築城したと言いますが
牧野氏は三河守護一色氏の有力な国衆でありましたが、関東の騒乱に巻き込まれる形で一色氏は衰退。そこに入ったのが細川氏。ここで勃発したのが応仁の乱。この余波は三河にも及び守護の力は低下。国衆同士の争いの中、台頭して来たのが牧野古白でありました。そんな今の豊川市の大部分を手に入れた牧野古白に目を付けた人物が居ました。それが駿河遠江を治め三河への進出を目論んでいた今川氏親。
今川氏親は牧野古白に対し
「渥美郡に拠点を構えませんか?」
と打診。渥美郡も元々の主君一色氏の管轄下であった事もあり、古白は承諾。そこで築かれたのが今橋城。今の吉田城であります。で。この今橋城の場所を選定し、そこに暮らす地域住民の立ち退き並び移転先を用意したのは誰であったのか?
「牧野古白?」
古白は東三河の中では大きな勢力を誇っていますが、凌駕するまでには及んでいません。加えて彼が影響力を及ぼす事が出来ているのは今の豊川市域。今の豊橋市にあたる今橋の住民が素直に受け入れる。従わざるを得ない立ち位置にはありません。
「では誰がどうやって?」
これを実現させるだけの武力と財力。更には今橋地域にまで影響力を誇示出来る人物は一人しか居ません。そうです。今川氏親であります。
今の吉田城は牧野古白が築城したと言われています。実際に建てたと言う点ではそうなるかもしれません。しかしその予算を出し、折衝したのは今川氏親でありました。
今橋城が出来ました。さぁ渥美郡にも。となった時……。
(周囲は全て今川方で勢力を拡げる事等出来るわけがありません。)
加えて今川からお金を出して貰った以上
(今川の影響力から逃れられない立ち位置に追いやられる事になってしまいました。)
牧野古白は私のような多米一帯を守っていただけるのでしたら喜んで今川様に奉仕します。と言う方ではありません。
「名門一色の代弁者として三河を!」
と考えている方でありますので、他国からの侵入者に頭を下げるのは屈辱以外の何物でもありません。これが……。
(今川氏親の逆鱗に触れてしまいまして……。)
「三河の秩序を乱す牧野古白に現地の方々が困っている。故に自ら三河に入り成敗する。」
と……。その時、今川軍を実際に指揮したのが伊勢盛時。のちに北条早雲と呼ばれる事になる人物であります。
戦いは今川氏が今橋城の築城を指示していた事もあり、2ヶ月足らずで陥落。牧野古白以下多くの一門は最期を遂げる事になったのでありました。これを見た私の偽らざる心境は……。
(長い物には巻かれとけ。)
でありました。




