震災の傷跡
今川より浜名湖南西部を委ねられた多米又三郎。これで彼の権益は今の東海道本線の新居駅から二川駅に該当する交通の要衝で、そこから飯田線の三河一宮。名鉄名古屋本線の名鉄長沢。そして渥美半島の先端まで影響力を及ぼす事が出来、東側は全て今川領。これら地域を行き来する人と物の流れから生まれる関銭並びに人足代によって莫大な収益が生まれる事になる。
……と期待していたのでありましたが……。
「地震が酷かったとは聞いていた。実際私の地域も少なくない被害が生じたが……ここまででは無かった。」
1498年8月25日の午前8時頃御前崎沖で発生したマグニチュード8.2から8.4と推定される地震により、伊勢から伊豆に掛けて甚大な被害が発生。その規模を更に大きくしたのが津波でありました。この地震により浜名湖南部の地形が変わり、橋本の宿にあった浜名橋で対岸に渡る事は不可能に。
「一応、新たに出来た境界線今切の西まで使って良いとは言われているが、そこに宿場を設けようとしたとしても、誰も済む事に手を挙げる方は居ないであろう。それでか。今川が気前よく渡して来たのは……。」
「掴まされましたな?」
声の主は……。
多米又三郎「戸田康光様。斯様な辺鄙な所まで御足労いただきありがとうございます。」
今川に降る事により家名を保つ事に成功した戸田康光。
戸田康光「御自身の拠点手洗を辺鄙等と仰らないでください。今後、我らの拠点はここになるのでありますから。」
「多米様とお呼びすれば宜しいでしょうか?」
多米又三郎「牧野保成様もお人が悪い。私の背後から今川から去ったら……。」
同じく家名を保つ事に成功した牧野保成。
牧野保成「ここを奪う事だけでしたら。でありますが、如何せん多米様の背後が背後でありますので。」
戸田康光「それを言うなら我らも同じでありましょう?」
牧野保成「如何にも。」
戸田康光「ところで多米様。浜名の御厨については?」
戸田康光の言う「浜名の御厨」とは?今の浜松市三ヶ日にあった伊勢神宮の荘園の事。
多米又三郎「浜野御厨は引き続き今川様の管轄下にあります。」
戸田康光「辞退したわけでは?」
多米又三郎「ありません。私に付与されたのは宇津山より南(今の湖西市に該当する地域)であります。」
戸田康光「やはりそうか……。」
多米又三郎「如何為されましたか?」
牧野保成「多米様。」
多米又三郎「はい。」
牧野保成「恐らくでありますが、今川は……。」
多米又三郎の管轄している地域を使う考えは無いと見て間違いありません。




