「無能力者の私は、王室メイドとして闘います!?」
ーーあなたは…無能力者です。
パラパラと雨音が聞こえていた。
木枠で固定されたガラスを、雨粒が叩いている。
レンガ造りのこの建物は、王宮管轄のギルド施設。冒険書の発行や任務の受注、派遣を主な事業としている。陽が落ちると、酒を求め盛況を見せる人々の憩いの場だ。
「…ふうん。そうかい」
ギルド受付の老女が、灰色の書類を机に伏せた。無表情ではあるが、どこか寂しそうに眉を寄せている。
「魔紋、出なかったんだね。光のひとつも……これじゃ、認定されないよ」
隣に控えていた若い騎士が、あからさまにため息をついた。周囲の視線が痛い。"無能力者"という言葉が聞こえた途端、皆嘲笑うように私を見つめる。
「平民出身だからといって、甘すぎるんだよ。メイド候補として名乗りあげた娘が、能力ゼロとはな」
「申し訳ありません」
私は深く頭を下げる。声が震えそうになるのを、唇をきゅっと噛んで抑えた。
この国には“加護”という名の力がある。生まれたときに一人ひとり刻まれる魔紋が、その者の才能を証明する。
剣の才、治癒の手、炎の支配――それらが国家の礎を成す今、魔紋を持たない者はただの「無能力者」として扱われる。
その日、私は正式に「何の力も持たない」と証明された。
「……次の方」
受付の老女は、それ以上私にかける言葉もないようだった。灰色の書類の端に、私の名前がかすかに滲んでいる。
エルネア・リィ=ヴェルト。
王室直属のメイド候補として、地方の孤児院から推薦されてきた私の名だ。
背後に並ぶ次の受験者のため、私はその場を離れた。外はまだ、しとしとと雨が降っている。ギルドの外灯がぼんやりと光を灯し、濡れた石畳に淡く反射していた。
(無能力者……か)
ああ、知っていた。ずっと昔から。
周囲の子どもたちの魔紋が輝くたび、私の掌には何も浮かばなかった。
奇跡を信じていなかったわけではないけれど、それでも、ほんの少し……いや、きっと、いつか奇跡は起こるって、期待してしまっていたのだ。
「くっ……!」
人目を避けて、ギルド裏の路地に入り込む。
濡れた壁にもたれかかると、胸の奥から、どうしようもない感情が溢れ出しそうになる。
けれど、泣くことは許されなかった。
(期待と不安に満ちた孤児院のみんなを背に私はここまで来たのだから)
魔紋を持たぬ者が王宮に入るなど、前代未聞だ。推薦を出した院長先生の顔が脳裏をよぎる。あの人の名に泥を塗ることだけは、絶対にしたくない。
「……はあ。これから、どうしよう……」
メイドとして王宮に仕える夢は絶たれた。もう、どこにも戻れない。お金も底がつき、宿探しもままならない。
私はこのまま人知れず自然に戻るのかな。
そう思った瞬間だった。
「おーい! そこの嬢ちゃん、こんなところで何やってんだ?」
突然の声に、思わず肩が跳ねた。声の主は、ギルド裏手の階段を下りてきた壮年の男。肩に布をかけ、手には掃除用のモップとバケツを持っている。
「もしかして、魔紋検査に落ちた口か?」
言い当てられ、私は俯いたまま、小さくうなずいた。
男は、ふっと笑った。だけどさっきの冒険者達とは違う、優しい表情で。
「そうかい。だったら――うちに来るか? 雑用係の手が足りなくてな。報酬は出せんが、寝床と飯くらいは用意してやる」
「え……」
「名前は?」
「……エルネアです」
「よし、エルネア。とりあえず今日から、お前はうちの“仮メイド”だ」
まるで冗談のような提案。だけど、私はすがるようにその言葉に飛びついた。
この日、私は“王室メイド”ではなく、“ギルド雑用係”として再出発することになったのだ。
それが、後に王宮を揺るがす騒動の、始まりだった――。