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第28話 沈黙の王冠

 グラミー賞というジャズの枠を超えた栄誉を手にしたウェスに待っていたのは、さらなる成功を求めてA&Mレコードへの移籍であり、プロデューサーのクリード・テイラーが用意した商業的ポップスを突き進む逃げ場のない加速だった。


当時、世界中の若者が熱狂していたビートルズの『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』。


クリードは、この旋律をウェスのギターで完璧に再現させ、大衆のための音楽に仕立て上げようとしていた。


録音スタジオの隅で、ウェスは譜面台を無視して、スピーカーから流れるリハーサルの音に全神経を集中させていた。


そこに置かれた紙に並ぶ記号を、彼は読むことができない。


だが、一度耳を通り抜けた音は、血肉となって彼の脳裏に刻み込まれる。


アレンジャーが奏でる旋律、オーケストラの複雑な動き。


それらをすべて聴き終えたとき、ウェスは譜面を読む誰よりも正確に、その曲のすべてを把握していた。


しかし、その完璧な記憶力こそが、彼を苦しめた。


ヨーロッパで彼を解放した奔放な即興が入り込む隙間は、覚え込んだ音のどこにも残されていなかったからだ。


クリードの声がマイク越しに響く。


「ウェス、もっとシンプルに。聴き手が何も考えずに済むような、心地よい音だ」


ウェスは静かに頷いた。


このビジネスが成功すれば、インディアナポリスで待つ七人の子供たちは飢えから救われる。


自分が味わった人種差別や貧困からも、永久に解放される。彼はそのことを、痛いほど分かっていた。


彼はギターを抱え、完璧な商品としての音を奏でた。


指先は、かつての火のようなブルースを弾きたがって震えたが、彼はそれを理性の力で抑え込んだ。


自分を表現することよりも、家族の明日を確かなものにすること。その自己犠牲こそが、今の彼にとっての唯一の正義だった。


アルバムは爆発的に売れた。


ジャズの枠を越え、ポップ・チャートの頂点へと駆け上がる。だが、成功と引き換えに、厳しい批判が彼を襲った。


「ウェスは金のために魂を売った」


「もう彼のギターからは、あの命のやり取りが聞こえない」


ある時、ウェスは知人からその批判記事を読み上げられた。彼は怒ることも弁解することもなく、ただ少しだけ寂しそうに笑って言った。


「……彼らには、俺の家で待っている七人の腹を空かせた子供たちが見えていないんだよ」


その一言が、この時期のウェスのすべてだった。


彼は自らの芸術的な評価が地に落ちることを自覚しながら、それを黙って受け入れた。


批評家の言葉よりも、子供たちが新しい靴を履き、セレーヌが笑っていることの方が、彼には遥かに価値があった。 


しかし、精神的な重圧と終わりのないツアーは、確実に彼の肉体を蝕んでいた。


ステージを降りれば、激しい動悸と、胸を締め付ける痛みが彼を襲う。彼はあるインタビューで、本音を漏らした。


「ときどき、自分が演奏している機械の一部になったような気がするんだ。俺はただ、静かに家族と過ごしたいだけなんだよ」


成功の頂に掲げられた王冠は、今の彼にはあまりに重く、冷たかった。


1968年の初夏。ウェスは、最後となるインディアナポリスへの帰路についていた。


手には、次のツアーの契約書と家族への土産が握られていた。


彼の心は、もはや音楽の熱狂の中にはなかった。


ただ、故郷の家の、あの静かなリビングのソファだけを求めていた。

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