青薔薇の城
いつもありがとうございます。それではごゆっくりお楽しみください。
ラグナル王国王都、メダリオン南東部。
トライアングル状に区画を区切る3本の大通りと、北西部に位置する拝樹教のカテドラルを基点として伸びるメインストリートからなる商業区画から離れると、そこには喧騒という喧騒を置き去りにした広大な庭園と人工的な森林が広がっている。
それは、凡そ500年前、偉大なる初代国王の命で設計され、3代を経た後にやっと完成を見たという、大陸全体を見渡しても非常に稀有な、歴史と芸術の大宮殿の巨大な影だ。
マーキュリーはふと、時間に追われているということを忘れて立ち止まった。
彼の足音が聞こえなくなったのに気付いて、前を行くアルフもまた足を止める。
「どうしたの?もしかして、気分悪い?」
「いえ、そうではなくて……」
両脇では、鬱蒼としていて獰猛な自然とは程遠い、飼い慣らされて久しい穏やかな樹木が、真っ直ぐ天に向かって伸びていた。
巨人が森林を割り、中心に一本の道を築いたと教えられても、違和感を抱くことはないだろう。
訪問者を雄大に迎え入れる、巨大な正門から王宮の城門までを繋ぐ大路は、あたかも大空に広がる青を一筋の雲が一直線に引き裂くように、敷き詰められた煉瓦の床の上に成っている。
白い王宮は煙突の脇に月を戴き、見上げる彼を見つめ返すように、ぼうっと胡乱に立ちはだかっていた。
「美しいな、とただ感じ入っていたのです」
「そっか。マーキュリーさんはここに来るの初めてなんだよね?」
「はい。申し訳ありません、急いでいるという時に。まだ、少し寝ぼけているのかもしれません」
「まぁ、余裕持って出発したし、少しくらいなら大丈夫だよ。おれも、時々思い出すんだ。初めて、ここを訪れた時のことを。まぁ、ほんの数年前のことだけどさ」
アルフは腕を組みながら、マーキュリーに倣って、庭園を囲うように聳え立つ王城の天頂を見つめた。
「このお城、皆は王宮とか、王城とか、そういう適当な名前で呼ぶでしょ?」
「確かに、単にラグナル王宮と呼ぶ方が大多数かもしれませんね」
「だよね?だって、それで伝わるもん。でも、建てられた当時は、別の名前で呼ばれてたんだって。今と違って、500年前は王国が他にもあったし、クラウス帝国も健在だったからさ。こういうおっきなお城が、珍しくなかったんだと思うよ」
「別の名前……初耳ですね。どのようなものだったのですか?」
「青薔薇城っていうの。ラグナル王家のシンボルが青薔薇なのは有名な話でしょ?それに、青薔薇の古い花言葉には、“神樹の祝福”っていうがあるんだ。おれは、こっちの名前の方が好きだな。かっこいいしね」
「……。確かに、この美麗な風景に見合った、美しい名前です」
ふと、夜に鳴く鳥の声が、林の向こうから響き渡った。
冬に似つかわしい、厳しい寒さを運ぶ風が、木の葉の一枚一枚を隈なく揺らし、震えさせる。
服の間を通り抜ける冷たさによって、現実に引き戻されたマーキュリーは、一人白い息を吐くと、乱れた襟を整えながら、前を向いた。
「すみません、つい、惚けてしまいました。行きましょう、万が一ということがあっては事ですから」
「今は忙しいと思うけどさ。良かったら今度、じっくり案内してあげるよ。おれも毎日仕事があるってわけじゃないしね!」
「ありがとうございます。いつか、お言葉に甘えさせていただきますね」
かちゃり、かちゃり、と革製のホルダーが、ベルトの金具に当たって、一歩一歩の弾みと同時に鈍い音を立てる。
等間隔に設置された街灯が、広く平坦な道をぼうっと照らし出している。
少しずつ、曖昧だった城門の輪郭が、夜闇の中に浮かび上がった。
「それにしても、エクムントさんは非常に優れた医者でいらっしゃいますね。少量の麻酔と最低限の施術で、これ程まで身体を楽にしてしまうとは。正直驚きです」
マーキュリーは不意に、医療局を出発する前のエクムントの姿を思い出す。
それは、21時過ぎに起こされ、血の染みたシャツを羽織り、ボタンを閉めている最中のことだった。
「あのですねぇ。時間が無いのは重々承知していますがぁ。あなたの主治医として、経過観察が必要なことは断固としてお伝えしなくてはなりませぇん。是非、メダリオンを出発する前に、一度は診せに来てくださいねぇ。時間は問いませんからぁ……」
うむむ……一理ある。
一人静かに立ち去ろうという魂胆だった彼は、エクムントの言葉を聞いて、釘を刺されたような思いだった。
確かに、ダリウスに一閃されたのみならず、血管の集中する脇腹に傷を受け、更には毒まで仕込まれたとくれば、生死の境を彷徨ったと表現しても誇張にはなるまい。
ともすれば、治療を請け負った医者には、一度と言わず二度も三度も診せに来いと主張する権利があるだろう。
或いは、そのような宣告を受け入れる義務が、患者には……。
「ふぅ……ゴール村の諸々が解決した後にはなってしまいますが、再び診ていただくのも一興かもしれませんね」
「おれもそうするべきだと思う。あぁ見えて、軍事医療局の主任だからね。誰よりも知識を持ってるし、腕が立つんだ。診てもらうのに1週間待ちなんて、戦中はザラだって聞いたことがあるよ」
「ははは……そうすると、僕は長蛇の列に横入りしてしまったということになりますね」
「それは心配しないで!もう、今日の診療は終わってたらしいから」
「それは、時間外労働を強いてしまったということなのでは?」
「あっ……ま、まぁ。そうとも言う、かな?」
「……。後日、伺わなくてはならない理由が1つ増えましたね」
「そんな、大袈裟だよ!いや、大袈裟じゃないのかな?うーん……いつものこと過ぎて、おれが慣れちゃったのかな……」
などと。
快活で明るい少年は、仄かに赤みがかった頬を夜風に当てながら両手を胸の前で揺らし、はにかむ。
冷静に現状を把握してみると、とうに夜も更けているというのに、マーキュリーの側で働いているアルフもまた、そちら側の人間なのではあるまいか。
……まぁ。
非常事態ともなれば、勤務時間がどうなどと眠いことは言っていられまい。
これは、会社1つ、都市1つの問題ではない。
国家の問題なのだ。
「そう。このような事態において、出し惜しみをするような人間は、“十人衆”の座に就くことなどできない。我々の覚悟を鑑みれば、礼など大袈裟というものだよ」
「その声は……」
風に乗って、低くも心地良く、通りの良い声が鼓膜を震わせる。
久々に耳にする声だ。しかし、その主を忘れるべくもなかった。
マーキュリーは、灯りの当たらない森の中から、鈍色の車椅子が徐に姿を現すのを見た。
「シルバーさん!」
「ハハ!ここは、存外に声が響く。そうやって、大声で人の名前を呼ぶものじゃないぞ、アルフ?」
「す、すみません……」
「シルバーさん。このような時間にお呼び出ししてしまい、申し訳ありません」
「そう堅苦しくしないでくれ。君の目的は分かっているよ。だが、今ここで聞くわけにはいかない。重要な情報には、相応の利き手が必要というものだ。君の奮闘を考えると、本官だけでは不釣り合いだろう?」
「相応の利き手?」
「あぁ。ついて来てくれ。裏門から入ろう。すぐ、その答えを君は理解するはずさ」
そう言うと、シルバーは車椅子のハンドルを握って踵を返し、来た方向へと……森の中へと、視線を向ける。
「あぁ、そう言えば言い忘れてたね。この森は人工だが、それでも定期的に迷子が出ているんだ。逸れないようについてくるんだぞ?」
ふと差し込んだ月光を、彼女の艶やかな銀髪が反射し、スパンコールのようにきめ細かな輝きを散りばめる。
流し目でマーキュリーとアルフを捉えた青い眼は柔和な笑みを湛えていたが、それでいて侮れない、底知れない緊張感が宿っていた。
*
果たしてその人は、扉の向こうでティーポットの中の茶葉を蒸らしながら、優雅に座っていた。
腰に届こうかという長さのポニーテールが、ソファの背もたれの上で、うねる滝のように広がっている。
肘にかけて赤く染まった、まばらに鱗の生えた腕が、蝶番の軋みに反応してピクリと動いた。
シルバーによって扉は開け放たれ、女は立ち上がる……マーキュリーよりも拳1つ分は高いであろうかという長身の彼女は、暖かく迎え入れるように笑みを浮かべ、その麗かで芯がある声を発した。
「遠路遥々お越しいただきありがとうございます。あなたが、マーキュリー=ヴァレンティヌス様ですね?」
「はい。あなたは……」
その問いは、疑いようもなく、無意味な条件反射だった。
情報通のマーキュリーが、眼前の女が何者か、分からないはずもない。
しかし、彼は尋ねざるを得なかった。
身体の輪郭をぼやけさせる、ゆったりとしたシルクの法衣の隙間から、彼女の赫い腕が覗いている。
見開かれた瞳の紋様は、凡そ常人とは思えぬものであった。
縦に開いた瞳孔、太陽が如き光輪の紋様……その、祝福とも呪いともされるシンボルが、マーキュリーの心中に生まれた僅かな動揺を細部に至るまで掬い取り、微かに収縮する。
「申し遅れました。わたくし、アウグスタ=シベリウスと申します」
「……えぇ、存じ上げております。お目にかかれて光栄でございます、宰相閣下」
「こちらこそ、いつか直接お会いしたいと思っておりました。その日が想像以上に早く訪れたことは、望外の喜びですわ」
アウグスタはそう言うと、微笑みを浮かべながら右手を差し出した。
マーキュリーもまた、応じるように眼元を綻ばせ、握手を交わす。
「まさか、アウグスタさんが待ってるだなんて……」
「えぇ、彼が持ち帰った情報は、わたくしにとっても非常に重要なものですから。アルフ様も、マーキュリー様を正しく導いてくださり、ありがとうございました」
「いや、そんな!ふへへ……」
素直に褒められて余程嬉しいのか、アルフは後頭部を掻きながら、恥ずかしそうに視線を落とす。
常に大人びて冷静なアルフだが、このように感情表現がストレートなところは、どことなく少年らしい。
「折角です、アルフ様も聞いて行かれては?」
「うん、そのつもりだよ。マーキュリーさんの切羽詰まった様子を見て、只事じゃないとは感じ取ってたから」
「それでは、マーキュリー様。こちらのソファにお掛けください」
「ありがとうございます。それでは、失礼いたします」
流石は、大陸一の大国の王宮に備えられたソファである。
柔らかく、それでいて腰が沈みすぎず、身体に負担をかけることがない。
心を落ち着けて深呼吸をすれば、天井一面に精巧なモザイク画が描かれているのが初めて眼に入った。
「さて、マーキュリー君。早速本題に入りたいと思うんだが、それで良いかな?」
「一刻を争う事態ですから、すぐにでも」
「そうだね。なら、最初に確認させてもらうけど、君が本官との面会を求めた理由はゴール村の現状を報告するためである。間違いないかい?」
「はい。仰る通りです」
「ふむ。確かに、疑問に思っていたんだ。あまりにも報告が淡白なこと。そして、間隔が不定期であることにね。しかし、君が届けてくれたこの……」
シルバーは、徐に懐からあのスカーフを取り出す。
「穢された伝令の証を見て、納得が行った。太陽派によって、多くの情報がねじ曲げられていたということに、やっと気が付いたんだ。己の愚かさを、鈍さを、これ程呪った日は他にないかもしれない」
「……」
「さぁ、真実を教えてくれ。端的にでもいい。物語風でもいい。君の、報告し易いように、実際に見聞きしたことを教えてくれ」
「……それでは、単刀直入に申し上げます。ゴール村は、既に太陽派の魔手によって徹底的な支配を受けていました」
「ふむ……」
「想定の範囲内、と口にすることすら悍ましいとわたくしは思いますが。真実は残酷というものですね。続けてください」
「僕達は、総力を上げて物的証拠を手にしようとしましたが、ダリウス=ローランとアントワーヌ=サン・ジュストによってそれは阻害され、隠滅を許すことになりました」
「は?」
ピクリと、最初に反応し、立ち上がったのはアルフだった。
ショックのあまり瞳は震えており、声も動揺を隠せていない。
「だ、ダリウスさんとサン・ジュストくんが……?うそ、嘘だ!そんな、あの人たちは本当に尊敬できる人物で……何より、何より!」
「そうだね。彼らは、“十人衆”のメンバーだ」
身体中の血管が冷え切り、まるで氷水が通っているかのような錯覚が全身を襲う。
貧血になったと勘違いしかける程、視界がぐわんぐわんと揺れた。
アルフは、両手を握り締め、言葉の続かない自らの喉を恨む。
代わりに、平静を装いながらも、激情が隠せずに眼を細めているシルバーが、一層眉を顰めながら、囁き、唸るような声で続けた。
「マーキュリー君。君は、本官が心より信頼して雇い入れた傭兵だ。故に、君の報告を疑うことはない。しかし、これは“十人衆”という栄光に満ちた集団の沽券に関わる問題なのだ。容易には信じ難いことを理解してくれ」
「分かっています。信じていただけない可能性も、僕は想定していました。故に」
ここぞとばかりに。
アイスブルーの青年は、内ポケットからある封筒を取り出す。
それは、厳かなワインレッドの封蝋によって閉じられており、些かも侵された気配の無い、一枚の手紙であった。
無造作に垂らされた蝋の中心には、特徴的な紋章が刻まれている。
「この手紙を、あるお方にしたためていただきました。この場で、お渡しさせていただきます」
「若枝を掲げ、天を臨む獅子。このシンボルを知らない者は、この場に居ないよ。彼女が、君たちを助けたのかい?」
「太陽派と手を組んだ彼らがゴール村を焼き払う中、共に危機を乗り越え、現在は一時的な協力関係にあります。僕がゴール村を離れ、この場に在ることができるのも、戦力を割いて問題ない状況が生まれたことが原因です」
「それでは、僭越ながらわたくしが」
アウグスタはそう言ってマーキュリーから封筒を受け取り、蝋を無闇に零さぬよう丁寧に剥がしてから、二つ折りの便箋を取り出す。
その紙は、ゴール村の状況を逐一書き記してあまりある程、十分な大きさのものであったが、書かれていることは、極めて単純明快。それが故に、どんな表現よりもずっと効果的な文言であった。
——使者の言葉は真実である。汝らには、懸命かつ迅速な行動を期待する。
几帳面でありながら豪快な字が、紙の余白を許さんばかりに踊っている。
いかに眼が悪くとも、或いはいかに手紙から離れた場所に座っていても、ほんの少し覗き見るだけで、何が書いてあるかを理解できてしまうだろう。
それどころか、向かいに座していたシルバーは、灯りを通して透けて見える逆さ文字を幾らか視認しただけで、大意を理解していた。
「……あの方は、変わりませんね」
「僕の言葉を、信じていただけますか?」
「……」
真実を前に誰よりも動揺していたアルフでさえ、その文字を見て、下唇を噛みながら黙りこくっている。
文章の最後に押されている判は、疑いようもなく差し出し主が第三議長であることを示している……彼女の言葉はそれだけ重たく、乱れた心を抑え付ける文鎮たり得るものであった。
「はい、勿論です。……実のところ、兆候はあったのです」
「兆候?」
「えぇ。そもそも、わたくしの率いる内務局と、彼らが属する外務局は——」
「ほう。その興味深い話、私にも聞かせてくれるかな?」
不意に、アウグスタの艶のある声に被せて、初老の男の微かに掠れた声が、高い天井の貴賓室に朗々と響き渡った。
マーキュリーは、咄嗟に声のした方向を向く……扉には、間違いなく鍵をかけたはずだった。
「へ——」
勢い良く、アウグスタは立ち上がる。
なぜ、と思う暇もなく、彼女はその答えを口にした。
「陛下!?」
「なっ……!」
反射的に、マーキュリーは向かいのアウグスタに倣った。
彼女が口にした、陛下とやら。
それが誰か、一瞬の内に理解できたわけではない……ただ、漫然と腰を下ろしていてはならないとだけ、彼の脊髄は全身の神経という神経に命令していた。
そして、行動の後に、理解が追いつく。
陛下。ラグナル王国における陛下……該当者は、ただ一人だ。
「ハッハッハ!まぁ、そう驚くな。本来、私もこの場に居るべきだろう?何せ、私はこの国の長なのだからね」
質素ながらも清潔な法衣を纏い、白髪混じりの短髪をあるがままにしている彫りの深い男……ラグナルの国王、即ちダインⅦ世は、右手の人差し指にキーリングを通し、悪戯げに微笑みながら、軽く揺らして音を立てて見せる。
クリーム色を基調とした、美しい紅の刺繍が目立つ上着の胸元には、モザイク画のように精密な刺繍が輝いており。
杖と剣を蔦で巻き取った青薔薇が、鋒の上で満開の花を咲かせていた。
お疲れ様でした。
申し訳ありません!!!
予約投稿を忘れておりました。
いち早くエピソードをお届けしたいので、後書きも簡潔にさせていただきます。
ディアナさんやエクムントさんのキャラ紹介も、次回以後に持ち越しですね。
1ヶ月半くらい前に同じようなやらかしをしてしまった記憶がありますが……。
気をつけます。
最後になりますが、感想やレビューなどいただけると本当に嬉しいです。
執筆の励みになりますし、1つ1つじっくりと読まさせていただきます。
それでは、りんどうでした。




