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アナザーワールド  作者: りんどう
二部 青薔薇の太陽
93/96

是非に及ばず

いつもありがとうございます。それではごゆっくりお楽しみください。

 サリナの視線の先で、フェルナンドはローバーチェアに浅く腰掛けていた。

 金瞳の女が腕を組んで凝視する机の上には、地図がいっぱいに広げられている。

 ヴィオラの予想はどうやら的を射ていたらしい。

 少女はふと足を止め、物陰で深呼吸をする。

 普段は邪魔らしい瓦礫の山が、この時に限っては頼もしい味方のように思えた。


「——ふぅ」


 吐息によって、降り積もった灰が軽く舞い上がる。

 彼女は槍を取り出して握り締めると、瓦礫の影から朝日の下へと身を乗り出した。

 大股で、フェルナンドとの距離を縮めていく。

 審問官たちは、敢えてサリナの前に立ち塞がることはしない。

 寧ろ、身を退けるようにして、彼らは進路を少女に譲った。

 タープの下に入り、降り注ぐ陽光が遮られる。

 二人が机を挟んで相対するまでの間、フェルナンドは一度も視線を上げようとしなかった。


「フェルナンドさん」


 大枢機卿の剣と讃えられた女は、矮小な少女の声に答えない。


「フェルナンドさん」


 努めて同じトーンで、同じ言葉が繰り返される。

 返ってくるのは、要塞が如き彼女の衣擦れだけだった。


「フェ——」

「今夜。或いは、明日の夜だ。太陽派による、大規模な襲撃が予想される」


 フェルナンドは、地図に眼をやったまま、ぶっきらぼうにそう言った。


「貴様の身体は、戦いに耐えるのか?」

「……」

「耐えないのであれば、ここに貴様の居場所はない。疾く立ち去れ」

「耐える場合は?」


 初めて、彼女は顔を上げた。

 拙く巻かれた包帯と白亜の長槍を交互に見ながら、机の上に左手を乗せる。


「無論、相応の戦場を提供しよう」


 無表情のまま頷いたサリナは、傍の地面に槍を突き刺し、椅子を引いた。

 風圧で数枚の地図が舞い上がったが、机の周りに散乱したそれらを、フェルナンドは拾おうとしない。

 ただ、僅かに腰を上げて深々と座り直し、脚を組み替える。

 磨き上げられたエナメル革の光沢が、長い脚の先で輝いた。


「何用だ?作戦立案以上に重要なことであれば、時間を割くのもやぶさかではない」

「5年前。審問団の団長だったのは、あなたですか?」

「……」


 フェルナンドの右眉が、ぴくりと動く。

 彼女は前屈みになりながら、両手指を合わせた。


「答えてください、フェルナンドさん」

「いいや。5年前となれば、先代の政権末期に当たる。それがどうした?」

「その時、フェルナンドさんは何を?」

「南部前線の指揮官だが」

「南部前線?」

「“健常者たちの最前線”。ナラゴニアの狂信者共と、我々を中心とする征伐軍が衝突する、人類最後の砦だ。我輩は、その南部における戦いを統括していた」


 サリナの手の甲に、じんわりと血管が浮き上がる。

 眼前に浮かぶフェルナンドの姿が、ぐにゃりと歪んだ。


「では……当時の徴兵制度がどのようなものだったか。勿論、ご存知ですよね」

「あぁ」


 フェルナンドは、サリナ越しに青空を見つめる。

 そして、遠い彼方で飛んでいる鳥を眺めながら、眉を顰めた。


「我輩もまた、決定に関わっていたからな」

「決定に……徴兵する人々の、決定に?」

「そうだ。我輩は彼らの情報に眼を通し、1つ1つ判を押した」

「……!」


 少女は前のめりになって立ち上がると、両手で机を叩いた。

 パイプとパイプの継ぎ目が悲鳴を上げ、軋む。


「どうしてそんなことを……。そこまで、当時の戦況は逼迫していたのですか?」

「見方によっては、な」

「見方……」

「“健常者たちの最前線”の指揮官は、あまりの激務が故に、実質的な次代の団長候補と目される。我輩の時代には、それが2人居たのだ。後は分かるな?」

 

 その言葉を耳にした瞬間、サリナの瞳孔が急激に収縮する。

 彼女は槍を乱雑に引き抜くと、なりふり構わずフェルナンドの額に突きつけた。

 少女のこめかみには青筋が浮かんでおり、今にもはち切れそうに見える。


「エマさんは、人類のためと言い聞かせて!教会を旅立ったのに!」

「団長!!!」


 少しでも力を入れれば、刃は張り詰めた肌と骨を貫き、脳にまで到達するだろう。

 鮮やかな血が一筋、フェルナンドの鼻筋を伝って流れ落ちる。

 止めどなく燃え盛る炎を前にして、審問官たちは一斉に声を上げた。

 対照的に、穂先で佇む女は不動にして、瞬き一つしない。


「出世!出世のためですか!?そんなもののために、碌に訓練を受けていない人々を前線に送ったんですか!」

「貴様、団長から槍を——」


 今にも飛び掛からんとする兵士を、右手を上げて制止するフェルナンド。

 彼女は、槍を逸そうとも、避けようともしなかった。


「そんなもの、か。我輩は、貴様の意見を尊重しよう。だが、権力を手にしなければ達成し得ないものもあるのだ」

「なぜ……どうして……。身共は、フェルナンドさんのことを聡明な方だと思っていました。ワイナリーを掘り返していた身共を手伝ってくれたのも、書斎で困っていた身共に助言をくれたのも、あなただった。そうですよね?」

「秩序のための取捨選択と、個人の気まぐれな善行を、同じテーブルで扱うのか?」

「そんな。いや、でも。身共は……!」


 フェルナンドの眼に映る少女の表情は、いつもの無愛想なそれではなかった。

 彼女は、唇を噛みながら震えている。

 汚らしい罵詈雑言も、数年抱え続けた問いも、喉につっかえて出てこないのだ。


「名前を言ってみろ」

「名前?」

「徴兵された人間の名を言えと言っているのだ」

「……エマ=ルブランです」

「エマ、ルブラン……」

「覚えてなんていませんよね。だって、あなたは」

「侮るな。アトラス山脈の麓で教会を営んでいたエマ=ルブランだろう?」

「っ……」


 サリナの喉の奥から、詰まったような音が漏れる。

 フェルナンドは、彼女の手が僅かに震えた瞬間を、決して見逃さなかった。


「不倶戴天の敵を前にして——」


 残像が見える程の速さでサリナの右腕を掴むと、槍の柄を脇で挟み込みながら、思い切り引き寄せる。

 不意を突かれたサリナは、バランスを崩してフェルナンドの方へと倒れ込んだ。


「隙を見せるとはな。仮にも協力関係でなければ、貴様死んでいたぞ?」

「な、んの……!」

「ほう?」


 机を蹴り上げ、手を振り払いながら距離を取る。

 腕を握る彼女の力はさながら万力のようで、くっきりと指の跡が赤く残っていた。

 フェルナンドは上着を脱ぎ捨て、槍を突き付けられようと微動だにしなかった腰を上げる。


「我輩の記憶が正しければ。貴様は戦いに耐える身体だと宣言して、腰を下ろしたのだったな?」

「それが、何か?」

「良いだろう。少しばかり、確かめてやる」

「手袋は取らなくていいのですか」

「貴様相手であれば、付けたままで十分だ」

「なッ……!」


 歯を食いしばりながら、白亜の槍を持ち直す。

 そして、思い切り右足で地面を踏み切ったサリナは、一瞬で間合いを詰め、槍を横に薙いだ。

 脇腹を捻った瞬間、微かに動きが鈍る。

 岩をも砕く刃の孤は、いとも簡単に掴み取られていた。


「貴様は、我輩を聡明だと評したな」

「少なくとも、今まではそう思っていました」

「過去の行いを知って、考えが変わったか?」

「分かりません。でも」


 掴まれた槍を軸として腕に力を籠め、逆上がりの要領で身体を持ち上げる。

 フェルナンドが見上げると、少女の尖った膝が視界を覆っていた。


「あなたの選択が、許せないことは確かです!」

「……そうか」


 彼女は、右手でサリナの蹴りを受け止める。

 どれだけ身体を揺すり、動かしても、締め付ける力は全く弛まない。

 重力を受け、尚も圧力をかける膝を、腕の力で段々と押し返していく。

 空中に投げ出され、踏ん張りの効かなくなったサリナを、フェルナンドは槍ごと遠くに放り投げた。

 

「ぐっ……」


 落下したのが木屑や鉄屑の上であれば、ひとたまりもなかったかもしれない。

 しかしそこには、幸いにも池が広がっていた。

 受け身も取れず、背中から水飛沫を上げて着水する。

 存外、底が浅い。

 濡れた髪の先から水を垂らしながら、槍を杖代わりにして立ち上がる。

 この分では、包帯など巻いていない方が清潔というものだろう。


「水を被れば、多少は頭を冷やすものだと思っていたが」


 勿体ぶったような足音が近づいてくる。

 彼女は、池のほとりで立ち止まると、傷だらけの少女を見下ろした。


「貴様の炎は、これしきの水では鎮まらないようだな?」

  

 脇腹を抑えながら、じっとフェルナンドを睨み付けるサリナ。

 呼吸は荒く、必死に酸素を求める有様だが、その瞳には未だ鋭い光が宿っている。


「いえ、そうでもありません。お陰で、少し冷静になれました」


 赤く染まっていた視界は、いつの間にか晴れていた。

 つっかえて声にならなかった言葉が、段々と輪郭を手にしていく。


「1つ質問をさせてください」

「乞うまでもなく、貴様は我輩を質問攻めにしただろう?好きにしろ」

「あなたはなぜ、エマさんの徴兵に賛同したのですか?エマさんは」

「余命いくばくもなかった、だろう。覚えているとも」

「……理解できません」


 サリナの両眼の端には、水が溜まっている。

 それは、頬の上を流れ落ちて、手の甲で跳ねた。

 池の水にしては暖かい。

 水を掻き分けながら進み、少女は吠える。


「それを知っていて、どうして!!!」

「——是非に及ばず」


 水面に映る自身の影を見つめながら、ぽつりと独りごつフェルナンド。

 僅かに口元が動いたことにさえ、気づかれはしない。

 ただ、一度眼を閉じた後、彼女もまた池の中へ足を踏み入れた。


「教えてやろう。貴様には知る権利がある」

「え……?」

「だが、条件がある。今夜の戦力足り得ることを証明してみせよ。一撃でも我輩に届けば、貴様を認める」

「……分かりました。約束ですね?」

「神樹に誓って。このフェルナンド=ヘンドリクセン、嘘はつかなんだ」


 彼女は胸に手を当てながら、ゆっくりとサリナに歩み寄る。

 手を伸ばせば届くところにまで、二人の距離は近づいている。

 瞬間、サリナは力の限り水面を蹴り上げ、踏み込んだ。

 

「おー、おー。派手にやってんなぁ」


 一方、ざわめきの絶えない審問官たち、もとい広場に集まった観衆の中で、ヴィオラはニヤリと笑っていた。

 後頭部に両手を当てながら、まるでサーカスを眺めるかのように、高々と上がる飛沫を見つめる。


「派手にって……大変なことじゃないですか!早く止めないと」


 隣に立つエイラは慌てふためいた様子で、なぜか地団駄を踏んでいた。


「まぁまぁ、落ち着けって。なんでアイツらを止めるんだよ」


 訳知り顔のヴィオラは、少女の両肩に手を乗せながら鼻を鳴らす。

 エイラが握りしめているハンカチから、ぽたぽたと水滴が滴り落ちた。


「だって、今夜にも戦いがあるかもしれないんですよね?」

「ま、そうだな。でも、それとこれとは別だ。弱ってる時ってのは、抑え込んでいたものがどうしても溢れ出ちまう」

「抑え込んでいたもの?でも、何もこんなやり方で——」


 会話を掻き消すように轟音が響き渡り、水滴が広場全体に降りかかる。

 ヴィオラは両耳に手を当てながら、顔を顰めた。


「おぉ、すげぇ震脚」

「こんなやり方で!解決しなくても!」

「ハッ、それが無理なんだなぁ。この世界にはそこそこ居るんだよ。こんなやり方でないと素直に話し合えない口下手がさ」

「口下手……」


 チラリと、エイラはヴィオラを見上げた。

 寝起きだからか、悪魔らしく後頭部の髪が逆立って、角のようになっている。

 お似合いだ。


「ヴィオラさんも、その1人なんですか?」

「勿論。だから、次の喧嘩は私とお前の殴り合いだな。何発耐えられる?え?」

「な、あっ。勘弁してください……って、ほら見てください!サリナさんが!」


 咄嗟に、満身創痍の少女を指差すエイラ。

 ヴィオラは、肩を掴む力を強めながら、遠くへ視線を戻す。

 池の水が再び宙を舞い、生臭い香りを漂わせた。


「ふっ!」


 サリナは槍を突き出し、飛び散った水滴ごとフェルナンドを貫く。

 しかし、肉を切り裂いた感覚はなく、刃が空を切った。

 返す刀で横に払えば、彼女の腕がそれを阻み、懐に潜り込むことすら許さない。

 ならばと左手を引き絞り、重心を落としたサリナは、フェルナンドの鳩尾に向かって殴りかかる。


「脇が甘いぞ、傭兵」


 だが、それよりも先に、フェルナンドは脚を振り上げていた。

 今にもサリナの腹を打ちのめそうとする足の甲を前にして、両腕を交差させる。


「ぐっ……」


 三日月を描いて、軽く放たれた中段蹴り。

 それは、ハンマーを振り下ろしたかのような衝撃と共に腕を押し込み、骨の髄まで軋ませる。

 尚も踏み止まったサリナは、身体を捻って槍を振り抜いたが、既にそこにフェルナンドの姿はなかった。

 空振った勢いで体勢を崩しながら、彼女は池の中へと倒れ込む。

 一際大きな水紋が広がり、ほとりを襲う。

 水が口の中に入り、涙の塩味を中和してくれたのは、この戦いで唯一喜ばしいことだった。


「はぁ……はぁ……」


 サリナは再び、池の中から立ち上がった。

 口内の藻や砂を、溜まった血と共に吐き捨てる。

 両脚は震えており、右腕をまともに伸ばすことすらままならない。

 だが、それでも槍を握る手を緩めようとはしなかった。


「それ程までに、貴様は答えを欲しているのか?」

「当然、でしょう……エマさんは、身共の育ての親だったんですから……!」


 天に掲げた鋒を、思い切り振り下ろす。

 フェルナンドのネクタイに微かな傷が付いた。

 身体を回転させながら槍を振り翳し、袈裟斬りにする。

 あまりに大ぶりなその動きは、彼女に掠りもしない。

 それから次の攻撃を構えようという時、彼女の掌底がサリナの肩を優しく押した。

 痛みはほとんどない……が、バランスを失った少女は、よろよろと距離を取るようにして後退り、とうとう尻餅をつく。


「あの人は、病弱だった。剣を握ることすらままならないくらいに腕が細くて……」


 サリナは脇腹を抑えながら腰を上げ、片膝をついた。

 水面を見つめたまま、彼女は動こうとしない。

 ただ、絞り出したか細い声で言葉を続ける。


「戦場で、死ぬべき人では……なかった。はず、なんです……」

「……」


 フェルナンドは、最早戦意を失った少女の元に悠然と歩み寄る。

 二人の間には、槍では届かない程の間隔が空いていたが、それが刻一刻と詰まっていった。

 6歩、5歩、4歩……。

 サリナは、槍を地面に刺して体重を預けている。

 あと、2歩。

 少女の視界の端に、艶のある靴の先が映り込む。

 そして、サリナの顔に不気味な笑みが浮かんだ。


「何——」


 フェルナンドは、水面に映った少女の表情を目にして、足を止める。

 次の瞬間、槍の穂先から、勢い良く橙と青の炎が噴き出した。

 服越しに伝わってくる水温が、急激に上昇する。


「これは……沸騰しているのか?」


 気づいた時には既に。

 一斉に上がった蒸気によって、視界は真っ白に染め上げられていた。

 割れんばかりの沸騰音が聴覚を阻害し、サリナの姿さえ紛れさせる。

 そこにあったはずの影は、どこにも見当たらない。

 突飛な情報を処理するため、1秒にも満たない隙が生まれる。

 咄嗟に周囲を見回した時、肌を灼く霧を引き裂いて、サリナが躍り出た。


「取ったッ!」

「……!」


 それは、猫に噛み付くための、窮鼠の切り札。

 負傷したばかりの右腕、その拳が、フェルナンドの頬を確かに打ち抜いた。

お疲れ様でした。

サリナちゃん、魂の決闘回でした。

フェルナンドさんも、本当に怖い人です。

書いていて、サリナちゃんを殺しちゃうんじゃないか…?と戦々恐々としていました。

自ら「戦いに耐える」と言ったからこそとはいえ、重傷を負ったばかりの少女に、こんなことを…。

でも、彼女を子供扱いしてはいけませんよね。

確固たる決意と、後悔と、力によって、サリナちゃんもまた歩んでいるのですから。

その覚悟を問い、成就させる……かもしれない。

彼女の物語はまだまだ続きますしね。

一撃を頬にいただいたフェルナンドさんの告白、サリナちゃんの決断。

それは、次回のお楽しみとさせていただきます。


最後になりますが、感想やレビューなどいただけると本当に嬉しいです。

執筆の励みになりますし、1つ1つじっくりと読まさせていただきます。

それでは、りんどうでした。

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