記憶の呼び声
いつもありがとうございます。それではごゆっくりお楽しみください。
何度も、夢に見た光景だ。
「なぜ、 さんはサリナを拾ってくれたのですか?」
齢にして10を数えた頃。
槍術の訓練から帰宅した少女は、唐突にそんな言葉を投げかけた。
「……」
一方、薄緑の長髪を三つ編みにした女性は、ベッドの上に腰掛け、じっと窓の外を見つめている。
その優しい眼は、燃えるような夕焼けをぼんやりと眺めていた。
「 さん。あなたはサリナをどうして——」
「それが、正しい行いだと思ったからよ。だって」
名もなき修道女は、肩をいからせた少女を見て微笑んだ。
「例え、あなたが異教の子だったとしても。親を失った赤子を見捨てられる程、わたしは冷酷になれないもの」
「やっぱり、知っていたんですね。サリナが、ガルカ族の末裔だということを」
「アドルフに教えてもらったの?」
「はい。約束をしていたんです。二本先取で勝利したら、と」
「困ったひとね。最初に伝えるのは、わたしであるべきだったのに」
枯れかけの露草のような表情を見せる彼女は、再び傍の窓へと眼をやった。
そして、水の入ったコップを手に取って口を付け、注意深く喉を鳴らす。
「さぁ、ここに座りなさい。一日中訓練をして、疲れたでしょう?」
少女は促されるまま、ベッド脇の椅子へと腰を下ろした。
座板は固く、側面のささくれがチクチクと膝裏を刺す。
白衣の修道女からは、仄かなハーブの香りがした。
「でも、なんとなく予感していたわ。わたしが決心するよりも先に、あなたは真実まで辿り着くだろうって。あなたは、とても聡明だもの」
「……そんなことはありません」
「そう?アドルフはあなたのことを褒めていたわよ?もう、自分が教えられることはほとんどないって」
「 さん」
少女は、ただ彼女の名前を口にしただけだった。
確固たる意志を宿した瞳が、修道女を捉える。
彼女は、観念したように眼を閉じた。
「勿論、知っていたわ」
「やっぱり、そうなんですね」
「生まれて半年と経たないあなたを教会まで運んできたのは、他でもないガルカ族の人だったから。褐色の肌。筋肉質な身体付き。鋭い吊り目。ここらに住んでいて、間違えることなんてないもの」
「どうして……教えてくれなかったんですか」
「……どうしてでしょうね」
「どうして!教えてくれなかったんですか!?」
少女は勢い良く立ち上がった。
その弾みで、花瓶に手が当たったような気がする。
遅れて破砕音が聞こえたのは、落ちて割れたからなのかもしれない。
しかし、少女が床の惨状を顧みることはなかった。
掌に爪が食い込み、たらりと血が床に滴る。
薄緑の彼女は、足元の萎びた花を一瞥すると、決心したように口を開いた。
「わたしは、あなたが思っている程立派な人間じゃないの。今すぐにでも教えるべきだって、理性は訴えていたけれど」
「……」
「真実を教えたら、あなたが遠くへ行ってしまうような気がしていたのよ。だって、そうでしょう?あなたは、わたしに育てられた真面目で優しい女の子じゃなくて。戦場で生き、戦場で死ぬ定めの戦士だってことを思い出してしまうのだから」
「それは間違っています。身共は、遠くへなんて行きません」
「そうかしら?でも、あなたの瞳は、そうじゃないって言っているわよ?」
彼女は、どこか寂しそうに笑った。
少女が、最早近くにはいないことを確信したように。
全く。何も、言い返すことなどできなかった。
身を乗り出す彼女の下で、ベッドがキィと鳴る。
めくれた布団の裏には、真新しい紅色の染みが見えた。
「……どうして、ガルカ族は滅んでしまったのですか?」
「分からないわ」
「アドルフさんも、そう言っていました。身共は、それを明らかにしたいんです」
「それは本当に、あなたが背負うべきものなのかしら?」
「はい。サリナが……いや。身共が、背負うべきものです」
「そう。10歳の子供には、重過ぎる荷物だとわたしは思うけれど……それを決められるのは、あなただけなのかもしれないわね」
少女は、未発達な胸の前で両手指を組み合わせ、俯く。
うなじから首筋を伝って落ちる汗が、砂のこびりついたタンクトップへと染み込んでいった。
「願わくば、大人として、重荷の半分を背負ってあげたかったわ」
「そんな。ここまで育てていただいただけでも充分です」
「そうかしら。ふふ、あなたは本当にできた子ね。でも、わたしには、やってあげたいこととか、一緒にやりたいこととか。まだまだ沢山あったのよ?」
そう言う彼女は健気に笑っていたが、一方でギュッと毛布を握り締めていた。
どうしても、視線を合わせることができない。
やっとの思いで絞り出したのは、気休めにも満たない言葉の数々だった。
「そ、そうだ。今からでも、遅くはありません。リストを作りましょう。それを、1つ1つ潰していって——」
言葉を最後まで言い切れていたら、幾らか後悔は減っていたかもしれない。
しかし、夢の中ではいつも。何度同じ場面に居合わせても。
それだけは、完遂できないのだ。
「……。来客かしら」
こん、こん。
少女の言葉を遮るように、扉が2度ノックされる。
「お呼びでしょうか?」
緩慢な動きでベッドから這い出た修道女は、黒い頭巾を手に取って被り、扉を開けた。
向こうには男と女が1人ずつ、厳めしい表情を浮かべながら立っており、少女はその様子を脇の下から伺う。
胸元には、若枝を天に掲げる獅子のエンブレムが刺繍されていた。
「召集令状です。おめでとうございます」
どこからか、悲鳴が上がる。
或いは、どこからか、歓喜の声が上がる。
夢の終わりは、いつもこの瞬間に訪れるのだった。
*
前触れもなく、残された少女は覚醒した。
数秒、金縛りを受けたように眼を見開き、褪せたクリーム色の天井を見つめる。
それがテントの布地だと気づくまでには、随分と長い時間を要した。
混乱を押し留め、喘ぐように呼吸をしながら上体を起こす。
朧げだった五感に実感が戻り、遅れて軋むような激痛が全身を貫くと、サリナは呻き声を上げながら後ろに倒れ込んだ。
「ぐっ。ごほっ、ごほっ」
即席のベッドが衝撃を受け止め、甲高い音を響かせる。
肺から押し出された空気は、入り込んだ唾と絡み、咳となって小さな身体を何度か跳ねさせた。
「ここは……一体、何が——」
「あっ、サリナさん!!!」
上擦った少女の声が、混濁した意識の間に差し込んだ。
バケツを放り出す音と共に、涙と鼻水に塗れた表情がフェードインする。
「よがっだぁ!め、めざめなかったら、どうじようっで!!!」
エイラは両手を胸元で握り締め、土砂崩れした表情でサリナを見つめる。
そして、何度か鼻を啜った後、サリナの枕元の箱から数枚ティッシュを取り出し、口を開いた。
「お、お気分はどうですか!?ウチが、審問団の人と協力して寝床を整えたんですけど……」
「エイラさんが?」
「はい!」
「そうですか……あぁ。そうでしたね……」
サリナは、エイラから眼を逸らすと、歯噛みして拳を握った。
腕に、胴に、脚に巻かれた、赤黒く染まった包帯。
戦士たる少女の瞳には、ここに来てやっと、鮮明な景色が映るようになっていた。
彼女は、嘘偽りなく眼を覚ました。
背くことは許されない。
「だ、大丈夫ですか……?」
「はい。ご迷惑をおかけしました、エイラさん」
「いえいえ!寧ろ、ウチが謝りたいくらいです。危険な仕事を任せきりにしてしまったのは、ウチの方ですから」
「そんなことはありません。……身共は、最後まで完遂できませんでしたから」
「最後まで?」
「エイラさん。身共が運び込まれてから、どれくらいの時間が経ちましたか?」
「えーっと、丸一日くらいだと思います」
徐に屈み込んだエイラは、バケツの中に入った水にハンカチを浸し、泳がせる。
どこからともなく漏れた溜息と共に、早朝の冷たい風が骨組みを揺らした。
布越しに、木の葉の影が揺れている。
「……それだけの時間を無駄にした、と。身共は——」
「なんだなんだ?喧しい声が聞こえるもんだから、重い身体引き摺ってわざわざ来てみたってのに」
不意に聞こえてくる第三の声。
ギョッとした2人の視線が、入り口の方へと向く。
そこでは、柱に背中を預けながら、ヴィオラがシニカルに笑っていた。
「まさか、そんなしょげた声を聞くことになるなんてな。このバカの泣き声の方が、聞いててずっとマシだ」
「ば、バカ!?今、バカって言いましたか!?」
「そこは本題じゃねぇって。流せよ」
ハンカチを振り回して抗議するエイラの頭をもみくちゃにしながら、俯くサリナをじっと見つめる。
珍しいことに、ヴィオラは薄着だった。
ベストと下着の隙間から、浮き出た腹斜筋と包帯の結び目が見え隠れしている。
「ハッ、浮かねぇ表情だな。悪い夢でも見たか」
「当たらずとも遠からず、といったところでしょうか」
「ふぅん?ま、落ち込む余裕はあるってとこか」
「それは余裕と言えるのですか?」
「そりゃあ、な」
「……痛みに慣れているから、かもしれませんね」
錆びたフレームの軋む音と共に、ヴィオラはベッド脇へと腰を下ろす。
「身体の具合はどうだ」
「最悪です。手足が今にもバラバラになってしまいそうですよ」
「だろうな。吹っ飛んだ後のお前の姿は酷いもんだったぜ?お子ちゃまには、とてもじゃないが見せられねぇ」
「あの後、ヴィオラさんとフェルナンドさんはどうしたのですか?」
「見れば分かるだろ?遺跡を脱出した。門は閉まってたが、議長サマの手に掛かればイチコロさ」
「では、獣を殺し切ることはできなかったんですね」
ヴィオラは、テントの隅を見つめたまま、答えようとしない。
その狭間に立ってあたふたしているエイラは、ハンカチを折り畳んで整え、サリナの額に乗せた。
「……分かりました。フェルナンドさんは、今どこにいらっしゃいますか?」
「さてな。審問団の奴らの配置でも考えてるんじゃねぇか?あの夜から、6日が経とうとしてるからな。でも、アイツの場所を知ってどうする。まだ、まともに歩けねぇだろ」
「いえ——」
サリナは、じっと虚空を見つめながらゆったり起き上がる。
その眼には、揺れる炎が宿っていた。
「聞きたいことがあるんです」
「……。そうかよ。なら、さっき村役場の近くに立っているのを見たぜ」
「さてな、と言っていませんでしたか?」
「悪ぃな、都合のいいことだけ覚えてる性分なんだ。……肩、貸すか?」
「いえ。1人で行けます」
傍の籠からソックスを取り出して素足を通し、ブーツを履く。
怪我のためか、はたまた包帯のせいか、歩き心地に違和感があったが、構うことなどない。
内外を隔てるカーテンを潜り、朝方の風を浴びる。
顔を覗かせて間もない太陽の光は、小鳥の歌声を乗せて、橙混じりの青空を照らしていた。
*
ゴール村から少し離れた山間部の中腹。
折れた樹々が重なり合ってできた虚の下に、深く、暗い洞窟が広がっている。
茂みを掻き分けて入り口に立てば、無骨な岩肌を水が伝い、地面に落ちて跳ねる音が聞こえた。
これ程の暗闇の中では、松明さえ大した役には立たないだろう。
少年は、腰に刺した剣の柄を握りしめながら、天然の階段を下っていく。
暫く進んでいけば、獣のような唸り声が大地を震わせていることに気がついた。
「……」
背中を丸めながら喘ぐ男の後ろ姿からは、普段の威厳など微塵も感じられない。
少年は、輪郭がはっきりとした辺りで足を止め、眉を顰めた。
大男に握り締められた岩が、音を立てて砕ける。
飛び散った破片の幾らかは、少年の靴に当たって力無く落ちた。
片膝を突き、そのうちの1つを摘み上げながら、徐に口を開く。
「ご機嫌いかがですか。ダリウス様」
「フゥ、ハァ——あぁ。なんだ、お前だったか……」
ダリウスは弱々しく微笑むと、千鳥足で立ち上がり、近くの大岩に腰を下ろす。
鎧を脱ぎ捨てた上半身は熱を持って汗ばんでいたが、戦士のそれとは思えない程に傷1つなかった。
唯一、生々しく浮き上がった赤褐色のケロイドを除いて。
「その傷は……」
「あぁ、これか?」
あくまで平静を保ち、傷に触れてみせるダリウスは、くしゃりと表情を崩す。
「火遊びして、ヘマしただけさ。焚き火してたら、胸毛に引火して大火傷!どうだ、武勇伝になるだろ?」
「……。ダリウス様は、本当に不器用ですよね。でも、きっと。お酒の席のネタにはなると思いますよ」
「だよなぁ。アイツらの面食らった顔が、眼に浮かぶようさ」
「尤も、僕には通用しませんけどね」
「構わねぇさ。お前に言ってない話なんて、まだまだ沢山あるんだからな。残弾には困らねぇよ」
そう言うと、大男は重い腰を上げて、放り出された鋼鉄の鎧を掴んだ。
バランスを崩した戦斧が、焦げついた地面に勢い良く突き刺さる。
唾液を垂らし、奥歯を噛み締め、唸っていたはずの男は、人が変わったように朗らかだ。
サン・ジュストは、何事もなかったかのようなその姿を、黙してじっと見つめた。
「んで、どうしたんだ?わざわざここまで来るなんて、珍しいじゃねぇか」
「教父様が、直々にお見えになりました」
厚いプレートを被り、籠手を嵌めていたダリウスの瞳孔が、不意に窄まる。
彼が動きを止めたのは、ほんの一瞬のことだった。
すぐに、手探りで肩当てを見つけ出すと、手慣れた様子でベルトを締める。
「直接、ダリウス様に会って伝えたいことがあるそうです。問題ありませんか?」
「まさか、拒否するわけねぇだろ?俺程、あの人に心酔してる人間は他に居ねぇさ。すぐに向かおう。連れて行ってくれ」
ダリウスは、斧を肩に担いで破顔する。
無表情のまま踵を返したサン・ジュストは、拾った小石を投げ捨てながら、岩の上へと足を掛けた。
お疲れ様でした。
サリナちゃん。今回から数話は、君のためのエピソードだよ…。
とはいえ、まだまだ導入の段階ですから、ここであまり詳しいことは言わない方がいいですね。
これからの展開については、次回以後にご期待ください。
以下は私ごとになってしまうのですが。
最近、階段から落ちまして…靭帯を損傷してしまったんですよね。
つまり、足に大きな傷を負う大変さを、現在進行形で体験しているわけです。
もう、不便で不便で仕方がないですね。
自転車使えませんし、ウォーキングなんてもってのほかで。
まぁ、その分小説書く時間増えたといえばそうなんですけど、外には出たい。
早く治って欲しいですね。
え?そのくせ、投稿時間が遅れてるじゃないかって?
……。
すみません。
推敲に時間がかかりました。
気をつけます……。
最後になりますが、感想やレビューなどいただけると本当に嬉しいです。
執筆の励みになりますし、1つ1つじっくりと読まさせていただきます。
それでは、りんどうでした。




