ホンキートゥンクマギ
10 ホンキー・トゥンク・マギ
「そこは雪国だった………!?」
「違えよ。湯沢温泉でもないし、ナルニア国でもなかったよ。」
皆川千代のボケに高速でツッコミを入れた。
「あの扉を開いた先にはさ、本の山がどっさりあったのよ。」
「そそ、ウチの古書店〈いろはにほへと〉につながってたのよね。」ハムが言った。「あ
れにはさすがに魔術師の真希いろはさんに半信半疑だった君も納得せざるを得なかっただ
ろう?〈魔法円〉を利用した術式により、一瞬にして距離にして数十キロの地点を移動し
たわけだからさ」
真希いろはの家にある扉は、布施弘毅の父親である布施啓介の事務所が入っている建物
の一回にある古書店〈いろはにほへと〉につながっていた。〈魔法円〉を使った空間移動
術式がそこには組まれていた。
「てかてかー、やーっとここで、いろはさんとコーキセンパイがはじめて直接会ったんで
すねー。どんな話をしたんですかぁ?タマキセンパイの話もしたんでしょ?」
「そだね。でもそん時は、呆然としてて、あんま頭に入らなかったけどなあ………やっぱ、
瞬間移動ってのは、実際体験してみると、色々度肝を抜かれるわなあ………。」
「はっは!びっくりしてたんじゃんよ!コノヤロー!」
そう言ってハムは布施弘毅にドロップキックをかました。布施弘毅は、「あだーっ!」
と声を上げて椅子から転げ落ちた。
いきなりいってーなバカヤロー!と言いながら布施弘毅が立ち上がり、座り直すと同時
に皆川千代が、眼をキラキラさせて、話の続きを促した。
「てかてかー!イロハさんもこっちに来ればいいじゃあないですかあ?ハム越しじゃあな
くて、直接聞きたいー!コーキセンパイを魅了するほどの美貌!もったいないじゃあない
ですかぁ」
「魅了なんかされてねえっつーの」
「またまたー。無理しちゃってー。」
「そうね、性根の悪い魔女に拐かされてこのザマなんだものね。アタシの愚痴聞き役さ
ん?」
鼻で笑うように三笠環が言った。そんなんじゃねえよと否定する布施弘毅だが、実際の
ところは不明だ。好みのタイプであったことは確かだろうが。
「てかてかー!イロハさん!早くこっちに来てくださいよぅ。学園に居るんでしょ?」
「いんや、今日はお休み。非常勤だからねー。古書店の方に居るよ。」
「だったらなおさら、さっき話に出てきた魔法円の空間移動術式でばばーん!ってこっち
にこれるんじゃあないですかぁ?」
「んー………チヨ、そいつぁあ無理な話だわ、魔法円は構築にものすっごく時間とエネル
ギーが掛かるし、空間移動術式はかなり高度な術式だから、魔法円を構築したらすぐさま
別の魔法円と空間をつなげるなんてことはできねえよう………。というか、魔術行使にお
いての結界と魔法円がどういう意味を持つのか?またその違いとは?と言ったところから
勉強しなおしたほうがいいのう………チヨ、さっきはあんなに優秀だったのに、ヨヨヨヨ
………」
「うぐう!しょ………精進しますっ………ぜひともご指導ご鞭撻の程をっ!」
「うむ、よかろう。ちょうど目の前に魔導書がある。そいつからちょいと抜粋しよう。そ
れじゃあレッスン!」
そう言うと、ハムと皆川千代の間で、魔術に関する講義がまた始まった。
《魔術行使そのものは、術式、儀式など後天的に概念として生み出され、構築された概
念体系であるから、結界や魔法円を展開しなくとも、行使それ自体は可能である。しかし、
世界の因果律を著しく超えるような術式の展開は、魔法円や結界なしでは難しいものとさ
れている。》
「あれですねー。さっき言ってた〈世界の修正力〉ってのが関係してるんですよね?」
「そうそう、魔術の行使自体は実体魔術だろうが概念魔術だろうが結界や魔法円を展開し
なくてもできるのさ。既存の世界の因果律に過剰に干渉したり、エネルギーの偏位を起こ
さない限りはね。例えば占いとか予知の類だね。魔術の体系ってのは大抵そういう干渉度
が低いものから始まったのさ」
《結界や魔法円の展開を行わなくても行使が可能なのは、占い、予知、などといった類
のものであり、直接、世界に物理干渉を起こさないものである。研究が進み、魔術の体系
が徐々に形作られ、より高度な世界の因果律への干渉度が高い魔術を行使することを目論
み始めると、魔術師は大きな壁に突き当たった。それが〈世界の修正力〉である。
初期における物理干渉・因果律の恣意的操作を行う魔術は、短時間且つ小規模であった
ため、〈世界の修正力〉というものは働いてこなかったのであるが、魔術による既存世界
の因果律への干渉度が高まるに連れ、この影響は見逃せないものになった。それは別名、
〈死神〉と呼称されるほどに、それは魔術師の命を奪うほどのものと化してきた。この影
響を回避するために魔術師達によって考えだされたのが、〈魔法円〉である。》
「〈結界〉より先に〈魔法円〉が考案されたんですね。」
「そうさ。コイツは俗に言う〈典礼魔術〉ってやつだね。歴史の古さはダンチだ。いろん
なシンボルに対する意味付けと信仰とその流布によって、既存世界にどうにか接近しつつ、
〈世界に承認されたもの〉とし、世界から異物と見做されないようにするというある種、
静的な、防御的な考えからまず考えだされたものなんだ。」
《魔法円を用いた古典的な魔術行使においては、既存世界の因果律への干渉度が高い魔
術、特に物理干渉を起こす魔術の展開も可能である。しかし、魔法円の中でしか効果は発
揮できない。よって、可搬的且つ即時的な運用は難しいと思われる。この問題に対し、魔
術師達は、物に魔法円の効果を付帯させることで解決を図ろうと考えた。それが〈マジッ
クアイテム〉と呼ばれる物である。》
「おおう!マジックアイテム!素敵な響き!つまり魔法の杖とかアミュレットとか短剣と
護符とかそんなんですよね?」
「うむ。そういった類のものだね。魔法円は〈土地〉つまり地面に描かれることから始ま
ったわけだけど、それじゃあその場でしか行使ができない。それは方々を旅して見聞を広
めたい魔術師にとってはネックだったわけ。それで、可搬性をもたせた魔法円ってのをど
うにか考えた結果、〈マジックアイテム〉ってのが考案されたわけ。」
《魔法円と同様の効果を持つものとして考案されたマジックアイテムは様々な形態を取
る。代表的なものとしては、杖や短剣、アミュレットや護符、呪符などが挙げられる。こ
れらには、特定のシンボルや文字、言葉、記号といったものが刻まれている。それらを媒
介物として付加する事でただの〈アイテム〉が〈マジックアイテム〉となるのである。》
「あれですね、〈ルーン〉とか〈天使や悪魔の名前〉とか、〈祝詞〉とか〈呪〉とかそん
なんですね。」
「いかにも。この辺りに関してはチヨも勉強しているようだなあ。感心感心♪」
「えへへー。それほどでもー。」
「まあ、〈マジックアイテム〉とは言ったものの、言葉そのものが〈マジックアイテム〉
足りえる事もあるんだけどね、それこそ〈呪文〉なんてのはまさにそれさね。しかしコイ
ツがまた厄介な問題を持ってきてしまったんだよね。」
「と、いいますと?」
「言語学のタームで説明すると………まあラングとパロールの問題でね。何かに記述され
た形である〈ラング〉の意味合いを強く持っていたモノが発話される音声としての形であ
る〈パロール〉になることによって、魔法円の持つ機能から逸脱しはじめちゃったんだよ
ね。つまるところ、魔法円を展開しないで魔術を行使するのと同じような状態になっちゃ
ったわけ。」
「うーんと………ラングとパロール?言語学って言われてもよくわかんないんですけど…
……〈ふりだしにもどっちゃった〉ってことでオーケーですか?」
「うーん………この辺りについては複雑なんだけど、まあ当面はその理解でいいよ。魔法
円は元々地面に描かれたものだって説明したよね?その延長として、マジックアイテムが
できたわけだ。ここで大事なのは〈記述されたもの〉ってことなんだよね。それ故に、魔
術行使の場として〈限定性〉を持たせることで、〈既存の世界の因果律と修正力〉と折り
合いをつけてきたんだ。」
「んー………つまり、物や土地に何かを刻むことで〈限定性〉を持たせてきたからこそ
〈世界の修正力〉から見逃してもらえていたのに、〈呪文〉っていう何かに刻まなくても
すぐに使用できちゃう形になってくると、そうはいかないとなったわけですか?」
「まあ、大雑把に言えばそうだね。それと同時に、可搬性のあるマジックアイテムに付帯
させられる魔法円の能力ってのも限界が見えてきてね、大規模な魔術行使をするには物足
りなくなってきたんだよね。まあ霊脈を管理する魔術師達なら、その土地に一つの街を包
み込むくらいの〈魔法円〉を構築して大規模な魔術を行使しやすくするのは可能なんだけ
ど………まあ我ら魔術師は基本、流浪の身。それじゃあ満足がいかなくなったんだ。〈可
搬性〉と〈即時性〉を兼ね備えて、且つ、ある程度大規模な因果律に干渉する魔術を比較
的安全に行使できるようにするために魔術師達は頭を捻らせたわけだ。」
「そこで生まれたのが〈結界〉ってことになるんですかね?」
「そのとおり。」
《魔法円理論の拡大による魔術行使の展開規模に限界を感じた魔術師達は、新たな魔術
行使のための方法論を創りだした。それが〈結界〉である。彼らは、自己を中心にし、自
我を世界に拮抗させ、自我の掌握領域を広げる事によって結界の展開を為す。〈結界によ
る魔術行使〉は、〈魔法円による魔術行使〉と違い、運用上、高速に大規模な結界を展開
できる事から、魔術行使を即座に行う事ができる。魔法円による魔術行使は、魔法円を作
成するのに、時間がかかるため、特に、戦闘には向かないのである。》
「ほほう!〈戦闘〉なんて物騒な言葉が出て来ましたねー。すっごく攻撃的!」
「そう、実に攻撃的なんだよね。〈魔法円〉は〈世界の修正力〉に対して〈防衛的、静
的〉な態度から研究されたのに対して、〈結界〉は〈攻撃的、動的〉な態度から出発して
るんだ。魔術を行使することには変わりはないんだけど、出発点と目的到達点が違うんだ
よね。〈魔法円〉は世界に対して謙虚な態度をとっているのに対して、〈結界〉は自己を
世界に成り代わる存在にしようとする野心がある。錬金術のタームで言えば、〈アルスマ
グナ〉への希求心とでも言えようかね。」
《魔術師による結界の展開は、自己の心象世界を外世界へ現実化させるものであり、結
界の展開範囲を、自己の統御下におくという事である。結界内を自己の手足の延長として
掌握し、世界から強奪する事で、通常の世界の因果律を無視した、恣意的な因果律を行使
する事ができるのである。魔法円は、あくまで、魔術行使に当って自己を世界の干渉から
守る為に必要なものであって、防衛的機能の強いものである。一方、魔術師が自己展開す
る結界は、世界の一部を強奪し、自分自身が世界に成り代わる事で、魔術行使を行うとい
う攻撃的な機能の強いものである。そのため、魔法円を利用した魔術行使より、世界の修
正力に晒される危険性はより高まることとなった。
結界の行使が普遍的になると、魔術師達はまた、新たな問題に直面することになった。
そのひとつが〈澱〉である。》
「〈澱〉!タマキセンパイ達が退治しているやつですね!でも〈澱〉って結局何なんで
す?ハム達は〈ガイスト〉って呼んでるし………?」
「んー………まあ、その辺については面倒なんだよね。実のところまだよくわかってない
んだ。ざっくばらんに言ってしまえば、世界と対峙して自分が世界に成り代わろうとすれ
ば、やはり負の面もでてくるものさ。因果律を恣意的に操作し、莫大なエネルギーを扱う
ようになれば、その分ツケも払わないといけなくなったってわけ。魔術師が使うエネルギ
ーが〈正のエネルギー〉だと仮定すれば、当然、反動として〈負のエネルギー〉もあるわ
け。〈澱〉はそう言った〈負のエネルギー〉が顕現したものだと考えられているね。魔術
師で在り続ける限りは、そう言った負の面にも向き合わないと因果の帳尻があわなくなる
のさ。コレは〈世界の修正力〉の顕現の仕方の一部とも言われているし、魔術師達の
〈業〉としての顕現とか諸説あるから説明しきれないよ。」
「む………難しい問題なんですねえ………とりあえずは、特別な力を使うにはそれ相応の
対価が必要で、ソレが〈澱〉の退治ってことでオーケーですかねえ………?」
「ま、そんな感じに捉えてもらえればいいよ。人生楽ありゃ苦もあるさってことだね。特
別な力を使う以上はやっぱりそのぶん特別な苦労も背負わなきゃあならないってわけさ。」
《〈澱〉は我々魔術師に取って看過できない、言わば戦わざるをえない/立ち向かわざ
るをえない敵もしくは自己である。つまるところ、それは、自己を投影した自分自身、す
なわち〈業〉であるとも言える。その業でもある〈澱〉に対処するためには、その澱をま
ず対処しやすい形に〈顕現化〉させることが必要である。そのために我々は様々な概念を
利用してきた。神学、宗教学、言語学、心理学、精神医学、物理学………様々な、特に、
我々魔術師以外の一般の人間の研究の対象となっている学問における概念を利用すること
が好ましいと、我々は気づいたのである。最近では、魔術は科学と接近し、〈魔術工学〉
なるものも存在するほどだ。》
「〈魔術工学〉!なんかかっこいい響きですねえ!でも、魔術と科学って相反するものじ
ゃあないんですか?」
「いやいや、観測と実践の方法とベクトルが違うだけでどちらも〈世界を知る〉ための人
間の探究心の現れだよ。それに、我々魔術師達が目指すのは〈大いなる秘儀〉、〈アルス
マグナ〉、兎に角、すべからくのものを〈一つ〉にしようとする目論見だからね。このハ
ムもその〈魔術工学〉という考えのもと創られた存在さ。分子生物学や細胞移植技術にも
応用が効くってのはそのためさね。特に再生医療においては………」
「う………なんか難しいんで、次、行っちゃって下さぁい………。」
《特に、我々にとって役に立ったのは、〈普遍的且つ広く人々に知られている概念〉で
あった。それらは一般世界 すなわち我々が敵対してしまう世界の修正力だ と
の親和性が高い。それ故に、〈澱〉の固定化とともに、それを我らの業〈魔術〉によって
対処できるものになったのである。》
「私達の〈魔法少女システム〉に於いては、都市伝説や妖怪と言ったものを澱の固定化に
利用しているよ。」
「ああー!さっきの話に出てきた〈口裂け女〉とかまさにそれですね!」
「そそ。〈澱〉はどういう形で顕現するか不確定で不安定なエネルギーだから、こちらか
ら〈わざと〉ひな形を作ってやるわけ。それには〈普遍的且つ広く人々に知られている概
念〉を用いるのが通例というか一番簡単で安定的な方法だね。」
「〈普遍的且つ広く人々に知られているガイネン〉………?例えばどんなものがあるんで
す?」
「そうさな、例えば、〈ユングの元型論〉はよく扱われているね。私たちの〈魔法少女シ
ステムは、概ねそれに準拠しているよ。」
「アタシ!それ、知ってます!ペルソナです!セルフです!集合的無意識です!そして
影!〈シャドウ〉です!」
「ははっ。とまあ、こんな中学生でもワードとおおまかな話を知ってるわけだから利用し
やすいって話さね。」
「ぶー!馬鹿にしないで下さいよぅ!ってか、ユングの元型論を使っているなら〈シャド
ウ〉ってそのまま呼べばいいのになんで〈ガイスト〉って呼んでるんですか?そのまま使
ったほうが〈普遍的〉ってのにかなっていると思うんですけど………?」
「チヨ。物事には色んな面がある。多様性だ。魔術師は特にそれをよく意識しなければな
らない。確かに、ユングの元型論をそのまま当てはめてしまえば色々と楽だ。普遍的な概
念として知れ渡っているからね。でも、それは近視眼に陥る危険性もある。だから、ひな
形に使う程度に留めておいて、ある程度、こっちで改変して使うんだ。広い視野を、可能
性を担保するためにね。」
「ええー!なんかそれってズルっこですよ。人の考えを適当に借りてきて、自分流に仕立
てあげちゃうなんてー。」
「〈自己流〉。それで結構。色んな知識や概念体系に触れて感化されるのはいいが、それ
に囚われてはいけないんだ。ニーチェも言ってるだろう?『怪物と戦うものは自らも怪物
とならないよう気をつけなければならない。我らが深淵を覗く時、彼らもまた、こちらを
見つめているのだ』ってね。ちなみに私は、ジャック・ラカンの〈象徴界、想像界、現実
界〉を魔術のひな形にしているよ。〈魔法少女システム〉がユング的なのはマツリカの魔
術がそれを援用しているから。私としてはドイツ風に〈ガイスト〉ではなくフランス風に
〈ファントーム〉にしたかったんだけどねえ………まあ、マツリカがメインシステムを構
築しているから仕方ないね。あくまでサブだしね私は。しかし、名付けの意味でも流動性
をもたせたかったんだが………」
「あー………もうユングとかニーチェとかラカンとか言われてもわかんないんで、次、行
っちゃって下さぁい………。」
《我々魔術師は、常に流動的でなければならない。〈放埒にして精緻〉であり、流動的
なエネルギーを方向付け、加速させ、因果の時空を改変するのだ。世界は常に生まれては
消失している。我々魔術師は、常に新しい世界を創造し、破棄し、また創造しなければな
らない。そのためには様々な概念体系を駆使し、改変し、自由自在に闊歩できるようにつ
とめなければならない。一つの世界に執着することは危険である。それは〈蝕〉を呼び起
こす契機ともなるのだ。》
「〈蝕〉………これって一体何なんです?」
「そうだね………これもまた、実のところよくわかってなくてね。ただ、〈世界の修正
力〉と密接な関係があると考えられている。今、わかっていることは、〈魔法円、結界の
展開の如何に関わらず、魔術の行使が長期的、大規模的に行われると発生する〉ってこと
ぐらいだね。これが発生すると文字通り〈何が起こるかわからない状態〉になるんだ。因
果律は狂い、時空は伸縮し混沌が支配する………まあ、コレを避けるのは魔術師にとって
は共通の課題・懸念事項だね。いかに、お互いのやり方が合わなくて戦闘沙汰になったと
しても我々魔術師は、〈蝕〉を起こさないようにお互いに取り決めをして戦闘をする。決
闘と言い換えたほうがいいかもね。」
《魔術行使によって、他の魔術師と戦闘をするものは、相手のみならず、世界へも注意
を払って戦闘をする必要がある。其のため、魔術師同士の戦闘においては、ある、一定以
上の戦闘をすると、双方が優劣に関し、判断し、戦闘を継続せず、一時撤退するという形
が多い。もともと、相手の生命を奪う事が本意ではなく、あくまで、相手の戦闘意欲をく
じくという点が重用されているからである。》
「魔術師と魔術師が戦うことって結構あるんです?」
「そうさなあ………まあ時と場合によるわなあ。なんにせよ、〈世界の修正力〉に感知さ
れないようにお互いに〈誓約〉をして執り行うよ。お互いの結界を同調させて言わばリン
グを作るんだ。そして、なるべく短時間で、事を終わらせる。大規模な魔術でも短時間で
あればあるほど〈世界の修正力〉に感知されにくくなるからね。このへんは運だね。まあ
〈決闘〉って言い換えたほうがいいかもね。〈紳士協定〉なるものが存在するからね。お
互いに損になることはしないってのが暗黙のルールさ。引き際が大事な試合って感じだね。
命の取り合いに発展することはそうはないけどね。」
「『そうはない』ってことはたまにはあるんですか………うわあ………」
《結界と魔術についてまとめると、
一、魔術行使は結界の展開がなくともできる。(魔術行使概念は、後天的なものである
から)
二、結界の行使なしでの魔術行使は、世界への影響力が少ないものしかできない。
三、魔法円による魔術行使は大規模な事も可能であるが、その範囲、規模の拡大に伴い、
魔法円の作成に、時間と労力がかかる。
四、結界展開による魔術行使は、結界の展開に、時間と労力がかからないので、即応性
がある。ただし、その分、大規模な魔術を扱う際には魔法円よりも世界の修正力に感知さ
れる危険性が高まる。
五、魔法円は防衛機能が強く、結界は攻撃性が強い。
六、結界による魔術行使は、自我の拡大により、世界の一部を強奪する事から、世界の
修正力に感知されやすく、長期展開は危険である。
となる。世界の修正力への対抗策として、みだりに結界を展開しないでなるべく魔法円
を準備して行うといったことや、ルーンや魔法円の効果を付与した道具により戦闘を行う
といった事が挙げられる。両者において、世界に対する態度と隠匿性については、違いが
あるものの、他者(当事者以外の者)に対する隠匿性が高いという点は同じである。両者
とも、人の意識の死角に入る事で、結界、魔法円内の出来事を、感知されないようにして
いる。世界に対しては、死角に入り続ける事は困難である。》
………
「まあーざっとこんなもんかなあ?魔法円も結界も、どっちも〈世界の修正力〉から逃れ
ようとする点では同じだけど、これだけ違いがあるってわけ。それ以外のお話のほうが多
かったかもなあ。まあそれはお愛嬌。たまさか手元にあったこの魔導書が悪い。著者は誰
だあ………?《ガラ・ンドゥール》?ふざけた名前だねえ、全く。どこぞのミュージシャ
ンみたいな名前だ。ん?興味深い追補もあるな。ちと抜粋しとこう。
《魔術行使に於いて、最後に私見を述べたい。我々魔術師は古来より、自らの業という
ものを〈世界の因果律を恣意的に変質せしめるもの〉として認識し、運用してきた。だが、
私見を述べるならば、我々の業は、〈因果関係〉ではなく〈相関関係〉に依拠する部分が
大きいのではなかろうか?かつて、我々の祖先が見出した上なるものと下なるものの照応
関係、すなわち。星辰と我々地上の事象の間に見出された照応関係のように、直接的に、
物理的に因果律を操作しているのではなく、あくまで〈概念〉を操作しているだけではな
かろうか?すべからく、この考えに則って我々の業を考察すると、〈実体魔術〉と〈概念
魔術〉などというカテゴリがで創られたことも納得がいくのではなかろうか?勿論、すべ
からく〈相関関係〉のみに依って我々の業が為されているとは言えないだろう。それ故に
〈実体魔術〉というカテゴリがあるのだから。私が言いたいのは我々の業の初元は因果律
の恣意的改変ではなく単に相関関係によるもので、しかも恐ろしいことにそれはどこにも
〈業を支える根拠〉がないということである。これはすなわち世界の、普遍的な概念が
我々に〈期待〉をすることによって為されるものと解釈することができるのではないだろ
うか?故に、世界は常に我々に何らかの〈ひな形〉を要求するのだ。それが為されない時、
〈死神〉が我々に鎌を振るうのではなかろうか?》
「ええっと………何が言いたいんですコレ?」
「さあ?あくまで〈私見〉だそうだし、私にはなんとも言えないねえ。ただ、既成概念を
突破する何かを常に探求する姿勢は見て取れる。そうだな………我々魔術師は、世界の因
果律を操作していると思い込んでいるだけで、実際はたまたま原因と結果がうまく得られ
ているように視えているだけで、確たる証拠は何もないってことかね?」
「うう………まだ全然わかんないんですけど………?」
「んまー、ざっくばらんに言っちまえば魔術ってのは〈風が吹けば桶屋が儲かる〉ってい
う一見確固たる因果関係があるように見えて実は偶然の重なりにすぎないんじゃあないか
ってことだね。」
「ひえ!必死に論理を構築してきたのにその基盤自体がふにゃふにゃだったかも?ってこ
とじゃあないですかー!今までのこのガラ・ンドゥールさんが言ってきたことを自分で否
定して居るようなもんじゃあないですかー!」
「ははは。そうだね。しかし、〈自己矛盾〉を抱えつつ歩むのもまた一興。新しい何かを
見つけるためには必要なことさ。さっきも言ったけど、〈自己流〉ってやつさ。そいつを
忘れないようにね。私やコイツの話をそのまま鵜呑みにしちゃうようじゃあ、立派な魔術
師にはなれないぞう!」
「その点に関しましては大丈夫です!なんてったって私は〈魔術師〉じゃあなくて〈魔法
少女〉になりたいんですから!この時点で自己流どんと来いデスヨ!えっへん!」
そう言って、皆川千代は胸を張った。ハムは「張る胸なんかないだろ!つるぺたー♪」
と言ってからかっている。
その一人と一匹の様子を三笠環と布施弘毅が退屈そうに見ている。
「ああ、なんだか話がおもいっきり逸れてるわね。アタシ達はあの事件が誰によって、ど
のような意図で起こされたのかってのを聞きたかったはずなのに。」
「まあ、うまくはぐらかされちまった感じだよなあ。ハム………っつうかイロハさんはい
つもそうだなあ。のらりくらりとかわされちまう。」
「いつもそう。アタシたちを必要以上に巻き込まないように。って思ってるんでしょうけ
ど、そもそも巻き込んだのはイロハ張本人だってのにねえ………矛盾もいいとこよ。」
そう言って、三笠環は空を見上げた。つられて、布施弘毅も空を見上げる。
真っ青な空。雲が高い。
「………六年前の空も、こんな感じだったっけ。真昼に、流れ星を見た。ハルカと一緒に
見上げた空………そして、その後、赤く染まって………」
ーーー〈蝕〉が起きた。その日のことを、思い出していた。




