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第19話 孤独のハイウェイ

 1963年。ウェス・モンゴメリーの名は全米に轟き、彼を求める声は止むことがなかった。


かつての旋盤工は、今やジャズ界で最も多忙な男の一人となっていた。

しかし、どれほど名声が高まっても、彼には克服できない唯一の敵があった。


 それは、空を飛ぶことへの、根源的な恐怖である。


 ある日の午後、サンフランシスコでのギグに向かうため、ウェスは空港の搭乗口に立っていた。


冷房の効いたターミナルで、彼一人だけが異常なほどの汗をかいている。


「ウェス、大丈夫か? 水でも飲むか?」


 同行するバンドメンバーが心配そうに声をかける。

ウェスは青ざめた顔で頷いたが、目の前に横たわる巨大な銀色の機体を見上げた瞬間、足がすくんだ。


 無理やり機内に乗り込み、座席に座ってシートベルトを締めたとき、彼の限界は訪れた。


窓の外でエンジンが重低音を響かせ始めると、それは彼にとって、死を告げる不吉な咆哮にしか聞こえなかった。


(だめだ、これに乗ったら、俺は二度とセレーヌに会えない……)


 呼吸が荒くなり、心臓が肋骨を突き破らんばかりに脈打つ。


パニックが彼を支配した。


ウェスは客室乗務員の制止を振り切り、まだ開いていたドアから転がるようにして機外へ脱出した。


「すまない……どうしても、これだけは駄目なんだ……」


 ターミナルの床に座り込み、肩で息をするウェスを、スタッフたちは呆然と見守るしかなかった。


結局、その日のフライトはキャンセルされた。


だが、彼には穴を開けられないステージが待っている。


 その夜、ウェスは自慢のステーションワゴンのハンドルを握っていた。


 ニューヨークから大陸を横断し、数千マイル先の仕事場へ向かう。飛行機なら数時間の距離を、彼は一人、何十時間もかけて走り抜ける道を選んだのだ。


 ハイウェイの夜は、どこまでも深く、暗い。


 車のライトが照らし出すのは、終わりのないアスファルトの白線だけだ。


ウェスは睡魔と戦うため、大音量でラジオを流し、何度もコーヒーを口に運んだ。


 ダッシュボードの上には、クリップで留められた家族の写真がある。


深夜、疲労がピークに達し、意識が朦朧としてくるたび、彼はその写真に視線を落とした。


「……パパは、頑張ってるぞ」


 ひび割れた唇でそう呟く。


 彼がハンドルを握るこの右手は、かつて旋盤を回し、今は世界を酔わせる音を奏でる手だ。


だが、その指先は長時間の運転でこわばり、慢性的な疲労がじわじわと彼の心臓を蝕んでいた。


 仕事が増えれば増えるほど、彼は移動という名の孤独な労働に時間を奪われていく。


飛行機を使えば、もっと子供たちと過ごす時間が増えることは分かっていた。


だが、彼にとって翼は死の象徴であり、

この四輪こそが家族の元へ確実に生還するための唯一の命綱だった。


 朝焼けが地平線を染め始める頃、ウェスは

目的地の街に入った。


 ホテルにチェックインする間もなく、彼はギターを抱えてクラブへ向かう。


鏡に映る自分の顔は、驚くほどやつれ、目は血走っていた。


 しかし、ステージに立ち、スポットライトを浴びた瞬間、彼は完璧な「ウェス・モンゴメリー」を演じきった。


満員の客席からは拍手の嵐が巻き起こり、誰もが彼の親指から溢れ出す温かく、軽やかな音色に酔いしれた。


 その音の裏側に、何十時間の孤独な運転と、死への恐怖、それによって磨り減らされた肉体があることを、知る者は一人もいなかった。


 演奏を終え、楽屋の椅子に深く沈み込んだウェスは、胸の奥底に這いずり回るような、嫌な軋みを感じた。


鉛を流し込まれたような重苦しい痛みが、心臓を強く握りつぶしては去っていく。


 彼はそれを「ただの疲れだ」と自分に言い聞かせ、また次の街へ向かうために、車のキーを握りしめた。


 翼を持たぬ鳥は、荒野を走り続ける。


 それが、家族を守るために彼が選んだ、あまりにも過酷な「ロード・ソング」の正体だった。





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