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第8話 深夜の決闘者たち

 インディアナポリスの夜。


ジャズクラブ『ミサイルルーム』の空気は、これまでになく殺気立った期待感で満ちていた。


「おい、本当に来るのか? あのハンプトンのバンドにいた男が、またここで弾いてるって噂は」


 店の片隅では、街で一番の速弾きを自称する若いギタリストたちが、鋭く磨かれたピックを指先でもてあそびながらステージを睨みつけていた。


彼らの目的はただ一つ。


帰ってきた天才を公開の腕比べで引きずり下ろし、自らの名を上げることだ。


 深夜零時を回った頃、店の重い扉が開いた。


 現れたのは、ヨレヨレのシャツに作業用ズボンを履き、ひどく疲れた顔をした男だった。


肩には、ずっしりと重そうなギターケースを担いでいる。


「……なんだ、ありゃ。ただの工場帰りの親父じゃないか」


 若者たちが冷笑を浮かべる中、店主のバーニーがカウンターの中から声を上げた。


「おいウェス、今日も残業だったのか。顔色が悪いぜ」


「ああ、バーニー。少し旋盤の調子が悪くてね。……でも、指だけは動かしたくて寄らせてもらったよ」


 ウェスがケースから取り出したのは、鈍い光を放つギブソンL-5だった。


 美しいサンバースト塗装、磨き上げられたメイプルのボディ。


工場の油の匂いが染み付いた男が持つにはあまりに高貴なその名器を、ウェスはまるで一番下の息子を抱くように、優しく、そして敬意を持って胸に抱え込んだ。


「さあ、誰から始めるかい?」


 ウェスが穏やかに問いかけると、血気盛んな若者が一人、ステージへ飛び乗った。


「俺が先だ。あんたの親指、そのギブソンを鳴らしきれるのか試してやるよ」


 若者のギターが、ピック特有の鋭くクリアな大きな音で、パーカー仕込みの高速フレーズを叩きつける。


音速の暴力のような演奏に、客席から歓声が上がる。


若者は得意げにウェスを振り返った。


 ウェスは静かに微笑み、右手の親指を弦に置いた。


 一音目。


ギブソンの深胴が共鳴し、地下室の空気が震えた。


 ブォゥーン……。


 それはピックでは逆立ちしても出せない、重厚で、かつシルクのような滑らかさを持つ音だった。


続いてウェスは、自らの生活の苦闘の中から生み出したオクターブ奏法を繰り出す。


 二つの音が完璧な調和を持って響き渡り、まるでピアノとギターが同時に鳴っているような錯覚を聴衆に与える。


若者が必死に詰め込んだ百の音よりも、ウェスが親指で紡ぐ一つの和音の方が、遥かに饒舌じょうぜつに人生の重みを語っていた。


 ウェスの指先からは、旋盤を回す手の痛みも、セレーンが淹れてくれた温かいミルクの匂いも、子供たちの寝息も、すべてが音楽となって溢れ出していた。


 挑んできた若者は、いつの間にかギターを弾くのを止め、呆然と立ち尽くしていた。


彼の目からは、敵意ではなく、ただ圧倒的な愛に触れた時の涙がこぼれ落ちていた。


「……参った。あんた、一体何を食べて生きていれば、そんな音が出るんだ?」


 ウェスはギブソンを愛おしそうに撫で、照れ臭そうに笑った。


「特別なものなんてないさ。ただ、家に帰れば温かいスープと、僕を待ってくれている家族の温もりがある。それだけだよ」


 夜明け前、ウェスは再びギブソンをケースにしまい、工場の始業時間に間に合うように店を出た。


 「インディアナポリスに怪物がいる」


 その噂は、この夜を境に、ついに州境を越えてニューヨークのレコード会社へと届くことになる。



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