第24話 北ドイツ放送(NDR)でのスタジオライブ
1965年4月。
ロンドンから海を渡り、オランダを経て辿り着いたドイツ・ハンブルク。
北ドイツ放送(NDR)のスタジオは、機能美を極めた無機質な空間だった。
しかし、そこに集まったドイツのジャズ・ファンたちの期待感は、北海の寒風を溶かすほどに熱かった。
「ウェス、リハーサルなしでいけるか? すぐに本番だ」
現地のディレクターの言葉に、ウェスは短く「オフコース」と答え、愛器L-5のチューニングを確かめた。
昨夜は移動の列車の中でほとんど眠れず、椅子に座ったまま体を休めただけだった。
司会者が重厚なドイツ語で彼を紹介する。
「今夜、我々は歴史の目撃者となる。インディアナポリスの巨星、ウェス・モンゴメリー!」
カメラが回り始め、スポットライトがウェスの額に滲む汗を照らし出した。
演奏された『The Girl Next Door』や『Blue 'N' Boogie』は、後に語り継がれるほど完璧なものだった。
ジョニー・グリフィン(サックス)との激しい掛け合い。
ウェスの親指は、まるで意志を持つ生き物のように弦の上を跳ね、複雑なコードワークと超高速のソロを叩き出していく。
客席は、あまりの凄まじさに静まり返っていた。
それは冷淡さではなく、あまりに巨大な才能を前にした時の、畏怖に近い沈黙だった。
しかし、演奏の合間。
カメラの死角で、ウェスは一瞬だけ左胸を押さえ、深く、苦しげな呼吸をした。
連日の過密スケジュール、不規則な食事、そして一日に何箱も吸い殻を積み上げる煙草。
強靭だった旋盤工の体は、この時、目に見えない悲鳴を上げ始めていた。
「……ウェス、体調が悪いのか?」
隣で吹いていたジョニー・グリフィンが、小声で尋ねた。
ウェスはいつものニカッとした笑顔を作り、親指を立ててみせた。
「大丈夫だ、ジョニー。ちょっと、ハンブルクの空気が良すぎるだけさ」
演奏が再開される。
ウェスの音はさらに熱を帯び、聴衆を熱狂の渦へと叩き込んだ。
誰も彼が限界に達しているなどとは夢にも思わなかった。
収録後、局の廊下を歩くウェスの足取りは、いつになく重かった。
彼は壁に寄りかかり、遠いインディアナポリスの、静かな居間を思い浮かべた。
そこには、蓄音機の針を落とす自分と、見守るセレーヌがいる。
(……もう少しだ。このツアーが終われば、家へ帰れる)
ハンブルクの夜空の下、ウェスは再びタクシーに乗り込み、次の都市へと向かった。
黄金の輝きを放つ報酬の裏側で、彼の命の灯火がわずかに、そして確実に削られ始めていることに、まだ誰も気づいていなかった。




