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第5話 二つの世界、一つの愛

 ウェス・モンゴメリーの時計には、休息という文字は刻まれていなかった。


 午前七時から工場の旋盤を回し、夕食を家族と囲んだ後、夜から深夜にかけて二つのジャズクラブを掛け持ちする。


午前五時に家に戻り、セレーヌの寝顔を数分だけ眺めて、また工場へと向かう。


「ウェス、いつ寝ているんだ?」


 工場の同僚ジャックが呆れて尋ねると、ウェスは真っ赤に充血した目で、それでも白い歯を見せて笑った。


「寝ている暇があったら、新しいコードを一つでも覚えたいんだよ。家族に楽をさせてやりたいからね」


 その夜も、『ミサイルルーム』の空気は熱く、煙たく、そしてウェスの奏でる音に酔いしれていた。


 ステージ上のウェスは、もう工場の旋盤工には見えなかった。


ギターを高く抱え、目を閉じ、親指一本で目にも止まらぬ高速のオクターブ奏法を繰り出す。


その音は太く、瑞々しく、聴く者の魂を直接揺さぶるような生命力に満ちていた。


 不意に、店の重い扉が開いた。


 冷たい夜風とともに店内に現れたのは、磨き上げられた靴を履き、仕立ての良いコートを羽織った男――全米に名を馳せる大スター、ライオネル・ハンプトンだった。


 バーニーはグラスを拭く手を止め、目を丸くした。


ハンプトンはカウンターに歩み寄ると、顎でステージを指し、囁くような声でバーニーに尋ねた。


「……おい。あそこで弾いている男は誰だ? あの親指を見ろ。あんな弾き方、今まで一度も見たことがない」


「あいつはウェス。昼間は工場で働いてる。あんたも驚いたかい、ライオネル」


 二人は小声で話し込みながら、ウェスの演奏を食い入るように見つめた。


ハンプトンは、ウェスが放つ驚異的なフレーズの数々に、何度も驚きで目を見開いた。


 演奏が終わり、拍手の嵐が吹き抜けた後、ハンプトンはステージのウェスに真っ直ぐ歩み寄った。


「素晴らしい! ウェス、あそこのフレーズ、♭5(フラット・ファイブ)の使い方に驚いたよ。理論的に説明してくれないか?」


 ウェスは驚きで固まった後、困ったように頭を掻いた。


「……ハンプトンさん、実は僕は譜面が読めないし、♭5なんて言葉もよく知らないんです。ただ、頭の中で鳴っている音を、指が追いかけているだけで」


 ハンプトンは絶句した。


理論を知らずに、感覚だけでモダン・ジャズの極致を弾いている。


「君は天才だ。どうだい、私の楽団に入って全米を回らないか? 今の工場の何倍もの金を約束する」


 その夜、ウェスはセレーヌにすべてを話した。


「ハンプトン楽団? ……それって、パパが有名になるってこと?」


 長女が目を輝かせて尋ねる。


ウェスは頷いたが、セレーヌの表情は複雑だった。


全米ツアーに出れば、数ヶ月、いや数年は家を空けることになる。


「ウェス、これはあなたが掴んだ夢よ。工場の仕事でボロボロになるあなたを見るのは辛かった。だから……行って。私たちのことは心配しないで」


 セレーヌは気丈に微笑んだが、その手がウェスの作業着の袖を強く握りしめているのを、彼は見逃さなかった。


 1948年。ウェスは工場のオーバーオールを脱ぎ、ついにプロのミュージシャンとして旅立つ決意をした。


 旅立ちの朝。一番下のロバートが「パパ、行かないで」と泣いてしがみついた。


ウェスは胸が張り裂ける思いで息子を抱き上げた。


「ロバート、いいかい。パパは、お前に最高の音楽と、広い家を届けるために行くんだ。お前が寝ている間も、パパのギターが守ってくれるよ」

 

 インディアナポリスを出発するバスの窓から、ウェスは必死に手を振った。


 ついに手にした成功への切符。


しかし、ウェスの心は早くも、遠ざかっていく小さな我が家へと引き戻されていた。




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