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1話

さくっと3話ぐらいで終わらせる予定です。

私の旦那様には、呪いがかかっている。


「おや、チェルシー。買い物かい?」

「こんばんは、アボット夫人!」


 薄闇に包まれた商店街で声をかけられて、私は顔見知りの八百屋のおかみさんにあいさつした。美味しいと評判の野菜や果物を売るこのお店には私も週に2、3度は訪れていて、この町に来てからまだ3か月ほどの私のこともおかみさんは覚えていてくれている。

「今日はニンジンがおすすめだよ」

「そう?それならニンジンたっぷりのシチューでも作ろうかしら。旦那様もお好きなメニューなの」

「黄昏伯爵が?へえ、それは知らなんだ。あんたたち、本当に夫婦なんだねえ」

 おかみさんが目を丸くして驚いた表情を見せた。

 

 黄昏伯爵。今のこの時間を表すようなその名は、この町の領主であるロガード・プレーデシルト伯爵のあだ名だ。そしてそんな黄昏伯爵は、私の旦那様。つまり、私の夫なのだ。


 下町育ちのザ・成金貴族のルボー家長女と、町の領主でありながら火の車の家計に悩んでいたプレーデシルト家長男の政略結婚は、つい3か月前に執り行われた。そういうわけで私はチェルシー・ルボーという18年間慣れ親しんだ名前から、チェルシー・プレーデシルトなんて立派な名前に変わった。


 別に私はこの政略結婚に何の不満もない。夫であるロガード様は素晴らしい方で、妻である私にも優しくしてくださる。旦那様は日中はお仕事がお忙しく、夜も夕食を共にするくらいだけれど、世の政略結婚の夫婦なんてこんなものだとも思う。情熱的な愛情もなければ冷めきった仲でもない、心地よい関係。


 それが、どうやら町の人々には驚きの種らしいのだけれど。


 なぜか。

 それは、私の旦那様には「呪い」がかかっているからだ。


 けれど、私にはその呪いなんて何の問題にもならない。呪いのせいで使用人がいないから、食事の支度や買い物、掃除だって本来であれば伯爵夫人がするようなことではないこともしているけれど、もともと下町育ちのド庶民の私にはなんの不満でもない。


 なんの問題もない、はずだった。今この瞬間までは。


「しかしチェルシー、あんたは伯爵のどのお姿が好きさね」

 おかみさんが尋ねる。その言葉に、周囲で買い物していたほかの奥様方が反応した。呪いのせいで結婚相手探しは難航していたそうだけれど、領主としては非常に有能な方らしく、旦那様は町の人々から結構人気だ。

「あたしはやっぱり夜の姿かしらね。あの老熟した威厳が素敵だよ」

「まあ。昼のあの可愛らしさだって負けていないよ」

 その黄昏伯爵の伴侶は私であるはずなのに、実の妻を放って、奥様達の喧々諤々の議論が八百屋の店先で始まってしまった。あれはどうだこれはどうだと人の夫をいいように語りまくる。かくいう私も、旦那様は昼と夜、どちらも素敵なのよね、とぼんやりそれぞれのお姿を脳裏に思い浮かべた。


 その時だった。ふいに導かれた奥様方の結論が、私の人生を大きく変えたのだ。


「でもやっぱり、黄昏時のあのお姿が何より一番だね」

「当然よね。本来のお姿だっていうのもあるけど」

「あんなにお美しい姿、あたしはほかに見たことないね」

「それに黄昏の一瞬しか見れない特別感!」


「え?」


「「「「え?」」」」


 わたしの間抜けな顔に、奥様達も間抜けな顔をした。空気が一瞬固まる。八百屋のおかみさんがさっきより一層目を丸くして私を見つめ、そして聞いた。

「チェルシー。もしかして、『なぜ黄昏伯爵が黄昏伯爵なのか』、知らなかったのかい……?」


 お答えするわ。知らなかったの、おかみさん。


***


「旦那様!」

 ばたん!といつにない剣幕で屋敷の扉を開けた私に驚いたのか、居間のソファで読書に興じていらした旦那様は、きっちりと皺の刻まれた、それでいてどこか色気を感じさせる目元をやや大きく開いて部屋に飛び込んできた私を見つめた。そして「チェルシー」と穏やかに私の名を呼ぶ。

「いったいどうした?何かあったか?」

 そのゆったりとした声色に私もやや落ち着きを取り戻した。ふう、と深呼吸すると旦那様をまっすぐに見つめる。思ったより至近距離にいた旦那様に、少しどきどきする。もう3か月もたつというのにと思うけど、こんなに夫のそばに寄ったのは結婚式以来かもしれないのだから、仕方ない。

「旦那様」

「なんだね」

「旦那様の、呪いのことなんですけれど」


 私の言葉に、旦那様は器用にも片眉だけをぴくりとあげた。今更どうした?とその表情が語っている。私は意を決して聞いた。

「旦那様には、黄昏時のお姿があるとうかがったのですが、本当でしょうか!」


 言えた。聞けたぞ、私。よくやった……と自分自身をほめたたえていると、旦那様が微妙な顔で「はあ」と呆れたような声を出した。

「何を今更……むしろ今それを聞かれたことにわたしは驚いているよ」

「ええ!」

 びっくりなのは私の方です、旦那様!


***


 私の旦那様、ロガード・プレーデシルト伯爵は、昼は少年のお姿、夜は老人の姿になってしまうという呪いにかかっている。

 

 太陽の関係らしいのだけれど、太陽ののぼっている時間帯は10歳ほどの可愛らしい美少年のお姿、太陽の沈んだ夜には少なくとも60歳はくだらないだろうというほどのご老人の姿になってしまうのだ。

 すっかり太陽も隠れたこの時間帯、つまり、今目の前の旦那様はご老人の姿である。ただし、若いときはさぞや美青年だったであろう面影を残すご老人だ。いかに呆れたような表情をしていようとも、そんな夫が間近にいればなんとなく鼓動も早くなるというものである。


 3カ月前、私はそんな旦那様の呪いを知ったうえで政略結婚を承諾した。それは先ほども言った通り呪いなんてものを私がなんともおもっていなかったせいだ。たとえその呪いのせいで使用人がいなかろうが、少年や老人との間に子供を望むこともできないので、白い結婚を貫くはめになろうが。


 そして、以上のことを了承した私は、それ以上旦那様の呪いについて詳しいことを尋ねることをしなかった。あまりずかずかそういうことを聞くのもよくないと思ったし……というのは2番目の理由であって、1番目の理由は、それ以上知らなくてもこの心地いい関係においてはなんの問題も起きなかったからだ。


 だから私は3か月たつ今日この日まで知らなかった。

 『黄昏伯爵』という自分の夫のあだ名が、何の理由もなくつけられたのではなくて、それは『黄昏時にだけ本来の姿に戻れる』という呪いを表したあだ名だったことだなんて。


「あなたは本当にわたしに興味がないのだな、チェルシー」

 いささか落胆したような声で旦那様がぽつりとつぶやいた。そんなことは一切なくて、それはそれは旦那様は素晴らしい方だと思っているし、素敵な夫だとも思っているけれど、あまり適切な言い訳も思い浮かばずに私は口をつぐんだ。仮にも自分の夫の呪いについて3か月間詳しいことを聞かない、というのは世間一般の政略結婚の夫婦においても少々問題のあることだったかもしれない。世間一般の政略結婚の夫婦で、呪いにかかっている夫がどのくらいいるのかは知らないけれど。

 念のため「そんなことはありません」とだけ弁解した。旦那様はどうやら信じてくださらなかったようだ。


 でも、一応言い訳しておくが、私だって旦那様について何も考えなかったわけじゃないのだ。少年のようなお姿をされているとき、つまり昼の時間帯は領主としての執務の時間である。それでも旦那様は難しい書類をなんなくこなし、難しい計算をすらすらと解かれ、難しい議論をテキパキとすすめていたから、これが本来の姿ではないことだろうことぐらいは考え付いていた。したがって、このご老人の姿が本来の姿だろう、と思ってしまっていた、ということなのだけれど。


「いったい私は何歳だと思っていたのだ?」

「ええっと……ろく、ご、よ、48歳、くらい……?」

 落ち込んだような旦那様の顔色をうかがいながらだいぶもたもたと答えたが、旦那様は落ち込んだままだった。正解を尋ねると「まだ29だ」とのこと。それでも私より11も年上なのですね……とは言わないでおこう。顔色をうかがっていてよかった。うん。


「でもでも、言ってくださればよかったのに、旦那様!私今日一人だけ旦那様の本来のお姿を見たことがなくって、奥様方にいろいろ言われてしまったんですよ!」

「まさかあなたがそんな風に勘違いをしているだなんて思ってもみなかったからね。わたしの本来の姿になんて興味のないものだとすっかり思っていたよ」

 いじけたような様子で旦那様が言った。あら?なんだか可愛い。そう考えると、確かにご老人にしてはどこかあどけないというか、少年のようなところも旦那様にはあった気がする。これはますます私が無礼だったのだわ。拗ねたようにソファに座ってそっぽを向いてしまった旦那様に、私は心の底から「ごめんなさい」と謝った。


「いや、いいのだよ。あなたにはこのような呪いにかかったわたしに嫁いできてもらったのだ。感謝するばかりなのだから」

「そんな……私こそ、こんな妻によくしていただいて、感謝申し上げますわ」


 ふたり、穏やかに微笑みあう。うんうん。心地いい関係だわ。これぞまさに……と考えたところで、私はふとひらめいた。それは、きっとこの心地いい関係がもっと心地いいものになるに違いない、素晴らしいひらめきだった。


「旦那様!私思いつきました!」

「なんだね?」

「私も旦那様の本来のお姿を拝見してもいいかしら!」


 奥様方に大人気の「美しいお姿」を見てみたい、という下心が3、いや4割くらいあったが、とりあえずそれは内緒にしておこう。


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