またね(4/4)
あの学校の裏庭には、
雨の日だけ現れる、小さな水たまりがあります。
コンクリートの片隅。
ひび割れに沿ってできる、深くもない、浅くもない、
なんでもないはずの場所。
でも、あれだけ晴れていた日の放課後に、
なぜか、そこだけが濡れていたことがあって――
覗いてしまった子が、
「見たことのある顔が映っていた」と言ったことがありました。
ほんとうかどうかは、わかりません。
でも、それ以来、
雨が降った日の昇降口や廊下が、
いつもより静かになる気がするんです。
みんな、何も言いません。
でも、ときどき、
窓の外をじっと見ている子がいる。
なにかを思い出しているような、
なにかを待っているような。
……ねえ、あなたは、
その水たまりを、
覗いたことがありますか?
……さようなら、って言えなかった。
たったそれだけのことなのに、
ずっと、ここにいた気がします。
校舎の裏庭。
陸斗くんの足音が、コンクリートの上に戻ってくる音がしました。
雨は、もうやんでいました。
それなのに――
水たまりだけは、まだ、そこにあって。
陸斗くんは、何も言わずにしゃがみこんで、
指先を、水に触れました。
わたしの顔が、
その指のかげで、すこしゆがんで――
……でも、ちゃんと、笑っていました。
「……ごめん」
「ずっと、言えなかった」
声は、とても小さかったけど、
わたしには、ちゃんと、届いていたんです。
返事は、いらなかったんだと思います。
だって、
陸斗くんの手が、もう一度、水面に触れて、
「――またな」って、言ってくれたから。
そのとき――
水の音が、
ひとつ、やさしく鳴りました。
それだけで、
わたしの時間が、ふわりとほどけた気がしました。
足も、
声も、
涙も、
ぜんぶ、ちゃんと、ここに置いていけるような、
そんな、やさしい音でした。
ありがとう、陸斗くん。
ほんとうに、ありがとう。
きみに、名前を呼んでもらえたから――
わたしは、
七澪のままで、
さよならができるよ。
……これで、ほんとうに、
おわりです。
昔から、水には“なにか”が映ると、言われてきました。
川を渡ると魂が抜ける。
池の水を覗くと、連れていかれる。
それは、遠い昔の人たちが、
水面にうつる“別の世界”に気づいていたからかもしれません。
水は命を育てるけれど、
ときに、命を沈めても、静かに抱きしめてしまう。
とくに、動かない水――
水たまり、ため池、古い井戸。
そういった場所には、“この世に還れなかった声”が、
いまでも残っているのかもしれません。
『ゆれる水面の下で』に登場した、あの子も――
ただ忘れられたくなくて、
ただ、声を届けたかっただけ、なのかもしれません。
……けれど、気をつけてくださいね。
雨の日にふと足元を見て、
小さな水たまりに、顔が映ったら。
それ、ほんとうに、あなたですか?