パ〜プ〜ポ〜〜〜♪》
パノラマカーの気の抜けたミュージックホーンが鳴る。ささっと名護屋に到着だ。この
後は地下鉄に乗り換えて………メモを見る。学園指定のカウンセラーである真希いろはさ
んの事務所の住所と簡単な地図が書かれている。うーんと、ああ港区の方か。てか、金山
下車でもよかったじゃん。
まあいいや。
港区の方なら水族館にも行きてえなあ。子供の頃に行ったっきりだっけ。そんなことを
考えながら俺は電車とバスを乗り継いで、真希いろはさんの事務所の入る建物の前にまで
どうにかたどり着いた。この辺りには殆ど来たことがなかったので大分もたついた。結構
時間を食ってしまった。もう夕方近くになっちまった。
建物をざっと見上げる。少し古めかしい印象を持つ五階建てのビルだ。でもビルといっ
てもアパートに近い印象がある。事務所って言ってたけど、自宅を兼ねているのだろう
か?SOHOってやつなのかもしれない。一階部分の半分は駐車スペース。残りの半分は
エントランスになっていて、二階から五階までが主な居住スペースになっているみたいだ。
二階部分の窓ガラスには文字が貼ってある。そこには〈荒井探偵事務所〉と書かれてい
た。
あれ?探偵事務所?カウンセラー事務所じゃあなくて?住所間違えちまったかなあ?そう
思って鞄にしまいこんでいたメモと真希いろはさんの名刺を探しながらまごついていると、
「ウチに何か御用ですか?」
と、声をかけられた。
セーラー服を着た俺と同い年くらいの女の子だった。
「探偵のご入用ですか?やった!ひさしぶりかも!顧客ゲッツ!でしたらどうぞどうぞ!」
そう言ってその子は軽くガッツポーズを取り、明るい調子で俺に事務所に来るように促
した。
「あっ、いや、あの、探偵じゃあなくてその………」
探偵じゃあなくて、カウンセラーの事務所があるって聞いて、そこに訪ねてきたんだけ
れどもと言うと、彼女は、「ああっ!ごめんなさい。早とちりでした………二階のウチの
事務所を眺めていたのでつい………はあ………久しぶりの普通の依頼かと思ったのに……
…」と、がっくり肩を落とした。ああ、なんかすいません………。それにしてもオーバー
リアクションな子だなあ。洋平ばりにでかいね。リアクションのたびにポニーテールがわ
っさわっさと揺れてる。
「えっと、真希いろはさんのカウンセリング事務所ですね。それでしたら五階になります。
どうぞどうぞ〜。」
そう言って、彼女とともに一階エントランスに入り、エレベーターに乗った。彼女は三
階と
五階のボタンを押して閉ボタンを押した。
ん?三階?探偵事務所の人なら二階じゃあないのか?なんでだろ?不思議そうにその様
子を見ていたら彼女はそれに気づいたらしく、
「ああ、アタシ、三階に住んでるんです。名前、言ってなかったですね。ミカミカオリで
す。二階の荒井探偵事務所で助手をしてます。」
そう言ってにっこり笑った。こちらも名乗って二、三言交わすとエレベーターはすぐさ
ま三階に着いた。
「イロハさんの事務所はエレベーターをでてすぐ正面の部屋です。っていうか、五階はワ
ンフロア全部イロハさんの家なんですけどね。なにか探偵のご入用がありましたら是非う
ちに依頼をお願いしますねー。それでは失礼します〜。」
そう矢継早に言うと、彼女はポニーテールを揺らしながらたったかエレベーターを降り
ていった。
………なんか、変わった子だなあ。しかし探偵助手か。俺も親父が行方不明にならなか
ったら彼女みたいに探偵助手にでもなってたかもなあ。ってかもしかしたら親父のこと知
ってるかもしれないなあ、その道では有名だったって聞くし。後で寄ってみて聞いてみよ
うか?うーん………。
ーーーまあいいや。
とりあえずはさっさと真希いろはさんに会ってカウンセリングを受けないとだしな。
エレベーターの扉が開く。左前方に玄関が見える。ああそら迷わねえわ。廊下の左の突
き当りにも扉がある。ワンフロアに二部屋って言ってたし、それか。
表札を見る。〈真希メンタルクリニック〉とだけ書かれている。こっちが事務所の入り
口で、もう一つのあっちの部屋が居住スペースなのかね?ミカミカオリさんはこのワンフ
ロアは全部真希いろはさんの家だって言ってたし。来客用玄関ってことね。
インターホンを鳴らす。あーなんか緊張してきた。
『はい。ああ、君か。マツリカとサナエから話は聞いてる。今鍵を開ける。』
カチリと鍵が開く音がした。
『そのまま入ってきて。出迎えたいがちょっと手が離せなくてね。入ってすぐのところに
応接スペースがあるからそこに座って待ってておくれ。』
遠隔操作の鍵か。ハイテクだなあ。多分、あっちの自宅の方にいるんだろう。勝手を知
らぬ人の家にひとりで入ることにちょっと躊躇したけど、招かれたのでゆっくりと扉を開
ける。中はとても薄暗い。間接照明がほんのり点いているぐらいだ。
応接スペースには、観葉植物がいくつか飾ってあり、真ん中にはガラス製のテーブル。
右側には複数人がけの青色のソファ。左側には一人がけの安楽椅子が置かれている。ガラ
ス製のテーブルにはライトが仕掛けられているらしく、テーブルがぼうっと青白い光を放
っている。
ーーー青い閃光を思い出した。さて、どこまで話したらいいものか………正直に話して
もなあ………頭がオカシイって思われるだけだし。いや、そういう人をたくさん相手にし
ているんだろうけども。
そんなことを考えながらぼーっと突っ立ってるとガチャリと扉が開く音がした。玄関で
はなくて、奥のほうから聞こえた。
「ああ、待たせてすまんね。フセコウキ君だね?私はマキ。マキイロハだ。君の学園でカ
ウンセラーをやっている。」
そう言って、真希いろはさんは手を差し出した。握手をする。柔らかい手だなあ。長い
髪をアップにして、前髪は片目が隠れそうなくらいに垂らしている。アンダーリムの赤い
眼鏡が印象的だ。
不覚にも、ドキリとした。うん、美人だ。惚れるなよ?と早苗さんが言ったのもわかる。
うわ、なんか恥ずかしいなあ。そそくさと、握手をした手をひっこめる。真希いろはさん
に座るように促されたのでソファに座った。
「君のお母さんとは旧い友人でね。とは言え、最近まで連絡をしてなかったんだが、まさ
かまさかの再会でビックリしたところだよ。サナエは、君の事件がきっかけで初めて私が
日向学園に勤務しているって知ったようだよ。」
そう言いながら、真希いろはさんはゆっくりと安楽椅子に腰掛けた。
「さて、と。カウンセリングをはじめなきゃあなんだが。マツリカからある程度は聞いて
はいるのだけど、不思議なものを見たんだって?それを君の口から詳しく話して欲しい。」
ああ、早速本題だ。ううむ、どう話したものか………経帷子の口裂け女に、ゴスロリ少
女。そしてあのハム公………ものすっごく馬鹿げた、異常な光景だったのだけども………。
何をどう説明しようかしばらく、考えていると、視界に嫌なものが入った。
ーーーハム公だ。あの疫病神の、ハム公がいる。
思わず注視する。真希いろはさんの横にハム公がいる。
と、真希いろはさんが口を開いた。
「ーーー少年。これが視えるんだろう?」
ぎくりとした。何で?この人にもハム公が視えている?何でだ?一体?どうして?
「え、いや、その別にその………」
「少年。別に嘘をつかなくてもいい。君にはちゃあんとコレが視えているんだろう?」
そう言って真希いろはさんは、ハム公の頭を撫でながら続ける。
「君はあの時ーーー件の事件の時だねーーーコレを視たはずだ。ソレ以外にも奇妙なもの
を視たはずだ。それに、件の事件以前からも色んな物を君は視てきたんだろう?」
そう言って、真希いろはさんはずいと体を前に倒し、俺の顔をのぞき込んだ。とても近
い。前髪と前髪が触れるほどに。目線をそらせない。ドキドキする。美人だから?それと
も自分の〈人ならざるモノ〉が視えるという秘密に迫られたからか………?
どぎまぎしていると、真希いろはさんはゆっくりと体を後ろに引いて再び安楽椅子に座
り直した。
「正直に話してみな。私はその筋には幾分詳しいのでね。誰よりも君の力になれる。他の
人がどんなに馬鹿げた話だということでも、私は君を信じるよ。君はこっち側の人だ。さ
あ、何を視たか話してみな?」
え………ええと………すげえ馬鹿げてるんですがその………よくわからない展開に戸惑
いながらしどろもどろになりつつも、その場で視たことを伝えた。経帷子の口裂け女、ハ
ム公、赤い閃光、ゴスロリ少女。青い閃光を伴った爆発と意識を手放す前に視たハム公…
……。
「ほう、で、君はその状況を視て、何を感じたかね?特にゴスロリ少女と経帷子の口裂け
女の関係についてだ。」
「え………ええと………その………馬鹿げてるかもしれないんですけど………アニメみた
いに魔法少女が化け物を退治しているって感じですかね………?」
それを聞くと、真希いろはさんは、はっはっはと大声を上げて笑った。そうだよなあ、
馬鹿げてるよなあ、そりゃ笑うわあ………。しかし、真希いろはさんがその後に続けた言
葉は以外なものだった。
「〈大正解〉だ!少年!君が視たゴスロリ少女はまさに〈魔法少女〉なのさ!」
ええー!なんじゃそりゃあ!?何言ってんだーこの人!?
俺の驚きを意にも介せず真希いろはさんは続ける。
「そして彼女は御多分にもれず、化け物退治をしている。君は偶然その場に居合わせちま
ったって訳だよ。」
空いた口がふさがらない。魔法少女?え?化け物退治?ソレに巻き込まれた?へ?どん
なおとぎ話の世界なんだよ。でも、俺が視たのは確かにそういう光景だった。馬鹿げてい
るけど、確かに真希いろはさんの言うとおりなのだ。隣にチョコンと座っているハム公が
その証拠だ。真希いろはさんも〈視える〉って言ってるし、現に〈触れている〉のだから。
「実のところ、その魔法少女を雇ってるのは何を隠そうこの私でね。コイツに私の意識を
リンクさせて魔法少女に随伴させているのさ。分身みたいなもんさね。」
「はっ、ハム公って、真希いろはさんの!?」
思わず立ち上がり、声に出して言った。いや、いきなり俺の疫病神の正体というか黒幕
が自分だって告白されたのだから、慌てずにはいられないって!
「あっはっはっは。君もコイツのことを〈ハム公〉と呼ぶんだな。タマキとおんなじ名づ
け方をしているとは。もうハムでいいな、コレの名前は。」
そう言って、真希いろはさんはポンポンとハム公の頭を叩いて続ける。
「コイツは私の分割脳にあたってね、他にも何体かいる。普通の人には視えないが、物理
的実体を持っていてね。そのうちのひとつは」そう言って俺の胸のあたりを指さした。
「君の中にいる。爆発で骨が砕け、内臓が破裂し、息も絶え絶えになった君の破損した細
胞組織の代わりを務めている。」
え………?あ………それで俺は助かったのか………?確かにあの時、俺は死にかけてい
た。死を覚悟した。ああ、これで死ぬんだなって。そしたらハム公が近づいてきて………。
「正直なところ、今、君の体はとても不安定だ。それはハムの現世における存在確率……
…概念と物理の間の領域にまたいで存在し、観測者がいて初めて存在できるという不確定
な在り方と、今ここにいる現世の物理存在そのものである君との融合というのは極めて…
……ああ、まあ難しいことはよそう。何も知らない君に説明するにはちと難しすぎる。」
………はい、何を言ってるのかさっぱりです………。
「まあ、つまるところ、私による定期的な検診が必要な体だってことだ。実際、いつ君と
ハムの融合が剥離して君が事故当時の状態に戻ってしまうかわかったもんじゃあないしな
あ。」
おい、今この人、さらっとすげえ事言いやがったぞ。俺、いつ死んでもおかしくねえっ
てことだろ、おい。
「まあ、人間には自己治癒能力があるから、時間が経てば、ハムは必要なくなるよ。大丈
夫、大丈夫♪」
そう言ってニッコリと笑った。美人だ………じゃあなくて!そんな笑顔で言うないよう
じゃあないんですが!
「とりあえず、コレ、渡しとくね。体に異変を感じたら飲みな。それで安定する。さっき
はそれを作ってる最中でね、手が離せなかった。いやあ、君が死ぬ前に作成できてよかっ
たよかった。運がいいね、君。人にもよくそう言われるだろう?」
………医者に言われたばっかりですね!運が良い?悪いってーの!真希いろはさんから
錠剤の入った小瓶を受け取る。異変ってなにさ………。
「あー………体の節々の痛みとかだね。ハムによって補填されてる怪我が元に戻ろうとす
るから。まあ、大丈夫大丈夫。私も定期的に検診するからさ。」
痛いのか。それは嫌だなあ………んで、これで痛みは取れると。鎮静剤か。それはそれ
はありがとうございま………いや、違う。納得がいかない………。結局、俺はハム公に、
つまり真希いろはさんのやっていることに巻き込まれて怪我をしたわけで………でも命を
救われたのも事実なわけで………。然るべき経過措置と対処を取るのは当たり前というか、
しでかしたことの責任として当たり前なわけだから礼を言うのはおかしいわけで………。
ううう………と心のなかでモヤモヤしながら唸っていると、真希いろはさんが両手をパ
ンッと叩いて言った。
「さあ、とりあえず命の心配はこれまでだ。これからの話をしよう。」
「これからって?なにを?」
「君の処遇さ。この魔術師の真希いろはと一緒に不可思議な世界を生きることについてだ
よ」
いやいやいやいや。何言ってんだ、この人。〈魔術師〉て。
そりゃ、俺には〈人ならざるモノ〉が視えますよ。んで、真希いろはさんにもそれが視
えるってのは理解した。でもいきなり、「自分は魔術師だ」と言われても、はいそうです
かと頷けるほどファンタジーな脳はあいにく持ち合わせていない。
その旨を話すと、真希いろはさんは、
「ファンタジーとな?あっはっは。事実君は今まで色々な不可思議なものを視てきて、尚
且つ瀕死の状態から奇跡の復活を遂げたというのにまだファンタジーなどと言って、視て
みないふりをして自分を欺き続けるのかね?」
少しカチンと来た。〈欺く〉ってなんだよ。視てみないふりってなんだよ。そうでもし
なきゃあやってけないし、現実に対応してるだけだ。
「ああ、ああ、まだ君は認めないというのか。この世には不可思議なものが存在するって
ことを。視えているのに視えていないふり。それも処世術だ。良かろう。だが、もう引き
返せないんだよ少年。どうやら君には背中を押すための劇的なひと押しが必要なようだね。
よろしい。これより、魔術師真希いろはが、君に魔術をご覧入れようぞ。どうぞ活目なさ
りませ………」
真希いろはさんは大仰にそう言って、手品師がするような礼をした後、どこからともな
く鍵を取り出し、俺に手渡した。
見た目以上に重い鍵だった。古めかしい形をしている。それにしてもどこから出したん
だ?手品の類か?
「〈魔術〉だよ、少年。〈手品〉なんかじゃあない。そら、そこに扉がある。この扉に見
覚えはあるかい?」
確かこれ………親父の事務所にある………あの、閉ざされた扉と同じモノがそこにはあ
った。
「さあ少年。〈大魔術〉を目にするチャンスだ。扉を開く勇気はあるかい?コイツを開け
ば、私の言うことも真実として受け止められると思うよ?ん?どうするね?」
鼓動が早くなる。手が汗ばんできた。背中がゾクゾクする。
視てみないふりをしろ。そうやって生きてきたろ?面倒事はたくさんだ。
でも、なぜか、俺の足はゆっくりと扉に向かって行っている。
心がざわつく。抗えない。何かに突き動かされる。
足を踏み入れてはいけない。でも、踏み入れたくなる。
頭のなかでアラートが鳴る。赤い色が明滅する。
ーーーでも、抗えない。
好奇心が加速する。ドクドクと心臓が音を立てる。
俺は逸る気持ちを抑えつつ、そうっと鍵穴に鍵を差した。
ーーーガチャン。
ゆっくりと鍵を引き抜く。逸る気持ちを抑えてそうっと扉を開くとそこには………。