We're half way there.
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拳を受け止めたフェルナンドは、眼を瞑ったまま動こうとしなかった。
炎が収束し、水面に浮かぶ泡が減っていく。
静謐の中に、サリナの荒い呼吸だけが響いた。
「はぁ……はぁ……」
遥か向こうの広場から、ざわめきが聞こえてくる。
池を包んだ苛烈な炎に比べれば、少女の殴打はあまりにも弱々しい。
やがて霧が晴れ、互いの表情が明瞭に見えるようになった。
「一発……約束、ですよね。団長さん」
肩で息をしながら、サリナは言葉を紡いだ。
フェルナンドの口の端から、一筋の血が垂れて、顎を伝う。
「いつ思いついた?」
「池に、吹き飛ばされた……辺りからです」
「……そうか」
サリナは、だらりと拳を下ろす。
「少しだけ、ズルいですけど。誰だって、油断くらいは、しますよね?」
「不心得者。道具に優劣はあれど、善悪などない」
フェルナンドは視線を下げ、依然として手袋に包まれたままの両手を見つめた。
高熱に当てられてか、指先が焦げている。
「使えるものは使うべきだ」
「あなたも同じことでは?」
「違う。我輩は使わなかったのではない」
「……」
ふと、遺跡の中で言われたことをサリナは思い出した。
そして、徐に周囲を見回す。
岸辺には、戦いが終わったと見るや駆け寄ってきた審問官達が集まっていた。
とはいえ、フェルナンドでさえ膝が隠れるくらいの池に、進んで入ってこようとはしないだろう。
「約束を忘れたとは言わせませんよ、団長さん」
「あぁ、話をしよう。都合がいいことに、ここは我々しか居ないからな」
「……都合がいい、ですか」
わざわざ池の中に放り込んだ張本人が、何を白々しい。
震える両脚に鞭を打ち、すっくと背を伸ばしながら、ようやく見開かれたフェルナンドの瞳を見つめる。
「何が聞きたい?改めて尋ねよ」
「あなたはどうして、病弱な人々を戦場に送ってでも、出世することを望んだのですか?身共には理解できません」
「秩序を構築するためだ。我輩の行動目的は、その一点に収斂する」
フェルナンドは、流れ落ちる血をそのままに、淡々と言葉を続ける。
足元の水中で、溶け込んだ鮮血が煙のように揺らめいた。
「秩序……?」
「それは、万民の幸福だ。命を脅かされることなく生存できる世界だ。我輩は、拝樹教がそれを齎すと信じている」
「あなたの言葉は矛盾しています!」
「矛盾などしてはいない。秩序は、何にも勝る最優先事項だ。そのためであれば、あらゆる物事が些事となる。人命であろうとな」
「な——」
ふと、サリナは違和感を覚えた。
糠に釘を打つような手応えのなさ。
必死に槍を掲げるのも、段々と馬鹿らしくなってくる。
「我輩は、地獄を見て育った。命の価値が、路傍の石と変わらない世界だ。生き残ったからには、相応の責務を負わなければならない」
「それが、エマさんの徴兵にどうつながるのですか……?」
「徴兵制度の話か。聞きたいのなら、聞かせてやろう。当時、北部前線の指揮官は、団長と共同して徴兵基準の引き下げを行った」
「なぜですか?」
「次代の座を確固たるものにするためだ。銃や爆弾を手にした特攻隊は、北部前線で目覚ましい戦果を挙げ、それらは全て指揮官の功績となった」
横たわった槍を、水中から拾い上げるサリナ。
そして、鋒をフェルナンドに向けた。
「それに対抗するために。あなたも、非道に手を染めたのですか」
「……奴らを、審問団の指導者と認めるわけにはいかなかったからな」
「その犠牲の中に、エマさんも居たのですね」
「そうだ。結果、我輩は先代さえ凌ぐ功績と名声を手に入れた。我輩が審問団の長たり得るのは、当時の選択が齎した結果に他ならない」
フェルナンドは僅かに視線を落とし、両掌を見つめた。
それから、ぎちぎちと音を立てながら握り締め、再びサリナを真っ直ぐ見据える。
「秩序を構築するためであれば、我輩は、何であろうと躊躇なく遂行する」
「……それで、全部ですか」
「あぁ」
「分かりました。もう、いいです。こんなことなら、聞かなければ良かった」
フェルナンドは黙して、踵を返すサリナの背中を眺めていた。
少女は一歩前に踏み出し、水が跳ねる。
「待て」
再び、フェルナンドの低い声が響いた。
「なんですか?」
「貴様が我輩を見限ろうと、止めはしない。だがそれは、養母が犠牲になることで、何が成し遂げられたかを聞いてからでも、遅くはないだろう」
「……言ってみてください」
「彼女らの尽力によって、最前線の戦いは山場を越えた。アトラス山脈を越え、狂気じみた教えと魚鱗が大陸を侵食する未来は回避されたのだ」
サリナは、ゆっくりと振り返った。
そして、朝日を反射する黄金の相貌に眼をやる。
「また、徴兵の基準が再び引き上げられた。戦いに耐えない人々が、戦場に引き摺り出されることは二度とないだろう」
「……」
「今や規律は徹底され、審問団は敬虔な信徒を守護する存在へと返り咲いた。これも全て、彼女らの犠牲があってのことだ」
「だから、何だって言うんですか!?」
木の枝に止まっていた小鳥たちが、翼をはためかせて飛び立った。
「だから、エマさんの死は無駄じゃなかったと!?だから、あなたの行動は正当化されるものだと!?ふざけないでください!」
最早、槍を掲げる力などない。
服の裾を握り、両足で大地を踏み締める。
「身共が聞きたかったのは、そんな大義じゃない!!!身共は——」
言葉を切ると、サリナは唇を噛みながら眼を逸らした。
一際強い風が、二人の間を吹き抜ける。
「分かりません。あなたは、エマさんのことを必要な犠牲としか考えていないんですか……?」
「であれば、彼女の名前など覚えはしなかっただろうな」
サリナの耳がぴくりと動く。
「彼女は、必要な犠牲などではない。指揮者の無能故に、命を落とさなければならなかった無辜の魂だ。なればこそ、我輩は罪の証として全ての名を記憶した」
「全て?」
「貴様の養母だけではない。オレールはコスタデルソルのしがない宣教師だったが、痩せぎすの身体を引き摺って出陣し、大海嘯に呑まれた。ジルは聖地で弁護士を営んでいたが、銃を手にして10の首級を挙げた。デボラもまた優秀な保育士だったが、ナイフを食材ではなく人間に向けることを強制された」
フェルナンドは、ふと青い空を見上げた。
「これは審問団の罪であり、業だ。団長の座に就いたからには、異端審問団が負った全てを、我輩が背負う。故に、彼女らの名を記憶に留めておかなければならない」
「フェルナンドさんは、彼女に対する所業を悔いているのですか?」
「後悔か。だが、仮にやり直せるとしても、我輩は同じ選択をするだろう」
「秩序のために?」
「そうだ。秩序と幸福を実現させるためであれば、我輩は手段を選ばない」
「……もう、怒る気にもなれません」
サリナは、瓦礫の向こうに見えるテントを眺めながら、眉を顰めた。
「もしかしたら、あなたは謝罪するかもしれない。そんな姿を見たら、身共の気分も晴れるかもしれない。そう、思っていたんです。浅はかな考えでした。こんなにやりきれない気持ちになるなんて」
「犠牲を無駄にはさせん」
「そうかもしれません。でも、犠牲を許容したあなたを身共は許さない」
おぼつかない足取りで、少女は池の岸辺を目指す。
10メートル程度の道のりが、遥か遠いもののように感じられた。
槍を杖のように使う握力さえ、今や残ってはいない。
左足を引き摺り、一歩一歩確かめながら歩を進める。
「その選択がどんな良い未来を生んだとしても、許せないんです。だって、その未来には——」
言葉が途切れ、彼女の身体は前のめりに倒れ込んだ。
限界を迎えていた足は、重たいヘドロと藻を振り切ることができなかったのだ。
みるみる内に、視界が池の水面に覆われていく。
サリナは、覚悟を決めて眼を瞑り。
「……?」
全身を打ち付けるはずの衝撃は、いつまで待ってもやって来なかった。
思わず眼を見開き、首を捻る。
彼女の身体は、フェルナンドの揺るぎない両腕によって支えられていた。
咄嗟に伸ばした足が革靴を踏みつけたが、フェルナンドがそれを気にする様子は微塵もない。
ただ、ひんやりとした手で少女を起こし、眼を細める。
「言葉を続けるか?」
握り拳を作りながら、彼女の腕を払って立ち上がる。
サリナは、フェルナンドの問いに答えなかった。
「良い未来、か」
よろめく少女の背中を見送りながら、独りごつ。
「だが……そこに我輩の姿は無いだろう」
フェルナンドは、サリナと背中合わせになるよう踵を返すと、対岸に向かって歩き始めた。
*
「んで?」
薄暗いテントの入り口に立つヴィオラは、意地悪にニヤけながら、ベッドにうつ伏せになっている少女を見つめた。
「こっぴどくやられた結果、そんなことやってんのか。寝れんのかよ、その体勢で」
返事はない。
もしかすると、声が枕に吸収されてしまっただけなのかもしれないが。
「メシ、持ってきたぞ」
ヴィオラがお構いなくテントのカーテンを潜ると、布団の中でサリナはもぞもぞと動いた。
まるでミノムシのようである。
「……なんじ、ですか?」
「13時とか、14時とかじゃねぇか?こっちは昼飯食ったばかりさ」
うーんと声を漏らしながら、ぼさぼさになった藤色の髪を布団の裾に擦り付ける。
つむじだけが、筍のように突き出して見えた。
痺れを切らしたヴィオラは、壁に立てかけられたパイプ椅子を広げ、腰を下ろす。
「ほら、メシだっつってんだろ?」
「……おなか、すいてません」
「あ?んだよ、折角お前の好物持ってきてやったってのによぉ」
眉を顰めながらベッド用の簡易机を取り出すと、ヴィオラはその上にアルミのトレーを置く。
サリナは両眼を布団の中から覗かせると、湯気を上げるスープ椀を一瞥した。
「……好物?」
「匂いで分からねぇか?マトンの煮込みだ」
「まとん……?たべます……」
もぞもぞ。
蛹から羽化する蝶のように、少女は布団の中から這い出した。
左腕には一際大きな痣ができており、青黒く染まっている。
変えたばかりなのか、包帯は白く、清潔だった。
「ハッ。成る程、確かに今朝より怪我が増えてるな」
「はふ、はふ……」
「火傷すんなよ?」
「あつっ……」
唇にちょんと、繊維の解けたマトンを付け、離す。
ヴィオラは額に手を当てながら、溜息を吐いた。
「ほれ見ろ。ま、腹減ってねぇって言ってた割に食い意地張ってるのは良いことか」
「今思えば、丸2日、何も食べていなかったので」
「だろ?だから、大盛りだ」
「はっ、はふっ、はむ」
熱を逃すように口をぱくぱくとさせながら、サリナは煮込みとピタパンを頬張る。
ざっと、量にして2人前から3人前はありそうだ。
ひとしきり熱がった後、ごくりと飲み込んで息を吐く。
「ふぅ」
「喉詰まらせんなよ?」
「大丈夫です……。それよりも、こんなに沢山いただいて大丈夫なのですか?長期戦になる可能性もあるというのに」
「今日は特別だ。好きなだけ持ってけって、どっかのお偉いさんが言ってたからな。遠慮なく注いできた」
「……」
少女の手が止まる。
ヴィオラはコップに水を注ぎ、そっと置いた。
「手も足も、出ませんでした」
「そうか?遠くから眺めてる分には、よくやってるように見えたけどな。一発ぶち込んでたろ」
「あんなもの……」
サリナは、言いあぐねた言葉を誤魔化すように、スープを口に含んだ。
「一発入れたら、質問に答えると、言っていただけたんです」
「はーん?じゃ、何かしら聞けたわけだ。アイツらは、お前にとっちゃあ因縁の相手だろ?」
「……聞けたと言って、いいのでしょうか」
午後の穏やかな風が、カーテンを揺らす。
傷だらけの身体に染み入る優しさだ。
「なんだ?約束守ってもらえなかったのか?そこまで器の小さいヤツじゃねぇだろ、議長サマは」
「身共は納得できなかったんです」
「何に?」
「……分かりません。でも、素直に頷けませんでした。エマさんを戦場に駆り出した理由は分かったのに、どうしても……」
サリナは、煮込みを見つめたまま口を閉じた。
それに対して、脚を組みながら微笑んだヴィオラは、前触れなく爆弾を落とす。
「じゃ、どうしたい?議長サマを殺したいのか?」
「なっ——」
突飛な言葉を前にして、少女は掻き消すように両手を振る。
偶々にでも聞かれていたら、ことである。
太陽派を審問するばかりか、寧ろ審問される側に回ってしまいかねない。
「違うんだろ?じゃ、私には手伝えねぇ。そういうのは、自分でどうにか折り合い付けるしかねぇからな」
「折り合い……」
神妙な顔をしながら、パクリと一口。
心ここに在らずといった様子のサリナを見ながら、ヴィオラは掌に顎を乗せた。
「ま、すぐにはできなくて当たり前だ。ガキの内は好きなだけ悩め」
「……ヴィオラさんは」
「あ?」
「恋人を奪われた時、折り合えたんですか?」
「……」
ヴィオラは、表情を少しも変えようとしない。
ただ、質問に答えようともしなかった。
「す、すみま——」
「計画に関わったヤツは全員殺したさ」
「全員……」
「でも、同じ道を辿るのは勧めねぇでおく。話し合えるってのは、案外幸福なことだぜ?」
ま、それでも無理ってんなら、手伝ってやるよ。
ヴィオラは椅子を軋ませながら、腰を上げた。
まだ、碗には半分程煮込みが入っている。
「身体の方はどうだ?」
「なんとか」
「じゃ、そう伝えておく。作戦から外されるなんてことはねぇから、安心しとけ」
「ありがとう、ございます」
「まぁ……」
ヴィオラは、サリナの頭に手を乗せ、優しく撫でる。
少女は微かに眼を閉じて、身を委ねた。
「今はゆっくりしとけ。数時間は寝られるさ」
「はい……」
「じゃあな」
紫髪の傭兵は踵を返し、テントのカーテンを潜った。
薄暗い部屋に、少女が1人取り残される。
痛む脇腹を抑えながら、スプーンをいま一度口の中に運んだ。
トマトとキノコ、そしてマトンの脂が口の上でとろける。
ぬるくなり始めてやっと、スープの本当の香りを感じられたような気がした。
お疲れ様でした。
サリナちゃんとフェルナンドさんは仲良くして!と言いたいところですが、これだけ決定的な衝突があった以上、どうしようもないですね。
ヴィオラさんがしているように、見守るしかないのかもしれません。
ヴィオラさんと刺客の衝突は単なる命の取り合いだったのに対して、彼女らは違いますからね。
ということで、二人の仲直りは持ち越し!
喧嘩が長引いても太陽派は待ってくれませんから、ストーリーは先に続いていきます。
次回はどうなるんでしょうね。
もうそろそろあの人が帰ってくるんじゃないでしょうか。
ゴール村でのあれこれも終盤に差し掛かって参りました。
最後まで、ぜひお付き合いください!
最後になりますが、感想やレビューなどいただけると本当に嬉しいです。
執筆の励みになりますし、1つ1つじっくりと読まさせていただきます。
それでは、りんどうでした。




