グッバイマイチャイルドフッド
15 グッバイ・マイ・チャイルドフッド
太陽が、一番高い位置に昇る頃、日向学園の屋上テラスでは、ハムと皆川千代が喧々
囂々と未だにやりあっている。ハムは皆川千代をからかい、皆川千代はぷんすか怒りなが
らハムにどうにか一撃を食らわせようと必死に捕まえようとするがまったく捕まえられる
様子がない。終わりの見えない鬼ごっこだ。皆川千代の攻撃を、ひらりひらりとハムは躱
しながら、
「はははっ。無邪気なもんだ。昔のタマキを思い出すよ。あの頃のタマキは可愛かったな
ー。チヨみたいに無邪気で天真爛漫でド天然だったなあ。」
と懐かしむように言った。
「おおーう、タマキセンパイにもそんな面が!どっちかってーとクールなビューティなの
にそんな過去がっ!ってか私、無邪気で天真爛漫で天然なんですか!?そんなことないで
すよーぅ!真面目で理論的で常に冷静です!」
キリッ!とキメ顔をしながら皆川千代は答えたが、全く説得力がなかったのは言うまで
もない。
「ははは、説得力ねえなー。ははは。」
「そーんなことないですよぅ!もう!」
そう言ってハムと皆川千代は再び、いつ終わるとも知れない鬼ごっこを再開した。
そんな一人と一匹の会話を、屋上のフェンスの方に移動した布施弘毅と三笠環が観てい
る。
「〈無邪気で天真爛漫で天然〉か………」
三笠環が口を開く。
「確かに、〈魔法少女〉になった時のアタシは、今のチヨちゃんのように天真爛漫で、無
邪気だった。天然ってのは承服できないけどね。」
「〈真面目で理論的で常に冷静〉って評に関しては?」
「ふふっ。チヨちゃんも買いかぶりがいいところね。先輩風吹かしてるだけなんだけど
ね。」
そう言って、やわらかな表情を向けた後、くるりと背中を向けて続ける。
「あの頃はハルカを救うんだって必死で、それに、なんだかんだ言って〈魔法少女〉とい
う言葉の響きと自分が選ばれたことに少し喜びを感じていたのも事実だった………。」
三笠環は、フェンスの網目に指を沿わせながら、ゆっくりと歩きはじめた。ダラッ、ダ
ダダッっと、不規則なリズムをフェンスに刻みながら続ける。
「ハルカを救うため。ってのは大義名分で、実際の所、アタシは〈魔法少女〉っていう未
知の世界の言葉の響きに魅了されていただけだった。〈魔眼〉ってのも実際の所、ワクワ
クしてたのよ?自分勝手もいいところよね?」
そう言いながら三笠環は歩みを止め振り向き、布施弘毅に視線を投げかけた。布施弘毅
は、それを黙って受け止める。三笠環は、再び布施弘毅に背中を向け、歩きはじめた。
ダラッ、ダララッ。不規則なリズムが再びフェンスを揺らす。
「ハムとガイスト退治を始めたばっかりの頃は色んな物が新鮮に映った。自分が手に入れ
た不思議な力。そして、人知れずこの世を救っているという万能感。そんなものに支配さ
れていた。だって〈魔法少女〉は女の子の憧れなんだもの。自分に酔っちゃうのも仕方が
なかったかもしれない。ものすごく子供だったしね………。」
歩みを止める。
「そのことに、ようやく気づいた時は。心の底から自分の身勝手さを悔やんだ。最初の
〈ハルカを救う〉って気持ちはどこかに行ってしまったことを。いや、むしろ最初からそ
んなものはなかったんじゃあないかって………」
フェンスに沿わせた指がだらりと下げられた。
「仕方がねえよ。子供だったんだから。誰だってそうなるさ。タマキに限った話じゃあな
いさ。」
布施弘毅はフェンスに背中をもたれかけさせながら続ける。
「俺なんて、〈蝕〉があったことすら忘れてたんだ。その中心には父さんが居たってのに。
そして、自分もその場に居合わせたっていうのに。つい最近まで、ハムとタマキに出会う
まで、全く思い出せもしなかったんだ………。」
そう言って体重をフェンスにより預けながら空を見上げる。ギシッ、ギシッとフェンス
が揺れる。
三笠環は布施弘毅に近づいて、同じようにフェンスに背中を預けた。フェンスがひしゃ
げて肩と肩が触れあう。そして、空を見上げて言った。
「アタシとハルカのこと、どのくらい知ってる?」
「まあ、少しばかり、ってとこかな。多分タマキが想像している程度。〈蝕〉に関する事
柄くらいかな?そっちはどうなんだよ?俺の事は?」
「コーキが想像してるくらいの程度。お父さんのこと。多分アタシがあの時見たのはコー
キとコーキのお父さんだったと思う。その程度。力になれなくてごめんね。」
「それはこっちも同じだって。ハルカのこと。ソレにタマキのこと。俺にできることなん
てホントわずかだ。それもこんな〈愚痴聞き役〉だなんてふざけた役職でさ。」
そう言って布施弘毅は三笠環の方を向き、笑った。つられて、三笠環も笑う。
再び、二人は、視線を空に向ける。アキアカネが空を飛んでいる。更に上には飛行機雲
が。そしてまばらに散った高い雲。
それぞれの心に、色々な感情が去来する。
遠野遥のこと。布施啓介のこと。自分自身のこと。
守りたいもの。救いたいもの。知りたいもの。
様々なことがそれぞれにある。
「まあお互い、なんというか、面倒なことに巻き込まれたものよね。それが運命といって
しまえばおしまいだけど。」
「つうか、完全に〈大人の事情〉に巻き込まれて割りを食ってる感じだけどな。それも
〈魔術師〉だなんて、もうついていけない世界でさ。特に俺たちガキにはどうにもできな
い。決定的なことには全く関与できないレベルの話にさ………。」
「イロハが直接アタシ達に会うことよりも、ハムを通して会うことが多いのは、一応、バ
ツが悪いって思ってるからなのかもね?私達〈子供〉を巻き込んだ〈大人〉なりに気を使
っているんでしょうけど。なんというか、ね。」
二人とも、真希いろはに乗せられているのはわかっている。真希いろはのその行動が、
やむにやまれないものであることも理解はできているし、その背後にはもっと複雑な、大
人の世界での牽制があるということも理解している。そして、それには直接参与できず、
結局は駒として、大人のしでかしたことの尻拭いをさせられていることも。
それでも、進まなくてはならない。選択の余地はなかったとはいえ、紛れもなく、自分
で選んだ道なのだ。例えそれがどんなに不条理であっても、辛く厳しい道であっても進ま
ねばならない。
ーーーそれぞれに、守りたいもの。救いたいもの。知りたいものがあるのだから。
「ね?お父さんに会ったらまず何がしたい?」
「とりあえず、〈ぶん殴る〉ね。」
「あはは。なによそれ?感動の再会とか無いわけ?」
「感動も何も、俺と早苗さんをほっぽっていっちまって、おまけに俺の不幸体質は父さん
の業とやらが関係しているときたもんだ。一撃食らわせないと気がすまねえよ。はあー、
嫌になるねえ。」
「まあ、ホント、嫌になることも多いけど、でも、やらなきゃあ、ね?自分で選んだ道な
んだから。」
「そうだな、まあこれからも〈魔法少女の愚痴聞き役〉として頑張る所存でございます
よ。」
「ふふっ。何よ、それ。まあ、これからもヨロシク、ね。」
そう言って三笠環は少し困った顔で笑った。
「おっとー!?知らないうちにタマキセンパイとコーキセンパイがいい感じに!ヒューヒ
ューですよ!?」
「おおっ!?カップル誕生ですな!?チヨさん。はっはーオーキードーキー♪」
皆川千代がとハムが二人を茶化す。
「べっつに、良い感じになんてなってないわよ!勝手にくっつけんなっつーの!」
語気を荒めて三笠環が言った。
それを受けて、布施弘毅はそこまで必死に否定しなくてもいいじゃんよ、傷つくわあと、
がっくり膝を折っておどけた。
屋上のテラスの雰囲気は、一気に弛緩し、いつものだらけた雰囲気に戻った。
キーンコーンカーンコーンと予鈴が鳴る。昼休みももう終わりだ。
「ああー!もう予鈴が!って、そう言えば、まだタマキセンパイとコーキセンパイの馴れ
初めを聞いてないですよ!それに他にもなんか聞きそびれてたような………まあいっか。
コーキセンパイ!早く!早く!初めて会った日のことをチョッパヤで!時間がないんで!
さあ、さあ、さあ!」
ダダダダダッ!と、皆川千代のマシンガンから放たれる弾丸のごとき言葉の乱射に問い
詰められて、布施弘毅は少し圧倒され、思わずのけぞった。そう言えば、そもそもは三笠
環と自分の出会いの話をしていたのだ。三笠環が〈魔法少女になった理由〉と自分が〈魔
法少女の愚痴聞き役になった理由〉を。途中、その背景にあった二人の知らない事実にも
触れるチャンスがあったのだが、それは上手くハムにはぐらかされてしまった。
昼休みももう終わってしまう。二人の知らない事実についてはもう聞ける雰囲気でもな
いし、時間もない。
(うーむ、困った。事件の真相を聞きたかったけれども、チヨちゃんのこの勢いもどうに
か治めないと次の時限に遅れそうだしなあ………)
ちら、と三笠環を見る。三笠環も同じ考えのようで、「仕方ない」といった表情で両の
手の平を参ったといった風に上げ、布施弘毅にため息混じりの笑顔を向けた。
(ま、しゃーないわな。ハムも乗り気じゃあなかったし、今日のところは諦めるか。二人
の出会いについて、ささっと話して終わらそう。俺が巻き込まれた事件の真相については
またの機会に聞けばいいか。)
「早くっ!早くっ!さもなきゃ遅刻上等ですよぉ!」
「ああ、ああ、はいはい、俺とタマキの出会いね。なるはやで話すわ。あれは、停学が明
けた日の事だったよ。」
そう言って、布施弘毅は話し始めた。




