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3話


 作戦開始2日目のことは、思い出したくもない。


 買い物にも行かず、家事も終わらせ、さああとは黄昏時を待つばかり!と準備万端で居間のソファに腰掛けてしまったのがいけなかった。そわそわと旦那様のお部屋の方を見つめているうちに、なんだか、そう、眠くなってきてしまったのだ。

 念のため言っておくけれど、私だって頑張ったのだ。もうすぐだ、あと少しだと必死に自分に言い聞かせてほっぺたをたたいたり手の甲をつねったりしてみたのだけど、睡魔は強かった。


 心地よいぬくもりにハッと気づいたとき、私はソファに横になっていた。そして私の肩にかけられた柔らかな布。その正体が旦那様が普段使っていらっしゃる旦那様の毛布だとわかって、私は絶望的な表情で横たわる私の隣に腰掛ける老人のお姿の旦那様を見つめた。


「旦那様……」

「なんでそんな恨めしそうな目で見るんだチェルシー……」

 困り顔の旦那様も年輪を重ねた哀愁漂っていてとっても素敵だけれど、私が見たかったのは本来のお姿だったのよ。ていうか!


「なんで起こしてくれなかったんですか旦那様!」

 残念な思いと情けなさで少し強めに小言を言うと、旦那様は眉を八の字にしながらそっぽを向いた。逆切れしてるのは私なんだけれど、怒られた子供のように小さく答える。

「いや……なんというか、ものすごく気持ちよさそうな顔で眠っていたから……『旦那様、それはだちょうの卵ではありません』とかなんとか寝言も言っていたし」


 なんと恥ずかしい。

 夫とはいえ異性に寝顔を見られあまつさえ寝言まで聞かれたとは。 

 淑女とは決して言えない己の振る舞いに、私は自分の顔を掌で覆った。成金とはいえ一応貴族の娘、かつ伝統あるプレーデシルト家に嫁いだものとして失格だわ。


 旦那様も呆れているに違いない、とおそるおそる見つめると、しかし、予想とは全く違う反応が返ってきた。


「……あなたの寝顔を見るのは初めてだった。可愛らしい寝顔だね」

 小声で照れたようにぼそりとつぶやく旦那様。皺の刻まれた目元が少し赤らんでいる。


 な、なんかとてもなく恥ずかしい!


 心臓がどきどき鳴っている。自分の夫相手(しかも見た目60歳ぐらい)になにかしらこの反応。でもこんなこと言われたの初めてだったんだもの。

 白い結婚を貫く私たちは、当然……なのかわからないけど寝室も別。結婚当初に旦那様がそう提案され、私も異議を唱えることもなかったので、今日ここまで至っている。


 食事ぐらいしか共にしてこなかったのだから、寝顔もそりゃあ初めてでしょうけれど、なんていうか、なんていうか、あれ、私体調がおかしい。


 発熱、動悸、息切れ。頭もなんだかぼんやりする。きっとソファで居眠りなんかしたから風邪を引いたに違いない。


 作戦は明日再び決行!私めげない!と勝手に決断して、旦那様に「お食事の支度をしてまいりますわ」と告げてキッチンへ向かう。

 すると、そんな私を旦那様は、柔らかでゆったりとして低く耳に心地いい色気と艶のある声で「チェルシー」と呼び止めた。い、今のお声で私の動悸が激しくなったんだけどなぜ。


「チェルシー」

「は、はい!」

 私の挙動不審には気づいていないようだった。というか旦那様も少し挙動不審気味だった。いつもよりやや余裕のない表情で、私とは目を合わせないまま、もう一度私の名を呼ぶ。


「チェルシー。いままで、あなたは私と政略結婚をしただけなのだから、わがままを言ってはいけないと、そう思っていた……あなたはわたしに興味関心などないのだからと……」


 突然独白された。なにこれ。そしてその内容は事実無根のことばかり。思わず「それは違います!」と叫ぶと、旦那様は優しく微笑んでくださった。


「わかっている。あなたは優しく素直な人だ。今はもうわかっている。だからチェルシー、ひとつわたしにわがままを言わせてほしい」

「……さきほどのお言葉との関係がいまいちよくわかりませんけれど、旦那様。旦那様はひとつといわず、わがままたっくさん言ってくださっていいんですわ。だって私は旦那様の妻なのですから」

 当然のことを告げると、旦那様はとてもうれしそうに笑った。その顔はとても60歳近いご老人とは思えなくて、きっと本来の旦那様のお顔だったに違いなかった。


「ありがとうチェルシー。それで、提案なんだが、明日は一日わたしの部屋で過ごしてみるのはどうだろう。黄昏時を逃すこともないし、あなたにとってもいい案だと思うのだけれど」


 私は一も二もなくうなずいた。旦那様の嬉しそうな顔を見てると、なんだか幸せな気分になったことは、たぶん忘れられそうもない。

 

 でも、この日の失敗や、寝顔を見られた恥ずかしさや、そして原因不明のどきどきのせいで、やっぱり2日目のことはあまり思い出したくない。


***


 作戦3日目のことは、もっともっと思い出したくない。


 前日提案された通り、私はその日必要な家事を午前中に終わらせてしまうと、旦那様のお部屋のドアをノックした。少年の姿の旦那様はすぐに私を迎え入れてくれ、お部屋の真ん中のソファを示した。

「申し訳ないが、まだ少し仕事が残っている。待っていてくれるだろうか」

「はい、旦那様」

 私はソファに腰掛け、テーブルの上に置いてあった本を開いた。それは私の好きな冒険小説のシリーズで、手を伸ばさずにはいられなかったのだ。


 そうして数時間後、仕事を終えた旦那様が目の前のソファに座った。本から顔を上げた私に微笑みかけ、「その本は面白い?」と尋ねる。少年らしい無邪気な笑顔だった。

「ええ!私このシリーズ大好きなんです」

「それはよかった。わたしも気分転換に読むんだ。あの王子が出てくる場面はもう読んだ?」

「この場面でしょう!とってもわくわくしましたわ!」


 旦那様とたわいもない会話をしたのは、たぶんこれが初めてだった。そしてそれは想像よりはるかに、それはもうものすごく楽しかった。

「あ、雨が降ってきました」

「本当だね。雨が降るとあの庭にはカエルがたくさん出るけれど、あなたは平気?」

「カエルが怖くて下町の娘はやっていられませんわ!」

 こんなくだらない話をふたりでずっと続けた。会話が途切れない。とても素敵な時間だった。


 だから、ふたりとも忘れていたのだと思う。その「目的」を。


 突然旦那様の身体が白く光ったのは、その時だった。

「!?」

「あ、しまった」

 小さく聞こえる声。焦ったような旦那様の声だ。私は驚きすぎて声も出せなかったから。

 そして発光がおさまると、そこにいたのは、いつもの、そう。いつものご老人の姿の旦那様だったのだ。


「え……あれ……?」

 さっきまでは少年だった。そして今はご老人。ん?おや?本来のお姿は、いずこに?

 疑問いっぱいの表情をしていたのだろう。私を申し訳なさそうに見ると、旦那様は小さく「すまない」と言った。


「すっかり忘れていた。雨が降ると日中でも太陽が隠れて、黄昏時が来ないだろう。だから、そういう日はいきなりこの姿になるのだ……」


 な、なんですって!


3話で終わらなかった……

あと1、2話くらいです。

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