執行
14 執行
魔法少女システムの最高責任者である日向茉莉花を審問する協議会を明日に控え、日向
学園特別理事である日向茉莉花の執務室には、日向茉莉花と真希いろは、そして日向茉莉
花のボディーガードである平定路が集まっていた。日向向日葵と日向月下香は協議会の日
まで会う必要はないと、欠席を表明した。「あいつららしいな」と真希いろはは笑って言
った。
〈協議会〉前日のこの日は、会計係兼秘書である伊坂裕太の学園への背任行為に関する
責を追求するための〈理事会〉が開かれる日でもあった。既に理事会議室には他の理事も
集まっており、勿論、審問対象の伊坂裕太も出席する予定であったのだが、一向に来る気
配がない。日向茉莉花は、平定路に命じ、伊坂裕太を探すように指示した。平定路は、黙
ってうなずき、執務室を出て行った。
執務室には日向茉莉花と真希いろはの二人だけが残された。日向茉莉花がゆっくりと口
を開く。
「………ねえイロハ。私達のやってきたことは結局のところ正しかったのかしら?」
「正しい/正しくないの問題じゃあ無いさ。必要性に駆られて、ただそれを選ぶしか方法
がなかっただけさ。」
「ーーー選択。そう、どんなにそれが仕方なく強いられたものであったとしても、私達は
選択をした。まだ未完成で試行段階であった〈魔法少女システム〉を使用することを。」
「ーーー〈蝕〉の発生がそれを加速した。しかし、遅かれ早かれ、当主を〈澱〉によって
失った日向家はこの土地の〈澱〉を処分する方策を他の魔術師達に見せつけなければなら
なかったんだ。きっかけはどうあれ、〈魔法少女システム〉はいずれ使用することになっ
ていただろうよ。でなければ他の魔術師に蹂躙され、今よりも酷くなっていたかもしれな
い。」
「でも!」日向茉莉花が間髪を入れず声を大きくして言った。「〈蝕〉がきっかけであれ、
私たちは罪もない二人の女の子にーーー遠野遥と三笠環にーーーそれを強いてしまった。
遠野遥には〈澱〉の持つ負のエネルギーを、その身の苦しみとして受けてしまうように。
そして三笠環には、〈澱〉を処分する魔法少女という役目を否応無しに背負わせてしまっ
た。………これはやはり罪ではなくて?」
「罪………か………。」
しばらく、間をおいてから、真希いろはは続ける。
「遠野遥が澱の影響をその身に、苦しみとして受容するようになってしまった事。
まるで人身御供のようだ これに関しては、非常に心苦しいと思っている。しかし私
達ではどうにもできなかった、そして今もどうにもできない問題だということも事実だ。
できることは対処療法だけだ。あの〈蝕〉自体、何故起こったのかわからないのだから。
〈蝕〉の発生においては誰に責任があるかなんてわからないよ。マツリカの父君に関して
も、ヒマワリとゲッカが捜索しているものの、未だに手がかりすら見つからない程だ。」
「でも、その後の対応は?それには日向家に、私に責任がある。この土地の霊脈を管理す
る者としての責任。未完成な〈魔法少女システム〉を使用することになった咎が。それも
全く私達の世界に関わる必要など微塵もなかった三笠環に〈魔法少女〉という役目を押し
付けてしまった………。」
「それに関しては、私に責があるよ。アレは私の勝手な判断で、私の〈魔眼〉を移植した
のだから。巻き込んだのは私だ。マツリカが気に病むことではないよ。」
「でも、でも!イロハはあの娘を救うために仕方なく行ったことでしょう?元はといえば、
この土地を管理する日向家が、〈蝕〉の発生を許してしまったことに責が………それに、
布施弘毅を!よりにもよってあの子を巻き込むことになるなっ………」
と、突然、真希いろはが立ち上がり、日向茉莉花にキスをし、口をふさいだ。日向茉莉
花は動揺し、二の句が告げなくなった。日向茉莉花の心臓が早鐘のように打つ。しばしの
沈黙の後、ゆっくりと二人の唇が離れた。そして、真希いろはは着席し、続けた。
「私達は、ここまでどうにか〈魔法少女システム〉によって、〈蝕〉発生後の混乱を、
〈澱〉」
に対する方策として使用することでこの土地を他の魔術師の介入から防ぎ、管理し続けて
きた。確かにこれは私達のエゴだ。二人の少女を巻き込んでいるのは事実だ。そして、布
施弘毅………布施啓介の息子を巻き込んでしまったことも。しかし、それでも私達は進ま
なくてはならないんだ。それがどんなに罪深いことであろうとも、簡単に懺悔をして罪悪
感から自分を開放するなんてことはやってはいけないんだ。」
日向茉莉花は、真希いろはの言うことをしかと受け止めて、覚悟を決めるように言った。
「そうね………泣き事なんて言う資格すら私にはなかった。イロハの言うとおりだわ。例
え、それがどんなに罪深いことであっても、ひたすら進むしか無い。そして、私にできる
ことは、今を嘆くことではなく、未来に向けて最善を尽くすこと。それだけしかない……
…たとえ、〈協議会〉でどのようなことが私に課せられようと、最善をつくすことが私に
できること………。」
「〈私〉ではなく〈私達〉だよ、マツリカ。私達は共犯者なのだから。」
(〈共犯者〉、か。優しいねイロハは………)
そう心の中で呟くと日向茉莉花は落ち着きを取り戻し、少し微笑んだ。そして、話を続
ける。
「イロハ。今回の事件についての調査の方はどう?特に、布施弘毅が巻き込まれたことに
ついて。偶然とは考えられないわよね?だって彼はあの人の………」
「ーーー布施啓介。〈紫煙〉の一員であり、六年前の〈蝕〉を機に現在も行方不明の男。
その息子である布施弘毅が今回の事件に巻き込まれたのは偶然とは片づけがたい。むしろ、
私達の魔法少女システムに対する牽制が主目的ではなくて、布施弘毅を私たちの世界に巻
き込むことが主目的のようにも思えてくる………。」
〈紫煙〉は表向きには警備会社として存在している。そして、その警備会社は、この日
向学園の警備をも担当している。布施弘毅並びに瀬戸洋平に接近するのは容易だ。そして、
その〈紫煙〉を運用しているのは遠野家である。
「遠野家の策略であることは確定事項として、瀬戸洋平のカウンセリングからは何かわか
ったの?」
「伊坂裕太に唆されて、警備のアルバイトを引き受け、それに布施弘毅を誘ったというこ
とだけ。あとは曖昧だったよ。〈紫煙〉の連中に忘却術式をかけられたんだろうね。話が
引き出せそうにもなかったから、忘却術式をかけて帰したよ。しかし、思考術式の痕跡を
見つけることはできた。かなり高度だったので苦労したがね。アルバイトをすることに執
着させ、且つ布施弘毅を誘うように、仕向けられていたよ。」
「伊坂は隠形に長けている。彼なら十分可能ね。瀬戸洋平に対し、自分の存在を忘れるよ
うに忘却術式をかけなかったのは、その必要性を感じなかったからでしょうね。大胆不敵
と言うか 何と言うか。大した忠義心だこと。」
「事前に察知できなかったのは、私たちの手落ちだね。うまく立ちまわったもんだ。やら
れたね。」
ふっ、と苦笑交じりに真希いろはが言う。それに合わせて、日向茉莉花が苦笑した。そ
して続ける。
「でも、疑問が残り過ぎる。私達を嵌めることだけが目的ならば、布施弘毅を巻き込む必
要性はない。わざわざ思考術式を瀬戸洋平にかけるリスクを考えれば、ね。忘却術式はと
もかく、もし、思考術式の痕跡が見つかってしまえば、遠野家の立場は危うくなり、策略
もいずれは表に出てしまう………」
忘却術式それ自体は、一般人を魔術師の世界から遠ざけるために使用されるため、その
痕跡が見つかろうが問題にはならない。しかし、思考術式なら話は別である。意図的に、
一般人を魔術師の世界に巻き込むものならばなおさらである。これは、魔術師の世界を不
用意に不安定にする行為であって、それ自体が審問の対象となる可能性が高い。つまり、
協議会を先導する遠野家としては、それが明るみになれば都合が悪いものとなるからだ。
「でも、そうはしなかった。伊坂ほどの魔術師が、そして遠野家がわざわざそんなミスを
犯すとは思えない。」
「〈私達を嵌めること〉と、〈布施弘毅を巻き込むこと〉。その両方共が主目的だったと
考えるべきだと思う。そして、前者と後者を意図した人物は別だと考えるべきだ。遠野家
は私達を嵌めようと策略し、伊坂にそれを任せた。ここまでが前者の目的だ。そして、伊
坂がそれを実行する際に、後者の目的を達成するための手段が用いられたと考えれば合点
が行く。」
「それは伊坂自身の意図かしら?彼も〈紫煙〉の関係者だったし。布施啓介の手がかりを
得るために、布施弘毅をこちら側の世界に巻き込もうと?」
「伊坂だけじゃあない。〈紫煙〉関係者はこの学園中にいる。学園どころか、日向の管理
するこの土地には〈紫煙〉関係者がうろちょろしているさ。誰が画策したとしても不思議
ではない。」
「………なんにせよ、〈協議会〉を開催してみないと埒が明かないわね。開催前に伊坂に
問い詰めたいところだけれども………タイラはまだかしら?そろそろ伊坂を捕まえて戻っ
てきてもいい頃だと思うのだけれども?」
「伊坂は来ないよ。」
怜悧な眼で真希いろはが言う。
「そして、今日の〈理事会〉も、明日の〈協議会〉も開催されない。いや、開催できない
というべきか………。」
「開催されないって?どういうこと?〈理事会〉も〈協議会〉も査問対象兼証人の伊坂が
いなければ………」
そこまで言って、はた、と日向茉莉花は気づいた。そして怯えに似た感情を瞳に映し、
続ける。
「イロハ………あなたまさか………。」
と、ノックの音がした。日向茉莉花が入室の許可を与えると、平定路が入室してきた。
日向茉莉花はすぐさま、伊坂裕太の事を聞こうとしたが、平定路は彼女が口を開く前に手
紙を差し出した。
「遠野正臣様からのお手紙です。先ほど多田聖人から受け取りました。協議会と伊坂に関
する事柄についてのものだと承っております。」
日向茉莉花は手紙に目を通し、視線を手紙から真希いろはに移す。
真希いろははそれをがらんどうの眼で見つめ返し、言った。
「運命を超克するのが我々魔術師だ。過去の類似した逸話という運命の糸なんざ、断ち切
ってこそだろう?どこぞの聖人の〈受難〉をなぞる必要なぞ、ないのさ。」
◇
協議会開催の二日前。少し欠けた月が昇る夜。三日前、魔眼の暴走が引き起こされたビ
ルの屋上に二人の魔術師の影があった。
一人は真希いろは。そして、もう一人は伊坂裕太。
ビル全体には事件後から結界が張られ続けている。真希いろはによる結界だ。現場保存
のために張られたその結界内での出来事は、日向家にも遠野家にも、荒神家にも察知され
ない。
真希いろはの呼び出しに、伊坂裕太は素直に従った。そして今、二人はビルの屋上で対
峙している。
ーーー魔術師として、決闘をするために。
二人は、お互いを見据えると、魔術展開のための結界を展開し始めた。お互いを中心と
して、拡大する結界の円の外縁が触れ合い、無限のマークになるとそれはその接点を中心
としてくるくると廻り、巨大なひとつの円となった。
魔術師は、その業を以って決闘をする際、〈世界の修正力〉に感知されないために、お
互いの結界同士を同調させ、決闘の場を創る。二人は今まさにそれを行なっている。
結界を同調させながら、二人は各々の魔術の発動準備を行う。真希いろはは右手をかざ
し、心の中で呪文を呟く。かざした右手からは魔法陣が幾重にも重なって展開され、同時
に真希いろは自身を中心にして、球状の概念防御壁を展開する。
伊坂裕太は、両の手を合わせ、左右に広げた。すると、ひとつなぎになった紙人形が両
の手のひらから現れ、くるくると伊坂裕太の周囲を回り始めた。
二人は、魔術の展開準備を終えた。あとは結界の同調を待つだけだ。と、伊坂裕太が口
を開く。
「貴女の〈混沌魔術〉とは一度やりあってみたかった。こうして相まみえる事を光栄に思
う。」
「貴公の〈典礼魔術〉にも敬意を。古くからの業と相まみえる事を誇りに思う。」
同調率は次第に上がっていく。お互いにそれを感じ取っている。
「貴公の術式は実に見事だった。私の結界のほころびを付き、且つ、彼らに着せた警備服
にかけられた術式。正直、事が起こるまで、布施弘毅と瀬戸洋平の存在に気づけなかった
よ。私があそこまで感知できないレベルの術式にはそうお目にはかかれない。お陰でこち
らとしては困ったことになったわけだがね。」
「お褒めに預かり光栄の極み。しかし私だけの力では成し得なかった。」
「〈紫煙〉の結界班か。しかし、それを除いても、貴公の業は見事だ。ガイストに欺瞞し
た貴公の式神にはまんまと騙された。」
「貴女達の〈魔法少女システム〉が強固だったからこそ、ですよ。顕現力の強さ故に、欺
瞞もそう難儀ではなかった………」
二人が会話をしている内にも、どんどん同調率が上がっていく。
「遠野の犬め。そこまで忠義を尽くす必要があるのか?貴公ほどの魔術師が?」
「さあて………それを知る必要は貴女にはあるまい………」
「あの時、貴公の式神の依代には莫大なエネルギーが詰め込まれていた。それに、あの欺
瞞能力。一般人を巻き込み、協議会の審問対象にせずとも、私達を始末することで、日向
家の信用を失墜させる事は容易だったはずだ。しかし、貴公はしなかった。それはつまり
………」
「ーーーこの決闘のためだ。貴女とは直にやり合いたかったのでね。犬とて時には自己の
利を得たくなるものだ。」
「そうか………魔術師のエゴか。己が業を試したくなる、戦闘衝動。それがお前個人の目
的か………おもしろい!」
ニヤリと真希いろはが笑う。伊坂裕太も笑う。己が業を、闘争の業として使用する。人
間はその誘惑に常に晒されている。その力が、自己が有しているそれが大きければ大きい
ほどその誘惑は大きくなる。魔術師たちのそれが、常人より強いのは道理だ。
殺気のみが場を支配する。怜悧なものではない。愉しみさえ感じている狂奔がそこには
あった。
会話が途切れた。閾値が近い。
そして、同調率が最大となった瞬間、決戦の火蓋が切られた。
真希いろはが眼前にかざした右の手のひらから、六連装の銃身のごとくに魔法陣が展開
し、回転しながら緋色の光弾が放たれる。毎分千発の速度で伊坂裕太を襲う。
対して、伊坂裕太のスーツの袖からは夥しい数の紙人形が放たれる。
機銃掃射の如き緋色の光弾とおびただしい数の紙人形がぶつかり合う。
両者のほぼ中間点に於いて、それは均衡し、押し合いになった。ゴゴゴゴゴン!と空間
が音を立て、キイイイイイン!と甲高い音がそれに続く。
(力は互角か!概念魔術と実体魔術のミックス加減もほぼ同じとはね!)
(概念魔術の程度が高すぎたか。実体魔術の割合を増やさねば、ダメージは与えられぬ
か!)
ぶつかり合ったエネルギーの余波がそれぞれを襲う。しかし、両者とも、ダメージは受
けていない。概念魔術の割合が高すぎて、それぞれの概念防御を貫くことができない。
真希いろはは、展開した六連装の魔法陣をその場に固定し、固定砲台とし、左方向、フ
ェンスのある方向に向かって走った。それを見やり、伊坂裕太も次の一手を考える。
伊坂裕太は、その場から動かず、攻撃術式を収めた。真希いろはの固定砲台から放たれ
る緋色の光弾が伊坂裕太を襲う。
が、攻撃術式から即座に概念防御術式に切り替えられた紙人形が伊坂裕太の周りに球を
作るように展開され、緋色の光弾の攻撃エネルギーを霧散させる。
伊坂裕太は緋色の光弾に対抗しながら新たに術式を展開する。両の手を合わせ、印を結
ぶ。
「それは よいやみをてらすもの おとをおきざりにし てんよりおつる だんざいのつ
るぎとなりて………」
呪文を詠唱し始めると、空は急速に暗雲に包まれ、月を隠す。
(太陰が隠されたか。だが、大した問題ではない!)
真希いろはは移動しながら左手を地面に向け魔法陣を展開し、地面を削る。轟音ととも
に削られたそれは、無数の塵芥の弾丸と化す。そしてそれは右手から展開した攻撃術式魔
法陣に供給され、
「地より這いいづるものよ!其の敵はあれ成り。穿て!」
真希いろはの右手の攻撃術式から放たれた。地面から削りとった塵芥、すなわち、概念
ではなく実体を緋色の光弾に包み放つ。概念魔術のみではダメージを与えられない。それ
故に、物理的存在を概念魔術の緋色の光弾に随伴させ、伊坂裕太の概念防御を貫く。
同時に、伊坂裕太は呪文の詠唱を終え、実体魔術を発動させた。
「落ちよ!神鳴る力!」
伊坂裕太の体を、真希いろはの塵芥を混ぜ込んだ緋色の光弾が貫く。同時に、真希いろ
はのの頭上から雷が落る。
「ぐっ………!」
伊坂裕太は攻撃を喰らい、よろけた。
(実体弾はさすがに防御しきれぬ。しかし、彼女もダメージを受けているはず。それも私
以上に。所詮彼女の攻撃は概念魔術の域を出ていない。攻撃力だけならこちらの実体魔術
の方が上のはず………!?)
しかし、真希いろははダメージを受けていなかった。鎚のごとく落ちる雷を捌いてい
る!
(何故だ!?)
事態の把握に一瞬時間がかかる。が、すぐに事態を把握した。
真希いろはの左手には、鈍色が。フェンスを削りとり、分解し、再構築して創られた剣
が握られている。
(金気!?彼女は土気のはず………しまった!土生金!金剋木!錬金の徒!)
伊坂裕太はそう思い、次の手を考 既に手遅れだった。
肉体を実体魔術、概念魔術両方に依って強化し、瞬間的に人間の肉体が耐えうる限界に
まで速度を上げた真希いろはが眼前に迫っていた。
そして、真希いろはの手にした剣が、伊坂裕太の心の臓を貫いた。
………
数分後、ビルの屋上には二つの影があった。一人は地に伏し、一人はそれを見下ろして
いる。
地に伏したのは伊坂裕太。仰向けになり、真希いろはを見つめている。
心の臓はとっくのとうに止まっている。突き立てられた鈍色が月明かりにたらされて怪
しく光る。かろうじて生きながらえているのは、魔術師の魔力のもつ生命力故だ。それも
すぐに消えゆく。
真希いろはが問う。
「何か言い残すことは?冥土に持っていく荷物は少ない方がいい。」
伊坂裕太は答える。
「〈澱〉と〈蝕〉について。私見を残したい。」そして続ける。「〈澱〉。私達魔術師が
魔術師である限り常に向き合わなければならない存在。いつからそうなのか?それは誰に
もわからない、しかし、我々魔術師があらゆる森羅万象を加速させて行う業に伴う因果の
帳尻合わせに必要なことであると考えるのが道理である。それは貴女も、他の魔術師も皆
共通の認識だ。」
真希いろはは黙って頷いた。ーーー魔術師の業。それは世界の因果律の改変に他ならな
い。そしてそれは、あらゆる森羅万象の生成過程を加速することに依って為される。時空
を、普遍的なクロノス時間でなく、主観であるカイロス時間に置き換えて為す業に対する
世界のささやかな抵抗。それが〈澱〉であるとの認識だ。
「恣意的に事象を加速し、エネルギーを扱う我々は、同時にそれの反動として生成される
負のエネルギーにおいて責任を持たなければならない、それが〈澱〉だと私は考えている。
そして、それをより扱いやすくするために〈顕在化〉をする。そのひとつとして、君たち
の〈魔法少女システム〉があるわけだ。」
〈澱の顕在化〉は魔術師それぞれによって方法が違う。各々のやり方で対処する。日向
家の方法は〈魔法少女システム〉という方法である。
「〈澱の顕在化〉。私達の〈魔法少女システム〉。遠野正臣はそれを快く思っていない。
児戯に等しいと認識していると聞いている。それ故の行為か。私達を引きずり落とす為の。
そう認識しているが、如何に?」
伊坂裕太はその問に答えず、続ける。
「我々魔術師による〈澱の顕在化〉は死の創造に他ならない。そして私達はいつも自分た
ちの創りだした死に怯え続けている。〈蝕〉はその死に対する我々の姿勢に対する警告な
のではないだろうか?恣意的に死を創出し、管理可能にしたと思い込んでいる我々に対す
る警告。我々魔術師は生と死を恣意的に設定し、対立物として扱っている。〈蝕〉はそれ
に対し、始原の混沌を持って応えているのではないだろうか?〈世界の修正力〉の一つの
〈相〉としての現れ方。それが〈蝕〉なのではないだろうか?〈蝕〉内での因果律の混乱
は、我々魔術師が森羅万象を加速させる行為を鏡のように映しているのではないだろう
か?」
そう言うと、伊坂裕太はふうと息をついて、黙り込んだ。彼は今死に往く過程にいる。
それを真希いろはが、ただただじっと眺めている。
「裏切りの理由については、何も聞かないんだな。」
伊坂裕太が言った。
「我々魔術師はお互い必要以上に干渉しないのがルールだからね。イサカ。お前の裏切り
にいかなる理由があろうとも、私は敢えて聞こうとは思わないよ。その代わりとしての決
闘だ。そして今、お前は死に往く過程にいる。それだけのことだ。遠野家の差し金による
行為。それだけわかれば十分だ。その制裁としての決闘だ。お前はそれを了承し、そして
それは為された。それだけで十分だ、これ以上に望むものがあろうか?しかし………それ
でも敢えて聞きたい事がある。」
一呼吸置いて、真希いろはは言った。
「何故、布施弘毅を、布施啓介の息子を巻き込んだ?遠野の目的はともかく、お前の目的
を達成するだけならば、巻き込む一般人は彼である必要性はなかったはずだ。例え布施啓
介の業が布施弘毅に降り掛かっているとしてもだ。」
伊坂裕太は何も答えない。真希いろはの表情は険しい。
「遠野正臣の他に、お前を唆した誰かが居る。私はそう考えている。それは誰だ?お前の
属していた〈紫煙〉の関係者だろう?」
「………私が自らの口から言わなくとも貴女には大体の察しはついているはずだ。それが
答えだ。その者の名は冥土まで持って行かせてもらうよ。私にも義理というものがあるの
だからね。」
そう言うと、伊坂裕太は人型の紙をひとつ取り出した。そしてそれに呪を込める。
自らの死を加速する呪をーーーそれを飲み込むと、伊坂裕太の体は死に向かって加速し、
ものの数秒で塵芥と化し、空中に霧散した。
半かけの月が少し傾く。
あたりは静寂に包まれ、伊坂裕太の死臭が少しの間だけその場を漂う。
真希いろはは伊坂裕太の生の痕跡が完全に消え去るまでじっとその場に立っていた。や
がて、死臭も消え、完全に伊坂裕太の体の消滅を確認するとその場を去った。
◆
遠野正臣からの手紙には、協議会を中止したいとの旨が書かれていた。その理由として、
証人の不在が挙げられていた。その証人とは、当然、伊坂裕太のことだった。
伊坂裕太の失踪によって、日向学園の理事会も中止となった。理事たちは伊坂裕太の失
踪を告げられ、動揺の中、それぞれ帰路についた。
遠野家による日向家を陥れる策は失敗に終わった。多田聖人は、遠野正臣からの手紙を
渡し終え、帰路に付くために車に向かって歩いていた。
(伊坂の死は少しもったいなかったが仕方がない。これも啓介さんの行方を探るために必
要な犠牲と考えればよい。元々、自らのスパイとしての在り方に重荷を感じ始めていた男
だ。それに、アレは渇望していた。自らの業を戦いの場に於いて使用することを。
戦闘欲求。アレにはスパイなどという仕事は退屈そのものだっただろうて。アレは魔術師
として、決闘で死を迎えられたのだから、彼も本望だろうよ。)
多田聖人はそう思いながら、遠野家に戻るために車に乗り込む。
(遠野様と伊坂の企てに、上手く布施弘毅を巻き込むことができただけ重畳だ。しかもう
まく、三笠環らと遭遇させることができたのは儲けものだ。危うく、死神を呼びよせると
ころだったが、結果、枝を大きく揺らすことができた。今となっては、啓介さんの行方を
辿るための枝は、息子である布施弘毅以外にはないのだからな。彼をこちら側の世界に巻
き込むことで、啓介さんを探す端緒になりうる。幹全体に与えた影響は期待以上だ。啓介
さんを探すためならば、伊坂の死も、布施弘毅のこれからの苦難も大したことではない。)
イグニッションキーを差し込み、エンジンをかけようとした瞬間、
「右腕の長子はどうだい?」
助手席の方から声をかけられた。
振り向くとそこには、がらんどうの眼をした生き物が居た。 ハムだ。
「ええまあ。あれから六年経つのでそこそこには。しかし、完全にとは行かないもので…
……。」
白い手袋をした右手をさすりながら答えた。
「お前の右手は〈蝕〉の影響だけではないからね。〈紫煙〉の使用している薬の副作用も
影響している。私の業だけではなかなか上手くいかないってわけだな。〈紫煙〉の使用し
ている薬に関する情報をもっと提供してくれればもう少し上手く調整できるんだがね?ま
あそれはいい。お前に聞きたいことがある。 何故布施弘毅を巻き込んだ?」
「さて?何のことでしょうか?質問の意味が私にはわかりかねますが………?」
「この場に及んで白を切るのか。まあいい。啓介さんに対するお前の憧憬はうっとおしい
ほどに強い事はわかっている。何しろ、〈紫煙〉において、お前と啓介さんはバ相棒とし
て組んでいたわけだからね。」
じりじりと、距離を詰めながら、ハムは続ける。
「ああそういえば、その前は伊坂と組んでいたな?ほうら、ここには明確なつながりがで
てきているわけだ。しかし、あの時ーーー〈蝕〉の発生時、お前は置いていかれた。その
場に居合わせられなかった。置いてけぼりを喰らったわけだ。後を慌てて追ったはいいが、
不用意にも何の対策もせずに〈蝕〉の外縁部に触れてそのザマだ。」
そう言って、ハムは多田聖人の右手を見る。そして続ける。
「お前がどう白を切ろうと、お前が布施弘毅を巻き込んだのは明白だ。それに、伊坂を私
と戦うように仕向けたこともだ。伊坂は最後までお前の名を言わなかったよ。裏切り者だ
が、最後まで元相棒のお前の名を口にすることはなかった。お前はそんな義理堅い男をも
犠牲にしたのだ。お前の業は深い。覚えておけ。私はお前を常に監視し続ける。殺しはし
ない。お前が認めない限りは決闘もできんしな。私の魔術師としてのプライドが、かろう
じてお前を生かしている。〈紫煙〉の動向を探るための利用価値もお前にはあるしな。し
かし、覚悟はしておけ。いずれお前を始末する。覚えておけ、覚えておけ。お前の業は深
い。私はお前を許さない。覚えておけ、覚えておけ………」
そう言うと、ハムはひょいと助手席の窓から飛び出し去っていった。
多田聖人はしばし右手をさすり続けた後、イグニッションキーを差し込みエンジンを掛
け、いつもより吹かし気味に車を発進させた。
がらんどうの眼が、ずっと脳裏から離れなかった。




