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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

夏のホラー 2025 リプレイ

作者: キシケイト

——水がしたたる音が聞こえる。


最初に指先が触れたのは、鏡のように輝く、水滴の集まりだった。


頭上から聞こえる音は、規則正しく、一定の間隔で時を刻む。

心臓が動き出す——時計の針の音を思わせるそれは、胸のあたりから響く。


水のしたたる音と、心臓の鼓動は混ざり合い、徐々《じょじょ》に復活の時が近づく。

体の中から、熱い血潮がき上がってきた。


呼吸をすると、地下のよどんだ冷たい空気が体に染み込む。


——()()、戻ってきた——。


世界が再び動き出した——。


誰にともなく、心の中で呼びかけてみた。


——ねえ、もう気は済んだんじゃないの——?


返事はない。


しばらくすると、その代わりなのか、ホームを駆け抜けていく風の音が鳴った。


薄目を開けて、辺りを見る。


頭上では、カチカチと蛍光灯が鳴っている。

駅のホームは静まりかえっていて、人の気配は無い。

肌に触れた感触は、ホームに点在するベンチのひとつだ。

ツルツルとして硬く冷たい。

疲れた体には心地よかった。


「けほっ」


咳が出て、意識がハッキリとする。


起き上がると、ぐちゃぐちゃになった、腰まである茶色の髪を三つ編みにした束が揺れた。

着ている白い服は、血にまみれ、破れている。


足元を見ると、履いていたサンダルが片方ない。

その片割れは、ホーム下の暗い線路脇に転がっていた。

片方だけになったサンダルを脱いで、雑に放り投げた。

疲れからか、思わずため息がいて出る。


「……もー、疲れたー! いい加減にしてよ! ドラマの撮影じゃないのよ。()()だから、何回も生き返れるけれど! 普通、命はひとつ!」


ヒナのヤケクソ気味のシャウトが、無人の駅ホームに響く。


()の主は何処どこにいるのかは、わからない。

とりあえず、天井からしたたり落ちる水を睨みつけてみた。


(……まだ納得いかないんだよ。もう少し付き合ってよ。ね、終夜よすがやひなぎくちゃん)


頭の中に声が響く。


それは男のような、女のような、そのどちらにも聞こえるようで聞こえない——妙にフレンドリーで不思議な声だった。

それよりも——。


——なんで、人のフルネーム知っているの——?


声の正体も、ヒナのフルネームを知っていることも、わからないことだらけだった。

ただ、想像はできる。


——声の正体は幽霊、かしらね?

今の時期は八月半ば、()()()()()が出てもおかしくは、ない……と思うの。


何度目かわからないけれど、また、ため息が出た。

何処どこの誰ともわからない、正体不明な奴にここまで寄り添って、付き合っているヒナは心が広いと思うの。

……だけどね。


「——面倒くさい」


思わず、パパの口癖くちぐせが出ちゃったのは……本当に無意識だったのだと思う。

これ、悪気はないのよ。本当に。


(そんな殺生せっしょうなこと言わないでー)


何処からともなく、情けない声が聞こえてきた。


「——もう死んでるくせに!」


疲れも手伝って、ヒナの感情が爆発する。


「ふざけないでよ!」


——こうなったらヤケクソよ! とことん、お付き合いしてあげるわ——!


よくわからない、ヒナの闘志に火がいた。


どうして、こんなことになったのかしら。

昨夜の出来事が頭の中をよぎる。


今の状況が、地獄の釜の底での現実なら……今から思い返すことは、極楽浄土で見る夢かしらね。


——日が沈み、夜がけ、昼間の熱も下がる夏の日。

ヒナはパジャマ姿で、斉藤さんの自宅キッチンにいた。


周囲の住宅に比べて、大きくて、目立つお家は、キッチンも大きく立派だった。

同居のご両親は、本日は帰省中とのこと。

つまり——今日は斉藤さんとヒナ、ふたりっきり!


テーブルに色とりどりのフルーツとゼリー、白玉が盛られた、涼しげな透明のボウルを置く。

ボウルの中央には空の細長い、具材に埋まった、ワイングラスが鎮座ちんざしている。


「じゃじゃーん! 今日のデザートは、フルーツポンチでーす!」


ヒナはボウルの横にサイダーのペットボトルと、ラムネの入った手のひらサイズのボトルを置いた。


「へえ。昼間に台所で何かやっていたのはこれか。美味うまそうだな」


ソファに寝っ転がり本を読んでいた、斉藤さんが起き上がった。

本を置き、喋りながらヒナがいるこちらに向かう。

二人はダイニングテーブルに向かい合って座った。


「で、コレは何のためにあるの?」


斉藤さんは、色とりどりのフルーツ達が盛られたボウルに、埋まるように鎮座する、空のワイングラスを指差す。


「うふふ。まあ、見ててっ!」


ヒナは、サイダーのペットボトルを開ける。

プシュ! っと勢いよく、ガスが飛び出した。

それをワイングラスに、なみなみと注ぐ。


「それから、コレ」


ラムネをひと粒、ワイングラスに落とす。

サイダーに潜り込んでいくラムネは、一瞬だけ表面に王冠を作り、沈んで泡をまとう。

ワイングラスの中身は、たちまちあふれ落ちた。


ボウルの中のフルーツとゼリー、白玉がシュワシュワと音を立て、ワイングラスからこぼれた液体で満たされる。


「おおー。見た目が楽しいな」


「でしょでしょ。子どもの頃ね、夏になると家族みんなでよく作っていたの。今ではたまに、ママが作ってくれるけれど」


目を丸くして、フルーツポンチを見つめる斉藤さんに、ヒナはドヤ顔で言った。


テーブル上に空の器がふたつ並ぶ。

目もお腹も満足して、ヒナは斉藤さんをぼんやりと見つめていた。

照明のせいなのか、ジャージ姿に派手なビカビカの金髪がきらめいて見える。


——髪の毛、綺麗きれい、もう格好良すぎ——。


「明日はバイトで朝早いんだろう、もうおやすみ」


斉藤さんはこちらの視線に気がつくと、静かに語りかけてきた。


「うーん。でも片付け……」


眠気も手伝って、ムニャムニャっと舌っ足らずな返事をする。


「俺がやっておくよ。——そういえば」


「ん?」


「駅のホームには気をつけて。最近、()()らしい——」


そう言って、斉藤さんは立ち上がり、お皿を手に持つ。

その言葉と椅子を引く音に、思わずヒナの眠気も、吹っ飛んで行ってしまった。


「何が⁉︎」


「何なんだろうな。それは俺にもわからん。ここから最寄りの駅は最近、人身事故で遅延することが多い」


そう言い終わると彼はニヤリ、と人の悪い笑みを浮かべる。


——ヒナの反応が面白いから、って揶揄からかうのはやめてほしいわ。

明日は始発の電車を待たないといけないのに——。


彼はキッチンへ向かい、片付けを始めた。

片付けを終え、ダイニングテーブルへ戻る前に、リビングにあるサイドボードの引き出しから何かを取り出す。

それを一旦いったん、ジャージポケットへ入れた。


「そこで、だ。俺から君へ、御守おまもりを渡しておく」


斉藤さんが片付けを終え、ダイニングテーブルへ戻ってきた。

彼のジャージポケットから出てきたのは、シルバーでできた、ちょうの飾りがついたヘアゴムだった。


「何これ?」


ヒナはテーブルに置かれた、飾りつきのヘアゴムを指差す。


「俺の母親が若い時使っていた物だ。父親のお手製、魔除まよけの御守おまもり。ゴムの部分は替えてある」


斉藤さんはヘアゴムをつまみ上げ、ヒナの手のひらに乗せる。

蝶の飾りの裏側には、文字のような何かが書かれていた。


「この御守りの効果は……今ここに、俺がいることが何より証明している」


「——ありがとう。あの……聞いていい? 斉藤さんって何者なの?」


彼は自分自身に対し、呆れたようにわらって言う。


「俺? 俺は俺だよ。ただの人間だ」


——こんなにも説得力のない断言は、ヒナの聞いたかぎりは、後にも先にもこれっきりだった。


——そうそう。思い出したわ。

駅のホームに幽霊が出るって。

次の日は、予定通りに斉藤さんのお家を出発して、蝉の鳴くなか駅にたどり着いた。

そして、始発の電車を待っていたの——。


でも、始発の電車には乗れなかった。

この、声のヤツのせいで!


ヒナの心中しんちゅうを察することもなく、声は心中しんじゅうのお誘いをする。


(ね、ね、次の電車でラストチャンスだから! パーッと派手に散ろうよ!)


——なによ、人のこと、汚い打ち上げ花火扱いしないでよ——。


口を開けば、文句が止めどなく出そうになるので、黙っていることした。


立ち上がると、タイル張りの床に裸足が触れる。

ヒヤリと足裏を通して伝わってきた、身に染みる冷たさに気持ちが引き締まった。


ボロボロの白い服に裸足姿。

髪に手を触れると、その状態に嫌気がした。


すぐに、ぐちゃぐちゃに乱れた、三つ編みをほどく。

ゆるく癖のついた、長い茶髪を、軽く手櫛てぐしでとかして整えた。

髪をまとめていた、ヘアゴムは腕時計と共に、手首に通しておく。

シルバーの蝶が鈍く輝いている気がした。


——うーん。これじゃあ、真夏の心霊番組に出てくる幽霊そのものよ。誰かに見られたら、まずいわ——。


キョロキョロと辺りを見渡すが、不思議なことに人っ子ひとりいなかった——。


(——電車が来た)


ホームに流れる空気が風になり、巻きあがった。

暗いトンネルの奥に灯りが見える。

不思議と音は聞こえなかった——。


(さあ、いきましょう、か——)


声と同時に、身体が重くなった。

そのままフラフラと、を進める。

ホームの黄色い線を超えると、床がなくなる。

そのまま身を任せ、落ちていく。

電車が迫ってきた。

思わず、目をギュッと閉じる——。


その時、腕に巻いたヘアゴムの蝶がまばゆい光を放ったことに、この時は気がつかななかった。



一瞬ののち、眼下に先程さきほどまでいた、ホームが見えた。

体の感覚が無い——。

今の自分がどうなっているのかなんて、まともに考えてしまうと、途端とたんに恐ろしくなる。


——あーあ、バラバラになっちゃった——。


ほんの少しでも、正気でいようと、精一杯の虚勢きょせいを張った。

——今回は、それで良かったのだと思う。


意識が落ちる前、最期に見た景色は——光の蝶に囲まれて微笑む、知らない女の子の姿だった——。



「——ヒナ。起きた?」


目を覚ますと、同じ顔をした女の子が視界いっぱいにいた。

背格好、トレードマークの青い瞳は同じで、違うのは髪型ぐらい。

相変わらず、濡羽ぬれば色の黒髪ベリーショートをヘアピンまみれにしている、頼れる相棒。


双子の姉、終夜よすがや詩音しおんちゃんだ。

珍しく、元気と血の気の無い、青白い顔色をして、ハンカチを口元にあてている。

顔が近かったのは、ヒナを膝枕していたからだった。


「ヒナ、聞こえる? 気分どう?」


「…………」


体中が痛い、声が出ない。そのくせ意識は徐々に戻りつつある。

気分は——。


——最悪——。


目尻に涙が溜まり、流れ落ちた。


これは——かなしみなのか、生理的なものなのか。

それとも、見知らぬ彼女に対する鎮魂ちんこんの涙なのか。

それはよくわからなかった。


駅のホームは相変わらず空気が澱み、不気味に照明がまたたいている。

なんとなく、天井から規則的に水滴が落ちていくのを眺める。


その水はベンチの椅子の座面に集まり、溢れた液体は静かに床に流れ落ちる。

ヒナの片腕は、床にできた鏡のような水溜まりに浸っていた——。


「それにしても、見事なバラバラ具合だったわね……グロ過ぎ」


詩音ちゃんが、ハンカチを口元にあててえずく。

うわ……詩音ちゃん、ごめんね。


「…………」


声が出せないので、無言で訴える。

不思議なもので、昔から詩音ちゃんとは言葉にしなくても、通じるものがあった。

——双子の姉妹だから、なのかしらね?


「うん……まあしょうがない。……むしろ意識が無くて良かったわよ……あら? いけない、傷が開いているわ」


ハンカチをしまい、詩音ちゃんが言った。

次に、側に置いていた台車を転がし、カバンを引き寄せる。


それから、台車の上にあるカバンの中から、何かを取り出す。

ベリベリと何かが裂ける音が聞こえてきた。


「ヒナ、ちょっと痛いだろうけど。我慢よ」


次に、こちらを向いた詩音ちゃんの両手には、適当な長さに千切ちぎった、布のガムテープがあった。


「——⁉︎ 」


身構えたヒナに対して、詩音ちゃんは無言で、ガムテープをヒナの腕に貼り付けた。

慣れた手つきで、ぐるぐると巻く。


——ちょ、ちょっと! 詩音ちゃん! 何してんの! ちょ、痛い! 痛い! ——


よく見ると、腕も脚も胴体もガムテープでぐるぐる巻きだった。

これは——包帯代わりなのね。


「これで良し。さ、帰りましょ」


意外と力持ちの相棒は、軽々とヒナを持ち上げる。

台車に乗せられると、雑にガムテープで体を固定された。


「…………」


「そんな目で見ないでよ。さあ、しゅっぱーつ!」


ガラガラと台車を押す音がホームに響く。


今日は始発でバイトの予定だったのに、見事な無断欠勤でクビになったのは、もう少し後の話。


——後日、斉藤さんから聞いた話によると……。

あの駅での人身事故は、この日以降、ぱったりと途絶えた、とのことだった。


おしまい。

あとがき

お題「水」を意識して、「怖い水」と「楽しい水」の違いを書きました。

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