第4話 ミサイルルームの奇跡
インディアナポリスの裏通りにあるジャズクラブ『ミサイルルーム』の内装は、決して贅沢なものではなかった。
低すぎる天井、煙草の煙で黄ばんだ壁紙、そして酒と汗の匂い。
客席を埋めているのは、仕事帰りの労働者や、行き場のない孤独を抱えた街の住人たちだ。
店主は、カウンターの中でグラスを拭きながら、ステージの袖で所在なげに立っている男に目をやった。
「ウェス、緊張してるのか? お前の親指の音、俺は信じてるぜ」
店主は、ウェスが工場の帰りにギターを抱えてこの店に通い詰め、熱心に演奏を聴いていた姿を知っていた。
その熱意に負け、今夜、ついに彼をステージに上げることにしたのだ。
ステージに上がったウェスの姿は、お世辞にもスターには見えなかった。
一張羅のジャケットは肘のあたりが擦り切れ、工場の油の匂いが染み付いている。
急いで洗ったはずの手の爪の間には、まだ僅かに鉄粉が残っていた。
客席からは
「なんだ、あのみすぼらしい男は」
「素人か?」
という冷ややかな囁きが漏れる。
客席の最後列で、セレーヌは祈るように手を握りしめていた。
(お願い、神様。あの人の心が、みんなに届きますように……)
彼女は知っている。
ウェスがどれほど睡眠時間を削り、その親指を酷使してきたか。
彼がこのステージに立っているのは、ただ有名になりたいからではない。
家族への愛を、音に変えるためなのだ。
ウェスが椅子に腰掛け、ギターを抱えた。
彼は深く目を閉じ、インディアナポリスの夜の静寂を思い浮かべた。
親指が弦に触れる。
ブヮーン……。
最初の一音が響いた瞬間、店内のざわめきが嘘のように消えた。
それは、誰も聴いたことがない音だった。
ピックが作る鋭い攻撃的な音ではない。
丸く、厚く、そしてどこまでも温かい。
まるで、疲れ果てた男の背中をそっと叩くような、慈愛に満ちた響き。
ウェスは無我夢中だった。
彼の顔は、苦痛に耐えるようでもあり、最高の歓喜に浸っているようでもあった。
眉間に深く皺を寄せ、口元はわずかに開き、頭の中で鳴り響くパーカーのフレーズを必死に追いかける。
彼の脳裏には、工場の旋盤が回る音、子供たちの笑い声、そしてセレーヌが淹れてくれたミルクの湯気が混ざり合って流れていた。
前列で不機嫌そうに酒を飲んでいた一人の老人が、グラスを置いた。
彼はこの店の常連で、めったに音楽を褒めないことで有名だった。
だが今、彼の目は潤んでいた。
「……おい、この音を聴けよ。この男の指には、俺たちの人生が詰まってやがる」
それが、ウェス・モンゴメリーの最初のファンが生まれた瞬間だった。
演奏が終わった。
一瞬の静寂の後、爆発するような拍手がウェスを包んだ。
ウェスは驚いたように目を開け、照れ臭そうに、いつものあの白い歯を見せてニカッと笑った。
ステージを降りたウェスのもとへ、セレーヌが駆け寄る。
「ウェス、凄かったわ。本当に、凄かった……」
ウェスは彼女の震える手を取り、少し誇らしげに、しかし謙虚に囁いた。
「セレーヌ。俺の親指、ちゃんと歌えていたかな?」
工場の旋盤工は今、インディアナポリスの小さな光になった。
しかし、明日もまた、彼は朝一番に工場へ向かわなければならない。
その過酷な現実を、今の彼は、かつてないほどの喜びとして受け入れていた。




