あの子の記憶(3/4)
あの学校の裏庭には、
雨の日だけ現れる、小さな水たまりがあります。
コンクリートの片隅。
ひび割れに沿ってできる、深くもない、浅くもない、
なんでもないはずの場所。
でも、あれだけ晴れていた日の放課後に、
なぜか、そこだけが濡れていたことがあって――
覗いてしまった子が、
「見たことのある顔が映っていた」と言ったことがありました。
ほんとうかどうかは、わかりません。
でも、それ以来、
雨が降った日の昇降口や廊下が、
いつもより静かになる気がするんです。
みんな、何も言いません。
でも、ときどき、
窓の外をじっと見ている子がいる。
なにかを思い出しているような、
なにかを待っているような。
……ねえ、あなたは、
その水たまりを、
覗いたことがありますか?
……思い出すって、痛いことですね。
陸斗くんも、そうだったと思います。
見たくないものって、あるんです。
聞きたくなかった言葉とか、
どうしても間に合わなかった手とか。
それでも、思い出は、
水みたいに、すき間から滲んできてしまう。
それは、たぶん――あの階段の踊り場だったと思います。
廊下の奥。
校舎の端の、誰も通らなくなった場所。
昔、ふたりで雨宿りをした、あの窓辺。
傘を忘れた日。
壁の下に描いた落書き。
ぜんぶ、
もう消えてしまっているのに、
陸斗くんの指先が、空をなぞるように動いて――
彼は、きっと“あのとき”の続きを、探してたんでしょう。
あの日、
わたしが、
「――バイバイ」って、言ってしまった、
ほんの数秒の、続きを。
校舎の中に人の気配はなくて、
窓の外から、雨がぽつりぽつりと落ちてくる音だけが響いていました。
彼は立ち止まり、窓を開けて、
じっと、下を見下ろしました。
裏庭のコンクリート。
そこに、今日も、水たまりができていて――
……映っていたんです。
わたしの顔が。
でも、陸斗くんはもう、驚かなかった。
そっと目を細めて、
「七澪――おまえ、まだここにいたのかよ」
……そう、言ったんです。
ふふ。
うれしかったな。
呼ばれた気がして、
足が動きました。
わたしのいた場所に、
彼が近づいてきたんです。
雨粒が流れ落ちたあと、
風が残していった静かなすじにそって――
わたしの“想い”も、そっと揺れました。
そして、ようやく、思えたんです。
わたしは今、彼と“同じ場所”にいるんだって。