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アナザーワールド  作者: りんどう
二部 青薔薇の太陽
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汚れたスカーフ

いつもありがとうございます。それではごゆっくりお楽しみください。

 あぁ、自分はきっと死ぬのだろう、と。

 本気で感じたことが、これまでの人生で三度ある。

 一度目は、父母を騙し、死に追いやった大商人が、選りすぐりの傭兵を引き連れて彼の元へと現れた時。

 二度目は、アルカヘストを暗殺しようとして、惨めにも返り討ちにあった時。

 三度目は、アルカヘストと初夜を共にした時。

 ……。 

 冗談だ。

 死ぬかと思ったのは事実だし、疲労と快楽によって気絶するという初めての感覚を味わったが、こと“生死の境目を見極める”という点で、アルカヘストの右に出る者は居ない。

 俗に言う、寸止めというヤツである。

 彼が、アルカヘストのことを抵抗なく旦那様と呼び、慕っているのは、精神と身体が完全に屈服したからなのかもしれない。

 決して認めたくはないものだろうが。

 さて、本当の三度目というのは、暗殺業から足を洗おうとした時のことである。

 暗殺者達のネットワークは、特筆すべき閉鎖性と機密性によって成り立っている。

 彼らが、入らんとする者を拒むことはないだろう。

 暗殺者の一人一人が、この家業は行くところまで行き着いたなれ果てのものだと理解しているからだ。

 一方、その口に縫い付けられた糸を切り、出て行こうとする者に対しては、相応の報復が行われる……。

 彼は、幾度となくその光景を夢に見ていた。

 死ぬかと思った経験、か。

 確かにその通りだ。

 しかし、三度目については、それまでの二度と比較して、決定的な違いがある。

 マーキュリーは知っていた。

 暗殺者のネットワークから、単身で抜け出すことは不可能だと。

 ……だからこそ、だ。

 だからこそ、彼はあの日、匙を投げたのだ。

 砂を巻き上げ、草木を掻き分け、髪を逆立てるような風が吹く。


「……!」


 ふと、頭上から転がり落ちる小石が当たり、彼は蜃気楼のような夢から覚めた。

 音を立てないよう慎重に地を這い、全身をすっぽりと覆うだけの大岩の陰へ、身体を滑り込ませる。

 脇腹の傷から流れ出る血は、今にも雫となって地に落ちようとしていた。


「ふぅ……」


 マーキュリーは血の滲む腹を抑え、崖上へと眼を遣った。

 ゴール村を出発して、凡そ2日と半日。

 日が沈みかけた黄昏時、まどろみ始めた陽光は、輪郭を曖昧にしていく。

 その道程は、ほとんど不眠不休だった。

 普段であれば、そこまで気にすることのない些細な負担だが、重傷を負った傷病者にとって、無問題とはとても言い難い。

 一瞬、視界がぐらりと溶ける。

 これは、睡眠不足のせいだろうか。

 或いは、開き始めた傷口から流れ出る血のせいか。

 はたまた——


「ヤツは毒を受けている。そう遠くには行っていないはずだ」


 追跡者が放った矢の、鏃に塗り込められた毒のせいか。

 抜いた矢は、未だマーキュリーの手の中に握り締められていた。


「四方に分かれるぞ。何としても探し出し、殺せ」


 崖上の茂みから、鼓膜を揺らす低い声が響く。

 マーキュリーは銃を抜き、息を吐いた。

 思えば、何かを追う側ではなく、何かに追われる側になるというのは、かなり久々のことではないか?

 どちらの立場でも、仕事を楽しいと思うことはない。

 ただ、どことなく新鮮な感覚である。


「……」


 声を潜ませ、息を止め、あらゆる生命活動を放棄して、ただ刺客を待つ。

 銃を撃つことはできない。

 忽ちの内に場所がバレてしまうだろう。

 足音が近づいてくる。

 土が踏み固められる。

 砂が擦り合い、砕ける。

 降りる風が、纏うローブを旗めかせている……そして、顔を隠した男は大岩に手を伸ばす。


「ふっ……!」

「んぐ!?……がはっ」


 勝負は一瞬だった。

 三角跳びの要領で地を蹴り、崖を蹴り、瞬きも許さぬ内に背後を取ると、ローブを羽織った刺客の後頭部へ、思い切り銃のグリップの付け根を叩きつける。

 そして、よろめいた男の顎と額を掴み、車のハンドルを回すように捻った。

 首の関節が外れ、細かい骨が砕ける音がする。

 程なくして、制御を失った身体は、痙攣しながら倒れ込んだ。


「……自爆はしない、と。やはり、ヴィオラさんの仰っていた捨て身の一撃は、彼ら自身の意思が引き金のようですね。であれば、幾らでもやりようはあります」


 マーキュリーは毒を纏った矢を道端に放り投げると、再び岩の影へと身を隠した。

 敢えて、死体は放置している。

 暗がりに潜む暗殺者は、情すら罠として利用するものだ。

 特に、マイノリティの異端として格別の仲間意識を持つ彼らには、特攻と言える代物であろう。


「……」


 程なくして。

 再び、向こうから足音が近づいてくる。

 それは、隠そうという気概すら感じられなかった先程のそれとは異なり、日々の鍛錬が滲み出てくるような、とても静かなものだった。

 マーキュリーは息を整えながら銃を握り締め、隙間から外を伺う。

 3m、2m、1m……軍靴とスニーカーを融合させたような、特徴的な形をした靴が、倒れ伏した刺客の身体の前で止まった。


「……これは」


 声の主は、年端もいかない少年だろうか。

 それはどことなく、サン・ジュストの姿を想起させたが、表面的な丁寧さが影のある本性を覆っている彼とは違い、漏れ出た言葉は明るく、溌剌としていた。

 彼は片膝を突き、遺体の首元に手を当てる。


「やっぱり、見間違いじゃないね。まだ暖かい。きっと、近くに居るはず」


 少年は立ち上がり、腰に帯びた剣を抜く。

 すっぽりと頸を覆うくらいの長い襟足が、その上下運動に釣られて跳ねた。

 そして彼は振り返る……背後へ、暗殺者が飛びかかっているとは気付かずに。


「……!」


 銃身と、長剣の刃が火花を散らす。

 赤髪蒼眼の少年は、両手で剣の柄を掴み、マーキュリーの一撃を弾き返した。

 2人の眼が交差し、その中に潜む光を見る。


「いきなり殴りかかってくるだなんて、随分とご挨拶だね」

「申し訳ありませんが、僕も手段を選んではいられないんです……ふぅ」


 マーキュリーは脇腹を抑えながら、ふわりと舞い上がるように距離を取り、真っ直ぐな瞳をした少年を見据えた。

 思わず、羨ましいと感じてしまうくらいに、彼の眼は明るい。


「だとしても、相手は選ぶべきだったかも。少なくとも、手負いの身でどうにかできる程、おれは弱くないから。これ、殺ったのあなたでしょ」

「僕の答えに意味はあるのですか?」

「どうかな。まぁ、いずれにしても、君のことは拘束するよ。詳しい話はそれからだね。おれは、王都メダリオン駐屯軍副長、アルフ=エリオット。君のような無法者を捕まえる者さ」

「駐屯軍……アルフ=エリオット……」


 その言葉にぴくりと耳を震わせると、マーキュリーは眼を細める。


「成る程、あなたが」

「ん?もしかして、オレのこと聞いたことあるの?」

「これに見覚えはありませんか?」

「それは……」


 胸ポケットから皺だらけのスカーフを取り出し、広げてみせる。

 微かな異臭を放つそれは、ワイン、血、吐瀉物の染みで元の色を失っていた。

 しかし、その小綺麗な模様や配色を見れば、それが元々何で合ったか、容易に理解できるだろう。


「伝令役のスカーフ……アンタは伝令なのか?」

「違います」

「それなら、どこで手に入れた?」


 アルフの声音に、昏い憤怒と憎悪が宿った。

 そのスカーフは、王都の城門を通るためのパスとなる。

 尤も、盗用防止のため、本人確認は厳重に行われるそうだが……スカーフが本人の手を離れているということは、それだけで大きな意味を持つのだ。


「ゴール村です」

「ゴール村……」

「アルフ=エリオット駐屯軍副長……いや。“十人衆”の第十位であるあなたに、お願いしたいことがあります」

「……」

「かの村では現在、恐るべき事態が発生しています。それを、僕の雇用主であるシルバー=ゼーランディア様にお伝えしなければなりません。どうか、僕を彼女の元へ連れて行ってくださいませんか?」


 アルフは、マーキュリーの言葉を見定めるように腕を組んだ。

 しかし、その恐るべき事態とやらが恐らく事実であることは、彼の手中で揺れるスカーフが示している。


「その後であれば、拘束だろうとなんだろうと、甘んじて受け入れましょう」

「……分かった」

「本当ですか?」

「でも、1つだけ条件があるよ」


 今にも地平線の彼方へと沈もうとしている太陽の陽を浴びながら、少年は剣を鞘に収める。

 丁度影になった彼の表情は、最早マーキュリーに窺い知ることなどできない。


「ゴール村のことは、確かに“十人衆”の間でも話題になってるんだ。だから、おれにも簡単に状況を教えて。その内容によっては、今すぐにでも連れて行ってあげるよ。その……命を落としたであろうスカーフの主に免じて、さ」

「ありがとうございます」

「でも、まずは——」


 瞬間、アルフは剣を抜き、右腕を振り抜く。

 亜音速で空気を切り裂く刃は、マーキュリーの左頬を掠め、背後の何かに突き刺さった。

 視線は剣の軌道を追い、呻き声を上げながらうずくまる男の方へと向けられる。


「あなたを追って来た彼らを撃退しないとね」

「邪魔を、するなぁ……!アドルテラーレめ!!!」

「……邪魔なのは、あなたの方です」


 振り上げられたナイフが、マーキュリーの右肩に新しい傷を作る。

 しかし、足払いをされ、体勢を崩された刺客は、尻餅を付くように勢い良く倒れ込んだ。

 マーキュリーは男の喉に銃を突きつけ、気道を塞ぐようにギリギリと力を入れていく。


「よくも、毒を盛ってくれましたね……お陰様で、今にも意識が飛びそうですよ」

「ぐ……ざ、まぁ、ないな!」

「ふふ。それでは、地獄でお待ちであろうかの村長に、よろしくとお伝え下さい」


 陽は沈む。

 山を越え、海を越え、遥か彼方の深淵に。

 黄昏の中、一発の銃声と、耳を劈くような爆発音が、河畔に轟いた。



 ラグナルの王都、メダリオンにあるギルド本部は、大陸全土を見渡しても屈指の賑わいようを見せている。

 仕事がなければギルドの受付に行け、とはそのようなラグナル・ギルドの現状を端的に表す格言と言えるだろう。

 マーキュリーとて、メダリオンを訪れるのは初めてではない。

 しかし、この職人と旅人、商人が入り乱れるギルドの風景は、慣れ親しんだ月牙泉のマーケットに似ていた。


「グランドマスターへの取り継ぎ、ですか?」


 数多の資料やパンフレットの並ぶ受付の向こうに立つ女性が、アルフの依頼を聞いて一言、どことなく訝しむように口にした。

 

「うん。できれば、今すぐが良いんだけど……お願いできるかな、ディアナさん」

「不可能ではありませんが、アルフさんの場合、直接グランドマスターのお部屋に行かれた方が早いのでは?」

「いや、今回会いたいのはおれじゃないんだ」

「突然のお願いで申し訳ありません。名を、マーキュリー=ヴァレンティヌスと申します」

「マー……キュリー……」


 ふと、受付嬢のディアナは手を止め、血の滲んだ服を纏う青年の姿を見た。

 そして、頭頂から足先まで舐めるように眺めた後、不意に眼を閉じ、深く頷く。


「成る程、承知いたしました。今すぐ、手配いたします」

「わ、相変わらず仕事が早いね。でも、大丈夫なの?お姉ちゃんは兎も角、シルバーさんは忙しいでしょ」

「はい。ですが、必ず面会の席をご用意しましょう。マーキュリーさん。私とあなたは初対面ですが、私はあなたのことを存じ上げております」

「僕を……?」

「あなたを……いえ、正確にはあなた方を、依頼の請負人として処理し、報酬に至るまでの様々を書類化したのは私ですから」

「……」


 ふと、マーキュリーは顎に手を当てて視線を落とす。

 であれば彼女は、ゴール村を巡ってシルバーが動いていることを知っているのか。


「であれば、ディアナさんを信頼して。シルバー様に、これをお返しください」

「これは……伝令のスカーフですね」

「はい。恐らく、席を用意する上で大いに役立つかと」

「分かりました。それでは、結果が出次第、こちらの番号でお呼び出ししますね」


 そう言うと、ディアナは箱の中から72と書かれた木札を取り出し、マーキュリーに手渡した。


「それと、どうやらお怪我をなさっているようですが……」

「あぁ、それは、これからおれがエクムントさんのところに連れていくから心配しないで」

「そうですか。治療費に関しましては、こちらでお出ししますから、後程領収書を提出してくださいね。では、お二方がお帰りになるまでに済ませておきますので、戻り次第、札をお渡しください」


 茶色い短髪の彼女は、にこりと笑って頭を下げると、タオルで巻いたスカーフを丁寧に持ち上げ、窓口の脇に紐で吊るされているプレートを裏返した。

 “離席中”。

 背に腹は代えられないとはいえ、自分のためにギルドの仕事を滞らせるというのは多少なりとも心が痛むものだ。

 月牙泉の家令として、莫大なタスクを振り分け、こなしていく難しさを知っているマーキュリーにとって、それは尚のことであった。


「良し。ディアナさんがやると言ったなら、絶対、今日中に席を用意してくれると思うよ。あの人は、おれの知り合いの中でも指折りのシゴデキだから!」

「えぇ……その雰囲気は、少し話しただけでも感じ取れました。僕としては、少し羨ましいですね」


 雑用係と言うと聞こえが悪いが、そういったシンプルな作業を好んでこなす人間だって、世の中には居るものだ。

 そういった人々にとって、効率と再現力、貫徹する力というのは、何よりも魅力的なものである。


「じゃあ、待ってる間に、薬を貰いに行こうね」

「はい。正直に言うと、今にも意識を失いそうなので。張るべき意地など、僕にはもうありません」

「それなら、後少しだけ頑張って。すぐそこだから」


 アルフは扉を潜り、メダリオンのメインストリートに出る。

 行き交う馬車や急足の人々は、まるで訪れた夜から逃げ出しているかのよう。

 振り返ると、天高く造営されたラグナルの王宮の天蓋の上で、冠のように月が輝いていた。

 金色の屋根に対し、白銀の月光がプリズムのように光を散らしている。

 夜は長い。

 疲労は溜まっているが、泥の中に沈んでいくような深い眠りにありつけるのは、まだまだ先のこととなるだろう。

 鞄の中から、アルミ箔に包まれた棒状のビスケットを取り出す。

 傷が開き、しかも毒が回っているのだ。当然のことながら、食欲は全くない。

 しかし、これも生きる為である。

 彼は、丸呑みする勢いでレーションの一欠片を口の中に放り込み、アルフの背中を追った。

お疲れ様でした。

次回、“廃帝の棺”に迫ると言ったな。

あれは嘘だ(ウワアアアアアアアアアアア……)。

はい。茶番はこの辺りにして。

時系列をうまく合わせるなら、この辺に差し込むべきかと思いまして。

予定変更で、これから数話、マーキュリーさん側の視点のお話が続くことになりました。

しかし、ある意味こちらの方が皆さんにとってはお楽しみかもしれません。

初めての舞台(王都メダリオン)、初めての登場人物(アルフ、ディアナ、エクムント)、とワクワクする要素が満載ですからね。

初登場キャラの紹介に関しては、次回から順番にやっていきます。

まずはアルフ=エリオットくんですかね。

サン・ジュストくんが“十人衆”における闇のショタだとすれば、彼は光のショタと言えるでしょう。

まぁ、まだほとんど活躍できていませんのでね。

次回以後の動きを楽しみにお待ちいただければと思っております!


最後になりますが、感想やレビューなどいただけると本当に嬉しいです。

執筆の励みになりますし、1つ1つじっくりと読まさせていただきます。

それでは、りんどうでした。

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