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第9話 インクティブル(信じられない)男

 1959年、秋。


ニューヨークのリバーサイド・レコードを主宰するオルリン・キープニュースは、はるばるインディアナポリスの地を踏んだ。


「キャノンボール・アダレイが『どうしても聴け』とうるさくてね。だが、こんな地方都市に本当に怪物がいるのか?」


 キープニュースは半信半疑だった。


彼が指定された場所に向かうと、そこは華やかなジャズクラブではなく、重機が唸りを上げる「マロリー社」の工場だった。


 工場の裏門で待っていると、シフトを終えた労働者たちが続々と出てくる。


その中に、油にまみれた茶色の作業着を着て、目元に鉄粉を滲ませた大柄な男がいた。


「……ミスター・モンゴメリーか?」


 キープニュースが声をかけると、男は少し驚いたように足を止め、人懐っこい笑顔を見せた。


「はい。ウェスです。ニューヨークからわざわざ、こんな埃っぽいところまでありがとうございます」


 キープニュースは困惑した。


目の前の男の指先は、旋盤で酷使され、

ふしくれ立っている。


とても繊細な弦を操る芸術家の手には見えなかった。


「今夜、『ミサイルルーム』で弾くと聞いた。

そこで話をしよう」


 その夜、店の片隅に陣取ったキープニュースは、ウェスがギブソンL-5を抱えた瞬間、空気が変わるのを感じた。


 ウェスが親指を弦に沈める。


 ブォゥーン……。


 その一音で、キープニュースのメモを取る手が止まった。


 信じられない(インクレディブル)――。


 都会の洗練されたギタリストたちが必死に追い求める深みが、この男の指先からは、まるで水道の蛇口をひねったように溢れ出している。


オクターブ奏法で奏でられる『ウェスト・コースト・ブルース』のメロディは、工場の喧騒も、家族を養う苦労も、すべてを包み込むような抱擁力に満ちていた。 


 演奏後、キープニュースはウェスの元へ歩み寄り、真っ直ぐに目を見つめた。


「ウェス、君はここにいちゃいけない。ニューヨークへ来てくれ。君の今の生活……工場での仕事、そのすべてを僕が買い取る。君はただ、ギターを弾くだけでいいんだ」


 ウェスは静かにギブソンをケースに収め、

一瞬、遠くを見つめた。


「……キープニュースさん。僕はかつて、家族と離れて孤独に耐えられず、故郷に逃げ帰った男です。僕にとって、家族の温もりがない場所で鳴らす音は、ただの振動でしかない」


 キープニュースは頷いた。


「判っている。だからこそ、君をスターとしてではなく、一人の父親として、ありのまま録音したいんだ。君の家族が誇りに思えるような、最高のレコードを作ろう」


 翌朝、ウェスはセレーヌにすべてを話した。


「また、行かなきゃいけないみたいだ。でも、今度はハンプトンの時とは違う。僕自身の名前で、僕の音を形にするために呼んでくれている」


 セレーヌは、ウェスの使い古された作業着にアイロンをかけながら、優しく微笑んだ。


「ウェス、もう迷わないで。今のあなたには、私たちがついている。あなたがどこで弾いていても、私たちの心はいつもそのギブソンの中に一緒にいるわ」


 こうして、世界を震わせる一枚のアルバム、『ザ・インクレディブル・ジャズ・ギター』への扉が開かれた。


インディアナポリスの旋盤工は、ついに世界のウェス・モンゴメリーへと羽ばたく決意を固めたのである。












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